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春がくるときのよろこびは あらゆる人のいのちがふきならす笛のひびきのやうだ

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「新年会しま~す」のひと言で男たちが集まった。ひと言を発したのは由紀ちゃん。前にもこのブログで紹介したが、東京で生まれ育った由紀ちゃんは、縁あって当地の老舗料亭「能登新」に嫁いで来た。確かな存在感と気配りで、たちまち人脈を広げ堂々たる若女将となった。
「マスター、由紀ちゃんから新年会の誘いを受けて断れます?」
「そうですよね。こんな美人からの誘いだもの」
「ううん、怖くて」
 男たちは、お茶屋、クリーニング屋、堆朱屋など、みんなひとかどの商売人。
「いやーさっぱり儲けがなくて」
「そうですか、こう不景気ではねえ」
「そうじゃないのマスター。ほらこの人もこの人も、<もう毛>がないの」
「それなら私も」と帽子をとる。笑いがはじけた。新年の笑い初めだった。
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子どもたちに空手を指導している心優しき猛者(もさ)たちだ。お馴染みのしんちゃん(右)、Iinumaさん(左)、そして「小学生から空手一筋できました」と礼儀正しい口調をくずさないHiroyaさん(中央)。IinumaさんとHiroyaさんは女友だち募集中だ。真面目に付き合ってみたい人がいたら私が仲介します。それにしても、格闘技でそこそこのレベルに達した人たちの端然とした穏やかさは、ほんとうに好感度が高い。
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 単身赴任のWadaさんとマイクが、偶然同じアパートになった。その記念(?)の二人飲み。ボーイング787の相次ぐトラブル。2月がボーナス時期だというボーイング社員のマイク。「今年はどうかな」と首をすくめた。
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 Noriko&Youko。それぞれ看護と介護の専門職。夭夭亭を隠れ家的に利用するチョッと天然のNorikoさんと理知的で説明能力の高いYoukoさん。タイプが違うからこそ気が合うのだろう。
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 年明けにカナダ在住の自宅隣家の次男さんからオマールエビが送られてきた。生きているのを「ごめんね」と声をかけて熱湯に投げ入れた。ほとんど瞬時にして赤くなった。
 ユリと米を栽培している農業人Ootakiさんも田んぼの雑草を食べてくれたマガモの命を絶つときには「ごめんね」と声をかけていた。
私の祖母はシジミやアサリを味噌汁にするとき、「ナムアミダブツ」と念仏を唱えるのが常だった。自分の手で生き物の命を絶って食らうことで、命の尊さに気づかされる。
 オマールエビは店で客に振舞うタイミングを失い、妻が東京へ行っている留守中、私が一人で大ぶりの身にマヨネーズをつけてほおばった。もちろんビールをあおりながらである。こっそりと贅沢をしているようで、少し罪悪を感じた。
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 昨年、取材を受けていた情報誌・月刊『CARREL(キャレル)』(新潟日報サービスセンター)が発刊され、常連さんたちも誌面に顔をそろえた。記事の見出しに「村上のドアの向こうに広がる唯一無二の異国的酒場」とある。「異国的酒場」というのがいい。気に入った。気に入りついでに記事の中の気に入った部分を紹介する。記事は店と私を<持ち上げ>てあるのはいうまでもない。
「村上は良い店が多い。その代表格がここである。」(つぶやき:う~む、とうとう代表格になったか。村上の他店さん、すみません。あくまでも取材記者の個人的な評価ですから・・・)
「長きにわたって愛されている店だ」(愛されているねえ?長くはなったが・・・)
「旅する酒場とでも言おうか。何とも不思議な別世界へやってきたような心持ちになる」(うまいなあ。<旅する酒場>なんて表現はなかなかです)
「マスターが出してくれたのは、<とり手羽の燻製>と<メークインのマヨネーズ・バジルソースあえ>。どちらも絶品。一口食べて箸が止まらなくなった」(メークインにはアンチョビも入ってます。むしろ味の決め手はこちらだね)
「ある女性客が言った。<父とも来るし夫とも、一人でも、女友達とも来ます>。この言葉には、この店に人が集まる理由が集約されている」(これはインタビューを受けたMayaさんの言葉だ。この言葉を記事の結びにしたのはなかなかのセンスだ。もっともMayaさんはかつて東京で雑誌の編集にたずさわっていた。記者が期待するようなコメントは心得ているのかも知れない)
 気に入った部分といったが、ほとんど全部を紹介してしまった。
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 取材の夜に来てくれたYamaちゃんが誌面でいい味を出している。彼のボトル・タグと銅のマイコップは40年近くも前の開店時からのものだ。なにかあれば馳せ参じてくれる古いお馴染みさんである。昨年10月から取り組んでいる「映像から暮らしと環境を考える/連続上映&トーク」ではスタッフとして共に参加している。
 Hideちゃんの顔もみえる。Inagakiさんも・・・。
 Hideちゃんからは先日の夜、「三太郎で飲んでいます」とメールが届いた。商工会の研修で上京した折に、池袋の「男の季節料理・三太郎」に立ち寄ったのだ。私の店と「三太郎」がHideちゃんでつながった。

 Mayaさんが「父とも来る」と言った、その「父」と昨年10月の第1回「連続上映&トーク」で久しぶりに顔を合わせた。若い頃、画家を志してパリに住んだこともあるという人だ。今は土に親しむ日々らしいが、ヒゲ面の風貌とその経歴から、シャルル・アズナブールが歌うシャンソン「ラ・ボエーム」が聞こえてくる。

モンマルトルのアパルトマンの 窓辺に開くリラの花よ 
愛の部屋で あなたはいつも絵を描いていた いとしい人
私をモデルに 愛し合った あなたと私の 二十歳の頃
ラ・ボエーム ラ・ボエーム しあわせの夢よ
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 根のない草花

貧しかった私たちは 虹のおとずれ 夢見ていた 
仲間たちと カフェの隅で ボードレールやベルレーヌの詩を読んでいた
愛し合った あなたと私の 二十歳の頃
ラ・ボエーム ラ・ボエーム きれいだったあの頃
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 夢見るさすらい

夜更けに帰り あなたが向かうキャンバスの前に 夜を明かし
朝になれば コーヒーなど飲んで 夢を語り夢を見たの
愛の眠りの 愛し合えば 感じなかった冬の寒さ
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 若さと夢
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 儚くうるわし

ある日のこと 私たちの 愛の街角 訪ねてみた リラも枯れて アパルトマンの影さえなく
歩きなれた道も消えてた 若き日々の靴の音は聞こえなかった
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 帰らない夢よ
ラ・ボエーム ラ・ボエーム 一抹(いちまつ)の夢よ
(作詞/ジャック・ブラント 訳詩はなかにし礼だが、歌う日本人歌手によって違いがあるような気がする。私の記憶に依った)

 Mayaさんの父にこの歌詞のような青春があったかどうかは知らない。だが、シチュエーションは違っても、似たような日々はあっただろう。それは私とても同じだ。帰らない青春。悔恨もあれば甘美な思い出もある。根なし草をよしとして、ボヘミアンを気取った若き日々。
 外は雪。暖炉の火を見つめながら、過ぎた日々に想いを至らせながら飲みたいものだ。回想は酒を美味くするだろうか。

「アルジェリア人質事件」は10人の日本人が犠牲になった。どんな恐怖の中で殺されたのか。痛ましい。事件が伝えられた当初から「ここは地の果てアルジェリア」というフレーズがまとわりついて離れない。歌謡曲「カスバの女」の一節だ。2日前のある集まりでも参加した女性が同じことを打ち明けた。彼女の娘さんは西アフリカのガーナ人と結婚している。 

 大寒も過ぎて、暦の上ではもう春を待つばかりと思っていたら、この週末から大型の寒波襲来だという。冬の訪れが早かったせいと、ここ数日の暖かさで「春遠からじ」の気分だったが、それは錯覚だった。冬はまだこれからなのだ。それでも、1昨日、孫娘から高校入試合格の弾んだ声が届いた。やはり気分は春だ。
 タイトルは萩原朔太郎の「春の感情」という詩の一節。やはりちょっと気が早いか。

by yoyotei | 2013-01-25 08:32  

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