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耕して育てる

 目覚めると窓から差し込む朝日が黄色い。前夜を思い返してみました。「太陽が黄色く見える・・・」というフレーズが頭をよぎったのです。酒は飲んだものの羽目をはずして無節操な振る舞いにおよんだわけでもないし、どうやら黄砂のせいだったようです。

 太陽といえば映画「沈まぬ太陽」。昨日市民センターで出張上映があり観に行ってきました。60歳以上はシルバー割引ということで、僕は免許証を提示しましたが、それには目もくれず、受付はチラッと僕の顔を見ただけでシルバー料金にしてくれました。<おかしいなあ、50代前半に見えるはずだが・・・>知人は、「63歳です」と自己申告をしたそうです。

 映画は原作をよく伝えていたように思いました。欲にまみれて保身のために堕落していく人たちと、誠実に生きようとする主人公。映画の感動を自分の生き方に反映できれば、と感じました。「63歳の知人」は、組合活動などで主人公と似たような体験があり、組織の中で働いた経験がほとんどない僕とはちがった感慨を持ったそうです。僕は宇津井健さんが演じた、航空機事故で息子夫婦と孫を同時に失い、絶望と孤独と空しさのなかで遍路を続ける姿が、痛ましく心に残っています。

 昨日は春彼岸でした。僕の自宅は曹洞宗のお寺の参道に面しているので、家の前を墓参の車が行き交いました。今朝、犬の散歩でそのお寺の墓地を巡ってきました。多くの墓前には生けられたばかりの花が朝日に輝いていました。ペットボトルのお茶や缶コーヒー、酒など、故人が好きだった飲み物なども供えてありました。容器の印刷文字が色あせた水羊羹は、昨年のお盆の名残でしょうか。

 パラリンピックもまもなく閉幕です。さまざまな原因で障害を負ってしまった選手たち。なかでもスキー距離で金メダルを獲得した新田佳浩選手は「(金メダルを)最初はじいちゃんに触らせてやりたいと」と語りました。新田選手は3歳のときに祖父の運転するコンバインに巻き込まれて左の前腕を失ったのでした。過失とはいえ孫の片腕を奪った祖父はどれほど自分を責め続けたことか・・・。金メダルは祖父への最高のプレゼントです。
「健全な肉体に健全な精神が宿る」といいます。でも、ほんとうは「健全な肉体に健全な精神が宿れば、これほど理想的なことはない」というのだと聞いたことがあります。かつて作家の吉行淳之介は「健全な肉体には、えてして単純な精神が宿る」と茶化したことがあります。さまざまな障害を乗り越えて、肉体と精神を鍛えた選手たちに頭が下がります。

 さて、春の陽光が大地を暖め始めると、農家では春耕の時期を迎えます。「米を作ってもメシが食えない」という深刻な状況が続くこの国の農業環境のなかで、懸命に米作りに挑戦し続けている青年がいます。つい先日も僕の店の開店から閉店まで飲み続けて、語り合ったその青年を取り上げた僕のエッセイを紹介します。エッセイは3年前のものですが、彼の米作りにかける情熱は、ますます高揚しています。それには別の新しい要素が加わったからです。それはエッセイの後に・・・。

    青春ムラムライス
 
 その人が入ってくると店の雰囲気が変わる、ということが酒場にはよくある。板垣さんもその一人だ。彼には小さな酒場にありがちな、よどんだ空気を吹き飛ばしてしまう快活さがある。20代後半だが、だれとでも率直に会話を交わし、しかも自分の存在をさわやかに相手の胸に刻印してしまう。
 農業者である彼は、胸を張って自分の仕事を語る。彼ほど溌剌と、誇りを持って自分の仕事を語る人はめずらしい。ほとんど初対面だった高校教師が、自分の生徒に聞かせたいと、特別授業を依頼したほどだ。
 県の農業緊急育成事業がスタートすると、彼を中心とする若手農業者8人が農業普及指導員と話し合いを重ねて、「究極の岩船米を生産して消費者への直接販売」というプロジェクトを立ち上げた。「手間を惜しまず、採算にとらわれず、やるならトコトンやろう!俺らの精一杯で体当たりしようぜ!」板垣さんは仲間を鼓舞し、プロジェクトが目指す方向を共有しあった。
 5月田植え、雑草を抑制するための米ぬか散布。稲の成長を見守りながらの販売戦略など数回の研修会。インターネットのブログを活用しての情報発信。8月になって、究極の岩船米は「青春ムラムライス」と命名された。
 8月下旬、「青春ムラムライス」が出穂。月末には、雑草の手取り作業をイベントとして開催。ブログでイベント告知をするが一般からの参加者はなかった。10月中旬稲刈り、そして「はざかけ」乾燥開始。10日後の脱穀作業には一般からの参加が2名あった。メンバーたちは脱穀した玄米の美しさに目を見張り、精米し試食した結果は、「こんな米、食ったことがない」という驚きだった。担当した若い普及指導員は、いてもたってもいられなくて山形市のお寺に行って、豊作祈願までして来たという気の入れようだった。
 パッケージされた「青春ムラムライス」を、板垣さんは米の販売には不似合いな私の店で売りまくった。巧みなセールストークで売ったのではない。農業に情熱をぶつける青年たちの「これがその結晶なんです!」熱く語る彼の言葉に、飲み客たちは心を揺さぶられたのだ。
 板垣さんは店に来ると、ためらうことなくカウンターの中に入る。そして自分の飲み物をつくり、時には客の飲み物もつくる。客の少ない夜には仲間を呼び寄せる。酒場に活気がよみがえる。彼を中心にした会話が弾んでくる。私はカウンターの仕事を彼に譲って客席に座る。ふっと、こんな息子がいたらとの思いがよぎる。
 情熱は青年たちを駆り立てる。しかし、情熱だけが上滑りをして、行動が時に思慮を欠くこともある。それでいいのだ。試行錯誤の繰り返しは若者の特権だ。
「青春ムラムライス」は若者たちが作ったとは思えない頑固親父のようなしっかりした食味だった。彼らがぶっつけた精一杯を、大地と稲がガッシリと受け止め、応えた味だった。
 彼らの合言葉は「本気で農業を楽しもうぜ!」である。

 
 彼、板垣さんには7年越しの恋人がいます。彼女は銀行に勤務していますが、農家の跡取り娘です。彼も農家の跡取り息子。地方の、特に農家ではこうしたことが結婚を妨げる要因になることがめずらしくありません。板垣さんたちも例外ではありませんでした。彼は、会うことすら拒んでいた彼女の親と、じっくり時間をかけて距離を縮めていきました。そして、とうとう彼女を嫁に迎えることになったのです。丹念に土を耕し、播いた種は二人の丹精によって、今年7月に大輪の花を咲かせます。板垣さんの農業にかける意気込みの新しい要素とはこのことです。
 耕して育てて、実らせる。農業の営みは人と人の関係にもいえることです。

by yoyotei | 2010-03-22 14:44  

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