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模糊として男旅する薄氷

 漱石の書簡集をめくっていて次のような記述を見つけた。
  「子供の名を伸六とつけました。申の年に人間が生まれたから伸で六番目だから六に候」
 明治41年12月26日付の高浜虚子宛書簡のくだりだ。前のブログで私の名前の伸二に触れていたので、ちょっと目に付いた。とはいっても、私の生年の干支は申ではなく亥である。
 高浜虚子にはこんな句がある。〈高木より高木に冬日亙(わた)り行く〉。こちらは私の苗字そのものだが、この大きさは私にはない。
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 ヒデボウ(右)とハットリさんが来店した深夜、私はすでに泥酔していた。そんなことにはお構いなく飲むのが二人だ。久しぶりのヒデボウは頬がふっくらして穏やかな表情になった。充実した結婚生活を送っているようだ。私のように飲んでも多弁にならず、眠りこけることもない。カメラのシャッターを切ったのはヒデボウの親友のハットリさん。来店する人たちの中では最高レベルに〈親友度〉の高い二人だが、共通点は私には捉えられない。むしろ共通点がないからこその親友なのだろう。
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 ノリコさん(左)とミエコさん(右)は同じ町内に住む幼馴染。
 20年前、「自分探しの旅に出ています」と店の戸に張り紙をしてインド通いをしていた私。風雨で剥がれそうになっていた張り紙を張りなおしてくれたのがノリコさんだった。市街地から車で1時間もかかるブナ林で野外コンサートをしたときには女友達と足を運んでくれたりもした。しかし、20年の歳月は、みんなそれぞれに変化をもたらした。ミエコさんにも・・・・・・。「私だけはまっさら」と笑ったノリコさんだって・・・・・・。
〈よるべなく酒をふふめばふふみたる酒が誘(いざ)なふ生きのかなしみ〉 
                                 筏井嘉一(いかだい・かいち)
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農村で生まれ育ったヒロキさん(左)は岩船港で漁師をしている。31歳のヒロキさんがどんなきっかけで漁師になったのかは聞き漏らしたが、なにやら嬉しい感動が湧き上がってきた。「俺は漁師になる!」と決断した瞬間をいつまでも忘れないでほしい。心からエールを送る。
 少し先輩のタクヤさん(右)は建設会社に勤めている。さわやかな二人の関係も聞き漏らした。この次にはじっくりと話を聞きたい。
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 左からタカシ(48)、カズヒサ(54)、セイ(50)の3氏。建築、不動産などの関連業者という関係だ。この夜の話題は「アイリッシュコーヒー」というカクテル。アイリッシュウイスキーと生クリームがなかったので提供はできなかったが、彼らが見たというテレビ番組を、数日後、私も目にすることができた。世界的に著名な日本のバーテンダーが「アイリッシュコーヒー」をつくる場面だ。一杯のカクテルに心血を注(そそ)ぐプロの仕事。おおいに刺激を受けた。
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 左からウメダさん、アヤコさん、イタルさんだ。
 アヤコさんは夭夭亭の一軒おいた隣のスナック「レガート」のママ。
 私は45年前、当地村上市に流れ着いて、「松浦家」という料理屋に住み込んだ。「松浦家」にはこの地では草分け的な存在の「不二サロン」というバーがあり、いきなりそのバーをまかされた。熱海周辺で少しだけバーテンダーの経験はあったが、「不二サロン」のカクテルメニューの豊富さ、取り揃えられた洋酒やリキュールの多彩さにたじたじとなり、言葉の壁にも戸惑ったことだった。
 数年して、そこを辞めた後に、イタルさんは板前として「松浦家」に勤めた。したがって当時は接触はなかったが、同じ料理屋にいたというだけの縁で時々顔を出してくれる。そのイタルさんは現在、季節料理の店「山蕗」の主人だ。ウメダさんはその店の常連であり、アヤコママとイタルさんとは同期生だという。
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 こちらは地元選出の県会議員タケちゃん(左)とカサブランカダンディーのオオタキさん(右)に、真ん中はここでも「レガート」のアヤコママだ。タケちゃんとアヤコさんは学校の同期生。私がいたころの「不二サロン」へ二人で顔を出したこともあったという。
「レガート」はとても上品なカラオケスナック。私もオオタキさんに誘われて顔を出すことがある。アヤコママの孫娘とは年に一度「大滝舞踊研究所」の発表会で共演する。アヤコママもマイクをとればプロ級の歌唱力、日本舞踊もあでやかに舞う芸達者な人だ。
 
 数日前に、ある女性が一人で店にやってきた。30年近く前、今はなくなった近くのスナックでママをしていた人だ。その店が小火(ボヤ)を出したことがあり、オーナーや、その関係者たちが心配して駆けつけた。騒ぎが収まった後、ママや関係者らを私の店に招いた。そこまでは私も覚えていた。だが、元ママが言った。
「あの時、マスターが熱いスープをふるまってくれたじゃあない。あれが嬉しかった・・・・・」
 寒い季節だった。

 昨年の暮れ、スーパーから出てくると50がらみの女性から声をかけられた。
「私、脚の手術をしたんですが歩き方が変じゃあないでしょうか」
「は?」と、女性の顔を見たが知り合いではない。
「大学病院で手術したんですよ」と言いながら、女性はまるでモデルのような腰つきで私の前を歩いた。
「変ではありませんよ」と言い残し、私は逃げるように車でその場を去った。そしてしばらく走ってから思った。
「とても素敵な歩き方ですよ」
と言ってあげればよかったかな、と。

 勤めているホテルが経営コンサルタントを導入することになり、先日の会議で担当者から、経営刷新を手がけてきた実績や、今後の改善点などが語られた。指摘された点は私も気になっていたことでもあり、刷新に向けた手腕に期待をしている。

 タイトル句〈模糊として男旅する薄氷(うすごおり)〉は長谷川久々子(はせがわ・くぐし)。薄氷は「うすらひ」とも読む、春の季語で「薄氷を履(ふ)むが如し」というようにきわめて危険なたとえであるという。(『きょうの一句-名句・秀句365日-』村上護著/新潮文庫・平成17)
 ふらっと旅に出たいと思うこと、しきりだが、私を旅へ誘(いざな)うのは何者なのかも〈曖昧模糊〉として正体不明である。確定申告もまだ終わっていないし、今年の抱負も定まらないまま、早々と2月が往く。

by yoyotei | 2016-02-27 18:37  

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