インドの犬たち
ある年の秋、ニューデリーのメインバザールにいた。世界中のバックパッカー達が安宿と旅の情報を求めて集まるのがメインバザールだが、住所としての地名はパハルガンジという。ニューデリーの鉄道駅から、人と車とオートリクシャーがひしめき合う通りを命からがら渡り終え、その通りに入るとさまざまな商店が両側に連なっている。まさにバザールなのだ。数軒ある食堂のなかにオープン・カフェのように、椅子とテーブルが道端にせり出したような店がある。店頭のタンドール(インド風穴釜)で、ナンやチキンを焼いている店は、私の知るかぎりそこだけであった。何のカレーなのか、大きな鍋も野外でグツグツと煮えている。
その日も私は、その店でタンドリー焼きの骨付きのチキンを頬張っていた。食べながら道路に目をやると1匹の犬と目が合った。
茶色の痩せたその犬は汚れるだけ汚れていた。皮膚病に冒されているのか、身体には毛の抜けたところもあった。そして、後ろ足は片方しかなかった。食べていたチキンの骨を犬の前に投げてやると、犬はすばやく片方の後ろ足で跳ねて骨にかぶりついた。そして、食べ終わると注意深く近づいてきて私を見上げた。
店員は追い払おうとしたが、その店員を制して私は残りの骨も犬に与えた。
その日、私はメインバザールでもっとも汚い、したがってもっとも安いといわれる宿に泊まっていた。バックパッカー達の中で、話題にのぼるいわくつきの宿だった。私はその「ハニー・ゲストハウス」に巣くっている長期滞在の日本人の若者達のために、一匹分のタンドリー・チキンをテイクアウトして席をたった。その私の後を、犬は片方の後ろ足で跳ねるようにして追ってきた
「帰れ!もう帰れ!」と声をかけたが、その犬に帰るところがあるのかどうか・・・。それでも、安宿「ハニー・ゲストハウス」に向かう路地に入ると、犬は追うことを止めた。振り返ると、しばらくは、こちらを向いて街明かりに逆光のシルエットをとどめていたが、何度目かに振り返ったとき、その姿は消えていた。
「骨は残しておいてくれよ。犬にやるんだから」
私は、「ハニー・ゲストハウス」で、タンドリーチキンをむさぼっている若者達に言った。
翌朝、窓から差し込む光の中でチキンの骨を探したが、どこにもない。
「そこにまとめて置いたんですが・・・」
若者達の1人が言い、誰かが「ああ、ネズミじゃあないですか」とこともなげに言ってのけた。日中でも天井の破れからネズミの尻尾がのぞいているような宿である。それにしても、眠っていたとはいえ、部屋には10人近くの人間がいるのだ。そうしたなかでネズミはチキンの骨を奪っていったのだった。
その後、「ハニー・ゲストハウス」を引き払って街に出たが、片足の犬には出会わなかった。
インドで出会った犬たちはほとんどが野犬だ。汚れているし、皮膚病の犬も多く、狂犬病の犬もいる。それでも死ぬまでは生きていられる。
ガンジス河の聖地ベナレス(バラナシ)では、深夜に野犬の群れに囲まれたこともある。人肉を喰う犬もいると聞いていて震え上がったが、なんとか事なきを得た。人々が沐浴をするガートの対岸へ行くと、生まれ変わって犬になるという。犬に生まれ変わることは、輪廻転生の中でも最悪のようだし、インド神話にはあまたの動物が神々と共に登場するのに、犬は出番を与えられていないようだ。
それでも都市では、リードにつながれて歩くペットの犬にも遭遇する。
3枚目と4枚目のまだら模様の犬は死んでいない。生きて、この大胆さだ。
20年前、ブッダが悟りを得たというブッダガヤという村を訪れた。アジア各国の仏教寺院があるなかでビルマ(ミャンマー)寺に泊まっていた。敷地内に寺で飼われているらしい、人なつっこい犬がいた。ある時、身体を撫でていてぞっとするほど大量のノミを発見した。以後、尻尾を振って寄って来ても避けるようになった。あれほどのノミを自分の身体に飼いながら、その犬は健康そうに見えた。
わが家の犬なめろーを紹介したので、インドの犬にも触れてみた。画像の犬達と文章は関係がない。
by yoyotei | 2011-01-22 00:19