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暑い!

 天正10年(1582)4月、織田信長の勢によって、甲斐(山梨県)恵林寺(えりんじ)の僧たちは山門に追い上げられ火をかけられた。このとき快山禅師は法衣を着て扇子を持ち、端座して発した。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」。これは、唐詩「夏日題悟空上人院詩」の一節「安禅不必須山水 滅得心中火自涼」が原典だと思われる。
 わが家が禅寺の参道に面していることは以前このブログでも書いたが、禅寺の本堂はともかくとして住職家族の住居にエアコンがあるのかどうか。
 隣家の元高校教師宅にはエアコンはないということだ。「扇風機は使っていますが・・・」と伺ったことはあるが、この夏の暑さもそれで乗り切っておられるようだ。

 仏教の一派である禅宗は、インドの達磨が中国に伝え、栄西・道元・隠元らが日本に伝えた。そのインドの暑さはどんなものか。酷暑の時期(5月、6月、7月頃)に行ったことはないが、『上海の西、デリーの東』(素樹文生・著 新潮社 1996)によれば、著者は、釈迦が悟りを開いたブッダガヤで48度を経験したそうだ。日なたでは、と宿の屋上に温度計を出しておいたら、管が破裂してしまったという。日本でもこの夏、熱中症で命を落とす人があるが、インドでも数百人単位の人が暑さで命を失う。同書には「なにも死ぬのは人間だけではなくて、動物だって死ぬし、植物だって干からびて死ぬ。電線にとまった小鳥がボトボトと地面に落ちて死ぬ。犬も死ぬ。山羊も死ぬ」とある。
 この時期にインド西部のタール砂漠地帯を行く列車に乗った体験を聞いたことがある。冷房のない2等車では天井の扇風機が熱気をかき回している。それにもかかわらず窓を閉め切ったままだ。あまりの暑さに耐え切れなくなった、その日本人旅行者は意を決して窓を開けようとした。そばにいる乗客たちはなぜか、口をそろえて「やめろ、やめろ」と阻止する。しかし、暑さの中に密閉されて気が狂いそうになった日本人は制止を振り切って開けた。どうなったか。なんと、砂漠で灼かれた熱風が猛烈に吹き込んできたという。「・・・だろう?」というインド人たちのしたり顔の中で、彼はあわてて窓を閉めるしかなかったという。そうしたことはバスでも同様だそうだ。
 夜になるといくらかは涼しくなるが、それでも40度前後はある。「ベッドに敷いたままののシーツにバシャバシャとじかに水を撒いて、それからシャワーを浴びたあとの濡れた体のままゴロリと横になって、その気化熱の涼しさの中で眠る。そんなことをしても三時間ほどするとすっかり乾いてしまって、また暑くなり眼を覚ましてしまう。もう一度水を撒く。眠る。シーツが乾いて眼が覚める。それを二、三回繰り返すと夜明け頃になって少しばかり涼しくなり、やっと本当の眠りにつくことができるのである」(前書)

「夏の日の午後。むし暑さを含んだ空気は、少しの風さえも起こそうとせず、じっと立ちどまったままだった」。こんな書き出しで始まるショート小説「暑さ」(星新一著)は、最後のところで、鳥肌が立つような涼気をもたらす。
 おとなしそうな若い男が交番にあらわれ、巡査に声をかけた。「私をつかまえていただくわけにはいかないものでしょうか」。巡査は「なんだって?いったいなにをしたんだね」と問いかける。「いえ、まだなにもしていません」「なにもしていない人をつかまえるわけにはいきません」「いえ、いまにも自分がなにかしそうなのです」。男と巡査との間にこんな会話が交わされる。耐え難いむし暑さの中で、人がなにかとんでもないことをしそうな気持ちになることは、巡査にも理解できる。だが、やはり、なにかしそうだというだけではつかまえることはできない。そこで男は話し始めた。
「ちょうど1年前の、こんな暑い日。私は飼っていた猿を殺しました」。猿を殺したって罪にはならないと、やはり巡査はり取り合わない。現在なら「動物虐待」で罪に問われるだろうが、この小説が書かれた当時、それはなかった。男は続けた。
「私は子どもの頃から暑いのがいやで、頭がぼんやりし、とてもいらいらしてくるのです」
 特にそれがひどく、なにかをしなければならない衝動が強くなるという男は、ある夏の暑い日、ふと畳の上をはっているアリをみつけ、つぶしてみた。すると、それまでのいらいらが、嘘のように消え、その夏はすがすがしい気分で過ごせた。次の年の夏、いらいらが高じてきた男は前年のことを思い出してアリをつぶしてみた。だが、だめだった。ところが偶然カナブンをつぶすと、それからは前年と同じようにすがすがしく快適な気分で夏を過ごすことができた。なにやらコツのようなものがわかってきた男は、翌年の夏には近所の子どもからカブトムシをもらい、それをつぶすことで夏のいらいらを抑えることができた。
「おととしの夏は犬を殺しました。(これも今なら動物虐待だが・・・)その頃になると、すっかりなれてきて、次の年の準備をはじめるようになっていました。秋になると猿を飼ったのです」「とても殺す気にはなるまいと思いましたが、暑さが高まるにつれ、いらいらを押さえることはできませんでした。私は猿を絞め殺してしまったんです」
 そして、男はさらに巡査に頼み込む。「私を逮捕してください」。しかし、なにも事件をおこしていないと、巡査は男に帰宅をうながす。
 しかたなく、帰ろうとした男に巡査はなにげなく聞いた。
「家族はあるんだろう」
「ええ、昨年の秋に結婚して・・・」

 40年以上も前に読んでブルッとした記憶があり本を探したが見つからない。図書館で探し出してくれたのが、『奇妙な味の小説』(吉行淳之介編 立風書房 1970)で、その中に収められていた。
 それにしても暑い。エアコンを効かせた部屋に犬と一緒に閉じこもっているから、なんとかしのげるが・・・。お隣さんは80歳代の老夫婦だが、頭が下がる。冒頭の「心頭を滅却すれば火もまた涼し」を平易に言い換えれば以下のようになる。
「無念無想の境地にいたれば、火さえも涼しく感じられるの意で、どのような困難、苦難に遭遇しても、それを超越した境地に入れば、少しも困難、苦難を感じないことをいう。
                              (『日本国語大辞典』 小学館)
 今朝、隣のご主人がステテコ姿でゴミを出しておられるのに遭遇した。「おはようございます」のあいさつに、「暑いですね」はない。心頭を滅却され、超越の境地におられるのかも知れないが、かの快山禅師は焼け死んだ。「ご自愛を・・・」と、隣から祈るしかないか。

by yoyotei | 2010-08-04 11:00  

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