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甚(じん)を去る

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カールママの妹さんの家から野菜をもらった。長さ40センチもあろうかという大根、この地では珍しい聖護院(しょうごいん)大根、そして白菜。大根は鉈割のように大ぶりに切り、昆布を入れて水煮にしておき、数種類の食べ方で楽しんだ。風呂吹き大根、鰤(ぶり)大根、真鱈のアラの味噌汁仕立てに豆腐とネギ、そこへ水煮の大根を加えた鱈汁、牛スジ肉との煮物・・・。
 聖護院大根は鰰(はたはた)寿司に使った。鰰、人参、米麹、ご飯とともに重石をして甕(かめ)の中だ。作るのは初めてで食べるのも・・・。ひと月後が楽しみだ。
 白菜はこの冬、高値だ。切り昆布、輪切りの鷹の爪を入れて漬物にした。噛むとほのかに白菜の甘みが伝わってくる。白菜漬けのうまさを再発見したのは良質の白菜のおかげかもしれない。
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 新しい仕事にも慣れてきたMurataさん(中)だが、冬は厳しいと思う。だが、今のところ暖冬小雪傾向。両側は女友だちのSatsukiさん(左)とMariさん(右)。Mariさんは一月末、カナダへ語学留学に旅立った。新しい就職へのスキル・アップ第一歩。がんばれ!心からエールを贈る。 
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小規模多機能の介護施設で働くSugaiiさん(左)、社会福祉関係の団体職員Matsudaさん(右)。新潟市に住んでいるNorikoさん(下右)は、実家がある当地に帰ってくると顔を出してくれる。この夜は強い結婚願望を持つMatsudaさんを中心に、なぜか「コートジボワール」(?)で盛り上がった。Matsudaさん可愛かったね。
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 新潟県の林業事務所に勤務するNamiさん(左)とIshiiさん(右)。
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 同じく林業事務所のAnzaiさん(左)と自称占い師さん(右)。占い師さんによると、私には10年前にちょっとした出来事があったはずだという。手相を見ての宣託だが、思い当たることがない。
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 新潟県は県産の杉を大々的にPRして売り出そうとしている。戦後の拡大造林で杉が植栽され、すでに伐採時期を迎えているが、外国産材に押されてか需要が伸びない。そうした中での取り組みなのだろう。この夜の林業ご一行は揃いの「越後杉」ジャンパーを着用していた。4500円で販売もしているそうだ。
 ところで、<越後では杉と男は育たない>」といわれる。真の意味や根拠は知らないが、豪雪が杉の生育には難敵なのだろうか。<育たない男>は、小林幸子が歌う「雪椿」の歌詞「優しさと甲斐性のなさが裏と表についている」といったあたりが越後の男を象徴しているのだろうか。
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「そんな男に惚れたのだから、私がその分がんばりますと」と、「雪椿」は続くが、Namiさんがそうだということではない。Namiさんは「菜美」と書く。色白で瓜実顔の典型的な越後美人だ。高瀬温泉の老舗旅館「古川館」の娘さんだ。「いずれは婿をとって旅館の女将?」「それはありません」ということだった。
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 こちらはヒマラヤスギ。わが家のシンボルツリーだ。4本あって樹齢は同じ30年ほどだが、成長の度合いはそれぞれにちがう。ここまで大きくなることへの配慮がなく、樹間を詰め過ぎて植えたからだった。
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 Anzaiさん愛用の<煙草セット>だ。刻み煙草ではなく、紙巻を短く切って煙管(きせる)で吸うのがAnzai流。
 Anzaiさんは新潟大学で丸山幸平教授に林学を学んだ。丸山先生は自然におけるブナ林の有用性を主張した、日本では先駆的な人だった。ブナ林伐採の反対運動を通じて出会い、交流があったが、鬼籍に入られて何年になるだろう。棺(ひつぎ)には愛用のハンチングが収められてあったが、地下足袋はどうだっただろう、とこのブログに書いたことがある。山歩きにはハンチングと地下足袋が丸山先生のスタイルだった。 
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 年明けから読み始めたが、いっこうに読み進められないでいる1冊が『シェイクスピアの墓を暴く女』(大場建治・著/集英社新書/2002年)だ。『「シェイクスピアはフランシス・ベイコンの仮の姿!」そう深く信じた 19世紀アメリカの女性研究者ディーリアは・・・』」と惹句にある。シェイクスピア他人説のひとつで、その真偽を探るものと思って読み始めたが、題名からも惹句からも明らかなように、主題は女性研究者ディーリアの人間像とその周辺人物に焦点をあてたものなのだ。
 著者の大場建治氏は、当地の新潟県立村上高等学校の卒業生で、明治学院大学文学部教授、同校の学長を経て現在は名誉教授。
 1981年(昭和56)に創立80周年を迎えた村上高等学校は、記念講演に大場建治氏を招聘した。当時の肩書きは明治学院大学文学部教授/東京大学教養部講師だった。
 村上高校の卒業生でもない私が記念誌を持っているのは、記念誌の編集責任者だった八木三男先生から贈呈を受けたからだ。すでに故人になった八木三男先生は夭夭亭店名の名付け親だ。

 新書1冊を1ヵ月近くになっても読み終えられないのは、生活環境のせいだ。
 寒くなってから、私はストーブとコタツのある居間で寝起きをしている。居間だからテレビもある、台所もある。トイレも玄関も近い。
 一方、2階の自室にはそのすべてがない。あるのは書棚とベッド。寝そべっての読書を好むので枕元には照明スタンドがある。眠るか本を読むかしかできない部屋なのだ。
 それにくらべると居間はいい。帰宅すると、まずストーブに点火。ビールを持ってきてコタツに座る。温風ヒーターのストーブから温風を送り込むダクトがコタツに引き込んである。座ったらテレビをつける。缶ビールをプッシュと開けてグビグビと飲む。本は開くが興味はテレビに引きつけられる。引きつけられなければチャンネルを変える。よほど差し迫った事情がない限り、テレビをオフにはしない。ビールの追加とつまみを調達するために台所に立つ・・・・。
 『シェイクスピアの・・・』は面白い。ディーリアを取り巻く周辺情況などが多少ややこしいが、じっくり読めば面白さに埋没するはずだ。テレビをオフにすれば、すぐに読み終わるのだ。

 眼の診療に行った病院で関川村のHasegawaさんに会った。
 今から13年前、政府が強力に推進する市町村合併政策で日本中が大きく揺れた。当地でも村上市を含む7市町村合併の論議が巻き起こった。私たち有志は、想起されるさまざまな問題や、地方自治のあり方を見据えた慎重な議論が不可欠だとして、直ちに「市町村合併を考える住民の会」を立ち上げた。合併の対象とされた関川村のHasegawaさんもメンバーの一人だった。シンポジウムのパネラーになったり、やはり合併対象だった近隣の町村に赴むくことも度々だった。人口400人足らずの村上市沖の孤島粟島にも説明会に行った。そして、その粟島浦村と関川村の2村は合併協議から離脱、自律(自立)の自治体として存在している。
 Hasegawaさんは四つの診療科目と、別に整形外科医院にも通っている。表情は明るいが満身創痍だ。それでも現在の政治状況には我慢がならない。テレビを相手にぶつぶつと文句を言うと、奥さんが揶揄するという。
「あんたが総理になればいいじゃあない」
 Hasegawaさんは80歳を超えた。
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 Toriyamaさん(上の左から2人目)は芭蕉ゆかりの宿「井筒屋」の若女将になった。なったというのは、教師を辞めて家業を継いだらしいからだ。教師の夫は粟島浦の学校に赴任している。一緒に飲んでいる仲間は、芭蕉の宿の支援者らしい。らしいを連発するのは、この夜、私はいささか飲みすぎていて、話の詳細をよく覚えていないからだ。上の左の女性は26、7年前に来店しているということだった。
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 2月になった。『シェイクスピアの墓を暴く女』は読み終えた。最終章の小見出しは「狂っていくディーリア」「その人の傷ましい死」などとなっている。やはりおもしろかった。もちろんテレビは消して読んだ。

 この春から大学生になる男子を頭に、3人の子の母である長女は、このところ英語学習に余念がない。「ヤング・アメリカンズ」の活動に関わり、ホームステイを受け入れたり渡米したりで、コミュニケーション・ツールとしての英語の必要性を痛感しているのだ。
「ヤング・アメリカンズ」は、歌と踊りのワークショップを通して音楽教育を行なう南カリフォルニアに本部を置く非営利団体。16~25歳のメンバーが世界各国から参加している。
 長女は40歳を超えた。そういえば私がリュックを背に一人インドへ旅立ったのもそんな年齢の頃だった。人生の折り返し点といっていい。自分に刺激を与えるものとの出会い。出会いに遅すぎるということはない。
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 新しい年は一月を早くも通り過ぎた。まもなくソチ五輪が開幕する。当地から中学3年生の平野歩夢(あゆむ)君がスノーボード・ハーフパイプ競技に出場する。歩夢君の父親は長女と同期で、わが家に遊びに来たこともあるようだ。がんばってほしい。

「甚(じん)を去る」(老子) はなはだしく、極端な行動はしない。積極的な行動はよいが、あまりにも極端な積極性は長続きしないから慎んだ方がよいとの意。種をまくと、まず根が生えて下へ伸びる。それから芽を出し、枝をつくり葉を出して花が咲く。自然界に極端な成長はない。(『老子・荘子の言葉100選』境野勝悟著/知的息方生きかた文庫/三笠書房))
 思い当たること、数知れずだ。種をまいていきなり花が咲くなどということはないのだ。胸に刻んでおこう。
 
 無人になった隣の本間家で時計の時報が鳴った。電池が消耗しつくすまで時を刻み続けるのだ。
「また、知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる」
「方丈記」の一節である。

by yoyotei | 2014-02-03 06:25  

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