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魔法使いの青い玉

 フランスの寓話に、ある貧しい少年が魔法使いから一つの青い玉を授かったという話がある。その玉は耐え難い不幸に襲われた時に覗くと、世界のどこかで自分がいま経験するのと同じ不幸に耐えている見知らぬ人の姿が浮かんでくる。少年は玉に映るその姿に励まされて逆境に耐えていくという話だ。この寓話は、耐え難い不幸に襲われた時だけ映像が浮かんで来るところに意味がある。容易に耐えられるような不幸では青い玉はなにも見せてはくれない。
   
 東日本大震災では、耐え難い不幸に襲われた人々が、青い玉を覗くまでもなく、避難所などで苦難に耐えている。互いに励ましあい助け合っているのも青い玉の寓話とはちがう。青い玉は”苦しいのはおまえだけではない”という見知らぬ人の叱咤ともいえる励ましだが、被災者は同じ苦難に見舞われてしまった人たち同士なのだ。そして、そこには”苦しいのは自分だけではない”という、我慢を強いる構造もある。

 現代社会では多様なメディアが逆境に耐えて生きている人たちの存在を、ほとんど日常的に伝えてくれる。青い玉と違うのは、こちらが平穏で、不幸に遭遇してなどいないときに、とてつもない不幸な状況に置かれた人々が出現することだ。しかも、それらは自分には直接の関係がない。したがって、通常それらは一時的な感動や涙を呼び寄せた後に多くが忘れ去られる。いわゆる「対岸の火事」だ。

 だが、東日本大震災は、少なくとも今のところは「対岸の火事」にはなっていない。日本で起きた災害だから?それもあるだろう。あまりにも甚大で悲惨すぎる被害だから?それもあるだろう。重度の原発事故による見えない恐怖?それもある。過度な自粛による「二次被害」も・・・?
 それらも含めて、多くの人々が「他人事」とは感じていないようだ。体育館での集団非難生活も1ヶ月が過ぎた。すでに限界だろう。なんとかしてあげなければという思いで溜息が出る。
「寄り添う」「共感」「生きよう!」「ひとりではないよ」・・・。言葉にこれほど大きな力と重みがあることを、このような悲惨な状態でなければ実感できないのは残念だ。さまざまな奇跡が生まれ、人間のすばらしさが輝くのも、このような大災害という不幸のなかからというのも皮肉なことだ。
 
 ゴーストタウンと化した原発5km圏内の「双葉町」で徘徊するかつての飼い犬たち。牛も街中をうろついている。悲惨なのは小屋につながれたままの馬だという。飢えとストレスで異常をきたしているらしい。人間と共にしか生きられない動物たち。「おいて行かないでよ」「早く帰ってきてよ」。動物たちの哀願を誰よりも辛く受け止めているのは飼い主たちだ。

 かつて三陸海岸をドライブで訪れたことがある。松島から牡鹿半島に入り、金華山をながめてから更に北上して唐桑半島(宮城県気仙沼市唐桑町)を先端の御崎まで足を伸ばした。この一帯が大きな被害を受けた。記憶にある風景は一変した。

 被害を受けなかった私たちは偶然の幸運者でしかない。偶然の幸運者は不運だった被災者たちに教えられることばかりだ。助け合い支え合っての前向きさ、がまん強さ。泣くことさえままならない被災者の姿に、こちらが涙してしまう。

 大江健三郎が「ル・モンド紙」の質問に応えた談話を「私らは犠牲者に見つめられている」として『世界』(2011年5月号)が掲載した。質問「核エネルギーは地震や津波以上のカタストロフィーともなり、人類が作ったのです。日本は広島から何を学んだのでしょう」。大江「(略)日本は、広島から核エネルギーの生産性を学ぶ必要はありません。つまり地震や津波と同じ、あるいはそれ以上のカタストロフィーとして、日本人はそれを精神の歴史にきざむことをしなければなりません。広島の後で、おなじカタストロフィーを原子力発電所の事故で示すこと、それが広島へのもっともあきらかな裏切りです」 

 「広島への裏切り」。いま、福島原発事故は「フクシマ」と記されるようになった。「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」。あの歌を思い出す。「ふるさとの町やかれ 身よりの骨うめし焼土に・・・」。そして「三度(みたび)許すまじ原爆をわれらの街に」(「原爆を許すまじ」浅田石二・作詞)
 ゴーストタウンになった町を犬や牛が彷徨する。30年は住めないという政府の発言が、住民を絶望の底に突き落とす。

 すべての日本人が耐え難くなって「魔法使いの青い玉」を覗き見ることがあるかもしれない。そこに浮かび上がるのはどこかの誰かではない。おそらくは私たち日本人なのだ。 

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by yoyotei | 2011-04-14 23:31  

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