あの、ちょっと一杯やりませんか

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「ごきげんよう」と締めくくったブログから、一ヶ月を過ぎようとしている。NHK「花子とアン」も物語が進展して、蓮子に逃げられた石炭王嘉納伝助が魅力的な役回りを演じた。俳優の力量もなかなかだ。
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 日本人男性の平均寿命がはじめて80歳を超えたという。<平均>ということはわかっていても、つい自分の余命を意識してしまう。「花子・・」のブラック・バーン校長の口癖は「最上のものは過去にではなく将来にある」というもの。何をするか・・・。時間がない。
 釜爺のバイト勤務をするホテルに設けられている有料老人ホームに元教師夫妻が入居している。夫の趣味は半世紀以上も続けている鮎釣りだ。連日の猛暑の中、今年も川通いの日々。
「どうですか。今年の鮎は」「<かた>はいいんですが、なかなか釣れません」「経験豊富の大ベテランでしょう?」
「いやあ、下手なんです」「鮎釣りは奥が深いといいますよね」「いやあ、ほんとに下手なんです」
 やや自嘲気味だが、枯淡の境地。
 その日の夕刻、外出のいでたち。「家内が自生のスカシユリを見たいといいますので・・・」
 小柄な妻は短歌を詠むことを趣味にしている。
 夫婦円満の秘訣は二人の間に適度な距離を持つことだという。自宅はあるが、ホームでの夫妻の居室は8畳一間である。私ならすぐに息が詰まる。 
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 左から時計回りに小児科医、副病院長の産婦人科医、眼科医、産婦人科医、そして助産師といった市内の総合病院の面々。眼科医は、私の目の担当医である。助産師さんには、かつて長女と孫がずいぶんお世話になった。その孫が中学2年生になったというと、驚き、その元気を喜んでくれた。

 小児科医の姓は水流(つる)さんという。なんとも珍しい。本人は栃木出身だが、九州方面にルーツがあるらしい。後日、『難読姓氏辞典』(大野史朗・藤田豊編/東京堂出版 昭和52年)で見つけることができた。その隣には「水流丸(つるまる)」という姓も紹介されてあった。
 この姓の由来を考えてみた。水が流れて<つるつる>になるという連想から思い浮かんだのは、高校時代の夏、学友たちと訪れたことのある、島根県中部地方を流れる江川の支流濁川にある断魚渓だ。流紋岩の谷を侵食してできた渓谷。激しい水の流れによって削られた川床は<つるつる>になっている。同行していた女子たちの視線もかまわずパンツ一枚になった男たちは、天然の滑り台よろしく水の流れに押されて何度も何度も滑り下った。その時にいた男たちの何人かは、すでにこの世にいない。
 その断魚渓のある濁川が古くは石川と呼ばれていたとして、万葉集の柿本人麻呂の妻・依羅娘子(よさみのをとめ)が詠んだ、「今日今日とわが待つ君は石川の貝(谷)に交じりてありといはずやも」の和歌の谷(かい)は、ここ断魚渓ではないかとの説があるという。
   (『人麻呂的恋愛指南-万葉・恋の舞台-石見をめぐる旅』発行/石見観光振興協議会)
 この、石川断魚渓説は私もどこかで読んだように思い、確認しようと斉藤茂吉の『鴨山考』『鴨山考補注』などにあたったが見つけることができない。だが、人麻呂の終焉地を探索する茂吉の『備後石見紀行』から、私は思いがけない<旅>をすることになった。
「自動車は乙原(おんばら)に着いた。此処はやや広い所を占め生活が何となく活発で、小学校児童が自動車に寄って来て物言ふのでも何となく賑やかである。自動車から見える向かひ家に、諸薬請売業。安産一粒丸などと言ふ看板が懸かってゐて、これも一つの旅行気分といふことが出来る」(『備後石見紀行』)
 この時の茂吉の紀行は昭和10年4月である。私は昭和30年代後半の中学高校の6年間を、この乙原の母方の祖母が住む家で暮らした。粗末で小さな家だった。
 さらに、『鴨山考補注』にはこんな個所もある。
「そして写真を撮った。一は川本町の琴平山から対岸の川下村谷戸方面を撮った。ここも山が重畳して山峡の感じである。二は川本町の農蚕学校の方面を斜に対岸を撮った。ここにも相当に高い山がある」
 この「農蚕学校」が昭和24年に島根県立川本高等学校となる。夏の一日、断魚渓に遊んだ学友たちの、そして私の母校である。
 長くなるが、『備後石見紀行』をもう少し引用したい。
 昭和10年4月19日、午前6時50分の川本行乗合自動車で浜原を出発した茂吉一行は、粕淵を過ぎ、午前7時半に吾郷本郷に着いた。「此処で自動車が江ノ川を舟に乗って渡る」とある。吾郷には私が卒業した中学校があったが、すでに廃校になった。しかし、かつて自動車を乗せるほどの渡し舟があったことなどは知らなかった。
「其処を渡れば、今度は自動車が江ノ川の左岸に沿うて走る。江ノ川を主として、風光がなかなか佳く、若しこの三江線の鉄道が備後の三次まで完成したなら、この線は日本での一名所となるであらう、それほど風光の感じが佳い」
 はたして茂吉の予見は的中したのだろうか。   
 三江線は1978年(昭和53)に江津(島根県)・三次(広島県)間の108、1kmで全線直通運転が始まった。しかし、豪雨災害による運休もたびたび。名だたる過疎路線で廃止論議の途絶えることがない。2013年(平成25)8月の島根西部を襲った豪雨被害では、またもや寸断。再開が危ぶまれていたが、大規模場復旧工事が終わり、先月、およそ1年ぶりに全線運行再開となった。1日の乗降客が300人程度で、日本一ともいわれる超過疎路線。運行経費、被災からの復興費用などを考えると、日本一の贅沢路線ともいえる。私はこの三江線で3年間高校に通った。
 さて、再び『備後石見紀行』である。乙原を経由した茂吉一行は午前8時半に川本町に着く。そこで小学校長に会った後、「旭旅館で午食を済まし、大急ぎで零時五十一分の汽車で発った」とある。私の高校時代にもこの旭旅館はあった。すでに他界した友人とのつながりから、この旅館に出入りするようになり、女将には本当によくしてもらった。この女将に娘が二人いたことも記しておこう。
 小児科医の水流(つる)さんの姓をきっかけに、はからずも、歌人斉藤茂吉をツアーガイドに、思い出の地を旅することになった。
 江川(ごうのがは)濁り流るる岸にゐて上(かみ)つ代のこと切(しき)りに偲ぶ(茂吉)
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 新潟県は県産のスギ製品の普及に努めている。<越後杉ブランド認証材>を使用した安全な住居建築には補助もある。森林研究所の職員たちは、酒を飲んでいても<越後杉>アピールを忘れない。<越後杉><にいがた林業応援隊><WOOD JOB!> シャツにはアピール・ロゴが踊り、握ったこぶしには力が入る、イエイッ!
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 先月、安倍内閣は集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。これを受けて、じっとしていられないという数人と「閣議決定抗議と撤回を求める」として、すでに2度ほど街頭アピールをし署名を集めた。これから関連法案の改定に向かう政府に抗するために、さらなる活動を展開することを、先日「むらかみ九条の会」を中心とした集まりで確認した。
 8月は、戦争と平和について、特に思いを強くする季節だ。

 今月末、山形県酒田市民会館で行われる「山形県洋舞合同公演」に出演する。椅子にかけて、子供たちに絵本を読んでやる<おじいちゃん>という役で、昨年秋の発表会で演じたものだ。疲れて眠ってしまった<おじいちゃん>に可愛い女の子が毛布をかけてくれ、ピンスポットがフェイド・アウトしておしまいとなる。先日、一度しかない舞台稽古に臨んだ。後はDVDでチェックをして、会場でのリハーサル、本番となる。
 会場の酒田市民会館・希望ホールは客席数1、287、舞台は幅18メートル奥行き18メートルの大きさ。<感動のドラマを先進の技術と優れた設備で応援いたします>と会場案内にある。子供たちが舞台の大きさに負けないか心配、と子供たちを指導している大滝舞踊研究所主宰の大滝千津子さんが不安をもらしていた。私自身は大きな動きや微妙なタイミングを要求されない役なので、不安感も少なく、むしろ東北でもトップクラスといわれる希望ホールの舞台を経験できることにわくわくしている。
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 店の外壁をつたうツタが屋根までも覆い尽くそうとしていて、ちょっと恐怖を感じている。高所の苦手な私は、屋根に上がって剪定や撤去はできない。誰かの手を借りなければならないだろう。
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 もう50年は続いているのではないだろうか。4、5人も座れば満席になる、カウンターだけの小さな飲み屋。この時季になると、入り口の脇に「鈴虫・・・」の張り紙。何の外連(けれん)もない文言、凛とした墨の跡。ママの人柄と、季節を伝えている。店の名は「むらさき」という。
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 先月の初めにMayaさんが立派なマンゴーを持参した。そのときの種を植えたのが手前。ほぼ1月で発芽した。向こう側はそれよりも前に植えた普通のマンゴー。もとより実を収穫しようなどとは考えていないが、あの大きな種を捨ててしまうのはなんとも惜しい。

 このほど、「花子・・・」の蓮子のモデル、歌人の柳原白蓮の色紙と短冊が、佐渡のホテルで見つかった。鎌倉時代に京都から佐渡へ流された先祖の墓参で佐渡を訪れた際に、ホテルの主人へ書いたものだという。昭和29年のことだ。歌のひとつは「なみのうへに夕日のさして佐渡の海や遠流(おんる)人のなげきぞ志(し)る」
 NHKのドラマでは、駆け落ちをし、逃げるようにして別れた元・夫と出会ってしまった蓮子。その蓮子が「あの、ちょっと一杯やりませんか」と誘い、屋台でコップ酒を飲む。なかなかいいシーンだ。事実としてそんなことがあったとは思えないが、脚本家は、どうしてもその場面を創りたかったのだろうと思う。<酒>が両者の万感の思いをしっかりと受け止めて見事だ。 
 ごきげんよう 
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by yoyotei | 2014-08-11 10:50  

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