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バラバ

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 朝の日差しに誘われて外に出た。日差しがあるのに肌寒い。近所に住むOgataさんが「日食だよ」と挨拶がわりに声をかけてきた。5月21日の朝だ。テレビなどで騒いでいたのに、特に気にも留めていなかった。太陽を見る観測用の眼鏡もない。家に帰ってテレビをつけると、ほとんどのチャンネルで見事な金環日食を映し出していた。

 天照大御神が天岩戸に隠れた神話は、「日食(日蝕)」なのではないかという見方があるらしい。ならば、イエスが磔刑になり、息が絶えるときの聖書の記述も神の奇跡ではなく、日食なのではないかとの想像も可能だ。もちろん専門家の間ではありふれた見解だろう。
「昼の十二時より地の上あまねく暗くなりて、三時に及ぶ」(マタイ伝27章)「昼の十二時に、地のうへ遍く暗くなりて、三時に及ぶ」(マルコ伝15章)「昼の十二時ごろ、日、光をうしなひ、地のうへ遍く暗くなりて、三時に及び」(ルカ伝23章)。 
 私が所持している古い聖書のこれらの部分には蛍光ペンで線が引いてある。だが、私の関心は、この日食らしい現象の記述よりも、この場面に登場する「バラバ」という人物にあったのだ。(バラバはヨハネ伝18章にも登場するが、ここには日食らしい記述はない)

 高校生の頃、田舎の映画館で、私は『バラバ』(1962年公開)という映画を見た。特に大きく宣伝されたわけでも、話題になったというわけでもなかったが、私には強く記憶に残った映画の一つだった。バラバを演じた主演のアンソニー・クインの印象も強烈だった。『道』(1954年公開)は数年後に東京・新宿の「日活名画座」で見たはずだから、その中でのザンパノ役アンソニー・クインよりもバラバとしての彼が、私にとっての初お目見えだった。
 さらに、後になって『バラバ』の原作が、スウェーデン文学の巨匠ペール・ラーゲルクヴィストのノーベル賞受賞作「バラバ(BARABBS)」であることを知る。小説「バラバ」は尾崎義によるスウェーデン原本からの翻訳によって1953年に岩波現代叢書として発行された。私が入手したのはそれから14年も経った1967年で、18刷とある。
 新約聖書に登場する極悪人バラバは、民衆の要求によってキリストの代わりに赦免されるが、聖書にはそれ以降のバラバの記述はない。小説は、赦免され自由になってから最後に磔刑になるまでの、バラバの運命と内面的な変化を主題に、創作されたものだ。
 日食らしい場面は小説ではこのように描かれる。
「すると突然、丘(ゴルゴダ)の上全體が、まるで太陽がその光を失ったかのように、暗くなり、ほとんど闇のようになった。そして暗黒のなかで十字架の男が大聲で叫んだ<神よ、わが神よ、なぜおん身はわたしをお棄てになったか>その聲は怖ろしいように響いた。何の意味で彼はそういったのか?また、なぜ暗くなったのか?これは白晝のことではなかったか」
 
 小説「バラバ」の終わりはこうだ。
『(磔刑になった者たちの中で)バラバだけは、まだ獨り生き殘っていた。死が、あれ程までに怖れ續けてきた死が近いと感じたとき、彼は暗闇のなかへ、まるでそれに話しかけるようにいった。
ーお前さんに委せるよ、俺の魂を。そして彼は息絶えた』
 その部分で問題があると、翻訳者が解説している。すなわち<お前さん>とはいったい誰なのかということだ。主なのか、漠然とした暗闇なのか。バラバ自身、自分では意識しないでイエスに話しかけたのではないか・・・。
 私の記憶が確かなら、映画のこの場面では十字架上のバラバは、字幕で次のようにつぶやいた。
「あんたに俺を任せるよ。あんたが誰かはわからないが・・・」
 そして、アンソニー・クインのバラバははっきりとこう言って息絶えた。
「This is Barabbas」

 ところで、この日の日食を、私は自分の目で見ることはできなかった。目を傷めない観測用の眼鏡がなかったからだ。知人の医師はレントゲン用のフィルムで、常連客の電気関係者は黒のビニールテープで観測したと聞いた。 

by yoyotei | 2012-06-06 12:21  

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