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田植えを手伝う



 田植えの手伝いをした。化学肥料・農薬・除草剤を使わない「まがも米」の生産販売を展開している農業生産法人「村上ライスセンター」(村上市下相川地区)の田植えが繁忙のピークを迎えたのだ。私の作業は苗を運んで田植え機に積み込むことだ。単純だが、田植え機の運行が円滑におこなわれるための要領を会得するには、いくらかの経験を要する。
 1日目は委託を受けたT家の田植え。Tさん父子も苗を運び、レーキで田んぼを均(なら)す。苗を満載すると、田植え機が向かいの畦(あぜ)まで行って帰るまでに少し手が空く。息子のTさんが語りかけてくる。
「何か自営業をしようと思っています。でも、その前にアメリカ西海岸に行きたいんです。まだ外国へ行ったことないし」
「今度ゆっくり話しにおいでよ」
「酒はあまり飲みませんよ」
「飲まなくてもいいんだよ」

 2日目は高齢の夫妻が作業の合間の話し相手。
「昔は裸足で田んぼに入ったんだがね。蛭?いるどもこの時季の蛭はあまり食いつかねえな」
「畔(くろ-あぜ)には大豆を植えた。どごの家でもその豆で味噌をつくったんだ」
「3代婿(むこ)を取ると蔵が建つって言うな。出来の悪い自分の息子より、出来のいい他所の男を跡取りにしたほうがいいってことだかな。ホッホッホッ」

 午後は「村上ライスセンター」のShigeoさんの妻Yumikoさんがパートナー。この日、田植え機を運転するShigeoさんを婿に取った心優しい見目麗しの女丈夫なのだ。この夫妻には男の子はいない。娘だけだ。Yumikoさんの祖母も婿取りだったそうだし・・・。大きな蔵が建つような流れになるのかなあ。ホッホッホッ!
 暑い日だった。

 3日目の苗運びのパートナーはSanaeさん。田植えのために命名されたような名前だ。ご主人は「村上ライスセンター」の主要メンバーだ。
 この地域の女性は、農作業などの野外作業では目の部分だけを出す「おかぶり」を被る。Sanaeさんとは以前にも会っているはずだが、はっきりと顔はわからない。道で出会ってもSanae さんから声をかけられなければ、知らん顔をして通り過ぎるだろう。
 雨の一日だったが、とても気持ちよく作業が出来た。
 

 仕事を熟知している人からすれば、私などは「猫の手」ほどの手伝いでしかない。だが、楽しい3日間だった。

 今、日本農業の先行きは環太平洋連携協定(TPP)への交渉参加をめぐって大きく揺れている。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどの世界最大の農産物輸出国と日本が、関税を全廃して対等な勝負ができるとは思えない。

 道路と田の間の木立の蔭に古い墓石があった。「相川掃部頭長安」の文字が読み取れた。「相川」の地名と関わりのある人物なのだろう。掃部頭(かもんのかみ)は中古、宮内省に属し、宮中の鋪設・酒掃の事を司った掃部寮(かもんりょう)の長官と「広辞苑」にある。

# by yoyotei | 2012-05-17 11:23 | Trackback | Comments(0) 

日常への回帰

 
 大型連休が終わった。恒例の「さかなまつり」はあいにくの小雨模様。それでも朝8時前の会場(寝屋漁港)駐車場はほぼ満杯の盛況だった。

 開会セレモニーの鏡割り樽酒と、漁師さんから振舞われたカニやエビ、味噌汁を堪能した。このイベントは今年で17回目。私たちのグループは初回から参加し続けて、漁師さんにも顔見知りができている。今回は7キロのヒラメ、カキ、ガサエビなどを買い込んで帰路についた。例年だと野方海岸がこの後の野外パーティ会場だが、雨のためMurayama邸に変更となった。

 玄関前にテントを張ったり、炭火を熾(おこ)したり。しぜんと役割分担ができあがり、会場が整っていく。7キロの大ヒラメはMurayama夫人が担当。大量の刺身となって参加者の口に入った。
 参加者は生後3ヶ月の子どもから70歳を過ぎた高齢者。出産予定が10月だといって孫の誕生を待ちわびる古くからのメンバーとその娘さん。今年で定年退職の会計担当者。ある人からは、長男がようやく結婚することになったという酒を飲みながらの嬉しい報告。中には杖がないと歩行が困難になった人も・・・。
 大多数がほとんど1年ぶりの顔合わせだが、和気藹々(あいあい)ぶりは、時間の寸断を感じさせない。参加者は40人近くになった。

 前回のブログで「ソイーカサゴ」について、釣り仲間からの「釣果の報告はまだない」と書いたら早速、報告があった。釣り場の現地調査、大量の釣果。探究心旺盛な彼の面目躍如といったところか。新しい好釣り場を発見(?)した喜びが電話の向こうから伝わってきた。
 
 連休後半の娘夫婦や孫たち大挙の来訪。連休明けには、五十回忌だという妻の親族の法事。非日常の日々が続いたが、それでも日常が戻りつつある。それは愛犬ナメローも同じだろう。

 そんな合間に読み終えた本がある。『ブレイキング・ナイト<ホームレスだった私がハーバードに入るまで>』(リズ・マレー著 大城光子訳 2012)だ。最後の一節が心に残った。
「ホームレスだろうとビジネスマンだろうと、自分の境遇がどうであろうと、変わらないことがひとつある。すなわち、人生に意味を与えるのは自分自身だ、ということだ」 
 
 もう一冊は1961年ソ連邦国防省軍事出版所発行のソビエト空軍少将の空戦記を訳出したものだ。
「よい友人を持たぬ人間は、集団からも孤立している。こういった種類の人間は、前線ではいたずらに名誉を追い求めるエゴイストになる。あるいは臆病者か、さもなければ裏切者になるのだ。いかなる誤りや過失でも、それを正直に自己批判することは、その人間を強くしてゆくことの第一歩だ」
   『ノモンハン空戦記』(A・B・ボロジェイキン著 林克也/太田多耕訳 弘文堂 1964)
 前線や戦争という特殊な環境でなく、日常の中でも意味を持って迫ってくる言葉だ。
 この本には「○○ホテル」のゴム印が、何箇所にも押してある。40数年前に勤めていたホテルで借りたまま生活上の荷物とともに私について来た本だ。かび臭さに閉口しながらページをめくった。

# by yoyotei | 2012-05-10 09:37 | Trackback | Comments(2) 

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の・・・


 賑やかな一行が帰った後、片付けをしていると、「よろしいですか?」の声とともに一組の男女が入店した。
「どうぞ、どうぞ」
「一杯だけ飲ませてください。30分もしたら帰りますから」
 だが、言葉通りにはならなかった。一杯が2杯になり、2杯は5杯になった。30分の予定は2時間を越えた。
 佐渡市真野の曹洞宗種徳院の住職Honmaさん夫妻との出会いだった。
 話はインドの仏跡巡りからミャンマーの旅、南伝仏教と北伝仏教との違い、上座部部仏教と大乗仏教と続いた。さらに話題は、原発、死刑問題から「大阪維新の会」批判にまで及んだ。
「私が金科玉条としているのは諸行無常ということです」と、自身のモットーを開陳して話は終わったが、その間、終始よどみのない穏やかな語り口。色白の奥さんが、合いの手のように短い問いをはさみ、それにも答える。
 有名私大に7年間在籍、アメリカ滞在、雑誌の編集者などを経て、生家の寺を継いだのだという。その経歴の豊かさは話の深さ幅広さからもうかがえた。
 「佐渡に来られることがあった連絡を下さい。ゆっくり飲みながらまた語り合いたいです」と住職は言い、電話番号を残して行かれた。大型連休前半、旅の客からもらった有意義で濃密なひと時だった。
 飲み屋稼業の役得のひとつは、代金までもらって「いい話」を拝聴できることだ。

「学道の人は、自解(じげ)を執(しふ)することなかれ」(道元『正法眼蔵随聞記』)
 
 タケノコのシーズンが到来した。わずかに先端が覗いたものを見つける。一雨来ればまさに「雨後の筍」であちこちに、むっくりと土を押しのけて姿を現すだろうが、しばらく雨はない。

 前回、ソイと書いたら釣り仲間からカサゴではないかと電話をもらった。そうだろうと私も思う。ちなみに私が少年時代を過ごした島根県の日本海沿岸ではボッコウと言った。ソイもカサゴもフサカサゴ科に属する。その科目には下関辺りでタケノコメバルと呼ばれる魚もいる。タケノコの時季が旬ということだろうか。
 釣り仲間からは、釣れた場所からエサ、仕掛けまで、詳細な情報提示を求められたが、まだ釣果の報告はない。
 この日は27センチの大物も釣れた。朝方、1時間ばかりの釣果だ。

 冒頭のHonmaさんのお寺は「種徳院(しゅとくいん)」という。なにか引っかかるものがある。突然、小倉百人一首の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思う」を思い出した。崇徳院の和歌だ。この和歌をネタにした「崇徳院」という落語もある。こちらは「すとくいん」と読む。 

# by yoyotei | 2012-05-02 18:06 | Trackback | Comments(0) 

再会の観桜会


小学校PTA歓送迎会二次会ご一行様である。「しんちゃん」の強力な牽引力で、ちょと遠距離の足を運んでもらった。私も小・中・高とPTA役員を経験した。保護者と教師が子どもを中心にして確かなモノを探りながら語り合った日々は、今でも貴重だったと思う。

 ご一行様メンバーに女子トライアスリートがいた。Komazawaさんだ(左)。MTC(村上トライアスロンクラブ)のメンバー。秋の大会(村上・笹川流れ国際大会)にむけてトレーニングのベストシーズンがやってきた。

10年ぶりに当地の中学校にUターン赴任したKazueさんと、新規採用で同じ中学校で教職についたKaoruさん。10年ぶりに先輩が後輩を連れての来店がうれしかった。二人とも国語の先生ということで、小説など読書傾向の世代間の違いなど、興味深い話ができた。中学校の教科書に出てくる漢詩の「春暁」や、村上龍、村上春樹,山頭火まで、この夜の酒の肴になった。

好天の日曜日。村上城址で観桜会があった。「市民ネットワーク」などで、お世話になっている人たちが主催している。みなさん高齢だ。出かけてみて、数人の知人と久々の顔合わせということにもなった。(右)の県議Katano氏とは30数年前から率直な意見交換ができ、さまざまな分野で飲み話ができる友人だ。
「ボトルのウイスキーが腐るよ」
「おう、近いうちに行くから・・・」
左右の二人は夫婦。この日のムードキャラクターに起用されて、古(いにしえ)はかくありしか、といった風情をかもし出していた。

観桜会でのサプライズはこの人との再会だった。
当時、東京で学生生活を送っていたNakamura・Tさん。帰郷するたびに顔を出し、何をするにも私たち夫婦と一緒だった。屋根裏部屋の私たちの住まいに泊まることもしょっちゅうだった。麻雀を教えたのも、ギターを弾いて歌う楽しさを伝授したのも彼だった。夏は炎天の砂利道を歩いて海に行った。車はまだ持てない時代だった。大江健三郎を語り合ったり、漱石の「我輩は猫・・・」に出てくる「蛇飯」で盛り上がったこともある。40数年も前のことだ。
観桜会の関係者に懇願されて、この日、彼も私もカラオケを歌った。夜は自宅に招いて昔話に花が咲いた。

老人介護施設で働く仲間。Ryukoさん(左)、前にコートジボアールの夫と来店したYukoさん(右)真ん中の人はMayaさんの知人だった。期せずしてちょっとした交歓会となった。

# by yoyotei | 2012-05-02 09:51 | Trackback | Comments(0) 

春の夢

 一人で家を建てている男がいた。二間もあろうかというほどの小さい家だ。何本かの柱が屋根を支えている。壁はまだない。床板を貼り付けているところのようだ。奇妙なのは、建材が煤けた古材や流木、寸法の合わない材木をつないだもので、つぎはぎだらけの家ということだった。
 縁側らしいところから床に上がった私に、男が不機嫌な声を出した。
「入り口はそこなんだが」
 なるほど小さな入り口に見える部分があった。
「近頃の日本人は礼儀も知らない・・・」
と、男が言ったように聞こえて、目が覚めた。

 木材を組み合わせて何かを作っている男がいた。テーブルなのか、ベッドなのか。大き目の台であることはまちがいない。こちらも端材をつないで、そのつないだ部分を荒縄で縛っている。ベトナムの田舎を思い出した。ハンモックで昼寝をしている男たち。その下にあった台に似ている。私は台の縁を両手で掴んで揺すってみた。ビクともしない頑丈なものだった。私は満足して、その場を立ち去った。

 私は粘土をこね、手びねりでぐい呑みを作りはじめた。なかなか思い通りの形にならない。薄い板状にした土を貼り合わせるようにしてみた。蕎麦猪口の形になった。ひと月前に骨董市で買った物と見比べるとそっくりだった。
 底を見ると扁平だ。気にいらない。ヘラで削り取った力強い高台(こうだい)がいい。蕎麦猪口をつぶして、手びねりに戻った。やはり思い通りの形にならない。何度か作ってはつぶし、つぶしては作った・・・。
 ぼんやりと目覚めた。初めて見た3シーン連続の夢だった。何かの願望か、寓意を含むものか。
 春の眠りの夢だった。


 桜が満開だ。参道も小学校の校庭も・・。隣家の白いモクレンもいっせいに開花した。
 10鉢あまりのシンビジウムが、今季はすべて花芽を持った。昨年の夏、寒冷紗を張って本格的に遮光をしたのがよかったようだ。デンドロビウムもすべて花芽を持ったが、1鉢から増やしたものでみんな同じ花なのがちょっと不満だ。

 赤い椿の山道をナメローと歩いた。昨夜来の雨で道は湿っているが、夕方から晴れの予報だ。


 公的な助成を受けていた店が相次いで閉店した。詳しくは知らないが、客足が伸びず、助成期間が終わったための閉店のようだ。「閉店」の文字が痛ましい。
 
 おとめ座の人は運気が良くないらしい。運気を上げるには「鳥の手羽先から揚げ」を食べるといい、そんなことをテレビが言っていた。妙な夢は運気が悪いせいだろうか。私はおとめ座である。よし、手羽先食ってビールを飲んで、昼寝をしていい夢をみるぞ!
 それにしても、こんな占いどんな根拠があるのだろう。

# by yoyotei | 2012-04-24 13:00 | Trackback | Comments(4) 

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