野垂れて死ぬ

「私の思春期は母の厳しい締めつけに、怒りと悲しみで粉々になりそうだった。登校拒否、家庭内暴力、神経症、学校に行けば問題児、社会に出れば変人と言われた。(中略)母を殺すか、私が死ぬか、どちらかしかないと思いつめた中学生だった私の重い十字架はいったい何だったのか」
      (『写真家はインドをめざす』日比野宏ほか共著 青弓社 1997)

 著書に、そうのように書いた写真家・栗脇直子は、「サドゥ」を撮ることを決めてインドへ旅立った。
「何故、サドゥは家を捨て、家族との絆を断ち切って修行僧の道に進んだのか」
 自己と他者との相克にのたうちまわった、思春期以来の自己解放へのカギとなるかもしれないとの期待が、栗脇にはあった。

 サドゥとは、インドにおいて出家した乞食遊行(こつじきゆぎょう)の修行者をいう。ぼろを身にまとい、乞食のための鉢を持ち、時として杖を携える。髪や髭は伸ばし放題で、灰や泥を身体に塗るといったイメージだ。もともとサドゥーという言葉は、<正しい><善い>、あるいは<正しい人><善い人>を意味した。ブッダが弟子の見解をほめるときの感嘆詞として用いており、しばしば「善哉」と漢訳されている。
 中世になって、さまざまな宗教者を意味するようになり、現代では、前記のイメージの修行者、苦行者、ヨーガ行者などを包括的に指す言葉になっている。インドの人々は、サドゥに敬意をこめて、「ババ」あるいは「ババ・ジー」と呼ぶ。

 栗原は、ガンジス河源流域の聖地でサドゥたちと出会い、共に旅を続けてきた一人のサドゥの死に遭遇する。
 そのサドゥは、栗原のちょっとした思い違いから、ヒマラヤ山麓の厳しい寒さの中で孤独な野垂れ死にをしたのだった。警察の取調べを受け、罪を問われたわけではなかったが、死の原因が自分にもあったとされて、衝撃と混乱に泣き崩れた。
 そんな栗脇に、他のサドゥや村人が言った。
「泣いてはいけない。死は悲しむことではない。彼は人生のゴールに辿り着いたのだ。サドゥにとって聖地で死ぬことほど幸福なことはない。悲しんで彼の死を冒涜してはいけない」

 3年前、私の店を訪れた栗脇と酒を酌み交わした。
「私には野垂れ死にしたいという願望があったのね。でも、まさしくその死に出会って思ったのは、野垂れ死ぬことに意味があるんじゃあなくて、野たれて死ぬ覚悟を持ってシンプルに生きることに意味があるってことだったんです」
 そう語った栗脇は、サドゥたちと再会するために、12年に一度アラハバード開催される、ガンジス河最大の祭クンブメーラーに行く予定をうちあけた。
 クンブメーラーは約一ヶ月間おこなわれる。その間に沐浴すると最大の功徳があり、魂が救済されるというので、インド全土から2千万人以上もの巡礼者と数十万人のサドゥたちが集まるという。
 初めてのインド行きに際して栗原は、「半年たって音沙汰もなかったら、探し出してひっぱたいても何してもかまわないから、私を日本に連れ戻してほしい」と、本気で友人に頼んで出発したという。
そして、2001年のクンブメーラーに行くといったきり音沙汰がない。野垂れ死に?それもいいか・・・。

*これは10年も前のことです。栗脇直子さんは2001年2月から開催されたクンブメーラーへ行ったはずです。おそらく今は日本で元気に生きていると思います。
 
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by yoyotei | 2010-01-14 09:00 | インド | Comments(0)  

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