チューエイさん
全国ソロライブツアーなど、精力的に活動している吉川忠英さんがライブの前夜と、ライブ後の打ち上げで店に来てくれた。ライブは「みちのくギター旅 in CHIDORI」と題して割烹「千渡里(ちどり)」でおこなわれた。
忠英(ちゅうえい)さんは知る人ぞ知るスーパー・ギタリスト。オフィシャルHPによると、アコースティックギターの第一人者で、中島みゆき・松任谷由実・福山雅治・夏川りみ・加山雄三・Chageなど、ニューミュージック系のアーティストを中心に数多くのレコーディングやコンサートに参加とある。
申し訳ないことに私は知らないアーティストだったが、年齢が同じだったこともあってか、すぐに打ち解けた。もっともそれはチューエイさんの飾らない人柄があってのことだ。
気軽にギターや三線を弾いて、居合わせた客とも馴染んだ。さすがに、その存在感はただ者ではない。
翌日、ライブ後の打ち上げでは千渡里ファミリーも一緒に盛り上がった。チューエイさんの物まねにもみんなで笑った。「チューエイさん」「シンさん」と呼び合う仲になって再会を約した。
貴重な出会いを設定してもらった「千渡里」さんに感謝である。
5月に出雲大社で結婚式を挙げたMiyakoちゃんも新婚の初々しい顔を見せてくれた。
6月23日は「沖縄慰霊の日」だった。
1989年(平成元年)PTAの全国集会で沖縄を訪れた。観光バスで沖縄戦の傷跡を見て回りながら、「沖縄へ観光で行く気にはなれない」と言った、あの時代を知る人の言葉を思い出していた。
道路脇に延々と続く基地の高い塀を左に見ながらバスは走った。
「いちばんいい場所は米軍が基地として使用しています」と、悔しさを滲ませるようにガイドさんは話した。右手にはサトウキビ畑が夏の日を浴びて広がっていた。八月末の猛烈に蒸し暑い日だった。
帰りの機上から眺めたコバルトブルーの珊瑚礁の海は、地上の基地や沖縄戦の惨状には接点を見出すことができないほど美しかった。
いま、米軍普天間基地(宜野湾市)へのオスプレイ(垂直離着陸輸送機MV22)配備が取りざたされている。このオスプレイはアメリカでは未亡人製造機といわれる欠陥機らしい。こんなものが市街地にでも墜落したらと思うとゾッとする。
Wadaさんの仕事関係のご一行様だ。
Wadaさんは左端にいて画像には写らなかったが、先日のチューエイさんの来店時に居合わせなかったことを悔しがっていた。横須賀生まれの彼にとっては、チューエイさんは伝説の神様のような存在らしい。
Wadaさんについて、どうしても書いて置きたいエピソードがある。
それは彼の高校時代の修学旅行。男子校でいささかワルな数人の仲間たちは、貸し切りバスの最後部に陣取り、飲酒喫煙をほしいままにしていた。教師たちは見て見ぬ振りだったという。それを厳しくたしなめたのは、彼らよりも少しだけ年長のバスガイドさんだった。彼女の毅然とした、しかしほとんど涙交じりの注意は生徒たちだけでなく、教師たちにも向けられたという。その注意はWadaさんたちの胸を深くえぐった。
旅行が終わってから、悪ガキたちはガイドさんに手紙を書いた。ガイドさんからも返事が来た。その手紙のやり取り、文通は卒業後もずっと続いた。悪ガキたちが社会人になり恋をし、人生の岐路に立ったときガイドさんはいつも彼らの相談相手だった。そして、悪ガキたちの結婚式には来賓として、必ずガイドさんが招かれた。Wadaさんとても例外ではなく、彼の結婚式の来賓席にはガイドさんが着席した。
ある夜、Wadaさんがかけた電話に私が出た。電話の相手はそのガイドさんだった。
「Wada君、ちゃんとやってます?」
大会社の支店長が、「Wada君」だった。
ガイドさんは今、若いガイドの育成にあたっているという。
6月初めに島根県邑南町からの「NHKのど自慢」の放映があった。邑南町は私が青春前期を過ごした所である。出場者からは特にきわだった言葉の訛りもなく、むしろ底抜けの明るさに戸惑った。あんなに明るい土地柄だったのかとしばし考え込んでしまった。青春時代の鬱屈した自分の暗さを、故郷の土地に結び付けていたのかもしれない。
そういえば高校同窓会の案内が届いた。今年の会場は滋賀県彦根市。なかなか魅力的なところを選ぶなあ。是非とも参加したいと思っている。
今週末は伝統の「村上大祭」だ。本祭りが土曜日(6日)ということで、例年になく帰郷する人も多いことだろう。ここのところ閑散としていた私の店にも、懐かしい顔が揃うだろうか。
今年も半分が過ぎた。紫陽花が真っ盛りなのにカラカラ天気が続いた。やはり紫陽花には雨がないと・・・。今夕から雨の予報だ。
8月末に鶴岡市でおこなわれるバレエコンクールの祝舞に出演する事になり、稽古が始まった。作品は16年前に同じバレエ教室から依頼されて出演した「ひとりぽっちの晩餐会」。私の役どころは王様。当時は後ろで縛っていた髪をザンバラにして王冠をかぶったが、いま私の頭にそんな髪はない。パーティグッズの金髪のかつらを入手し、その上に王冠をかぶってみたら我ながらオゾマシイことになった。だが西洋の王様らしくはなった。
いっしょに舞台に立つのは10数名の女子たち。彼女たちは16年前には生まれてもいない。
バレエ教室主宰者は私と同年齢。今、リュウマチと戦いながらも精力的に創造活動を続けている。教室を始めて今年で41年目になった。
やはり私と同年齢のチューエイさんも、まったく年齢を意識させないアーティストだ。彼はかつらではなく自分の髪を茶と金色に染めていた。ウーム・・・。
今日から7月。同窓会の案内に「青春しましょう!」とあった。この夏、青春するか!!
by yoyotei | 2012-07-01 13:54