暗転!村上大祭
伝統の「村上大祭」。本祭の7日の夜は私の店もけっこう賑わった。千葉県から来たという60代後半の男性は前夜に続いての来店だった。動機は数年前にテレビで紹介された私の店と私の顔だったという。愉快で旅なれた女性を同伴だったが、夫婦かどうかは聞かなかった。ご両人とも、隣り合った客達と古くからの知己のように打ち解けて話す人柄がなかなかだった。男性の方は口数は少ないが上品でにこやかで、二日目の夜のアロハシャツがよく似合っていた。白髪に整えた白い口ひげ。いつもならデジタルカメラにおさめてこのブログで紹介するのだが、カメラがこわれてしまったので、当分このブログは画像無しになる。
旧姓Isiguriさんも娘さんと友人をともなって来てくれた。結婚後はSetoさんになって仙台市に住み、介護福祉士をしているという。何年ぶりだっただろう。祭りや盆にはこうした帰省客が顔を見せてくれる。うれしいことだ。
午前1時を回っても客は帰らず、私もほとんどグロッキー状態。その頃、とんでもない事が起きていたのだった。
『8日午前0時半ごろ、新潟県村上市上片町の幹線道路で7日夜に終わった「村上大祭」で
使った「オシャギリ」と呼ばれる山車を引いて歩いていた男性たちが、対向してきた乗用車にはねられ、静岡県御殿場市川島田の自営業吉川貞一さん(67)と村上市下相川の自営業室橋宏昭さん(44)が死亡した。ほかに意識不明の重体となった1人を含む6人が負傷した。
村上署は、乗用車を運転していた村上市間島、会社員磯部真平容疑者(20)を自動車運転過失傷害の疑いで現行犯逮捕した。現場は村上市の中心部に近く、商店や住宅が立ち並ぶ地区。事故が起きた道路は片側1車線で、同署によると、祭りの時間帯の通行止めが解除された後だったという』
大祭暗転!といった事態になっていたのだが、ショックだったのは死亡した吉川貞一さんが知人だったことだ。
村上市出身の吉川さんは神奈川県箱根町仙石原の箱根観光ホテルの支配人をしていた。私も若い頃に一時期、箱根のホテルに勤めていた。当時は知る由もないが、時移り村上に居住した私はある人物と親しくなった。お茶屋を営むKosakaさんだ。彼の結婚相手Hirokoさんが貞一さんの妹だった。そのような縁で貞一さんが帰省した折には必ず店に来てくれるようになった。「箱根のホテル」つながりも縁を強くした。あるときは母親(半年ほど前に他界されていたのを通夜で知った)を、あるときには娘さんを連れてきたりした。帰省の折には勤務するホテル特製のジャムなどを土産にもらうこともあった。
大祭に帰省するのも毎年のことだった。そのたびに法被姿で顔を出してくれた。昨年もそうだった。そのときに封を切ったボトルを、7日の夜に私は棚の奥から探し出しておいた。だが、この夜、吉川さんは顔を出さなかった。顔は出さなかったがやはり帰って来てはいたのだった。
持ち主を失った「シーバス・リーガル」を私は少し飲んだ。笑うと両目が「へ」の字になる吉川さんの笑顔が浮かんできた。
旧姓Isiguriさんも娘さんと友人をともなって来てくれた。結婚後はSetoさんになって仙台市に住み、介護福祉士をしているという。何年ぶりだっただろう。祭りや盆にはこうした帰省客が顔を見せてくれる。うれしいことだ。
午前1時を回っても客は帰らず、私もほとんどグロッキー状態。その頃、とんでもない事が起きていたのだった。
『8日午前0時半ごろ、新潟県村上市上片町の幹線道路で7日夜に終わった「村上大祭」で
使った「オシャギリ」と呼ばれる山車を引いて歩いていた男性たちが、対向してきた乗用車にはねられ、静岡県御殿場市川島田の自営業吉川貞一さん(67)と村上市下相川の自営業室橋宏昭さん(44)が死亡した。ほかに意識不明の重体となった1人を含む6人が負傷した。
村上署は、乗用車を運転していた村上市間島、会社員磯部真平容疑者(20)を自動車運転過失傷害の疑いで現行犯逮捕した。現場は村上市の中心部に近く、商店や住宅が立ち並ぶ地区。事故が起きた道路は片側1車線で、同署によると、祭りの時間帯の通行止めが解除された後だったという』
大祭暗転!といった事態になっていたのだが、ショックだったのは死亡した吉川貞一さんが知人だったことだ。
村上市出身の吉川さんは神奈川県箱根町仙石原の箱根観光ホテルの支配人をしていた。私も若い頃に一時期、箱根のホテルに勤めていた。当時は知る由もないが、時移り村上に居住した私はある人物と親しくなった。お茶屋を営むKosakaさんだ。彼の結婚相手Hirokoさんが貞一さんの妹だった。そのような縁で貞一さんが帰省した折には必ず店に来てくれるようになった。「箱根のホテル」つながりも縁を強くした。あるときは母親(半年ほど前に他界されていたのを通夜で知った)を、あるときには娘さんを連れてきたりした。帰省の折には勤務するホテル特製のジャムなどを土産にもらうこともあった。
大祭に帰省するのも毎年のことだった。そのたびに法被姿で顔を出してくれた。昨年もそうだった。そのときに封を切ったボトルを、7日の夜に私は棚の奥から探し出しておいた。だが、この夜、吉川さんは顔を出さなかった。顔は出さなかったがやはり帰って来てはいたのだった。
持ち主を失った「シーバス・リーガル」を私は少し飲んだ。笑うと両目が「へ」の字になる吉川さんの笑顔が浮かんできた。
by yoyotei | 2011-07-11 07:10