半年は帰らぬ漁に出航の

 新年あけましておめでとうございます。
 秋以来、私を暗澹とさせていた左目の視力異常は「マイボーム機能不全」と診断された。瞼(まぶた)の縁のマイボーム腺という皮脂(あぶら)を分泌している腺が詰まり、皮脂の出が悪くなることによって涙が蒸発し、ドライアイ(乾き目)をひきおこしている状態らしい。涙もろくなっている昨今、それでもまだ泣き方が足りないのか、というのは冗談だが、ドライアイによって目の表面が傷ついたりして視界がぼやけるなどの症状をきたすのだという。右目のように「網膜中心静脈閉塞症」といった回復不可能な状態ではなく、目を温めるなどして詰まった皮脂を溶けやすくし、分泌を促すことで改善できる。眼科に行く直前から状態はよくなっていたが、その後もいい状態が続いている。視界がクリアになって気持ちも晴れてきた。
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 昨年4月のブログ「己(おの)が名をほのかに呼びて涙せし」で紹介した八藤後さん(左)と本間さん(中)、そして今回は富樫さん(右)も加わっての来店。3人とも、古文書の解読などを通じて地域の歴史を楽しむという「史楽会」の会員だ。前回のブログに書いたように詩人でフランス文学者の堀口大學の母・政が村上藩士江坂氏の長女(明治4年生)と知ったことを話すと、今も残る江坂家の場所を教えてもらえた。さらに、近親者あるいは縁者が居住しているらしき情報への言及。さすが、というほかない。
 初対面の富樫さんは、夫人が若いころには何度か来店されたようで、聖ペテロを演じた「大滝舞踊研究所」の発表会も観てもらったということだった。
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 八藤後さんには『火と火消し物語-村上市消防団のルーツを探る-』という私家版の著書(平成18年発行)がある。申し訳ないことに、贈呈を受けたまま精読せずに10年もの間、埃がかぶるにまかせていた。頂戴した折に「批評をしないで!」と、固く言い渡されたことも精読の妨げになったかもしれない、というのは不遜な言い訳だ。しかし、このたび改めて読み始めたところ、面白くて一気に読み終えた。
  第一部「火と文化」には「ギリシャ神話の火」「ネアンデルタール人の手に松明が!」「「江戸大火・女人地獄」などの、興味を引く小見出しがならび、第二部「火事と住民」第三部「火事と火消し」には火事と防火の郷土史がつづられてある。私が知った当時の八藤後さんは〈財政の神様〉といわれた財政課長だったが、その前には消防防災課にいた。
 第一部「文学の中の火」に、万葉集の中の歌として、狭野弟上娘子(さののちがみのおとめ)の「君が行く道の長道(ながて)を繰りたたね焼きほろぼさむ天(あめ)の火もがも」が取り上げてある。万葉集と火、となればまず最初に思い浮かぶのはこの歌だ。さすがである。  
 万葉集の代表的歌人、柿本人麻呂にちなむ明石(兵庫県)の人丸神社は「ヒトマル」、すなわち「火・止まる」だから火難除けの神様という民間信仰があることを、斉藤茂吉は「鴨山考補注」に記している。
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 カウンターが女性に占拠されたような夜だった。アカ・裕子さん(奥左)には8月の「平和カフェ」で歌ってもらった。リュウコさん(奥右)は息子が成人したら、飲みに連れてくるのを楽しみにしていると言った。後3年か。
 左側には手前からアイコ、ミホ、マリ、キヨミ、ミナコ、カオリ(敬称略)の女性が陣取った。8人もの女性に包囲されると、さすが(?)の私も少しビビってしまう。
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 飲んでいた仲間と別れて、夭夭亭まで足を伸ばしてくれたヒロヤさん(右)。交際中の彼女と、新しい展開に向けて自分自身への〈見つめなおし〉の中にいる。
 ヒロヤさんと一緒の写真に収まってくれたアケミさん(左)とレイコさん(右)。この夜は「電気ブラン」といった浅草界隈で飲まれていた酒の話になった。 
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 作家の開口健を想起させる風貌のホンマ・コウヘイさんは40年も前からの馴染みだ。30代だったホンマさんは開店するやいなや店のドアを開けてカウンターの端に座ったものだ。ホンマさんの酒は〈闘う酒〉だった。周囲と闘い、自分と闘う。年長者に対して失礼だが、今、ホンマさんはとてもいい風貌(カオ)になった。「当時の自分はあんたに救われた」と彼は言うが、ホンマさんを救ったのは彼自身だ。
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 左からカズノ、アイコ、カツトモさん。カズノさんとカツトモさんは交際中で、アイコさんはカツトモさんの妹という関係だ。静かなクリスマス・イブの夜。夭夭亭と同じ町内の実家の畳屋で修行中のカツトモさんは、大音量を発することのできるスピーカーを作るなどの趣味を語った。
 カズノさんとアイコさんは12月29日にも店に来て、洗い物までしてくれた。アイコさんは年明けに〈彼〉を連れて来る予定だ。新しい年は、カズノさんにもアイコさんも変化に向き合うことになるのだろう。
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 市役所職員忘年会の流れ保健衛生課御一行様だ。このところ馴染みになった顔もあるし、ちょっと久しぶりの顔もある。
 私自身の忘年会といえば「村上・生活と健康を守る会」と、その「班会」のものだった。前者は35名、後者は6名でのささやかな飲み会。「班会」では参加者の一人が飲み過ぎて救急車を要請する羽目になり、「ほどほどにね」と、会場の女性職員からお小言を頂戴することとなった。
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 左からユカリ、ワカコ、マナブ、スグルの4人(敬称略)。どんな関係かは聞かなかった。スグルさんは手相をみることができる。私の手相をみてスグルさんは「正直に言っていいですか?」と断ってから、いくつかの見立てをしたが、内容は忘れてしまった。手相については若いころから、感情が細やか、結婚は二度する、金運はないなどと言われてきた。〈しゃべること〉〈書くこと〉に関わるのがいいとの診断は、20数年前、西東京の夜の辻占からもたらされたものだった。
 スグルさんにはもう一度見てもらいたいと思う。「正直に言っていいですか」と前置きをするくらいだから、いい手相ではないことは確かだが・・・・・。
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 ギターを持つワカコさん。練習したことのあるギターの構え方だ。 楽器を手にする人の姿は素敵だ。

 このブログ、なんとか年内にアップと思っていたが、年を越してしまった。
 年末に孫の一人がやってきた。昨年の夏に20歳になった初孫だ。「いっしょに飲もう」とメールをよこしていたが、せいぜい梅酒を飲む程度だった。温泉で背中を流してくれて〈爺〉を感激させたが、新潟の叔母の所で体調を崩した。元旦から新潟で仕事の〈婆〉は、孫を心配しながら、大晦日の日が落ちてから車を走らせた。かくして年越しの夜を、私は一人で過ごすことになった。これまでの人生で初めてのことだ。そんな夜、北海道の和田さんから「飲んだくれております」のメールが入った。「私も同様です」の返信をしているうちにコタツで寝込んでしまった。飲んだくれていても、和田さんは横須賀で家族といっしょだったのだろう。

孫は、年明けそうそうの大学での試験のために、どうにか東京行きの新幹線に乗った。
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 戦後70年の節目だった昨年は、それに関わる世相の動きがあった。若い世代が自分たちの言葉でアピールする状況に時代の変化を感じた。私自身もいくつかのムーブメントに関与しながら思うことの多い1年だった。

 作家の野坂昭如が死んだ。青年時代の一時期、刺激を与えられた存在だった。彼についてはいづれ筆を改めたい。
 女優の原節子も訃報が伝えられた。1920年(大正9)生まれで、最後の映画出演が1962年(昭和37)の東宝「忠臣蔵」の大石内蔵助の妻りく役だった。リアルタイムで彼女の映画を見たことはないが、「東京物語」などの小津安二郎作品で知る存在だった。彼女についてもいつかこのブログで触れて見たいと思う。

 親しい友人の妻が倒れた。市会議員をしている妻は本会議の数日前に自宅で倒れ救急搬送された。快方に向かっているが、友人はこの1ヶ月間、病院に泊まりこみで付き添っている。「重かった!」というのが妻を抱き起こした友人の感慨だったが、救急車が到着するまでの数分間、心臓マッサージを施し、口から口へ何度か息を吹き込んだという。他人事ではないことが、周囲に起こり始めている。

 冒頭に記したように、私の目はとてもクリアーに見えるようになった。そのことが気持ちを前向きにし、何か新しいことにチャレンジしようかとも思ってしまう。ホテル仕事のスキルアップにと始めた「家屋工事技師養成講座」は残り1回の課題提出で終了する。とても参考になる講座だった。
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 年明けは元旦からホテルの勤務だった。2日からは夭夭亭も営業を開始したが、今年は料理に力を入れてみようと思う。営業戦略などというものではない。このところ作り始めた「チキンバターマサラ」に手ごたえを感じて、料理への意欲が増したのだ。タマネギを使わない、手間のかかるカレーだが、手間をかけるだけの価値はある。昨年の夏、30年以上も使っていたコールド・テーブル(カウンター内の冷蔵庫)が壊れて新調したことも、料理への意欲の増大につながっている。
 ホームセンタ-の花コーナーで「レックスベゴニア」の鉢植えを買った。女性の店員と言葉を交わしていたら、手ぶらで立ち去り難くなったのだ。まるでNHKテレビのドラマ「ベランダー」の田口トモロヲだ。
 わが家には40年以上も生き続けている「木立ちベゴニア」がある。当時、養護学校で教員をしていた青年からもらった鉢植えだ。元々のものは根腐れを生じさせて、すでにないが、枝を挿し木したものが健在で、親木の性質そのままに、時期になればシャンデリアのような花を咲かせてくれる。

 元旦のテレビで映画『ライフ・オブ・パイ-トラと漂流した227日-』をみた。主人公が生まれ育ったのが、インド南東部のポンデシェリーという町という設定だった。ベンガル湾に面したその町を、私は2度訪れたことがある。旧フランス領だった町はバルコニーのある白い家並みが続き、波打ち際でサリーの裾を濡らして戯れる若い女たちがいても、そこがインドであることを忘れさせた。海岸沿いのカフェのテラスでベンガル湾の風に吹かれながらワイングラスを傾けたこともある。
 それはともかく、映画は第85回アカデミー賞で監督賞、視覚効果賞など4部門を受賞したものだが、後半で語られた「生きることは手放すことだ」との言葉は、正月の一人酒で弛緩した身心にしみ込んだ清冽な水だった。その水は今もしみ込み続けている。手放すことは、失うこととは違う。手放すことには自身の意志と選択がある。映画のような極限状態でなくてもだ。とはいっても現実は失われていくものを思い知らされる、選択の余地のない日々だ。
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 半年は帰らぬ漁に出航の汽笛ながなが妻子に放つ

 当地では著名な、元高校教師、阿部昌彦さん(83)の短歌が全国短歌大会で京都府教育委員会教育長賞を受賞した歌だ。
 阿倍さんは、平成18年に現代歌人協会主催の全国短歌大会で最高位の「大会賞」を受賞するなど、地元はもとより全国的にも知られた歌人だ。直接の面識はないが、ある会場での私の話を聞いたと、元同僚で歌人仲間の人から知らされて冷や汗をかいたことがある。新聞紙上で顔を知ったが、やはりどこかで会っているように感じた。
「今年(昨年)6月、東日本大震災後から再開の遠洋漁業に向かう被災地漁港の模様がテレビニュースで流れた。岸壁から手を振って見送る妻子らに、それぞれの漁船が長く汽笛を鳴らして応えるシーンに心を動かされたという」(地元紙『サンデ-いわふね』2015/12/20) 「人の営みと温もり」(同紙)に向けられたまなざしに胸が熱くなった。新聞紙上の顔写真も柔和で、その表情に心が和んだ。阿部さんに「ありがとう」を言いたい。もちろん受賞の「おめでとう」も。

 薺(なずな)打つ音が母呼ぶ亡き母を        林 翔

 薺は七草の一つナズナ。1月6日の晩にナズナなどの野草をまな板に載せ、包丁の背でたたき刻んで、神棚に供える。翌7日、それを下げて粥(かゆ)に入れて食べる。無病長寿を願って食べる七草粥(七種粥=ななくさがゆ)だ。(『きょうの一句-名句・秀句365日』村上 護著/新潮文庫)から。
 で、今日は1月7日。私は何を食べようかな。

土浦の今井さん、賀状ありがとうございました。30日夜、楽しみにお待ちしています。
 神戸の誠くん、北九州の博子ちゃん、堺の詳子ちゃん、今年、広島でね。

 文章が長い、と何人かから苦情(?)をもらい、「ダイアリー」と称しながら辛うじてマンスリーを保っているこのブログも丸6年を過ぎて7年目に入った。今年も鋭意、継続につとめたいと思っている。自分に向き合う貴重な作業でもあるのだ。目を通してくださった方々に感謝多謝である。
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by yoyotei | 2016-01-07 05:39  

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