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子の燕居、申申如たり、夭夭如たり。

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「生活と健康を守る会」総会。総会後の交流会ではギターで全員合唱の伴奏をした。飲んで歌っている間にナメローは旅立っていった。
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 このブログの2012年1月30日「寒波襲来」で、巣箱を作ってヒマラヤスギの幹に取り付けたことを書いた。その後、シジュウカラらしき小鳥が巣箱の穴から顔をのぞかせていたとも書いた。(同年4月17日「さまざまな旅立ち」)その後は出入りしている小鳥の姿も見えないまま3年がたった。手作りの巣箱に小鳥を住まわせるのは失敗だったかなと思いながら、見上げたのがつい先日だった。なんと、スズメがひんぱんに出入りしているではないか。ナメローが昇天した翌々日だった。
 そして、この数日の間に数羽の雛が巣立った。子スズメたちは置いてやった飯粒をついばんでは巣箱に帰っていく。スズメの鳴き声で賑やかな庭になった。
 日差しに誘われてカナヘビも<日向ぼっこ>か。ナメローが死んでから、ことさらに<命>が愛しくなった。
  殺さんと捕えてわれはかなしめりカマキリの子の極小の鎌
                (大阪府/井上欠伸 朝日新聞投稿歌壇)
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 右は大滝聡(さとし)さん。NPO法人/都岐沙羅パートナーズセンターの理事として多彩な活動を展開している。古い常連になった聡さんのプロフィールをホームページから紹介する。
 本業はデザイナー。武蔵野美術大学卒。漆工芸の仕事やアーティスト活動を続けた後、1990年(有)オム・クリエイションを設立。グラフィックデザイン、環境造形、コミュニティデザインに携わる。
 1996年より岩船地域ニューにいがた里創プランのコーディネーターとして参画し、都岐沙羅パートナーズセンターの設立にあたっては中心的な役割を担う。現在、国土交通省地域振興アドバイザー、国土交通省水源地域対策アドバイザー、新潟県地域づくりアドバイザー、新潟県緑の山里アドバイザー、NPO法人まちづくり学校代表理事、NPO法人新潟NPO協会理事など、といった多彩さである。先日のシンポジウム「あすの村上を語る」では、彼のネットで参加を呼びかけてもらった。
 この夜は娘のナミコさん(聡さんの隣)とその友人ユリさんの3人での来店。
 左端は町内の<お祭り男>ソエカワさん。今年の大祭ポスターはソエカワさん宅と夭夭亭がある<細工町>の屋台(おしゃぎり)が取り上げられ、ソエカワさんの顔が大きく出ている。ユリさんにこの村上大祭のポスターを進呈したが持て余すだろう。
 3週間後には町の中心部が絢爛な活気に沸く。
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 <お祭り男>と同じ町内に住むナナちやん(左)と友人のミキさん。深夜にカレーを食べてカクテルを一杯飲んで・・・・。舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)と同居し、嫁と母と妻、さらには歯科衛生士をこなすナナちゃんだ。
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 シンポジウム「あすの村上を語る」が終わった。市長選挙に立候補を表明した4人をパネリストに、それぞれの問題意識やビジョンを問うといったシンポジウム。開催直前になってある候補の後援会が、会場の全席200を支援者を動員して占拠するといった情報が入ったりしたが、そんなこともなく、私たちが意図したようなシンポジウムができた。30人もの立ち見が出るほどの関心を呼んだ。
 会場の向かいにある県立桜ヶ丘高校の女子生徒2年生。タエ、エミカ、アイリ、ヒカリさんの4人だ。このほど、公職選挙法が改定され選挙権が18歳以上となった。今月28日の村上市長選挙には間に合わないが、4人も18歳になれば来年夏の参議院選挙では初めて投票することになる。

 迂闊といえば迂闊、無知といえば無知だった。夭夭亭の<夭夭>が「論語」にもあることを知らなかった。それを教えてくれたのは最高齢の常連サトウ・イチロウさんだった。
「子之燕居、申申如也、夭夭如也」。なるほど『字源』にも出ていた。
『論語』(貝塚茂樹訳注/中公文庫)によれば「子の燕居、申申如たり、夭夭如たり」(先生がくつろいでおられるときは、のびのびとまたにこやかであられる)。
 解説には<燕居>とは、朝、つまり役所から自宅に帰り、うちくつろいでいること。<申申如たり>とは申申をつつしみ深い形容とする説があるが、申申は伸伸、つまりのびのびするという説が正しいとあり。<夭夭如たり>夭夭は『詩経』に「桃の夭夭たる」といったように、植物が盛んに成長しているさまを形容することばである。(中略)人間の容貌にすると、笑いをたたえ、愉快な状態の形容詞だとあった。
『現代語訳論語』(宮崎市定/岩波現代文庫)をみれば「子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり」。孔子は自宅で休息している時は、のびのびと屈託なく、うきうきと楽しそうに見えた、とある。
 また、『ポケット論語』(山田勝美/角川文庫)には<申申如>はのびのびした様子。<夭夭如>は楽しそうな、にこやかな様子とある。『論語講義』(渋沢栄一/講談社学術文庫)では「子の燕居せる。申申如たるなり、夭夭如たるなり」と読ませ、<講義>この章は門人が孔夫子の閑暇にて家に居らるる時の容色を記(しる)したるなり。その身体は申申如とのびのびして少しも窮屈らしき所なく、その顔色は夭夭如と和(やわ)らぎ悦(よろこ)びて、いかにも心広く体ゆたかなるの気象が見ゆるとなり、とある。
 渋沢栄一は日本資本主義の父と称えられている幕末から昭和の実業家。幼少より商売と論語をはじめとする中国古典を学んだ。
 4者の論語解説は夭夭亭「文庫本文庫」の蔵書に依った。本間桂先生の遺本だ。
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 市立中央図書館で保存期限を過ぎた古雑誌のリサイクル市があり、約100種類1年分の月刊誌が1冊10円で販売された。70人ほどがひしめく中でゆっくり選ぶ余裕もなく50冊ほどを購入した。
『中央公論』『新潮』『新潮45』『文学界』など。近年、現代小説を読むことはほとんどない。<申申如也>の心持ちになったときにでも眼を通してみようと思う。、
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 長女からナメローの遺影が届いた。むやみに人に甘えず、毅然として孤高をつらぬいたナメローだった。

 前回、カタクチイワシに触れた。その加工品アンチョビにも言及した。しかし、日本でカタクチイワシの加工品といえば代表格は<煮干(にぼし)>だと後になって気がついた。私が生まれた山陰島根では<イリコ>という。<泥眼(どろめ)>という地方名を聞いたこともある。<シラス>も主にカタクチイワシの仔魚だという。

by yoyotei | 2015-06-19 04:35  

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