インドの路上で
写真の男とは1998年の秋、ニューデリーで出会った。この男が芸人なのか、思いつきで私に声をかけたのか、それはわからない。
「どうだい?ジャパーニー、俺の芸を見ていかないか」
「どんな芸だ!」
「そこに石があるだろう。あれを持ち上げる」
単なる力自慢なのかと思った。そこらには切り出した石が転がっているが、石は力自慢でなくては持ち上がらないような大きさでもない。だが、私が立ち去ろうとすると、男は追いすがってきた。
「待て待て!これで持ち上げるんだ」
男はルンギー(腰巻)の前をはだけると自分の股間を指差した。
バカバカしさと、おかしさと、まさかという思いが交錯した。まさかという思い、それはインドだからである。
「100ルピーだ。いいなジャパーニー」
見届けてやろうと私は決断した。100ルピーはとてつもない金額だが、それでもいいと思った。
男は切り石を持ってくると、頭に巻いていた布を解いて石を結んだ。物見高い見物人が集まってきた。
男は両足を開き、腰を落として石に結んだ布の端を、股間から引っ張り出した自分の一物に引っ掛けた。私の期待はそこからである。男はここで手を離し、突如として固く大きく屹立した股間の一物だけで持ち上げるのだ。それこそがインドの神秘、インドの奇蹟でなくてなんであろう。
しかし、男は手を離すどころか右手でしっかりと自分の分身を握ったまま、「ムムッ」と呻きながら腰を伸ばした。石が地面を離れた。呻きながら男は目を剥いて耐えたが、それはわずかな時間だった。男が右手を離すと石はゴツンと音をたてて地面に落ちた。
私は声をあげて笑った。見物人からも笑いが起こった。石の重量は股間の一物にかかったにちがいないが、それが股間からスポッと抜けないかぎり(抜けるはずもないが)、重みと痛みに耐えれば石は持ち上がる。まさかと思いながら、期待した神秘も奇蹟もなく、超人的な技でもなかった。芸ともいえないバカバカしさとおかしさが辺りを包んだ。
男は体操競技の着地のように両手を挙げてポーズを決めたが、それがまたさらに笑いを誘った。だが、男の顔は真剣そのものだった。
「演技」を終えて男は100ルピーを要求してきた。300円ほどだ。私は50ルピーにしろと言ったが男は100ルピーを譲らない。
「よし、わかった。それなら今度は私が同じように持ち上げよう。100ルピーだ、いいな!」
そう言いながら、私ははいていたズボンを下ろそうとした。すると男はあわてて50ルピーでいいと承諾した。私の「演技」は真にせまっていたようだった。
同じ時期のニューデリー路上である。私には芸に見えなかった。なにかの発作でも起こしたのかと思ったのだが・・・。
兄が太鼓を叩き、妹が踊っていた。もっとも兄妹というのはこちらの勝手な思い込みだ。2人に確かめたわけではない。
数枚の写真を撮らせてもらったお礼に何かご馳走しようと言うと、アイスクリームが食べたいとこたえた。近くのレストランに入ろうとしたら2人の入店は断られた。私が金を払うのだと言っても駄目だった。店員と私のやり取りを、2人は不安そうに眺めていた。
結局、アイスクリームは店外の路上で食べることになった。それでも2人は、うれしそうにうまそうに食べてくれた。
「アッチャ?」「アッチャ!」(うまいか?)(うまい!)
2人の笑顔がよかった。
男の右足が黒く変色しているのは「象皮病」と思われる。
以前、メインバザールでガンガーと名乗る男と出会った。歩いていると足元から呼び止められた。「ヘーイ、ジャパーニーこの足を写真に撮れよ」
見ると、地面に座り込んでいる男の右脚は、膝から下が黒く変色し、足首から足先にかけて大きく肥大していた。象皮病だった。
「撮っていいのか?」
「いいとも」
病気の足を、むしろ誇らしそうにカメラの前に投げ出して笑うガンガーに、私は圧倒された。写真を撮ってわずかな小銭を与えたが、それ以来、通りで出会っても金を要求することはなかった。しかし、声をかけることは忘れなかった。
「ヘーイ、ジャパーニー元気かい?」
彼の笑顔も忘れ難い。
by yoyotei | 2011-01-22 20:29