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手をのべて天地玄黄硯冷ゆ

 プログラマーをしている会田さんが新潟市から一人でやってきた。来年2月に第一子が誕生するのだという。結婚7年。喜びをだれかに告げたかったに違いない。客の姿がない暇な週末。会田さんは軽く飲んで帰っていったが、お祝いに〈ちょっといい酒〉をおごればよかった。昨年は10月11日にやはり一人で来た会田さん。来年の春には3人で・・・・・・・。そのときはね。
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 歴史愛好家として執筆や講演に忙しい大滝友和さん(左)、最近も伊能忠敬についての講演の模様が地元の新聞で報じられていた。その彼が、娘の愛子さんと夫の武さんを伴ってきた。愛子さんは第二子を妊娠中だという。 
 第一子の誕生ニュースは隣家の本間桂先生の葬儀の日にもたらされた。2013年の大晦日だった。葬儀の後、共に弔辞を捧げた友和さんと私は、逝く人と生まれてきた新しい命に思いを馳せながら飲んだ。もっとも、友和さんは体調管理で酒を断っているので私が一人で飲んだのだが。

 数日前、本間桂先生の亡妻笑子さん宛の葉書が我が家に届いた。母校の創立120周年にあたっての同窓会名簿改訂に関する問い合わせだった。誤配にはちがいないが、本間家は無人だ。物故された旨を記した返信を投函しようかと思っていた矢先、長男からメールが入った。近日中に父の三回忌で帰るというものだった。
 
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 北海道の和田さんから電話。いつものように飲み屋からだった。村上にいるときにも、和田さんは酒を飲むとあちこちに電話をする人だった。彼のあのにぎやかさは<さびしさ>のうらがえしだったか。今さらながらの述懐である。秋は〈さびしさ〉に敏感になる。
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 かつて村上にいたことのある医師が久々の来店。愛飲するチンザノ・ロッソの相伴にあずかりながら近況を聞いた。なかでも、認知症状が顕著になった妻に、認知症の薬を飲むことを説得するのに一晩かかったとの話は胸を打った。内科医の妻は、当然その薬がどういう薬か知っている。自分の認知症を認めない妻は、断固としてその薬の服用を拒否するのだった。
 今、妻は施設に入所し、夫は単独での行動が可能になったが、それまではどこへ行くにも妻を伴った。夫が講師として話す時にも、私たちがブナの森でおこなったコンサートにも、夫がいる場所には必ず妻の姿もそこにあった。夭夭亭にも何度か、夫は笑顔の妻を連れて来た。だが、彼女にとって私はいつでも〈初対面の人〉だった。
 堂々たる体躯にして悠揚迫らぬ大人の風格。世界的な医学的業績もあるという彼とは、村上市内を流れる三面川源流域のブナ林が伐採されていた頃、伐採反対運動を立ち上げた私たちに共鳴して、新潟市から現地観察に参加されたのが最初の出会いだった。数年後、病院長として当地に迎えられてからは、周辺の医療環境や地域医療の現状などについてレクチャーをうけたりした。
「若いころにはずいぶん面倒をかけたからなあ」と、症状のすすむ妻に寄り添っていた彼。その彼が、「どうしました?」と声をかけるのがはばかられるほどに足元がおぼつかなくなっていた。歩きやすさを考慮したのであろう真新しい白のスニーカー・・・・・・・。
 帰りのタクシーに乗り込んだ彼の握った手を、私はしばらく離すことができなかった。

              秋の歌
                         ポ-ル・ヴェルレーヌ(堀口大學訳)

      秋風の
      ヴィオロンの
      節(ふし)ながき啜泣(すすりなき)
      もの憂き哀しみに
      わが魂を
      痛ましむ。
     
      時の鐘
      鳴りも出づれば
      せつなくも胸せまり
      思ひぞ出づる
      来(こ)し方に
      涙は湧く。

      落葉ならぬ
      身をば遣(や)る
      われも、
      かなたこなた
      吹きまくれ
      逆風(さかかぜ)よ。
 
 よく知られているヴェルレーヌ、20歳の時の詩である。
 彼の生涯には、酒・女・神・祈り・反逆・背徳・悔恨が混在したといわれる。ヴェルレーヌほどではないが、私にも似た部分がないわけではない。デカダンスを気取った若い日々もあった。しかし、私とヴェルレーヌとのいちばんの共通点は〈ハゲでヒゲで大酒飲み〉といったところだろう。ヴェルレーヌは51歳の若さで没しているが、私はといえば、いまだになまなましい悔恨の海を漂っている。秋は無骨な男をも<センチメンタル>にする。
 このほど、年譜によって訳者堀口大學の母政(明治4年生)が村上藩士江坂氏の長女と知った。 
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 宝田明講演実行委員会の解散飲み会。この夜、参加できなかった何人かの実行委員たちも、それぞれの得意分野で力を発揮した。だれかの苦手分野をだれかがカバーする。なかでも力強い女性たちのパワーにはあらためて敬服した。宝田さんの知名度に負うところが大きかったことはいうまでもないが、大成功といっていい講演会の成果に、「次は大江健三郎さんを呼びましょうか」と瀬賀実行委員長。宝田さんの人柄も含めて学ぶことの多かった<協同>の取り組みだった。
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 父(故本間桂先生)の三回忌に帰ってきた長男、次男、そして長男のパートナーともみさん。教え子の瀬賀さん、マリさんらとは夭夭亭でまずは顔を合わせた。居合わせた村上高校の卒業生つながりでもある佐藤さんも合流した。
 この夜、隣家「禅外窟(ぜんがいくつ)=本間家」にひさびさに灯りがともった。
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 職場のホテルの作業道具室で異彩を放っている紙コップだ。何度これを発音してみたことか。いまでは、ある種の感動を持って「これでもいいんんだ」と納得している。
 ずいぶん前になるが、八百屋の店先の手書き商品表示「人肉」を目にしてギョッとしたことがある。すぐに「ニンニク」(大蒜、葫)のことだと気づいたが、<人肉>はまずい。だが<ガビヨ>はいい。字面(じづら)だけではなんのことかわからないが耳で聞けばわかる。紙コップの中には「画鋲(がびょう)」が入っている。
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「大滝舞踊研究所」の発表会で、昨年と同じく聖ペテロを演じた。「天国の門番」という設定だ。
 新約聖書マタイ伝第26章に「イエス<彼>に言ひけるは、汝の剣を元に収めよ。凡(すべ)て剣をとる者は剣にて亡ぶべし」とあり、この<彼>がペテロであるとの指摘を、ボオドレール『悪の華』(鈴木信太郎訳/岩波文庫)に収められた詩「聖ペテロの否認」の注釈に見つけた。
 いまテロの世界的拡大が懸念されている。空爆によって<叩き潰す>ことしかできないのか。彼らの<なにが>、テロ行為に追い込むのか。心して受け止めなければならない、ペテロに発せられたイエスの言葉だ。
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 今井さん、お便りありがとうございました。奥さんのこと、取り越し苦労に終わったようで本当によかったですね。「新百名山」の全山登頂も目前、あらためて意欲が増したことだと推測します。
 9月末から急速に視力が悪化した私の眼。一時回復したようでしたが、またすぐに見えづらくなり、その状態が2ヶ月近く続きました。ところが、1週間前に「あれ?」と感じた瞬間、通常に戻っていました。どういうことかさっぱり分かりません。見えにくかった期間、あれこれと悲観的なことばかり考えていました。「読むこと」が難しくなる恐怖。車の運転ができなくなる生活の変化への対策など。今週は眼科で右目の経過観察の診察があります。今回の左目の変化についても診断を仰ごうと思っています。
 一喜一憂の日々。私たちの旅は、時に暗礁に乗り上げることもあります。走り書きのメモの<最高のものは常に今より先にある>との文言に励まされたりしています。秋は<センチメンタル>などとカッコつけているうちにもう師走。少し早いかもしれませんが、よい年をお迎えになりますように。
 
 本の取次ぎなど、長く付き合いのあった書店が廃業してから3年もたっただろうか。その後は、別の老舗の書店に月刊誌などを取り寄せてもらっている。先日、本を受け取りに行くと、90歳は越えただろうとおぼしき女性が対応してくれた。紙袋に本を納める震える手元に「いいですよ、そのままで」と私が声をかけると、「大切なご本が汚れてはいけませんから」と手を止めない。ほどなく孫娘か孫のお嫁さんのような女性が足早にやってきて業務を引き継いだ。「どうも」と本を受け取って帰ろうとした私に、老女がゆっくりと実に上品な口調で言った。
「お偉いですね。勉強をなすって」
 書店を出た私は、ちょっと涙ぐんだ。

 ここのところ、立て続けに知人の訃報を聞いた。疾風のように生きて50歳そこそこで病に倒れた人。「あの人、子どものころから苦労したんだよね」と悼まれた人。「死にたい死にたい」と訴えながら、ついに自ら割腹して果てた人・・・・・・・。

  ある夜のこと、葡萄酒の魂が 壜の中で唄を歌った。
  人間よ、おお 親愛な廃嫡の息子よ、俺は
  ガラスの牢屋と朱の封蝋の底から 君に
  光明と友愛とに溢れた唄を 歌ってあげよう。

 ボオドレールの『悪の華』にある「葡萄酒の魂」という詩の第1節である。
 詩は「労働に疲れ果てた人間の喉を通って流れる時、俺は無限の喜びを身に感じる」「日曜の浮かれ小唄の繰返句(ルフラン)や俺の動悸を打ってる心の中で囀(さえづ)る希望が聞こえるか。食卓に両肘を突き 両袖を高々と捲り上げて、君は俺を誉め称え、そうして満足するだろう」などと続き、「この人生の弱々しい競技者のため、俺は闘士の筋肉を強力にする膏油となろう」と葡萄酒に言わしめている。そして、「植物性の神の御餞(みけ)」である俺(葡萄酒)は「君の胎内に落ちて」、「俺たち二人の愛情から、稀有な一輪の花として神に向かって飛び立ってゆく」と結ぶ。(鈴木信太郎訳)
 確かに、私たちの多くは「人生の弱々しい競技者」だ。しかし、いい相手といい酒を飲むと、魂は飛翔する。そうか、酒が「光明と友愛に溢れた唄」を歌ってくれていたのか。
 ボオドレールは、<脳軟化症>によって手足が利かなくなり、半身付随、言語機能障害のはてに母の手に抱かれて死んだ。1867年、48歳だった。
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 手をのべて天地玄黄硯冷ゆ      宇佐美魚目

《「天地玄黄」は『千字文』の冒頭の句。「宇宙洪荒」とつづく。習字の手本にするから、結句の「硯(すずり)冷ゆ」がとける》『句歌歳時記-秋-』(山本健吉/新潮社 昭和61年)
 故旧同人誌「玄黄」(第5号2006年4月/武蔵野書房)は山形に住む雨海修さんから贈られた一冊。「やまびこ学校」の第一期卒業生の雨海さんとはブナ林の保存運動を通じて知り合った。酒もよく飲んだ。教えられたことは山ほどある。贈られた本も多々ある。森について語ってもらったこともある。森には<精霊>が住むことを信じる人であり、森を語るときには祈りを捧げるのが常だった。彼を知るものは<仙人>と、彼を称している。

 宝田明講演会を通じて二人の書家に出会った。一人はポスターの題字「わが青春の戦争と平和」を書いた久美さん。もう一人は講演会場のステージに掲げる同じ題字を書いた正吾さんだ。いずれも練達の墨蹟に、ため息しきりだった。二人の硯も冷えているか。秋は深まり尽きて雪の便りも届いた。

by yoyotei | 2015-11-30 23:53  

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