人生寄(よ)するが如し 何ぞ楽しまざる
福寿草が咲いた。わが家の<春一番>だ。年々、花の数が増していくのもうれしい。
周囲は<貝塚>ならぬ、まるで<胡桃(くるみ)塚>だが、リスが食べた残骸ではない。秋に妻が山で拾い集め、中身をほじくり出した、その残骸なのだ。
畑から立ち上る煙。桜の開花はまだだが、農家では春作業の準備が始まったのだろうか。
ゴルフ仲間の左から小川さん、アキさん、川崎さん。
11世紀のペルシャ(現イラン)にオマール・ハイヤーム(1048~1121)という人物がいた。天才的な天文学者であり、科学者、数学者でもあったが、なによりも詩人であった。そのオマール・ハイヤームに『ルバイヤート』という詩集がある。それをペルシャ語の原典から日本語に翻訳したのが新潟県出身の<小川亮作>だ。
新潟県立村上高等学校・同窓会ホームページ「同窓の勇者」によれば、小川亮作は明治43年(1910)荒川町海老江に生まれ、昭和3年(1929)村上中学校(現・村上高等高校)を卒業。その後、外交官となり、日露協会(中国黒龍江省ハルピン)でロシア語を修め、外務省留学生としてテヘランでペルシャ語を学ぶ。これを契機として『ルバイヤート』の原典と出会う、とある。
1992年にインド旅行記「朝焼けのガンガー」を上梓した私は、章扉に『ルバイヤート』の数編を借りた。
恋する者と酒飲みは地獄に行くという、
根も葉もない戯言(たわごと)に過ぎぬ。
恋する者や酒飲みが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!
思いどおりになったなら来はしなかった。
思いどおりになるものなら誰がいくものか?
この荒屋(あばらや)に来ず、行かず、住まずだったら、
ああ、それこそどんなによかったろうか!
善悪は人に生まれついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命。
しかし天輪を恨むな、理性の目に見れば、
かれもまたわれらとあわれは同じ。
『ルバイヤート』(オマール・ハイヤーム 小川亮作訳 岩波文庫)
ゴルフの小川さんも、小川亮作と同じ<海老江>の生まれだ。以前、親戚ではないかと質(ただ)したことがあるが・・・。長い馴染みになった。
川崎さんは中条ゴルフクラブに勤務している。ずいぶん久しぶりの来店だ。
アキさんはかつて<新潟美少女図鑑>に取り上げられたことがある。笑顔が素敵で、華やかさと透明感が調和した綺麗な人だ。『ルバイヤート』ではないが、<地獄へ落ちてでも>と思う男たちが数多くいるにちがいない。もちろんアキさんが地獄へ落とすわけではない。
二人の日本人がIS(イスラミック・ステート)によって殺害されてから数日後、リエ&シゲさん夫妻はアラブ首長国連邦から帰国した。大手の車両メーカーに勤める夫シゲさんの出張勤務が終わったのだ。事件後は、やはり在留邦人のなかに緊張が走り、不測の外出は控えるようになったという。
シゲさんは数年前に父親と来店したことがあると聞いた。私の記憶では、そのときサリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』が話題に上ったのではなかったか。もしそうなら、私は自分の記憶力を褒めたい。
ジョッキをあおるのは空手を指導している、おなじみのヒロヤさん。シゲさんとは学校の同窓生だ。そのヒロヤさんに<春の兆し>が・・・・。
「誰かいい子を紹介してよ」「私にもいい人を紹介して」
そんな同級生との会話が、結果的には互いの意思表示となったようだ。
「私じゃあ駄目?」「俺では?」
春だ春だ、春が来た!
この日は県立桜ヶ丘高校の卒業式。卒業していく生徒たちにとってはもちろんのこと、送り出す教師たちにとっても万感の思いが去来した一日だろう。酒もすすむというものだ。
人更ニ少(ワカ)キコト無シ時須(スベカ)ラク惜シムベシ
年常ニ春ナラズ酒ヲ空シクスルコト莫(ナカ)レ
小野篁『和漢朗詠集』
少年期は二度と来ないから、人は寸陰を惜しんで勤めなければならない。年に春は二度と巡って来ないから、酒盃をあげて思いきり楽しみを尽くそうではないか。いざ一献。
(『ことばの季節』山本健吉 文春文庫)
平安時代には、こうした和漢の詩歌に節をつけて、酒宴などの折に吟詠することが流行した。
この夜の紅一点はユミ先生。この笑顔、生徒たちの憧憬の的だろう。
前にもブログに登場し、インド旅行の話と香辛料の土産をもらった、この桜ヶ丘高校のマツモト先生。先ごろスリランカへ行ってきたとのことだった。じっくりと、旅の話を聞きたいものだ。
1991年の最初のインド旅行の体験を生徒たちに話したのが桜ヶ丘高校だった。緊張と冷や汗の私の<初講演>だった。
インドといえば、今年の1月23日はニューデリーのカフェ「サンライズ」で、ある人たちと会う約束があった。
かつて何度目かのインドの旅で、日本の女子大生二人と出会った場所が「サンライズ」だった。以来、二人は東京から寝袋持参で村上を訪れ、店の2階に滞在するという、バックパッカーさながらの旅が何度か。そんなあるとき、<10年後にまた、あの「サンライズ」で会いましょう>との約束がなされた。10年前の1月23日だった。10年の間に一人は結婚して母になり、一人は世界5大陸を巡る<世界一周ひとり旅>を敢行するなどした。それでも<約束>は忘れていなかった。
その日、私は職場のホテルにいた。携帯が鳴った。二人のうちの一人マサエさんからだった。
「どこ?」「日本」「私も、日本」「あははは・・・」
気持ちよくいっしょに笑った。
「今度、村上行くね」「うん、待ってる」
由香さん(左)は中学校の同窓生たちと「夭夭亭」の一時代をつくった。月々の<誕生会>など、なにかにつけては集まり、店を賑やかにしてくれた。店のスタッフのように客の応対から、片付けや洗い物もしてくれた。そんな同窓生たちに「夭夭亭」を紹介し、現在に至るまで途切れることなく顔を出し続けているのが<ヒデさん>だ。大方は結婚したりして足が遠のいた。由香さんもそうだった。この夜は何年ぶりだっただろう。
望さん(右)と由香さんは婚家が近所だったことで交友が生まれた。その由香さんの、思いもよらない事態となった結婚生活の話に胸を打たれた。事態の大きな変化は望さんも・・・。そして、女たちの強さに、ほとんど言葉の出ない私だった。
この夜、<ヒデさん>は酒も飲まず、深夜の道を車を駆って二人を送って行った。
市内で介護施設「リブインハーモニー」を運営する佐藤さん一家とドクター瀬賀さん。この夜は小豆島産の最高級オリーブオイルを味わうために集まった。しかし、オリーブオイルのうまさは「わからん」の声がしきり。イタリア産と食べ比べても「わからん」のだ。
由香さん、望さんも試食に参加してもらって、ようやく香りの違いが判明した。それにしても、一般的なイタリア産よりも価格が40倍も高い。やはり、よく「わからん」のだ。
オリーブ仲間になった由香さん&望(のぞみ)さん、そしてドクター瀬賀さん。望さんが掲げるのは、昨年秋の大滝舞踊研究所の公演、<居場所>での私の舞台写真。研究所でバレエを習っていたのは望さんだったか。
神戸の同窓生<哲ちゃん>から見事な牛肉が届いた。見惚れていたら<鉄牛>という言葉が思い浮かんできた。鬼籍に入って久しい私の叔父が、若い頃に仲間と「鉄牛会」という集まりを持っていたと話してくれたことがあったのだ。
『字源』で<鐵(鉄)牛>をみる。中華古今注「陝州有鐵牛廟、牛頭在河南、尾在河北、禹以鎮河患、賈至有鐵牛頌」とあり、大森曹玄解説の『碧眼録』第三十八則/風穴祖師心因に「鉄牛とは昔禹王が河の氾濫を防ぐために作ったもので、頭は河南に向い、尾は河北に向うといったとてつもなく大きな鉄の牛で、世にこれを陝府の牛という」とあった。また「祖師の心因、状(かたち)鉄牛の機に似たり」ともあったが、<禅>は私には難しいので引用は割愛する。
また、『広辞苑』には石見の人として、黄檗(おうばく)宗の僧・鉄牛禅師(1628~1700)が載る。叔父も私も石見の産だが、「鉄牛会」命名の由来は判然としない。
「黒毛和牛」はうまかった。当地にも「村上牛」という銘柄牛があるが、オリーブオイルのように、どちらがどうというような判別はできない。どちらもうまいのだ。
年頭に取材を受けた「新潟粋人SUITO」2015春号が発刊された。なんとこの号をもって6年半続いた発行を休止するという。新潟発でありながら取材エリアも県外まで広げ、グレードの高い編集センスの情報誌であるだけに残念なことだ。最終号に「夭夭亭」が掲載されたこと、推薦者の吉川真嗣さんに感謝多謝だ。
折りしも、町おこしとして吉川さんが最初に手がけた「町屋の人形さま巡り」が開催中だ。今年で16回を数える。
好きな俳人の一人、坪内稔典氏が書いていた。
「文学はつまみ食いをすればよい。つまみ食いをすると文学はとってもうまい」
このブログは書物からの引用が多い。つまみ食いの為せるところだ。稔典(ねんてん)先生の「つまみ食いこそ文学の醍醐味」との言葉に励まされて、これからも貪欲につまみ食いをする所存である。1月に完成した店の「文庫本文庫」には、およそ1800冊が収まっている。少々のつまみ食い(拾い読み)でネタがなくなるような量ではない。
<鉄牛>をみた『字源』には蘇軾の詩の一節「誰能如鐵牛、横身負黄河」も紹介されていた。そこで『蘇軾』(中国詩人選集 岩波書店)を渉猟していると、「人生寄(よ)するが如し 何ぞ楽しまざる」の詩句に出会った。「一見、悲観的厭世的に聞こえる。しかし、そうではない。短い一生のうちに、人は幸福を追求すべきであって、幸福はどこにもあるのだ」(注釈/小川環樹・山本和義)
由香さん望さん、元気で。あなたたちには「幸せ」が似合う。
by yoyotei | 2015-03-10 05:19