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プールサイドのカフカ

 村上春樹の「1Q84」BOOK3が発売されたということで話題になっているようです。長く続く出版不況のなかで、早朝から列をなして書店に並ぶ人たちの姿をテレビが報道していました。ある種の社会現象になっているようですが、村上春樹の何が彼らを惹きつけているのでしょうか。
 彼の小説を、僕は「1Q84]どころか、「ノルウエイの森」しか読んでいませんので、書評のようなものはいえるわけもありません。「ノルウエイの森」で感じたことは、登場人物に対する著者のやさしいまなざしでした。デリケートで傷つきやすい人たち。そんな自分を支えるものを探すかのような、人との出会いや、そこで織り紡がれる関係。登場人物を読者の多くが、等身大の自分に重ねるのかなと思ったものです。
 
 村上春樹には「海辺のカフカ」という小説がありますが、これも読んではいません。でも、僕には「プールサイドのカフカ」とでもいうような、ちょっとした場面が遠い過去にありました。それは、僕が若い頃の一時期、箱根のあるホテルで働いていた時のことです。
 黒い上下の服に蝶ネクタイをして、食事や飲み物を客に運ぶのが当時の僕の仕事でした。服装はそうであっても、洗練さとは対極にあるような、地方出身者特有の垢抜けない、朴訥な、それが仕事であっても、笑顔すらつくろうこともできない僕でした。上司はそんな僕に「君は、君の行為をお客が喜んでくれることを、君自身の喜びとすることができないか?」と諭しました。わかるようでわからない。むしろわかりたくない。「世間という海を上手に泳ぎ切るというような生き方を、僕はしたくないのです・・・」。生涯に一度しか書かなかった故郷の母に書いた手紙の一節を今も覚えています。そんな頃のことです。

 ある日、プールサイドへ飲み物を持って行くように命じられました。銀盆(ぎんぼん)と称していたステンレスのトレイを左手に掲げてプールへ行きました。夏の頃ですから黒い上着は着ていなかったかもしれません。プールでは一人だけ女性が泳いでいました。日よけの傘が開いたプールサイドのテーブルがその人の席だということはすぐにわかりました。僕はそこに飲み物を置きました。そのとき目にとまったのは、読みかけのページを開いてテーブルに伏せてあった一冊の文庫本でした。「変身」のタイトル。変身?著者カフカ。タイトルも著者名も初めて目にするものでした。なによりも「変身」というタイトルが気になりました。身を変える?奇妙とも思えるタイトル。いったいどんな小説なのだろう。
 そのとき、飲み物の注文主がプールから上がってきました。その姿の洗練された美しさに、僕はたじろぎました。鮮やかな花柄のワンピースの水着。ほどよくくびれた腰に、スラッと伸びた下肢。椅子にかけてあったタオルで濡れた髪をぬぐうその顔は、夏の日に焼かれて小麦色に輝いていました。年齢は20歳前後でしょうか。かすかに少女らしさを残しながら、それでも大人の領域に入りかけているといった風情の人でした。
「お飲み物をお持ちしました」
「ありがとうございます」
 その声と、口調の品の良さは僕にとってはまったく異質の世界のものでした。
 夏、箱根の芦ノ湖畔のホテル。一人で来たのか、家族も一緒なのか。いずれにしても夏の日をホテルのプールで過ごすような生活も僕には別世界のものです。
「この小説、おもしろいですか」
 僕はおもいきって声をかけました。
「まだ読み始めたばかりで・・・」
 軽く小首をかしげたようなしぐさでの返答に、もう言葉を継ぐことはできませんでした。一礼をしてプールサイドを後にしましたが、タイトルの「変身」とその女性の際立ったたたずまいは、その後長く心に残りました。
 「変身」を買い求めて読んだのはいうまでもありません。
 経理部門にまわされ、そろばんの練習をさせられるようになって、僕はほどなくそのホテルを辞めました。

「ある朝、目覚めたグレゴール・ザムザは自分が一匹の甲虫に変身していることに気づいた」
 そのように始まる「変身」は、しばらく僕の読書傾向を変えました。阿部公房や倉橋由美子など、カフカの影響を受けたといわれる作品も手にとりましたが、そこへいたる原点は「プールサイドのカフカ」でした。

 ところで、村上春樹さんとは何度か会っています。といっても話をしたわけではないので、何度か見かけているというのが正確です。
 村上春樹さんが外国に行ってもランニングを欠かさないことは、彼のエッセイなどにも書いてありますが、数年前から彼はトライアスロンにも挑戦しています。
 実は私の町では20年も前からトライアスロン大会を開催しています。市町村合併をする前には「村上国際トライアスロン大会」という名称でした(現在は「村上・笹川流れ国際トライアスロン大会」)。彼のトライアスロン・デヴューはこの「村上国際」でした。
 僕はこの大会で初期のころから、実況放送を担当していて、放送席から彼の姿を見ていました。ノーベル文学賞の候補になったと伝えられたときの大会では、村上春樹さんから「レースナンバーだけで、名前はコールしないで下さい」と申し入れがありました。僕の実況スタイルは、エリート選手の場合は無線で入ってくるレースの模様を記録重視で実況しますが、村上春樹さんのように一般参加選手の場合は、事前に提出してもらったアンケートをもとに、選手個々のエピソードや職業、ゴール地点で家族が待っているなどの個人データーをできるだけ紹介するというものです。選手に配布される名簿には村上春樹とありますが、どれだけの人が作家の村上春樹だと気がついているのか。スポーツマンシップなのか、ワッと彼を取り囲むようなことはありません。
 村上春樹さんは小柄な方ですが、懸命にゴールゲートを目指す姿が印象的です。デヴュー戦は最初のスイムでリタイアしましたが(このときの様子も彼のエッセイにあったと記憶しています)、その後は完走を続けています。
 
 カフカの晩年のエピソード、として次のような話が伝えられています。
 ベルリンにいた頃、ある日、公園を散歩していたカフカは、人形をなくして泣いている少女に出会いました。カフカは少女を慰めるために「君のお人形はね、ちょっと旅行に出かけただけなんだよ」と話し、翌日から少女のために毎日「人形が旅先から送ってきた」手紙を書きました。この人形通信はカフカがベルリンを去るまで何週間も続けられ、ベルリンを去るときには、その少女に一つの人形を手渡し、それが「長い旅の間に多少の変貌を遂げた」かつての人形のなのだと説明したそうです。
 小説を書く人は、こんな素敵なことができるのですね。

by yoyotei | 2010-04-19 23:28  

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