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物語は始まり、物語は終わらない。

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 義母(妻の母)の葬儀で伴僧を勤めてもらったのが福厳寺さんだったということも、それ以来の初めての来店というから、20数年が経過していることも、この夜の会話から判明した。当時は独身だった僧侶も、その間にこんな可愛い人を妻にしていた。

 放逸な夫に従って、義母は3人の子と共に婚家を出た。各地を転々としながらの一家の暮らしは貧窮を極めた。ある頃から義母は難病を患い、挙句に両眼の視力を失った。生活の困窮は限界に達し、私たち一家は新築した家に二人を呼び寄せて同居した。家の周りに雑草が生えると、義母は手探りで草取りをした。まだやわらかかった土の上に、地を這った指の痕が幾筋も幾筋も残っていた。心が痛んだが、私は黙っていたように思う。
 やがて、義母には認知症の傾向が見られるようになった。わずかな賃仕事をしながら、それでも義父は義母の面倒をよく見た。
 私が何度目かのインドの旅から帰った日の夕刻、義母はイカの刺身を喉につまらせた。救急車が到着したときには、すでに心肺停止の状態。あっけない最後だった。
 親しい友人もいない菩提寺での葬儀。私は娘や、そのいとこたちに、別れの言葉を捧げることを提案し、義母は幼い孫たちの涙交じりの言葉に送られて旅立った。そのときのことを福厳寺さんは印象深く覚えているという。
 そんなこととは関係なく、福厳寺夫妻の表情が面白い。仲の良さが伝わってくる。二人の<物語>を聞きたいと思う。
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 月の半分、日中の数時間だけ釜爺勤務をしているホテルの<研修旅行>で大阪へ行った。片道9時間ものバスの中では、ウイスキーを飲んではカラオケを歌い、眠りこけて大阪へ着いた。
 大阪駅近くのホテルで夕食をとった後、一行と別れてぶらぶらしながら、神戸からやってくる友を待った。街角で歌う青年に心を引かれて足を止めた。歌声がやさしい。歌詞がやさしい。
 
 変わらない町並み/行き急ぐ人の中 君を探す
 似ている姿見つけ/こみ上げる思いのままに
 You still in my heart
 戻ることない二人の時間
 もし会えるならもう二度と離しはしない
(略)
 君がくれた幸せの意味を
 なぜ、僕はわからずにいたんだろう・・・
<LINKS>というSHO君とMASA君のデュオ。「がんばってね」と声をかけたが、何をどうがんばればいいのだろう。
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 ここにも街角で歌う青年。私のように酒を飲んで小さな空間で歌う<おっちゃん>とちがって、聞く人の姿も見えない、大都会という巨大なステージで歌う青年。どこか悲壮感も漂うが、歌声の向こうに何かを見ているのだろう。いや、何も見えないから歌うのかも知れない。やはり足を止めてしまう。彼はこの瞬間<物語>をつくっている。そして私は心の中でつぶやく。いい<物語>が生まれますように。
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 昨秋、博多での同窓会でも親しく飲んだ<ニッシー君>は、突然の連絡にも関わらず神戸から出てきてくれた。初めに案内してくれた<立ち飲み居酒屋>は私好みの個性派。うん、そうなのだ。頭にタオルを巻いたマスターには、チェーン店の居酒屋などには絶対にない確かな存在感がある。そしてここにも<物語>があるはずだ。
「コンパニオンを呼んだからな」と言うニッシー君。現れたのは、すらっとしてにこやかな美人。娘だという。こんな美人が右端の男の娘?信じ難いが、まさか恋人ではあるまい。
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 娘の美穂子さんと、3人で次に向かった先は曽根崎新地の「やすらぎバー光(みつ」)。美穂子さん、ママの光恵さん、共にとびきりの美人だ。かつて大阪・神戸に住んでいた私には、「関西に美人はいてへん!」という勝手な思い込みがあった。深く謝罪の上、認識を改めなくてはなるまい。
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「光」では元大学教授の村岡さんと遭遇した。渋い歌声に触発され、ママをめぐるライバル意識からか、私もマイクを握ったが何を歌ったか覚えがない。
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 翌朝、ホテルのベッドで目覚めると、同部屋の職場仲間が言った。
「ずいぶんご機嫌でしたよ。寝言で歌ってました」
 よほど楽しかったのだろう。
 窓の外には大阪ベイエリアのビル群が広がっていた。50年前、明確な将来への展望も見出せないまま兄の家に寄宿して、アンコと呼ばれる沖仲士をしたり、専門学校に通ったりしていた。当時住んでいた<築港(ちっこう)>という地名は現在も残っているが、周辺のあまりもの変貌には言葉もなかった。

 この日、ユニバーサル・スタジオや<ミナミ>へ繰り出した職場仲間とは別に、大津から出てきた<登美ちゃん>と、神戸から出てきた<哲ちゃん>の3人で食事をした。二人とも高校の同窓生で、当時のマドンナと秀才だ。前夜の<ニッシー君>共々、昨秋の同窓会で会ったばかりだ。
<哲ちゃん>は生徒会長選挙に私を担ぎ出し、ちょっとした<ワル>でもあった私を当選させた。見事な応援演説も記憶に残るが、彼の絶大な人望が勝因だった。そんな<哲ちゃん>が最初の結婚で、早くに妻と死別するなど、波乱ともいえる人生に話は及んだ。彼にも、過去から現在につながる<物語>があった。
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 冗談めかして、自分のことを<世界の巨匠>といって笑う写真家内山アキラさん(右)。国際美術評論家大賞受賞、ワールドフォトグラフィックカップ2015フランス大会日本代表など、近年の活躍はまさに国際的だ。店には<巨匠>撮影の私のポートレートがある。表情の一瞬の切り取りは見事だ。<瞬間を閉じ込める詩人>たる所以だ。
 市内の大池に飛来する白鳥を撮影した一連の作品は、写真表現の新しい世界を開いてみせた。近々、アブダビ(アラブ首長国連邦)のルーブル・アブダビ美術館の開館を祝って、アキラ・ウチヤマの「昇翔」(下)がロゴ入りポスターとなって世界の美術館に寄贈されるという。
 司法書士事務所を開設している川村さん(左)も、内山さんや私と同年齢の団塊世代。内山さんを送り出した後、二人だけになってしばし語り合った。クリエイティブな表現を求めるアキラ・ウチヤマとは異なり、嘱託を受けて裁判所・法務局などへ提出する書類の作成が業務という世間の表側には出てこない職業だ。しかし、粉飾のないベタな人間の営みが見えてくるのだろう。川村さんの人に注ぐまなざしは温かく、社会を見る眼は厳しい。
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「時に露光や色温度の設定ミスとされていることを知りながら、あえて取り組む。そこを打破してはじめて自分の求める映像の存在を見出す。物語はそこから始まる」
           (「フォトグラファー内山アキラの世界」アキラ・ウチヤマ)
 意味はそれなりに理解できるが、ことはそれほど単純ではあるまい。尋常ならざる感性と、それを磨き上げる不断の積み重ねと試行錯誤。物語は始まるが、それを終わらせない<業(ごう)>のようなものがアキラ・ウチヤマには巣くっているのだ。彼の柔和な表情、その向こう側にあるものを見逃してはならない。

by yoyotei | 2015-02-23 18:56  

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