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自分を生きる

 年が明けて10日がたった。
元旦から次女と三女が、それぞれに孫を連れてきたこともあって賑やかな新年の幕開けだった。
「朝ビー」なるものが日常化した数日でもあった。「朝ビー」とは、朝の寝起きに飲むビールをいう。おそらく、三女が生み出した、わが家の新語にちがいない。毎朝、その三女との「朝ビー」から一日が始まった。
 娘たちは8日に帰っていったが、この間に私が一人で飲んだのを含めて500ミリ缶が50本はカラになっただろう。他に焼酎やウイスキーも飲み、元旦にはSoumaさんの実家に呼ばれて日本酒も飲んだ。酒びたりの日々であった。
 店は4日から開いた。三女の同窓生たちが集まってくれて、店もそこそこに賑やかな年明けとなった。

 年賀状を書かない「習慣」を長く保持している私にも、少ないが数枚が届いた。
 イブのコンサートに遠路、足を運んでくださった土浦市のImaiさんの賀状には「新年を合掌して迎えました」とあった。震災と原発事故、さらにImaiさんにとっては義兄と従兄、お二人との別れもあったのだ。昨年末には夫妻と、就職の決まった息子さんの3人でスペインに旅もした。
「歴史と人生を画す年でした」との言葉が重い。
 
 年賀状を下さった方々にはこのブログでお礼を申し上げる。返信をしない無礼もご寛恕ねがいたい。
 
 私はといえば、前述のようにほとんど酒びたりで、あらためて、新たな感慨や決意を持つこともない年明けだった。そうしたことへの自己嫌悪や反省が兆すと、時に書物を手に取る。
 
 紀田順一郎・著『翼のある言葉』(新潮新書 2003)は、著者によれば「読書の途中で、これは名言だ!と思わずひざを叩きたくなるような名文句にぶつかると、手元に用意したノートに書き留める癖があ」り、著書はその中から「いま読み直しても新鮮かつ感動的」「時代をこえた適切な表現と思われる」ものを選び出したというものだ。

 実は私も近年、似たような癖が生じてきて、読書だけでなくテレビやラジオ、人から聞いた言葉などをノートに書き留めるようになった。とはいっても、紀田氏が名言だとひざを叩いた言葉と、私が面白がった言葉とは格調も、その言葉が持つ深遠さにも桁違いの差がある。それだけではない。「単なる名言の羅列ではなく、どのような人物がどのような場所で発言したのか、出典や文脈をはっきりさせ、その現代的な意味を考えてみようとした」という、紀田氏の執筆動機と学識、膨大な読書量との差は比べようもない。

 とりあえず、私のノートからいくつかの「名言」を羅列してみる。
「何かが少し過剰で、何かが少し不足しているのが、ごく普通の人間である」
「狭い横丁にいるままで考える(判断する)のではなく、できるだけ広い大通りに出て考える」
「知識は、その所有者次第で最高の悪徳になるものだ」
「真実を語る者の片足は逃げる用意をしなければならない」(ユダヤのことわざ)
「人を泥棒と呼べば、彼は盗むであろう」
「女と最も折り合いよくやっていけるのは、女なしでもやっていくことが最もよくできる男」
                            (「悪魔の辞典」ビアス)
「威武に屈せず、富貴に淫せず、過激にして愛嬌あり」(宮武外骨)
「あなたには人間らしい弱さも感傷のかけらもない」
 (映画「波止場」(1954)でマーロン・ブランドがエヴァ・マリ-・セイントに言われるセリフ)
「炎だけがもうひとつの炎をつくれる」(ステファノ・デランジェラ)

 次いで、紀田氏が選んだ名言のいくつかである。
「わたしは男であったらと願っています。もし男だったら、リチャード・バートンになったでしょう。でも、女にすぎないので、わたしはリチャード・バートンの妻になりたいと思います」
           イサベル・バートンの言葉 レスリー・ブランチ『双頭の鷲』より)
 この言葉の解説は長くなるので興味のある人は著書に当たって欲しい。そうでなくても私のブログは長いということで大方の不評を買っている。
 似たような会話がかつてあった。
 ある知人は建具職人の家に生まれた。彼は大学を卒業して、家業を継ぐことを選んだが、伝統の継続と新しい事業展開の狭間で悩んでいた。そんな彼が、ある夜なんとも素敵な女性を同伴して店に来た。
 私は、その女性に言った。
「この男は不安定な夢ばかり追っているんだよ」
 それでもいいのかい、という嫉妬を含んだ警告でもあった。だが、女性の返答は私を絶句させた。女性の返答はこうだった。
「女は、夢を追う男を追うんです」
 知人の男は、建具産業に新しい分野を開拓して夢を実現させた。妻となったその女性は、彼とは別の事業を成功させている。

「日本では、貧乏はみみっちいし、金持ちは怪しからんで、その挙句に理想郷を胸に描けば、そんなのは贅沢だと言われる。勝手にするがいい」(吉田健一『乞食王子』)
 吉田健一はあの吉田茂の長男。この言葉の解説も著書に譲るが、「中途半端なモラル感覚の滑稽さと弊害を説いた」とする紀田氏の論評が小気味いい。ただ、「勝手にするがいい」と言い切れるのは、やはり育った環境によるものか。それにしても、世間体や他人の評価に一喜一憂しない強靭さは欲しいと思う。
 フランス映画に「勝手にしやがれ」というのがあった。

「正学を務めてもって言え、曲学をもって世に阿(おもね)るなかれ」(『史記』儒林列伝)
「曲学阿世」という熟語の出典だ。「学問を権力に利用されるなという学者の自戒」が本来の意味だ。戦前、戦中は云うに及ばず、昨年は原発の安全神話を振りまいてきた、曲学阿世の学者たちの存在が露見した。

 紀田氏の著書から名言を拝借したが、いずれも新しい年の抱負につながる言葉ではない。そこで、今の時代を簡単にクロッキーで描いてみる。

 右肩上がりだった経済発展に陰りが兆し、バブルが崩壊したとされて20年が過ぎた。
 一方で、中国やインドなど、人口大国の経済発展とEUの経済不安、相対的にアメリカの影響力の後退。そのアメリカでは極端な経済格差に異議を唱える民衆の抗議行動。「アラブの春」といわれる中東や北アフリカ諸国の民主化運動。
 日本では依然として高い失業率が続いており、生活困窮者や生活不安にあえぐ人たちが増え続けている。政治は政権与党のマニフェストも雲散霧消して、政治に対する信頼は地に落ちたといっていい。
 そうした中での、昨年の大震災・大津波・原発事故である。
 私たちは否応なく、この時代環境の中で、生き方の再確認を迫られている。
 作家の五木寛之は長期不況の中では「ウツの時代」と言っていたが、先ごろは山を下りるという「下山する勇気」なるものを説いていた。それが成熟に向かう道でもあるという。分かるようでもあるが、観念だけでは空腹状態にある人たちの腹を満たすことはできない。

 さて、私だ。
 私は長い間、「大きくなったら何になろうか」と思い続けてきた。
 小学校の低学年の頃は、なんとなく「絵描き」という将来像を夢想したこともあったが、それは落書きのような私の絵を母がほめてくれたことと、写生や貼り絵を教師がそれなりに評価してくれたことによる。しかし「絵描き」になることが生活するための職業からは、ほど遠いことと分かって以来、ある職業を自分の将来に重ねたことはなかった。
 さすがに還暦を過ぎてからは言わなくなったが、50代の頃までは「大きくなったら何になろうかと今も考えているよ」と、まじめな顔で人にも語っていたのだ。
 だが、言わなくなっても、内心ではいまだに「何になろうか」と自分に問いかけている。それも「何」かが、特定の職業などを意味していないことには変わりはない。

 すでに同世代の多くが現役を退いた。彼らは多くのことを職業を通じて学んだろうし、もちろん私も「夭夭亭」を通じて多くを学んでいる。だが、「大きくなったら何になろうか」との「何」は見出せないままだ。そして、また新しい年を迎えた。
 
 唐突だが、私は大きくなったら「私」になろうと思う。もちろん、もう大きくはならないが、これからは「私」になることを目標にしようと思う。
「混迷の時代」といわれて久しい。だからこそ混迷に惑わされない「私」を目指すのだ。

 昨年の暮れから今年にかけて何度も手に取った、ひろさちや・著『「狂い」のすすめ』(集英社新書 2007)は、今は社会のほうがおかしいから、狂者の自覚をもって生きろという。そうすれば、かえってまともになれるという。「風狂」のすすめなのだが、これは難しい。もっと年齢を重ねなくては俗世からの離脱は私にはできない。

 そこで、年頭にあたっての私の抱負だ。
 私は「私」になろうと思う。今年だけに限らない。この先は、無理をせず、自然体で「私」を生きようと決意した。
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by yoyotei | 2012-01-10 01:42  

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