迎へ馬と決めてもがざる庭の茄子
村上大祭が終わった直後からインターネットがつながらなくなった。思い起こせば、接続パスワードが第三者に不正に利用されている可能性があるのでうんぬん、との手紙が届いていた。なんだかよくわからないまま放置していたのだった。再開には契約者本人の確認が必要だという。契約者は妻なのだが、その妻が東京へ行ったきり一週間たっても帰って来なかった。その間、パソコンに詳しいMurataさんを煩わせた。
そして先日、土浦のImaiさんから電話があった。ブログが更新されないのだが、なにかどうにかあったのかという安否の確認だった。心配してもらった。ありがたい。
そんなことがあっての、1ヵ月ぶりのブログ再開・再発信だ。
中央のKakoさんは文化庁で歴史的建造物の研究や修復に関わっている。20年近く前、武家屋敷修復のアドバイザーとして来市、その折の来店以来だ。掲げ持つボトルは、その際Kakoさんが文様と文字を書き込んだものだ。中央には「不許駄飲」とある。無駄に飲むことは許さん!というKakoさんのメッセージだ。向かって右のMurayamaドクターのキープボトルだが、この20年もの間、どれほどのウイスキーが満たされ飲まれ、満たされ飲まれていったことか。「駄飲」も数知れずだっただろう。ボトルは20年もの酷使に耐えて歴史的遺産になろうとしている。
左はKuwabaraさん。かつて村上市歴史資料館に勤務していた。私がインドの話で講演を依頼される度にKuwabaraさん所有のスライド映写機を借りたものだった。あるときから「もう返さなくていいよ」ということになった。画像はPCのパワーポイントが使われる時代に移行したのだった。
「小規模多機能介護施設チューリップ」のスタッフ。左端から時計の反対回りにMatsu、Emi、Kazuaki、Kazuko(楽しい人だ)、Towaさん。近年、客にもこうした施設で働く人たちが増えてきた。生きるためには、さまざまなサポートが欠かせない社会なのだと強く感じる。
それは、6月27日夜、Mikaからマイクの英文メールが転送されたことから始まった。メールはマイクが病気治療のために、いったんアメリカへ帰るというものだった。アメリカでの治療も選択肢のひとつと聞いてはいたが、あまりに急な展開だった。
帰国することが決まり、秋田からモーリーも駆けつけて<病気治して来いよ>の激励会をした。6月29日のことだ。薬で痛みを抑えているマイクはこの夜も酒は口にしなかった。
そして、7月3日、Murata兄発信メール「マイク今日東京へ帰るそうです。部屋の荷物の運び出しは終了しました」
同日午前11:56Maya発信メール「今、駅」
11:58Hide発信メール「マイクに頑張れ~と!」
12:13Murata兄発信メール「まや、ありがとね」
12:53Mika発信メール「改札口けやぶって間に合ってよかった」
12:55Maya発信メール「(笑)なかなかの目立ちっぷりでした」
12:55Hide発信メール「(笑)」
13:07Mika発信メール「あまりの急な展開にそれしかできなかった。みんなありがとう!」
こうしてマイクは村上を後にして東京へ。二日後には日本人の妻が同行してアメリカへ向かったのだった。八王子ナンバーのマイクの車はHideさんが預かった。
村上高校の同窓生3人だ。左はIyobeさん。若い頃のアメリカ勤務を皮切りにアジア各国など、海外渡航の経験豊富。初対面だったが話が面白い。中央はおなじみのSoumaさん。IyobeさんにはSoumaさんと夭夭亭のたたずまいに意外感があったようだ。それを言われたためか、いつもは日本酒のSoumaさんはこの夜、ウイスキーを飲んだ。右はIgarashiさん。いわく言いがたい雰囲気と存在感の人だ。人は年を重ねると個性がより際立ってくる。
村上大祭に軒を連ねる露店。その中のモツヤキ屋台に知人がたむろしていた。連れ立って歩いていた娘と孫を先に行かせてカウンターの客となった。ざっくばらんな気安さがいい。2月末に行った大阪・新世界を思い出しながら、目を上げると通天閣を染め抜いた張り布が、屋台のおかみさんの後ろにあった。
露店見物のNishizakaさんに会った。クラシックギターサークル・カポタストの代表だ。彼の弾く「ミ・ファボリータ(私の好きな人)」に魅せられて、私も練習中である。Nishizakaさんの右隣もギタリストと聞いた。
祭の夜はウサギのグレイも繰り出してきた。グレイを抱く母親(?)Kayoさんと友人(仕事仲間?名前は聞き漏らした)。
「兎も片耳垂るる大暑かな」(芥川龍之介)「破調」という前書きがあり、四・七・五の字足らずの句。
kayoさん、こんなのもあります。
「兎の上り坂」(兎は坂を登るのが得意で早いところから)物事がよい条件のために早く進むことのたとえ。なかなかいいではありませんか。運勢、上向きかも・・・。
こちらはおなじみのカールだ。法被(はっぴ)の模様も染めも、おしゃぎり屋台を引き廻す人たちとまったく同じ伝統のものだ。サイズは小さくても価格も人間のものと同じだという。賑わう町を行けば抜群に高い注目度なのだ。
夭夭亭は細工町にある。一日中市内を練り歩いた細工町のおしゃぎり屋台が町内に帰ってくると疲れて腹をすかした若者たちに焼きそばをふるまう。その焼きそばを取りに来てくれた町内の若い衆、それも女子である。いたのかなあ、こんな娘たちが・・・・。「ジェジェジェ!」なのである。
メガネ美人3姉妹といいたいところだが、一人は母Michikoさんである。親子で「東(あずま)屋」という店を営んでいる。左奥が妹のYukoさん、左手前が姉のAkikoさんだ。こういう人たちがいると店の雰囲気が華やかになる。綺麗なおねえさんが大好きなカールも、しっかりYukoさんの膝の上である。
インドつながりの双子姉妹。3年前、初めてインドへ行こうと決めたとき、図書館にあった私のインド旅行記『朝焼けのガンガー』を読んだことがきっかけで店にやって来た。その後、心配する親に心でわびながら、西のラジャスターン、タール砂漠のキャメルサファリ、東海岸の仏教遺跡などとインドの旅を続けてきた姉妹なのだ。この夜、お母さんが迎えに来て「結婚してほしい」とこぼしていた。
村上大祭が終わると私にはユリの季節が巡ってくる。収穫のピーク、早朝から「大滝ファーム」で収穫の手伝いなのだ。大滝ファームはこのブログにも登場するカサブランカ・ダンディOotakiさんの農場だ。
今年は大滝ファームで頂戴したユリを勤務先のホテルに飾ってもらった。左奥で清楚な美貌を漂わせているのは「ご提供」カードをつくってくれたフロントレディChizuruさんだ。立ち居振る舞いと物腰、ことばづかいが女性を美しくすることを、彼女は日々、実証し続けている。シベリア、スマトラにかわって、現在は「カサブランカ」がフロントを「高貴」に演出している。カサブランカの花言葉は「高貴」と「雄大な愛」だと、Chizuruさんが調べてくれた。雄大な愛とはどんな愛だろうか。
村上大祭の夜に来てくれたAkikoさんが友人のRumiさんと再来店だ。Akikoさんは飲んでもあまり変化がないようだが、Rumiさんは後半に焼酎を飲んだ辺りから表情が可愛くなった。中学校で一緒、高校は別だったが、なんと専門学校で偶然にまた一緒になった。それも和裁の専門学校だった。卒業しても今の時代では和裁技術を生かせる就職は難しいという。二人とも和裁とは無関係の仕事についている。
ネットが途絶えていた間を画像で振り返ったが、画像にはない出来事もいくつかあった。
長女と次女、それぞれの娘(中学生と小学生)と教師との間で軋轢が生じた。詳細は避けるが教師の対応に首をかしげた。母親である娘たちは教師と向き合う形で、一応は問題を処理したが、今、学校では「ゼロ・トレランス(不寛容)という方針が持ち込まれて、生徒指導の柱の一つになっているという。 「規範意識の醸成」「毅然とした対応」ということで、すべからく厳罰主義で臨むというものだそうだ。
中学一年の孫は、事態が収束した後、そこないかけた教師との信頼を取り戻そうと手紙を書いたという。孫娘の優れた対応をほめてやりたい。身贔屓(みびいき)ではない。
隣家の本間翁が、約2ヶ月の病院生活を終えて自宅に帰ってきた。玄関脇の応接間をベッドルームに改造し、各所に手すりを設けた。教え子で開業医のSegaさんによれば、「帰宅してから入院中よりも元気になられた」ということだ。先日、亡き妻笑子さん愛用のギターで本間翁とナツメロを歌った。来月は笑子さんの3回忌だ。
今は依頼されている漢文の解読作業を続けておられる。
メガネが曇っているのかなと、丹念に拭いても、まるで水滴のついたメガネで見ているようだった。眼科で「網膜中心静脈硬化症」と診断された。私の右目だ。「回復は?」と恐る恐るたずねると、即座に「難しいです」と太鼓判(?)を押された。処方された薬のひとつには「毛細血管を補強して抵抗力を強め出血を防ぐ」とあり、もうひとつには「網膜の血液の循環をよくする」とある。先日は眼底カメラによる撮影をおこなった。眼底写真にはすでに出血した痕跡が写しだされていた。もう右目では書物の文字は読めない。遠近感の喪失にも戸惑っているが、車の免許証を取り上げられることはないそうだ。
27日、マイクの車を預かっているHideさんへマイクの妻から連絡があった。マイクの意識が混濁してきたというものだ。長ネギ族が集まって暗澹とした夜になった。
マイクは悪性リンパ腫と闘っている。知人の外科医によると、この癌には抗癌剤の効果が期待できるということだ。意識の混濁は激しい痛みを抑えるためのモルヒネによる作用ではないのか。これは私の希望的判断だ。
高校時代の友人も癌と闘っている。克服してうまい酒を飲もうとメールを送った。高校時代には飲酒がばれて、共に停学処分を受けた。大阪での学生時代は赤貧を洗うような一時期を共有した。還暦同窓会では瞬時に時間がさかのぼり旧交をあたためた。世界遺産石見銀山の近くに住んでいる。必ず顔を見に行くからと約束をした。
先の参議院選挙で開票立会人をした。2度目の体験だ。前回は比例区の担当だったが、今回は選挙区だった。終わり頃になって、無効票、判読困難な票の検討になる。誰の名前を書こうとしたのか、投票者の意志を読み取ろうとする。今回も判読不能、誤記、他事記載などで無効になった票が数多くあった。高齢、障害などで筆記が難しい場合は、投票の際に申し出て書いてもらうことができる。
15年前の『俳句朝日』(7月号)をめくっていたらタイトルの俳句が目についた。詠者は鷹羽狩行。この俳句に添えられた無着成恭のコメントがいい。
「この茄子はちょっと曲がり具合がいいだろう。おじいちゃんの馬にちょうどいい形だ。あと三日たったらお盆だから、もぐんじゃないよ。どんなものでも、まっすぐなものがいいとは限らないんだ。曲がってるからいいこともあるんだよ。曲がってるなら曲がっていることを生かすことなんだよ」
7月が行く、8月になる。盆がやってくる。7月のブログ、なんとか書き終えた。
「土浦の今井さん、ご心配をおかけしました。ありがとうございました。村上の知の巨人たちの文庫建築が進んでいます。八木家では収蔵する本の整理が始まりました。八重子さんは庭先で燻製作りを楽しんでいました。朝風呂なんかに入ったりして、健康そのものです。ゆで卵の燻製(くん玉)、うまかったです。ビールのつまみに最適でした」
そして先日、土浦のImaiさんから電話があった。ブログが更新されないのだが、なにかどうにかあったのかという安否の確認だった。心配してもらった。ありがたい。
そんなことがあっての、1ヵ月ぶりのブログ再開・再発信だ。
中央のKakoさんは文化庁で歴史的建造物の研究や修復に関わっている。20年近く前、武家屋敷修復のアドバイザーとして来市、その折の来店以来だ。掲げ持つボトルは、その際Kakoさんが文様と文字を書き込んだものだ。中央には「不許駄飲」とある。無駄に飲むことは許さん!というKakoさんのメッセージだ。向かって右のMurayamaドクターのキープボトルだが、この20年もの間、どれほどのウイスキーが満たされ飲まれ、満たされ飲まれていったことか。「駄飲」も数知れずだっただろう。ボトルは20年もの酷使に耐えて歴史的遺産になろうとしている。
左はKuwabaraさん。かつて村上市歴史資料館に勤務していた。私がインドの話で講演を依頼される度にKuwabaraさん所有のスライド映写機を借りたものだった。あるときから「もう返さなくていいよ」ということになった。画像はPCのパワーポイントが使われる時代に移行したのだった。
「小規模多機能介護施設チューリップ」のスタッフ。左端から時計の反対回りにMatsu、Emi、Kazuaki、Kazuko(楽しい人だ)、Towaさん。近年、客にもこうした施設で働く人たちが増えてきた。生きるためには、さまざまなサポートが欠かせない社会なのだと強く感じる。
それは、6月27日夜、Mikaからマイクの英文メールが転送されたことから始まった。メールはマイクが病気治療のために、いったんアメリカへ帰るというものだった。アメリカでの治療も選択肢のひとつと聞いてはいたが、あまりに急な展開だった。
帰国することが決まり、秋田からモーリーも駆けつけて<病気治して来いよ>の激励会をした。6月29日のことだ。薬で痛みを抑えているマイクはこの夜も酒は口にしなかった。
そして、7月3日、Murata兄発信メール「マイク今日東京へ帰るそうです。部屋の荷物の運び出しは終了しました」
同日午前11:56Maya発信メール「今、駅」
11:58Hide発信メール「マイクに頑張れ~と!」
12:13Murata兄発信メール「まや、ありがとね」
12:53Mika発信メール「改札口けやぶって間に合ってよかった」
12:55Maya発信メール「(笑)なかなかの目立ちっぷりでした」
12:55Hide発信メール「(笑)」
13:07Mika発信メール「あまりの急な展開にそれしかできなかった。みんなありがとう!」
こうしてマイクは村上を後にして東京へ。二日後には日本人の妻が同行してアメリカへ向かったのだった。八王子ナンバーのマイクの車はHideさんが預かった。
村上高校の同窓生3人だ。左はIyobeさん。若い頃のアメリカ勤務を皮切りにアジア各国など、海外渡航の経験豊富。初対面だったが話が面白い。中央はおなじみのSoumaさん。IyobeさんにはSoumaさんと夭夭亭のたたずまいに意外感があったようだ。それを言われたためか、いつもは日本酒のSoumaさんはこの夜、ウイスキーを飲んだ。右はIgarashiさん。いわく言いがたい雰囲気と存在感の人だ。人は年を重ねると個性がより際立ってくる。
村上大祭に軒を連ねる露店。その中のモツヤキ屋台に知人がたむろしていた。連れ立って歩いていた娘と孫を先に行かせてカウンターの客となった。ざっくばらんな気安さがいい。2月末に行った大阪・新世界を思い出しながら、目を上げると通天閣を染め抜いた張り布が、屋台のおかみさんの後ろにあった。
露店見物のNishizakaさんに会った。クラシックギターサークル・カポタストの代表だ。彼の弾く「ミ・ファボリータ(私の好きな人)」に魅せられて、私も練習中である。Nishizakaさんの右隣もギタリストと聞いた。
祭の夜はウサギのグレイも繰り出してきた。グレイを抱く母親(?)Kayoさんと友人(仕事仲間?名前は聞き漏らした)。
「兎も片耳垂るる大暑かな」(芥川龍之介)「破調」という前書きがあり、四・七・五の字足らずの句。
kayoさん、こんなのもあります。
「兎の上り坂」(兎は坂を登るのが得意で早いところから)物事がよい条件のために早く進むことのたとえ。なかなかいいではありませんか。運勢、上向きかも・・・。
こちらはおなじみのカールだ。法被(はっぴ)の模様も染めも、おしゃぎり屋台を引き廻す人たちとまったく同じ伝統のものだ。サイズは小さくても価格も人間のものと同じだという。賑わう町を行けば抜群に高い注目度なのだ。
夭夭亭は細工町にある。一日中市内を練り歩いた細工町のおしゃぎり屋台が町内に帰ってくると疲れて腹をすかした若者たちに焼きそばをふるまう。その焼きそばを取りに来てくれた町内の若い衆、それも女子である。いたのかなあ、こんな娘たちが・・・・。「ジェジェジェ!」なのである。
メガネ美人3姉妹といいたいところだが、一人は母Michikoさんである。親子で「東(あずま)屋」という店を営んでいる。左奥が妹のYukoさん、左手前が姉のAkikoさんだ。こういう人たちがいると店の雰囲気が華やかになる。綺麗なおねえさんが大好きなカールも、しっかりYukoさんの膝の上である。
インドつながりの双子姉妹。3年前、初めてインドへ行こうと決めたとき、図書館にあった私のインド旅行記『朝焼けのガンガー』を読んだことがきっかけで店にやって来た。その後、心配する親に心でわびながら、西のラジャスターン、タール砂漠のキャメルサファリ、東海岸の仏教遺跡などとインドの旅を続けてきた姉妹なのだ。この夜、お母さんが迎えに来て「結婚してほしい」とこぼしていた。
村上大祭が終わると私にはユリの季節が巡ってくる。収穫のピーク、早朝から「大滝ファーム」で収穫の手伝いなのだ。大滝ファームはこのブログにも登場するカサブランカ・ダンディOotakiさんの農場だ。
今年は大滝ファームで頂戴したユリを勤務先のホテルに飾ってもらった。左奥で清楚な美貌を漂わせているのは「ご提供」カードをつくってくれたフロントレディChizuruさんだ。立ち居振る舞いと物腰、ことばづかいが女性を美しくすることを、彼女は日々、実証し続けている。シベリア、スマトラにかわって、現在は「カサブランカ」がフロントを「高貴」に演出している。カサブランカの花言葉は「高貴」と「雄大な愛」だと、Chizuruさんが調べてくれた。雄大な愛とはどんな愛だろうか。
村上大祭の夜に来てくれたAkikoさんが友人のRumiさんと再来店だ。Akikoさんは飲んでもあまり変化がないようだが、Rumiさんは後半に焼酎を飲んだ辺りから表情が可愛くなった。中学校で一緒、高校は別だったが、なんと専門学校で偶然にまた一緒になった。それも和裁の専門学校だった。卒業しても今の時代では和裁技術を生かせる就職は難しいという。二人とも和裁とは無関係の仕事についている。
ネットが途絶えていた間を画像で振り返ったが、画像にはない出来事もいくつかあった。
長女と次女、それぞれの娘(中学生と小学生)と教師との間で軋轢が生じた。詳細は避けるが教師の対応に首をかしげた。母親である娘たちは教師と向き合う形で、一応は問題を処理したが、今、学校では「ゼロ・トレランス(不寛容)という方針が持ち込まれて、生徒指導の柱の一つになっているという。 「規範意識の醸成」「毅然とした対応」ということで、すべからく厳罰主義で臨むというものだそうだ。
中学一年の孫は、事態が収束した後、そこないかけた教師との信頼を取り戻そうと手紙を書いたという。孫娘の優れた対応をほめてやりたい。身贔屓(みびいき)ではない。
隣家の本間翁が、約2ヶ月の病院生活を終えて自宅に帰ってきた。玄関脇の応接間をベッドルームに改造し、各所に手すりを設けた。教え子で開業医のSegaさんによれば、「帰宅してから入院中よりも元気になられた」ということだ。先日、亡き妻笑子さん愛用のギターで本間翁とナツメロを歌った。来月は笑子さんの3回忌だ。
今は依頼されている漢文の解読作業を続けておられる。
メガネが曇っているのかなと、丹念に拭いても、まるで水滴のついたメガネで見ているようだった。眼科で「網膜中心静脈硬化症」と診断された。私の右目だ。「回復は?」と恐る恐るたずねると、即座に「難しいです」と太鼓判(?)を押された。処方された薬のひとつには「毛細血管を補強して抵抗力を強め出血を防ぐ」とあり、もうひとつには「網膜の血液の循環をよくする」とある。先日は眼底カメラによる撮影をおこなった。眼底写真にはすでに出血した痕跡が写しだされていた。もう右目では書物の文字は読めない。遠近感の喪失にも戸惑っているが、車の免許証を取り上げられることはないそうだ。
27日、マイクの車を預かっているHideさんへマイクの妻から連絡があった。マイクの意識が混濁してきたというものだ。長ネギ族が集まって暗澹とした夜になった。
マイクは悪性リンパ腫と闘っている。知人の外科医によると、この癌には抗癌剤の効果が期待できるということだ。意識の混濁は激しい痛みを抑えるためのモルヒネによる作用ではないのか。これは私の希望的判断だ。
高校時代の友人も癌と闘っている。克服してうまい酒を飲もうとメールを送った。高校時代には飲酒がばれて、共に停学処分を受けた。大阪での学生時代は赤貧を洗うような一時期を共有した。還暦同窓会では瞬時に時間がさかのぼり旧交をあたためた。世界遺産石見銀山の近くに住んでいる。必ず顔を見に行くからと約束をした。
先の参議院選挙で開票立会人をした。2度目の体験だ。前回は比例区の担当だったが、今回は選挙区だった。終わり頃になって、無効票、判読困難な票の検討になる。誰の名前を書こうとしたのか、投票者の意志を読み取ろうとする。今回も判読不能、誤記、他事記載などで無効になった票が数多くあった。高齢、障害などで筆記が難しい場合は、投票の際に申し出て書いてもらうことができる。
15年前の『俳句朝日』(7月号)をめくっていたらタイトルの俳句が目についた。詠者は鷹羽狩行。この俳句に添えられた無着成恭のコメントがいい。
「この茄子はちょっと曲がり具合がいいだろう。おじいちゃんの馬にちょうどいい形だ。あと三日たったらお盆だから、もぐんじゃないよ。どんなものでも、まっすぐなものがいいとは限らないんだ。曲がってるからいいこともあるんだよ。曲がってるなら曲がっていることを生かすことなんだよ」
7月が行く、8月になる。盆がやってくる。7月のブログ、なんとか書き終えた。
「土浦の今井さん、ご心配をおかけしました。ありがとうございました。村上の知の巨人たちの文庫建築が進んでいます。八木家では収蔵する本の整理が始まりました。八重子さんは庭先で燻製作りを楽しんでいました。朝風呂なんかに入ったりして、健康そのものです。ゆで卵の燻製(くん玉)、うまかったです。ビールのつまみに最適でした」
by yoyotei | 2013-07-29 06:32