長唄を聞く
「ピユー」
空気を切り裂いたのは能管だった。髪をひっ詰めにした細面の顔には無骨に見えた黒漆の能管に、その女性は微動もしないで強い息を吹き込んだのだった。おもわず背筋が伸びた。
「村上 長唄の会」は「NPO三味線音楽普及の会」の人たちによって、老舗料亭・吉源で開催された。当地での開催に尽力した吉住小登知香さんことChikakoさんの招待を受けて、長唄をまじかに聞く機会を得た。なじみがないから、ほとんど唄の意味がわからない。意味はわからないが、厳しい稽古によって磨き上げられた芸の巧みさ、奥の深さといったものは感じ取ることができた。演目は「京鹿の子娘道成寺」「神田祭」。二人の外国人が来ていたが、「どうだ!」と日本の伝統芸能のすばらしさを誇りたい気持ちになった。
Chikakoさんはリュウマチ治療を専門とする医師だ。若いころから三味線を習っていたことは聞いていたが、今回はじめて見事な撥さばきの披露に及んだ。アメリカ留学の体験を持ち、英語にも堪能でありながら、日本の伝統芸能を身につけるという、きわめて豊かな人生を送っている。
この日は、ふるさと島根で高校の同窓会があった。今回は出席がかなわなかったが、「同窓会ブログ」にはアトラクションで演じられた「石見神楽」の画像があった。演目は「紅葉狩(もみじがり)」。
中納言平維茂は、家臣を引き連れ三河遠江へと紅葉狩り向かう。道中、彩なす錦に心を奪われ、信州戸隠山へと迷い込み、その山中で紅葉狩りに興じる美しい女たちに出会う。勧められるまま維茂は酒宴に同席するが、この女たちこそ、その昔、維茂に都を追われた恨みを晴らそうと、戸隠山に潜んでいた鬼女たちだった。正体を現した鬼女たちは、酒に酔い伏した維茂に襲いかかるが、八幡大菩薩がその危機を救い、維茂に神剣を授ける。眠りから覚めた維茂は、授かった神剣で鬼女を成敗する、というのが「紅葉狩」のストーリーだ。(「いにしえの舞 共演会」平成18年12月3日のプログラムから)
これは能の原作を神楽にしたもので、私はこの神楽「紅葉狩」を小学校の4、5年生の頃に初めて見た。神楽団に所属していたかなり年長の従兄弟が維茂を舞ったが、その夜の「紅葉狩」を鮮明に覚えているのは、女たちが鬼に変身したところで度肝を抜かれたからだ。そのときの神楽では、幕の陰に隠れた女が一瞬にして鬼の面をつけて現れた。その鬼面が1メートルもあろうかと思うほど巨大なものだったのだ。神楽は何度も見ていたが、それほど大きな鬼面は初めてだった。鬼はあたりを睥睨して「見~た~か~」と地の底から響くように叫んだ。鬼面の大きさに驚嘆し、その叫びに恐怖を覚えた。
「石見神楽」はほとんどの演目が悪鬼退治だ。悪鬼でなければ「ヤマタのオロチ」のように、人間に危害を加える大蛇だったりする。そして、子どもたちに人気があるのは、いつでも退治される鬼だ。これでもかと、おぞましく作られた鬼の面のなんと魅力的なことか。勧善懲悪などなんのそので、退治されるとき、這いつくばって断末魔の痙攣をする鬼に、私はかすかな憐憫を感じたりもした。
従兄弟の維茂は直面(ひためん)になったとき、男ぶりがいいなと感じただけだった。
当時、小学校の図工の時間で、この面を作ったことがあった。粘土で面の形を作り、その上に水で濡らした和紙を貼り付けていく。乾いたら粘土の型からはずし、胡粉を塗って表面を滑らかにした後に、色を付けていく。髪や眉などは棕櫚の木の皮をほどいて使ったように記憶している。
私は、今でもこの鬼の面を作りたい誘惑にかられる。それも顔の2,3倍はある大きな面だ。
by yoyotei | 2011-10-25 00:08