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生きざらめやも

 一昨年一月に逝去された方の夫人から歌集をいただきました。その方はこのブログで紹介したことのある「夭夭亭」の名付け親です。夫人は四十年近く短歌を詠み続けてこられた方で、歌集をつくることがあったら、題名も題字も夫にという願いが叶わないこととなった」と、「あとがき」にありました。
 百七十首ほどの歌は、夫に末期の肺がんが見つかってから、自宅での療養、死、死後にいたるまでの、濃密な夫婦の姿が詠まれています。

 <胸が痛むと言いしひと言その後のゆゆしきことの始まりなりき> 小脳変成症で滑舌などに不自由をきたし、通院やプール通いで病と闘っていたさなかのがんの発見でした。<偽りを言わざる夫が問診の喫煙本数少なめに書く> 煙草が肺がんを誘発したのかどうか。かなりのヘビースモーカーでした。<わたくしは煙草を怨んではおりません よくぞ夫につきあいくれし> がんと戦わないことを決めた自宅療養中、妻は煙草に火を点けます。<煙草よりほかに心を癒すものなしと言う夫に火を点け渡す>
 そして最後のときを迎えました。<愚痴も言わず弱音も吐かず耐えきしに「俺まいったよ」最後の言葉><小さき息吐きてふたたび吸わざりき蝋梅の花香るかたわら> 
<左手にマイルドセブン一箱もちて着流しのままに旅立つ>葬儀も墓もいらないと言っていた彼は、和服に茶羽織といういでたちで棺に納まりました。左手に煙草を持った姿が頑是ない子どものようにも見えました。

<百日忌を卒哭忌(そつこくき)とも言うなりと居酒屋の店主はがきに記す> この居酒屋の店主は僕です。そして、夫人はこう返しました。<百日が過ぎなば哭(な)くを止めよとや今しばらくの暇(いとま)あらなん>その百日忌を迎える頃、夫人は夫の遺骨を抱いて中国・桂林に降り立ちました。最後まで往診を続けた主治医が同行しました。<桂林の土に降り立つ百日忌夫の靴を履きてぞ来る><大陸の土にならなん夫の骨桂林の江(かわ)にひとひら放つ>

 やがて、夫人の思いは亡夫への追慕と問いかけになります。<やはりここが一番いいと帰り来る日のあれ書斎の座布団を干す><わたくしのコートに仕立ててもよいですかあなたの好きな塩沢紬><書斎より夫のしわぶき聞こえ来る未だ風にも雲にもならず>

 しかし、その夫は一人娘と孫たちへ、命のバトンを確かにつないでいったのです。<これの世に夫は命を繋ぎゆく紛うなく似る娘と孫に><母の日に花を贈りて父の日に何もせぬ子は父が大好き><灯を消して月の光で風呂に入る祖父を倣いて孫が灯を消す><コピーして遺してゆきし子は父に似たり思考の筋道までも>

 昨年一月、故人を偲ぶ「蝋梅忌」が僕の店でありました。夫人はそのときの様子も細かく詠んでいます。<八木三男が名付け親なる「夭々亭」今日蝋梅忌の会場となる><マスターの司会よろしく蝋梅忌たのしげに語る夫の在りし日><お隣のご主人にわかバーテンダー ギャルソンエプロンぴったりと合う><着流しのこの日の主役がのっそりと現れてよい時刻ではないか>

 歌集の最後の歌は、<死者と共に生くるというはかくならん問えばいまでも答えてくるる>というものです。死してなお生きるといいいますが、僕にしても何かのときに、その人ならどう考えただろう、どうしただろうと、生前の言行をたどることがあります。夫婦であれば肉親であればなおさらのことだろうと思います。
 
 10年ほど前に、少しばかり付き合いのあった人の妻が病で逝かれました。夫は妻が好きで撮りためていた山野草の写真を、妻の生きた証として写真集をつくり、友人知人に配りました。あまたある夫婦の実相はさまざまです。夫婦をまっとうできない人たちも少なくありません。かろうじて連れ添い続けたとしても、先立つとき、また先立たれたとき、僕たちはどのように受け止めるのか、どのように向き合うことができるのか。歌集や写真集を編むことはないにしても、他人事ではありません。

<君が生きているなら僕が生きているも同じと言いき生きざらめやも>激しい痛みに苛まれる重篤な病の床で、夫は妻に自分の「生」をまるごと託したのです。<生きざらめやも>が哀切です。

『大往生』(永六輔著 岩波新書)に「ただ死ぬのは簡単なんだ。死んで見せなきゃ意味がないよ」という言葉が紹介されてあります。僕にはその人が「死んで見せた」と思えます。『大往生』をめくっていたらこんな言葉もありました。「葬式で、赤ちゃんの声が聞こえると、何だかホッとするんですよ。子供は葬式に重要です」。「生」の受け渡しが如実に見て取れるということなのでしょう。
 僕の妻の母が亡くなった時、まさに「名もなく貧しく」生きてきた義母のささやかな葬儀で、僕は義母の孫たちに弔辞を捧げることを提案しました。小学生だった五人の孫たちのたどたどしい、でも「おばあちゃん・・・」と呼びかける弔辞は涙を誘いました。そのときの僧侶が感動したと言ってくれました。その僧侶はその後、店に来てくれるようになりました。「卒哭忌」を教えてくれたのはその僧侶です。

<船頭は漕ぐ手を止めて待ちており朝焼けの河師の骨流す>
<インドには庶民はありやと問いし人今ガンジスの水に紛れて>
<岸辺には露天の荼毘の煙り立つ花は漂い骨は沈みぬ>
<河イルカ跳びて川面を騒がしぬしばし今待て旅立ちのとき>
<居並びて乞食(こつじき)をする人々に大盤振る舞い散骨の後>
 以上五首は一昨年の秋、名付け親の遺骨をガンジス河に流した時の情景です。初めて短歌にしました。

by yoyotei | 2010-02-05 12:46  

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