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パラソルの下で

 新聞の天気欄を見ると一週間先まで晴れマークだ。気温は最低最高とも日ごとに1度ずつ上昇の予報。天候不順が続いていただけに気分も晴れやかになろうというものだ。庭先にパラソルを広げて、本を読みパソコンに向かう。傍らでは犬が椅子に寝そべっている。樹木はたっぷりの陽光を浴びて若葉を輝かせ、孔雀サボテンは真紅のつぼみが今にもはじけそうだ。ラジオが鳩山首相の辞任を伝えた。顔や上半身を新しくつくろってみても、下半身が前政権と同じような構造では「腰砕け」にもなるだろう。冷えたビールでも呷って昼寝でもするか・・・。

 そんなふうに書けば優雅に思われるかもしれないが、内情はそうでもない。長く続く不況は私の店も直撃し、客足の激減は明日を限りなく不安にさせる。どこもそうだよ、と慰められても、だからといって不安が去るわけではない。なんらかの手を講じなければと思っても、特に才覚があるでもないし、発奮するにはもう若くないなどと、煙草をくゆらせて考える風を装う。
「インドでは乞食までもが哲学者の顔をしている」という旅行者に対して、わけ知り顔の人は「馬鹿をいってはいけない。彼らは空腹で表情をつくる余裕もないだけだし、夢も希望も失ってただ呆然としているだけなのだ」と突き放す。自分もインドの哲学者の顔に近づいてきたかもしれない。
「私は依然として偶然をあてにして、幸運をよすがとして生きている」とは、「ペンのゆすり屋」とも「ジャーナリズムの祖」とも称されるピエトロ・アレティーノの言葉だが、私自身もそのようなものだ。依然として幸運が舞い込むことを期待している。
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 ヨーゼフ・ロート(1894~1939)に『聖なる酔っぱらいの伝説』という中編小説がある。                         (池内紀・訳 1989 白水社)
 セーヌ川の橋の下で暮らすアンドレアスは、気まぐれな紳士から200フランの金を貰い受ける。宿無しではあっても「誇り高い」アンドレアスは返済しなければ気がすまない。紳士は礼拝堂の聖女テレーズ像に返してくれればいいといって姿を消す。奇蹟の始まりだった。久しぶりに金を手にしたアンドレアスは酒場へ繰り出す。正真正銘の飲んだくれなのだ。次には数年ぶりに理髪店に行きヒゲを剃り、いつもとは違う上等の酒場へ行く。そこでの立ち居振る舞いは、かつて身に備えていたものだ。
 酒場で一人の紳士が声をかけてきた。引越しの手伝いをしてほしいという仕事の依頼だ。二日間の仕事で手伝い賃は200フラン。紳士が前金の100フランを取り出す財布を見て、アンドレアスも財布を手に入れようと思い立つ。いまや金を持っているし、さらにもっと手に入る見通しもある。
 財布を売る店の娘は、アンドレアスの身なりを見て、うるさい客が取替えに来て残していった新品ではない財布を取り出す。ろくに品定めをすることもなく、その中からひとつを買ったアンドレアスは無造作にポケットに入れた。その夜はモンマルトルの女たちがいる酒場で気前よく振る舞い、一人の女を選んで朝まで過ごした。
 引越しの手伝い仕事が終わると、紳士の妻は5フランのチップまでくれた。二日目には約束どおり残りの100フランが支払われた。その夜にもしたたかに飲み、懐のあたたかいアンドレアスは少々高いホテルに泊まった。
 翌日は日曜日のミサ。200フランを聖女テレーズに返さなければならない。礼拝堂に行くと、間が悪いことに最初のミサが終わったばかりで、次のミサまでには1時間もある。飲んだくれはここでも酒になる。それでも今日の務めを思い出すと礼拝堂に向かう。すると「アンドレアス!」自分を呼ぶ声がする。昔の女だった。その女のせいでアンドレアスは刑務所に行く羽目になったのだった。しかし、二人はすぐにアンドレアスが刑務所に行く前の状態に、つかの間だけ戻る。飲んで食べて、映画を見てダンスホールへ行き、また飲んで・・・。聖女テレーズに返す金はなくなってしまう。
 しかし奇蹟はなお起こり続ける。すっからかんになったアンドレアスが左側の内ポケットに手を入れると財布が入っていた。先だって買ったものだが、買っただけで忘れていた。開いてみるとなんと1000フラン札が一枚。余裕を取り戻したアンドレアスは、同郷出身で今やパリでは有名なサッカー選手になっている学校仲間を訪ねる。彼のはからいでの優雅なホテル暮らし。それでも誇り高いアンドレアスは日曜日になると聖女テレーズに200フランを返そうとするが、宿無し仲間の邪魔が入ったりで果たせない。そして飲む。素寒貧になる。奇蹟はまた起こる・・・。

 ヨーゼフ・ロートは、ロシアとの国境に近い東ガリシア(現在のウクライナ共和国)に生まれた。ユダヤ系オーストリア人。ウィーン大学に学び、第一次世界大戦に従軍した後、ジャーナリストとして活動する一方で、小説を次々と執筆した。政治的にはシオニズム思想を支持するが、多民族が共存していたかつてのオーストリア・ハンガリー帝国に郷愁を抱き続けた。ヒトラーの政権掌握後はフランスに亡命する。パリでのロートは毎日のように襲われる自殺衝動から逃れるため大量の飲酒を繰り返す。そして飲酒による急速な健康悪化のなか、ホテルの玄関をでたところで倒れた。流浪のユダヤ人の45歳の短い生涯だった。
 28歳のときウィーン生まれのユダヤ人女性フリーデリケと結婚したが、妻は精神異常の兆候を示し、ナチス政府の制定した「遺伝病防止法」によって精神病院で殺されている。ロートの死の翌年だった。

 愛すべきアンドレアスはどうなったか。それはここには書かないが、訳者・池内紀は作者ロートの原寸大の自画像だという。
次々と奇蹟のような幸運が訪れるなどということは現実にはない。だからこその願望、疲れた大人の寓話だが・・・。

 ボーッとしていたら「これ使わない?」と、妻がなにやらくれた。200フラン?奇蹟の始まり?
 それは商品券だった。まあいい。だが、私はアンドレアスのように誇り高くはないから返す気はない。
 
  

by yoyotei | 2010-06-03 19:51  

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