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われは古風なる笛をとり出でていま路(みち)のべに来たり哀歌(かなしみうた)す。

 
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 冷ややかに水をたたえて斯くあれば人は知らじな火を噴きし山のあととも

 生田長江(1882<明治15>-1936<昭和11>)の歌。火口湖のことだが、<今でこそ何もなかったかのように穏やかにしているが、かつては火を噴くような激しい恋に身を焦がしたこともあるし、湧き上がる情熱に心を滾(たぎ)らせたこともあったのだ>というように読むことができる。40年来、時おり(まあ落ち込んで元気をなくしたときとか)想起する歌のひとつだ。
 生田長江は鳥取県の出身、平塚らいてうの『青鞜(せいとう)』の命名者にして、漱石、鴎外、藤村などに対しても公平で先見性のある鋭い論評をした評論家であり、ニイチェ全集の完訳などでも知られる。ハンセン病を患い、容貌が崩れるまでになり42歳で失明。知の巨人といわれた。

 5月の連休を前に瀬波温泉の海岸清掃が行われ、私もホテル従業員のひとりとして参加した。集めた流木などは火をつけて燃やした。炎を見つめながら佐藤春夫の詩を思い出していた。

 こぼれ松葉をかきあつめ
 をとめのごとき君なりき、
 こぼれ松葉に火をはなち
 わらべのごときわれなりき。

「海辺の恋」と題する詩だ。15、6歳だっただろうか、学校の図書室にあった詩集から見つけた。この詩に仮託するような対象があったわけではないが、七五調の調子のよさと、画像として浮かび上がる情景に、たちどころに覚えた。私は甘いロマンチストであった。

 わらべとをとめよりそいぬ
 ただたまゆらの火をかこみ、
 うれしくふたり手をとりぬ
 かひなきことをただ夢み、

 入り日のなかにたつけぶり
 ありやなしやとただほのか、
 海べのこひのはかなさは
 こぼれ松葉の火なりけむ
 
 清掃する海辺には<をとめ>も<わらべ>もいなかったし、こぼれ松葉もなかった。流木のほかには空瓶やペットボトルなどが散乱するだけだった。それだけに、海辺で燃えさかる炎を見つめていたら、「海辺の恋」のメルヘンチックの詩情を離れて、なにやら情念の炎に見えてきた。
「海辺の恋」は『殉情詩集』に収められている。冒頭の詩は「水辺月夜の歌」だ。

 せつなき恋をするゆゑに
 月かげさむく身にぞ沁(し)む。
 もののあはれを知るゆゑに
 水のひかりぞなげかるる。
 身をうたかたとおもふとも
 うたかたならじわが思い。
 げにいやしかるわれながら
 うれひは清し、君ゆゑに。

 <せつなき恋>の対象は谷崎潤一郎の夫人千代といわれている。後に春夫は谷崎から譲り受ける形で千代と結婚する。この詩に、そんな<おとな>の背景があったことを、当時は知らなかったが、<身をうたかたと・・・>以下は長く心の奥に沈潜した。
 佐藤春夫は上に掲げた生田長江の門弟だったということを、あらためて年譜から知った。

 冒頭のイラストは20年前、ガンジス河沿いの宿で出会った青年が描いた、私である。関西出身で、可愛いいパートナーとの二人旅をしていた。帰国後には店にも立ち寄り、何日か泊まっていった。どうしているだろう。
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 真言宗の僧侶Katoさんが、初めて母を伴っての来店。求道者の息子に注ぐ慈母のまなざし。端然としながら、やはり息子には母といる安心決定(あんじんけつじょう)が見て取れる。
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 村上総合病院の医師たち。その中の女性の脳外科医は沖縄県の出身で姓を根路銘(ねろめ)さんという。先にこのブログで、やはり沖縄県出身の旧姓瑞慶覧(ずけらん)さんを紹介したが、根路銘の姓は初めて知った。珍しい姓に出会うと、私はなぜか少し興奮する。「ニャロメ」とあだ名されない?と聞いたら、やはりそうだった。

 連休直前には長岡市からショートトリップの女性が来店した。下玉利(しもたまり)さんという。鹿児島出身の夫の姓だ。その夫を日本に置いて、3年間もベトナムで暮らしたことがあったという。この苗字も私には珍しいが、生き方も独創的のようだ。長岡市の知人から、「村上に行くなら・・・」と夭夭亭を紹介されたらしい。うれしいことだ。
 この夜、下玉利さんとベトナム談義で盛り上がった小林夫妻(こちらはきわめて平凡な姓だが、失礼!)は、その後、数日間の船旅に出発した。
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 両端は薬剤師のNanaちゃん(左)とSawaちゃん(右)で実の姉妹。久しぶりに夭夭亭での姉妹交歓ということになった。ドクターMurayamaには2番目の孫が誕生、ますますジジイ度が上がってきた。
 それにしても私の、冒頭の似顔絵に似ていることか。20年もの時間差があるのに・・・。「MY LIFE IS ONLY DORINKING」は、まあその通りだが・・・。
 Sadaちゃん、「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」。ネットで調べると出てきますが、神主さんにはあまり関係ないかも・・・。 
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 村上市の北端に近い寝屋(ねや)漁港で開催される「魚まつり」は19回目になった。初回から欠かさず参加してきた私たちは、今回もそそり立つ岩を眺めながら、船上でカニ、エビ、アンコウ汁をむさぼった。
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 ドクターMurayam夫妻も孫娘をはさんで、ジジとババを満喫なのだ。暑からず寒からず、港内の静かな海を渡る風が心地いい。船の緩やかな揺れも心地いい。大盤振る舞いの漁師たちの心意気にも大満足なのだ。
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 毎回、船上の特等席を確保して、待っていてくれる地元漁師の本間さん。昨年、大腸がんの手術をした私の妻の隣のベッドに、彼の娘さんが入院していた。娘さんはかなり進行した乳がんだった。久しぶりに嫁ぎ先から帰ってきた姉娘が妹の異常に気づいたのだという。本間さんは数年前に妻を亡くし、妹娘との二人暮しだ。
「男親ではなあ・・・」と、つぶやいた本間さん。無骨に見える海の男も、娘のことに心を痛める普通の父親だ。術後、娘さんは元気になっているという。よかった・・・。
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 長岡市で行われた、40歳以上の選手による試合に参加してきた地元のサッカーチーム「エスペランサ」。昨年の優勝チームとの試合は0対1の惜敗。この夜の打ち上げでは、若手のMurata兄が最初に轟沈した。^
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 栃木から1000ccのバイクでやってきたオーストラリアさん。今回で3年目の3度目の来店(2012年8月21日、2013年5月11日のブログに掲載)。この夜も、やはり芭蕉ゆかりの宿「井筒屋」が定宿だ。
 この夜は、「エスペランサ」一行が引き上げた直後に7名の来店。急遽オーストラリアさんに手伝ってもらった。助かりました。それも旅の思い出にして下さい。
 最初の来店の折、オーストラリアに行ったことがあるということから、名前も聞かずに「オーストラリアさん」になった。でも、オーストラリアさんは長くて言いづらい。これからは豪州(ごうしゅう)さんにしたいと思う。
 豪州さんは翌日、1000ccの鼻先を北へ向けた。
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 TYOUEI(有))のご一行。40年以上も前からの私を知っているという人もいて感慨無量。手前の女性事務員さんがきっちりと仕切っていて、統制の取れた好印象の団体さんだった。豪州さんに手伝ってもらって迎え入れることができた。
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 昨年、歴史愛好家の大滝友和さんからもらったジュウニヒトエ(十二単/上)が咲いた。オダマキ(苧環/下)も今日あたり開花しそうだ。オダマキの花言葉は<あの人が気がかり>だという。ん?恋の予感?あるわけないか。火を噴き終わってほとんど死火山。

 よきひとよ、はかなからずや
 うつくしきなれが乳ぶさも
 いとあまきそのくちびるも
 手をとりて泣けるちかひも
 わがけふのかかるなげきも
 うつり香(が)の明日はきえつつ
 めぐりあふ後(のち)さへ知らず
 よきひとよ、地上のものは
 切(せつ)なくもはかなからずや。
                                   「よきひとよ」(佐藤春夫/殉情詩集)

 朝から日差しがまぶしい。ホテルは非番。今日はこれから今年初めての釣りに出かける。場所は「海辺の恋」の周辺。
 タイトルは「殉情詩集自序」より

by yoyotei | 2014-05-11 06:06  

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