玄界灘に母校の校歌が流れて
<行っておいで/つらいのは残るわたしだ/わたしの色香(いろか)があせようと/お前は少しもかまはぬのだ/そこにいる三人の子供さえなかったら、わたしにもお前を忘れることが出来るだらう。行っておいで>
(ポオル・フィル「行っておいで」/『月下の一群』堀口大学訳詩集・講談社文芸文庫』)
<以下の詩の引用もこの著書に依る。いうまでもないが、詩とブログは何の関連もない>
<ミラボオ端の下をセエヌ河が流れ/われ等の恋が流れる/わたしは思ひだす/悩みのあとには楽(たのし)みが来ると>(ギィヨオウム・アポリネエル「ミラボオ橋」)
わずか2泊3日の非日常なのに、<日常>に戻るのにあまりに時間がかかってしまった。ブログの更新が遅くなったということではない。<非日常>は高校の同窓会「玄界灘の陣」であって、半世紀もの時を遡ることになる。その遡った時を元に戻すための心の整理が長引いたのだ。
同窓会の前夜、博多に集結した前泊組12人は、地元在住者3人の案内で午後から夜にかけて博多の市内探訪となった。博多ラーメンを食し、博多祇園山笠の櫛田神社参拝、夜の宴会、カラオケ、名物の博多屋台と、食べて見て飲んで歌った。それは、また学友たちの新側面を発見することでもあった。
せりふ入り歌謡曲を情緒たっぷりに歌うチエミちゃん、風貌からは想像しがたい詳子ちゃんの演歌。しかもいくらでもビールのグラスを重ねる両人にも驚いた。
屋台では外人さんたちとの友好親善に努めた西島君。街角では乾パンのワゴン販売をしていた女性に、懇切な<販売テクニック>をレクチャーしたのには笑った。
この日、櫛田神社では「博多おくんち」の当日にあたり、着飾った女の子や牛車に引かれる神輿行列などでにぎわっていた。同窓生たちが揃って見ているのは<博多祇園山笠>のビデオだ。境内にある「博多歴史館」で上映されていた。それにしても、この熱心さ。学生のバイトだという巫女姿の受付嬢も、ちょっと驚いていた。
翌日も、折から開催中の「台北・國立故宮博物展」鑑賞、大宰府天満宮参拝と、修学旅行もかくやといった盛りだくさんの見学行脚となった。見学ルートを作成し、前日に続いて案内してくれた、後長君ら地元在住者の骨折りに感謝多謝だ。
大宰府天満宮で<学業成就>を祈願した(?)一行は博多駅に向かう。駅前が集合場所なのだ。しかし、旅は思いがけない出会いを用意していた。ハロウィン・パーティに出かけるという隣の青年に、しばらくは戸惑っていた富恵さんだがすぐに打ち解けて、言葉を交わすようになった。博多駅のホームでは「ちょっと恥ずかしいですね」と手を振って人ごみに消えた。いい青年だった。当たり前だが<顔(?)>で人を判断してはならない。<博多よかとこ>と思った。
詳子ちゃんの隣は<素(す)>の顔である。どなたかは知らないが、念のため・・・。
博多駅前モニュメントの前に次々と懐かしい笑顔が現れる。半世紀もの時が、一瞬にして遡る。そしてこんな人も・・・。
麻生君は、もちろん私たちの同窓生ではない。笑顔のいい副総理ではある。
翌日が「西日本実業団女子駅伝」だったため、同窓会会場の「玄海ロイヤルホテル」にはいくつもの出場チームが宿泊していた。日本を代表するアスリートの一人ダイハツの木崎良子選手とは、エレベータに同乗し、風呂の前まで一緒だった。「てんまや」の監督ともエレベーターで一緒になった。事情通、情報通の西島君が彼らに声をかけ、私に教えてくれた。
同窓の卒業生は322名。しかし、すでに物故者31名を数える。開会に先立つ物故者への黙祷では、涙が滲んできた。求められた乾杯発声のスピーチでは、突然グッと声が詰った。席に戻ると隣の登美ちゃんの瞳も潤んでいた。今回の参加者は30名ほどだったが、なんとか顔を合わせられた幸運を思うと、やはりこみ上げるものがある。
昨年亡くなった高原君への私の弔辞を清水君が代読してくれた。
クニさん、毎回の同窓会事務局長ごくろうさま。あなたがいるから41期生のつながりと絆が保たれている。あなたの純粋な地元訛りの言葉を聞くと、無国籍な言葉になってしまった自分を思う。40年以上も住んでいる越後村上、こちらの訛りも習得できない私は<何人>だろう。
卒業生名簿を見て、百合ちゃんが乙原出身だったことを初めて知った。なんということだ。当然、吾郷中学校でも一緒だったわけだ。私の記憶はどうなっているのだろう。
博子ちゃん、忘れてきたバッテリー充電器、送ってもらってありがとう。今回の幹事としての細々(こまごま)とした気遣い。<雲丹>を肴に酒を飲みながら、<50年前もああだったんだよなあ>と感じ入っている。人って変わらない。ちょっと、窪田君がうらやましい。今度、何かうまいものを送るね。
<さはれ、われを愛せ、おお、やさしき心よ!/忘恩の子にも、邪(よこしま)なるものにも、母の如かれ。/恋人たるも、姉たるも、かにかくに光輝に満てる/秋の如く、夕陽(せきよう)の如く、束の間は、やさしくたれ。>
(シャルル・ボオドレエル「秋の歌」)
博多駅から「玄海ロイヤルホテル」、行きも帰りもバスの中では聖子ちゃんと隣席だった。
「私、おとなしいでしょ。無口だから」「ん?」「口が六つもあるのっ」。心臓の大手術を乗り越えて元気だ。賑やかだけではない。心遣いも、社交性も・・・。
宴席でのテーブル係はミカさん。とてもいい感じだった。<旅で出会った素敵な人>に登録済みだ。
幹事たちがまとめてくれた欠席者からの近況メッセージからは、私たち戦後の団塊世代が迎えた<今>が見えてくる。
「実母89歳の死が近づいており」「養父と妻の介護のため」「高齢の母の介護」「体調不良で」「主人が体調を悪くしており」「サンデー毎日のこのごろ、通う所は病院、友達は病気、話し相手は病院の先生・患者仲間」
だが、こんなのもある。
「記憶力・思考力の衰えはいかんともしがたいながらも、気持ちは常に前向きに頑張っています」
そこそこの健康には恵まれている私だが、それでも体力の衰退は著しい。夫婦それぞれの親たちも旅立って久しい。遠路を同窓会に出席できるのは、恵まれていると思うべきだろう。また、同窓生と顔を合わせることがワクワクするほど嬉しい私は、友人たちに恵まれた高校時代だったのだ。どうしても、近況メッセージが届かない人のことを想像してしまう。
今回の同窓会、私にとってのサプライズは、当時の学校新聞のコピーを見せられたことだった。依頼されたのか、投稿したのかは覚えていないが、記事の執筆者に私の名前を見つけたときには、ほとんど「キャッ!」といわんばかりだった。そして、いまだに読む勇気がない。斜(しゃ)に構えた気取りと、<それがどうした>といわんばかりの無関心の装い、そして幼稚な論理の腰砕け。読まなくても、当時の私の<つっぱり>は想像がつく。しかもテーマは、その当時流行っていた<ラッパズボンの是非>だ。それだけではない、なんと短歌までも投稿しているではないか。これも「ウワオーッ!」と叫んで紙面を閉じた。
それにしても博子ちゃん、よく持っていた。卒業生名簿や学園祭のプログラムなど、すべて洪水で流されたという同窓生もいたのだ。もちろん、私のもいつの間にか失せた。
秋の/ヴィオロンの/節ながき啜泣(すすりなき)
もの憂き哀(かなし)みに/わが魂を/痛ましむ。
時の鐘/鳴りも出づれば/せつなくも胸せまり
思ひ出づる/わが来し方に/涙は湧く。
落葉ならね/身をば遣(や)る/われも、
かなたこなた/吹きまくれ/逆風(さかかぜ)よ
(ポオル・ヴェルレエヌ「秋の歌」)
博多ラーメンの「一蘭」でバイトのマリアちゃん。なんと16歳。マリアちゃんには時代遅れかもしれないが、この詩を贈ろう。
<人の云ふことを信じるな、乙女よ/恋をたづねて行かぬがよい、恋はないのだから/男は片意地で、男は醜く、さうして早晩、お前の内気な美質は彼等の下劣な欲求を嫌ふだらう。
恋があるなぞと信じるな、おお、乙女よ、さうして青空で上が一ぱいな果樹園へ行って/一番によく茂った薔薇の木の中に/一人で網を張って、一人で生きているあの蜘蛛を見るがよい。>
(フランシス・ジャム「人の云ふことを信じるな」)
私は、いささか意地悪な爺(じじい)である。
大宰府天満宮の参道の食事処「中村屋」で出会った子供たち。思わずカメラを向けた。そばにいた男性から「写真を・・・」と所望された。以下は送った写真の礼状だ。
『写真ありがとうございました。現像までしていただいてお手数をおかけしました。皆楽しそうに写っていますね。残念ながらウチの子はより目をしていますが・・・(笑)
私達は佐賀県唐津市にある保育園の卒園旅行でした。ウチは一番下の子だったので、私にとっても最後の保育園の旅行でした。子供達がカメラに向かって楽しそうにピースしているのを見て、つい「写真を下さい!!」と無理を言ってしまいました。申し訳ありません。
ブログを拝見しました。楽しい仲間が集う「夭夭亭」。素敵ですね~。あれだけ多くの、そして多様な人達が引き寄せられる所に高木さんの人柄の良さを感じずにはいられません。
私の父は24年生まれで、「団塊世代」のパワーには日々圧倒されていますが、高木さんのブログから改めて、そのパワーを感じさせられました。私は今年40になりましたが、もっと奮闘しなければと思います。
近ければフラッと引き寄せられるところです が・・・。九州の地より「夭夭亭」の素敵な日々をうらやましく見守っております。旅の出会いをありがとうございました。どうぞお元気で・・・』
写真送付の走り書きに、「こんな子供たちの笑顔に<幸多かれ>と願わずにはおれません」と私は書いた。手紙を下さったのは筒井さん。うれしくてここに掲載させてもらった。旅にはこんな出会いもある。
筒井さんもどうぞお元気で。気が向いたら、また更新の遅いブログを開いてみてください。
こちらは唐津の保育園児たちの保母さんか、誰かのお母さんだろうか。いずれにしても、今回の同窓会への旅で出会った<素敵な女性>の一人である。
博多では素敵な人に数多く出会った。行き交う人も素敵だった。想像すらしていなかったことだ。夜の盛り場も猥雑な感じではなかった。空港で買った長浜ラーメンもうまかった。<博多よかった、よかとこ博多>。
先日、NHKBS「こころ旅」では、日野正平が博多の商店街を走り抜けた。食い入るようにして見た。大相撲は九州場所が始まった。これまでの九州場所と、私の中で何かが違う。
苫小牧の<車寅次郎-和田>さんから葉書が届いた。網走へ行って来たようだ。「季節は秋より冬の中」とあった。
1週間前に三面川上流域に紅葉狩りと洒落た。6、70代の男7人といういささかくたびれたメンバーだ。すでに紅葉の盛りは過ぎて、こちらも山は冬支度。
土浦の今井さんからの葉書。「毅然として生きる」。言葉を聞いただけで「ブルッ!」ときました。
ごきげんよう
by yoyotei | 2014-11-11 09:26