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夭夭亭

35年前の今日(勤労感謝の日)、僕の店が開店しました。
開店準備に追われて、電話を引くのが間に合わず、新聞の折込チラシに「電話まだありません」と入れました。それが印象的だったと来店された人もありました。
間に合わなかったのは電話だけではありませんでした。実は店名も間に合わなかったのです。そこで命名したのが「有人島(ゆうじんとう)」です。東京在住の知人に案内されたことのある、赤羽の小さな店の名前を無断で拝借したのです。すべての内装を店主が自分でやったというところが、僕は気に入ったのです。

数年後に店名を「夭夭亭(ようようてい)」としました。保健所に届けをしたときに担当者から、店も経営者も同じなのに店名だけを変えるというのは前代未聞だといわれました。

さて、「夭夭亭」です。
中国最古の詩歌集「詩経」のなかに「桃夭」という詩があります。

「桃の夭夭たる 灼灼たるその華 この子ゆき帰(とつ)がば その室家に宜(よ)ろしからん」
(わかわかしい桃の木。つやつやしたその花。〔そのように美しい〕この娘はお嫁に行ったら、うまく家庭に調和しよう)(『中国詩人選集 詩経国風(上)』 注者/吉川幸次郎 岩波書店)

詩はまだ続きますが、この詩の「夭夭」から採られています。命名者は僕ではなく、八木三男という方です。
八木三男先生は京都大学文学部を卒業された後、当地の高校で教鞭を執られました。その後早期退職をされて東京大学教育学部の研究生となり、「にいがた教育研究所」を設立されました。
島根県生まれの僕が、当地に来て大いなる薫陶を受けた方です。

八木三男先生は昨年1月に永眠されました。享年75歳でした。無宗教者で、墓もつくらない彼の遺骨は、友人や知人、家族によって世界中に散骨されています。
昨年、僕も先生の遺骨を、インドのガンジス川に流してきました。朝ぼらけの中、船で川の中央部まで行き、現地で売られていた花とともに、遺骨を川に流している間、老いた船頭は船を漕ぐ手を止めて静かに見守っていてくれました。

今年1月、僕の店で先生の一周忌がありました。朝から降り続いた雪は除雪車が2度も出動するほどでした。雪の中でも、黄色の花を咲かせる蝋梅。夫人が庭から手折ってこられたその花の香りが店を満たしました。
先生の命日は「蝋梅忌」と命名されました。

by yoyotei | 2009-11-23 20:32  

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