たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む

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 左はアオイさんとヨウスケさん夫妻、右はヨウスケさんの父エイノリさんだ。エイノリさんの隣には妻がいるが、「写真はダメ」というので割愛した。写真はダメでも、夫妻はいつでも一緒だ。釣りを趣味とするエイノリさん。妻と一緒の姿を、私は釣り場で何度も見ている。私の店にも結婚して以来、仕事仲間との来店以外は、常に夫婦同伴が続いている。アオイさんとヨウスケさんも継承していい〈夫婦のあり方〉にちがいない。 
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村上市議会議員の相馬エイさん(右)が倒れたのは昨年12月1日の朝だった。心臓発作だった。場所が自宅であったことと、なによりも夫のジョージさん(左)が迅速に、また冷静的確に対処したことで一命をとりとめた。議員として6期21年、ことし4月の選挙での7期目の出馬へ向けて準備を考えていた矢先だった。
 エイさんは老舗の伝統工芸漆器村上堆朱の家に、兄弟姉妹の末っ子として生まれた。奔放な少女時代を過ごし、高校時代には社会問題に大きな関心を持つようになった。
 私は当地に住んでほどなく、地元の銀行に勤めていた彼女と出会っている。その後、同じ小学校のPTA役員として、共に活動をしたり、選挙でも手伝いなどをしてきた。
 夫ジョージさんとは「村上市民ネットワーク」や「生活と健康を守る」などの活動をしている。韓国、タイ、ベトナム、インドと海外旅行にも何度か同行した。酒飲み友達でもある。
 7期目は出馬を断念したエイさんだが、彼女の無念を引き継いで稲葉久美子さんが出馬を表明した。高齢の儀父母との同居や3人の子育てで外に働きには出られない稲葉さんは、ある看護師さんから「子どもをみてもらえない?」と頼まれたのをきっかけに38年も〈子守のおばさん〉を続けている。「保育園落ちたのは私だ!」と立ち上がった子育てママさんたちの窮状をよく知る人なのだ。「いつでも子供を背負っている人」というのが私の稲葉さんの印象。1948年生まれの68歳、生活派の新人議員誕生を期待している。選挙参謀、責任者をジョージさんが務める。   
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 森林研究所の石黒さんが転勤したのは1年前。その彼が1年ぶりに仕事仲間と来店した。今年も転勤移動の季節がやってきた。この夜は舞台仲間の「マロンおばさん」役の夫・タケダさんもいっしょだった。
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わが家の庭で春をいちばんに告げてくれるのは 福寿草だ。それも年々、その数が増えてくる。〈幸福で長命〉という意味のめでたい福寿草だが、「うまのあしがた科」に属する有毒植物でもある。
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 定点観測ではないが、昨年(上)、一昨年(下)とくらべると花数が増えているのが明らかだ。クルミの殻を雑草抑制のマルチングとして使っているが、これは妻が山で採取して中身をほじくり出した残骸である。〈クルミ塚〉の様相だ。
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 そのクルミの残骸だが、こちらはリスが齧(かじ)ったもので、庭の物陰で見つけた。リスは容器に入れて積み上げてあるクルミを狙って、近くの山からやってくるようだ。面白いのは、もっとも硬いと思われる継ぎ目のような部分の両方向から齧っていることだ。これにはひとつとして例外がない。習性なのか中身を食するための合理性からなのか。リスに聞いてみたいところだ。
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 タムラさん(左)に連れてこられた(?)クマクラさん(右)。出版社で働いていた経験があったということで本への関心が高く、知識も豊富だ。キラキラと輝く瞳が印象的だった。
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 安澤さん(中央)は写真家だが、地域の宝物を探し出して花を咲かす人でもある。市議会議員をしていたころには、「今は山中 今は浜」で始まる唱歌「汽車」の作曲者大和田愛羅(おおわだあいら)に着目した。愛羅の祖父大和田清春が村上藩士だったからだ。現在、毎日夕方5時になると村上市内中に「汽車」のメロディーが流れているが、これは安澤さんの働きかけで実現した。村上駅から山形県鶴岡駅まで「うたごえ列車」を走らせたこともあった。彼の〈仕掛け〉で、私の店にインド人シェフを招いて「南インド料理を食べる会」を催したこともあった。教師をしていた彼の父が宝田明を教えたことがあると聞いた。
 平原さん(右)は1879年(明治12)に創立された「東京村上市郷友会」福会長。町田市に住んでいる。初対面だったが豪放にして磊落、心遣い気配りの人である。
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 彼岸の里帰りでいっときの貴重な時間をユカさんは夭夭亭で過ごした。事故で首から下が麻痺状態になった夫の介護をする日々。そんな日々の中で、ユカさんは近所の女性から言われたという。
「ユカちゃん、泣きたいときには風呂に顔を突っ込んでおもいきり大声を上げて泣くんだよ」
 昨年の同じ時期、そして今回も、私はユカさんから泣き言や愚痴を聞かされることはなかった。20年前、夭夭亭繁盛(?)の一時代を築いてくれた立役者ひとりだ。子どもが、この春から高校生になるという。
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 教え子を中心に縁のあった人が集まって「桂先生を偲ぶ集い」があった。席上、瀬賀ドクターから本間桂先生の昭和50年4月19日の日記が紹介された。
「晴れてあたたか也。数日来春色頓に濃く桜も八分咲きとなれり。昨日方々より音信あり。黄昏(たそがれ)益田書店より予約者のほか入手すべからざる漱石全集の豪華版(岩波書店刊)第五巻(彼岸過迄・行人)を購入して帰る。数日前には第四巻(三四郎・それから・門)の同店一隅にあるを見付け卞舞(注)措く能はずひそかに金を工面して求めたりし也。妻に対し申し訳なし。夕闇のせまる帰路歓びの下より罪悪感の湧き出づるに苛まれつつ重き足をはこべり」注/卞舞・抃舞(べんぶ)喜んで手を打って舞うこと。

 妻の目をぬすみて買ひしバラ売りの漱石おもしたそがれのみち
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 私自身の、書物にまつわる<卞舞(べんぶ)措く能はず>の経験は、「広辞苑」(昭和42年第1版第23刷)を入手したときに遡(さかのぼ)る。当時、箱根のホテルに住み込みで働いていた私は、新宿の書店で、欲しかった「広辞苑」を購入した。ホテルへ向かう電車の中でも箱根登山バスの中でも、膝に置いたその重さを、嬉しさこの上もない気持ちとともに今でも覚えている。その「広辞苑」は補修をしながら、現在も私の座右にある。価格は2500円であった。
 もちろん、私の嬉しかった重さと、桂先生の<おもしたそがれのみち>とは比べるべくもない。、
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 漱石全集豪華版第六巻、第七巻、八巻は私の手元にある。桂先生が残されたものだ。奥付には順に<昭和五十年五月九日第二刷發行、同年六月九日、同年七月九日、同じく第二刷發行>とある。「ひそかに金を工面し(中略)妻に対し申し訳なし」と書いた第四巻、第五巻に続けて刊行されたもので、価格は〈二千八百圓〉だった。日記にある第四巻、第五巻は今どこに身を潜めているのか。
 瀬賀ドクターは、恩師桂先生が残した日記、短歌、漢詩、小説などを丹念に読み進めている。いわば「本間桂研究家」だ。こうした時々の報告は一人の人間の〈生〉をあぶりだして、私にも自分の〈生〉を問いかけてくる。

 見性の見込なきを以って大森老師より破門を言ひ渡されて夢より醒む
 
 桂先生は、煩悩を離れて内観し、無我の境地に達しようと禅門に入った。見性(けんしょう)とは仏教用語で、諸種の妄惑を照見して、本来固有の真性を見きわめること。大悟徹底すること。(「広辞苑」)
 ところで夭夭亭の文庫には、本間桂先生が残された普及版の「漱石全集」全三十四巻もある。こちらは昭和31年から32年にかけて出版されたもので定価は150円であった。
「偲ぶ集い」の数日前に、高知に住む桂先生の長男から、四万十川の新海苔とカツオの土佐煮が送られてきた。新海苔は添えてあった丁寧なレシピにしたがって天ぷらに、土佐煮はマヨネーズをつけていただいた。

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 仕事で北海道に住んでいる和田さんから、<横須賀発〉の本マグロが送られてきた。当地に住んでいた頃の短いつながりをいつまでも大切にする人だ。和田さんを知る人たちと賞味しよう。ありがとう。

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 俳優の宝田明さんが主宰する「宝田座」が村上で公演をすることになった。内容は第1部「宝田明物語」、第2部「ミュージカル・レジェンド」。昨年10月の講演「わが青春の戦争と平和」とはちがい、ミュージカル俳優としての宝田明さんの舞台だ。共演者も劇団「四季」でヒロインを演じた井料瑠美さんを筆頭に、日本のトップクラスのミュージカル俳優たちが来演する。
 今回は村上市の協力事業となり、立ち上げた実行委員会も多彩なメンバーが集まった。先日は宝田明さん本人と事前打ち合わせをし、講演の協力体制について確認した。公演は5月20日(金)18:00開演、全席自由、入場料4,000円。会場は1,000人収容の村上市ふれあいセンター。
 宝田さんと談笑するのは、ブログ初登場の私の妻(左)と、今回も実行委員長を務める瀬賀ドクターである。
 少年の日を3年近く過ごした村上を、宝田さんに温かい町と思ってもらえるよう協力したいと思っている。

『名作365日』(槌田満文著・講談社学術文庫・昭和57年)は、日付のある文学作品を明治・大正・昭和の名作の中から365作を選び出したものだ。昭和36年1月1日から一年間「東京新聞」夕刊のコラムとして掲載された後、39年に河出書房新社から〈河出ペーパーバックス〉の一冊として刊行、57年に名作の若干の差し替えをして文庫化されたもので、3月31日に著者が選んだのは内田百閒の「ノラや」だ。
 ノラという名前は戯曲「人形の家」(イプセン)のそれではなく、野良猫(のらねこ)のノラだ。そのノラが家出をして帰ってこない。「ノラや」は、ノラがいなくなって2ヵ月あまり、愛する猫を思って書き続けた日記体のエッセイだ。
 ノラがいなくなって4日後の3月31日には「あまり泣いたので洟(はな)をふいた鼻の先が白くなって」皮がむけてしまったほどであった。
「ノラや」は、風の音がしても雨垂れが落ちてもお前が帰ったかと思い、今日は帰るか今帰るかと待ったが、「ノラやノラや、お前はもう帰って来ないのか」という悲痛な呼びかけで終わっている。
このいきさつは、内田百閒と門下生との交流を描いた、映画「まあだだよ」(1993年 黒澤明監督)でも取り上げてあったと記憶する。また内田百閒は漱石の門下生だった。
 
「小倉百人一首」に「たち別れ いなばの山の 峰に生(お)ふる まつとし聞かば いま帰り来む」(中納言行平)という和歌がある。
「久保田正文氏の『百人一首の世界』(文藝春秋社刊)によれば、氏の郷里では、猫が行方不明になったとき、この「たち別れ」の歌を三度となえると、無事にもどってくるという言い伝えがある、といわれている」との記述を『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫/平成3年/1989年単行本の文庫化)に見つけた。久保田氏の郷里がどこかは紹介されていないが、ノラの帰宅を狂おしいほどに待ち望んでいた内田百閒は、この和歌を唱えたのであろうか。知っていれば三度どころか、お題目のように唱え続けたかも知れない。もっとも、私自身は「ノラや」の本文に接していない。内容の引用も、『名作365日』からの孫引きなのだ。
 そんなこともあって、内田百閒の本を渉猟していたら、やはりあった。以下は『新潮日本文学アルバム内田百閒』(新潮社1993)を参考にした。
 愛猫ノラが姿を消すと百閒はノラ探しのビラを5回にわたって配った。その1回から3回までのビラが上記の本に写真で掲載されている。それを見ると1回目、2回目のビラは印刷文字の周囲が赤い線で囲ってあるが、2回目のビラは線の部分が、なんと「立ちわかれ」の歌になっている。つまりビラの内容がぐるりと「立ちわかれ」の歌で囲われているのだ。しかも歌の冒頭に「オマジナヒ」とある。本の奥付に〈無断転載を禁ず〉とあるので画像を載せられないのが残念だ。
 ビラの内容は〈その猫は雄、名前はノラ、「ノラや」と呼べば返事をします〉〈薄謝3千円〉などと、少し滑稽で、とても切実だ。

 近頃は猫ブームだそうである。NHKテレビの「岩合光昭の世界ネコ歩き」が、私は好きだ。登場するネコたちの表情にも、時々入る岩合光昭さんのネコへの語りかけにもいやされる。世界のあちこちの町で、人々に愛されて暮らすネコたち。幸せな気分にしてくれる。
「幸せとは物を買うことと勘違いしているからだよ。幸せは人間のように命あるものからしかもらえないんだ。物は幸せにしてくれない。幸せにしてくれるのは生き物なんだ」
 <世一貧しい大統領>といわれたウルグァイのホセ・ムヒカ前大統領のことばだ。ヒオセ・ムヒカ前大統領は現在、来日中だ。
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by yoyotei | 2016-03-31 10:12  

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