春の嵐
4月に入った最初の日は春の陽気。ぼうーっとしながら、遠い昔の4月1日を思い出していた。
「おまえのお袋が玄関に来てるってよ」
小走りでやってきた同僚の一人が、同じホテルの整備部で働く一人に言った。一瞬、硬直した彼は、顔色を変えて玄関に向かった。
数分後、彼は猛烈な勢いで帰ってくると、同僚に跳びかかった。同僚は「エイプリルフールだ!」を繰り返すが、それには耳を貸さず、彼は少し年上の同僚の胸を殴り続けた。目には涙がにじんでいた。
彼は青森の中学校を卒業すると、集団就職で東京へ出てきた。最初がどういう職場かは聞かなかったが、そこを止めたあとも転々と職を変えた。転職とともに住所が変わり、いつしか青森の実家とは連絡が途絶えた。変えた職場の中に「ラーメン屋」があった。いつしか自分の「ラーメン屋」を持つことが彼の夢になっていった。
いっしょにラーメンを食べたとき、彼は私にラーメンの「正しい食べ方」というものを伝授した。それは蓮華が添えられてある、当時としては新しい供し方のラーメンだった。
「箸で麺を手繰り上げたら、左手の蓮華で受けるんです。その蓮華の先から口に流し入れます」
彼は得意になってラーメンの講釈をした。
「店を持ったらお袋を呼び寄せます」
その資金を貯めるには、寮があって、賄い付きの職場がいい。それが箱根にあった老舗のホテルへの就職動機だった。
そのお袋が来ている。彼にとっては許されない嘘だったのだ。
私がそのホテルをやめてから10年後、その彼から電話があった。電話の目的はカネの無心だった。私の電話番号を探し当てたことに驚くと同時に、カネに窮している重い切実感があった。だが、私は無理だとこたえた。電話はあっさりと切れた。ラーメン屋を開業したという話はなかった。
陽気の訪れとともに、気持ちをリセットしようとしていた矢先の春の嵐だった。3日夜から暴風雨が吹き荒れ、朝になって近所の寺・龍皐院山門前の杉が倒れているのを発見した。
凄ましい風だった。激動の新年度ということにならなければいいが・・・。
ツーショット①
「いっしょに写ってください」と言ったのは彼女の方です。
ツーショット②
Togashi&Mariさん、このショットは半年も前、婚約中のものです。このほどめでたく華燭の典。週末の夜、Togashiさんが報告に来てくれた。なんとMariさんはすでに御懐妊とのこと。嬉しいこといいことが波のように押し寄せてくる時期があるのですね。
ツーショット③
看護学校への入学を決めたSayuriさん。可愛い顔に似合わないほど、芯のしっかりした人だ。友人のTakuyaさんも穏やかで知性のある人。隣り合わせになった②のTogashiさんとマイケル・サンデルの「白熱教室」で盛り上がった。
ツーショット④
その当時、新潟大学の医学部の同期生は100人だったそうだ。その同期生の二人が店で再会した。Murayama、Babaの両氏。年輪の刻み方にそれぞれの個性が現れる。
「濁り湯を知らない」というアメリカ人のMikeを温泉に連れて行こうというのがきっかけだった。久々に訪れたMayaが週末常連組と共に福島県の高湯温泉に行ってきたのは3月末。秘湯の湯治場で『江戸時代から「一切の鳴り物を禁ず」という申し合わせを守り通し、他の温泉地に見られるような歓楽的な開発を行なってきませんでした』(高湯温泉観光協会・高湯温泉旅館協同組合パンフレット)ということだ。
Maya、MikeにくわえてYu-min、Mo-ri-が参加。Yu-minが写した写真には白いふんどし姿の堂々たるMike、笠を被って胸からタオルを垂らした狸のようなMaya、茶色のタオルを腰に当てたMo-ri-が湯気の中に立っていた。
「いっぺえやっか」はMayaが買ってきた岩魚(いわな)の骨酒セット。村上名産の鮭を骨酒にしたらどうかな、などと温泉帰りのご一行と話が盛り上がった。
さあ、嵐が行き過ぎれば春本番となる。この日曜日には市長選・市議選の告示。ある団体からは、久しぶりに「インドあれこれ」と題した話を頼まれた。波がおさまったら海釣りにも行きたい。そうこうしているうちに5月の連休だ。恒例の「魚祭り」もある。孫たちはやって来るだろうか。
鰭酒(ひれざけ)や野暮なことなど言ひっこなし 藤岡筑邨
「おまえのお袋が玄関に来てるってよ」
小走りでやってきた同僚の一人が、同じホテルの整備部で働く一人に言った。一瞬、硬直した彼は、顔色を変えて玄関に向かった。
数分後、彼は猛烈な勢いで帰ってくると、同僚に跳びかかった。同僚は「エイプリルフールだ!」を繰り返すが、それには耳を貸さず、彼は少し年上の同僚の胸を殴り続けた。目には涙がにじんでいた。
彼は青森の中学校を卒業すると、集団就職で東京へ出てきた。最初がどういう職場かは聞かなかったが、そこを止めたあとも転々と職を変えた。転職とともに住所が変わり、いつしか青森の実家とは連絡が途絶えた。変えた職場の中に「ラーメン屋」があった。いつしか自分の「ラーメン屋」を持つことが彼の夢になっていった。
いっしょにラーメンを食べたとき、彼は私にラーメンの「正しい食べ方」というものを伝授した。それは蓮華が添えられてある、当時としては新しい供し方のラーメンだった。
「箸で麺を手繰り上げたら、左手の蓮華で受けるんです。その蓮華の先から口に流し入れます」
彼は得意になってラーメンの講釈をした。
「店を持ったらお袋を呼び寄せます」
その資金を貯めるには、寮があって、賄い付きの職場がいい。それが箱根にあった老舗のホテルへの就職動機だった。
そのお袋が来ている。彼にとっては許されない嘘だったのだ。
私がそのホテルをやめてから10年後、その彼から電話があった。電話の目的はカネの無心だった。私の電話番号を探し当てたことに驚くと同時に、カネに窮している重い切実感があった。だが、私は無理だとこたえた。電話はあっさりと切れた。ラーメン屋を開業したという話はなかった。
陽気の訪れとともに、気持ちをリセットしようとしていた矢先の春の嵐だった。3日夜から暴風雨が吹き荒れ、朝になって近所の寺・龍皐院山門前の杉が倒れているのを発見した。
凄ましい風だった。激動の新年度ということにならなければいいが・・・。
ツーショット①
「いっしょに写ってください」と言ったのは彼女の方です。
ツーショット②
Togashi&Mariさん、このショットは半年も前、婚約中のものです。このほどめでたく華燭の典。週末の夜、Togashiさんが報告に来てくれた。なんとMariさんはすでに御懐妊とのこと。嬉しいこといいことが波のように押し寄せてくる時期があるのですね。
ツーショット③
看護学校への入学を決めたSayuriさん。可愛い顔に似合わないほど、芯のしっかりした人だ。友人のTakuyaさんも穏やかで知性のある人。隣り合わせになった②のTogashiさんとマイケル・サンデルの「白熱教室」で盛り上がった。
ツーショット④
その当時、新潟大学の医学部の同期生は100人だったそうだ。その同期生の二人が店で再会した。Murayama、Babaの両氏。年輪の刻み方にそれぞれの個性が現れる。
「濁り湯を知らない」というアメリカ人のMikeを温泉に連れて行こうというのがきっかけだった。久々に訪れたMayaが週末常連組と共に福島県の高湯温泉に行ってきたのは3月末。秘湯の湯治場で『江戸時代から「一切の鳴り物を禁ず」という申し合わせを守り通し、他の温泉地に見られるような歓楽的な開発を行なってきませんでした』(高湯温泉観光協会・高湯温泉旅館協同組合パンフレット)ということだ。
Maya、MikeにくわえてYu-min、Mo-ri-が参加。Yu-minが写した写真には白いふんどし姿の堂々たるMike、笠を被って胸からタオルを垂らした狸のようなMaya、茶色のタオルを腰に当てたMo-ri-が湯気の中に立っていた。
「いっぺえやっか」はMayaが買ってきた岩魚(いわな)の骨酒セット。村上名産の鮭を骨酒にしたらどうかな、などと温泉帰りのご一行と話が盛り上がった。
さあ、嵐が行き過ぎれば春本番となる。この日曜日には市長選・市議選の告示。ある団体からは、久しぶりに「インドあれこれ」と題した話を頼まれた。波がおさまったら海釣りにも行きたい。そうこうしているうちに5月の連休だ。恒例の「魚祭り」もある。孫たちはやって来るだろうか。
鰭酒(ひれざけ)や野暮なことなど言ひっこなし 藤岡筑邨
by yoyotei | 2012-04-04 11:15