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人生は少しいびつなぐらいが面白い

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保育士の学校へ通っているミサさん(左)。なんと片道2時間の電車通学だという。お母さんがピアノの先生で、私と知り合いということで来店してくれた。幼く見えるが根性は半端ではないとみた。
 右は美容師修行中のレンさん。レンさん、本当は〈恋〉と書く。〈愛〉とか〈愛〉を含んだ名前はあるが〈恋〉という名前には初めて接した。二人は高校の同級生。長い人生のスタートを切ったばかりのようである。
 二人とも、夢に向かって努力し精進を重ねながら、時に過酷な現実に打ちのめされることもあるだろう。自身の無力さを痛感し絶望の淵にたたずむこともあるだろう。しかし人生は、欺瞞なしに自分自身を見つめ、その〈自己〉を否応なく引き受けることでしか成り立たない。〈がんばれ!〉という励ましは、ほとんどその意味だ。がんばれ、ミサさん、レンさん。
 とはいっても、自分に向き合うのがやりきれないことも多々ある。そんなときには酒でも飲むか。かくして私は酒飲みになったともいえる。

 市議会議員選挙が終わった。支援した候補者は当選を勝ち取った。私は公示日のポスター貼りや、街宣車に乗ってのウグイス嬢ならぬ〈ウグイスじじい〉としてマイクを握った。昨年12月に心臓発作で倒れて今回立候補を断念した相馬エイ議員は、選挙戦最終日に後継者の応援のためリハビリ入院中の病院から一時退院して駆けつけ、街頭でマイクを握った。その最終日には、5月20日「宝田座」村上公演の後援先への挨拶に来ていた宝田明さんの乗った車が、私の乗った街宣車の後をしばらく追いかけるというハプニングもあった。その後は宝田さんと食事をし酒を飲み、カラオケで歌も歌った。

 カラオケでは、このところ三波春夫の「一本刀土俵入り」(長谷川伸原作・作詞藤田まさと・作曲春川一夫)をよく歌う。よく歌うがうまく歌えない。うまく歌えないが好きだ。宝田さんとカラオケをしたときにもこれを歌った。やはりうまくは歌えなかったが、それでも歌いながら泣きそうになった。長くなるので全部の歌詞は紹介しないが、歌の2番と3番の間の科白(せりふ)を記しておく。ストーリーの概要がつかめると思う。酒を飲んでこれをやるとこみ上げてくることしばしばなのだ。
「相撲に成れずやくざになって たずねてみりゃあこの始末 さっこの金持ってお行きなさいまし 飛ぶには今が潮時だ あとはあっしが引き受けました さっ早く、早くお行きなさいまし あの、お蔦さん 親子3人 仲良くお暮らしなさんせ 10年前 櫛、笄(こうがい)、巾着ぐるみ 意見をもらった姐はんへ せめて見てもらう駒形の しがねえ姿の土俵入りでござんす」
と、まあこれを思い入れたっぷりにやるのである。同席者には迷惑なことだろう。後で聞いたら5回も歌った、ということもあった。  
 原作者の長谷川 伸(はせがわ しん、1884年(明治17) - 1963年(昭和38)は小説家、劇作家。本名は長谷川 伸二郎(はせがわ しんじろう)。使用した筆名には他にも山野 芋作(やまの いもさく)と長谷川 芋生(はせがわ いもお)があり、またそのほか春風楼、浜の里人、漫々亭、冷々亭、冷々亭主人などと号している。筆名が多いのは新聞記者時代の副業だったので名を秘したのだった。
「股旅物」というジャンルを開発したのはこの長谷川伸とされている。名前の伸二郎といい、いくつかの〇〇亭といい、なにやら自分に引き寄せたくなる。
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 北越後とか越後の北果てなどと自分の住んでいる土地をいうことがある。その越後に住んで40数年になるが、住む前から知っていながら目にしたことのなかった「越後の笹飴」を、先日働いているホテルのみやげ物売り場で見つけた。「越後の笹飴」は漱石の「坊っちゃん」に出てくる。四国の松山中学校に赴任する坊っちゃんが下女の清に『何を見やげに買って来てやらう、何が欲しい」と聞いて見たら「越後の笹飴」が食べたいと云った』というくだりだ。『越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違ふ』と続く。そして、松山へ到着した夜、坊っちゃんは夢を見る。『清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だから、よしたらよかろうと云ふと、いえ此笹が御薬で御座いますと云って旨そうに食って居る』
 笹飴はとてもむしゃむしゃ食えるものではない。ぺろぺろと舐めるだけである。まして乾燥した笹の葉は食えた代物ではない。だが糯米(もちごめ)と麦芽が原材料という飴は素朴で適度の甘みがいい。
『坊っちゃん』の注釈に「越後の笹飴は葉の広く大きい越後特有の笹にくるんで、その移り香を賞味する飴。北国街道筋に当たる高田の製品が、江戸時代から有名であった」とある。画像の笹飴は越後村上成田屋製造で10枚入り650円だった。笹の移り香はあるようなないような・・・・・。だが、笹に包まれた風情は捨てがたい。
「一本刀土俵入り」の原作では、酌婦から足を洗って所帯を持ったお蔦は娘のお君と飴売りをするとある。 
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 ホテルの売店で見つけた「越後の笹飴」だが、私のホテル勤務が丸3年を過ぎた。「設備・清掃」というセクションに属している私を含む男3人の主な仕事を記しておこう。
まず、出勤時と退勤時にはボイラー計器の目視点検、貯湯槽内温度の記録をする。主たる仕事は浴場の湯の管理と清掃だ。まず、温泉供給パイプに大量の水を流してパイプ内洗浄をおこなう。シャンプーなどの詰め替えや補充、鏡や洗いイス、洗面器もスポンジに洗剤を含ませて洗う。浴槽の湯の入れ替えは男女とも週1回おこなう。湯を抜いた後、ポリッシャーという器具を使って浴槽と浴室の床を洗剤で磨く。浴槽の掃除が終わると温度を調整しながら新しいお湯(温泉水)を入れる。お湯が満タンになるまで40分は必要だ。
 それらが終わるとロビー、ゲームコーナーの掃除。検収室、会議室、パントリー、宴会場のバックヤードなどは使用状況をみながら掃除をする。これからの季節は野外作業が加わる。芝刈り、草取り・・・・・・。これらも自主的な判断で行う。
 3ヶ月ごとに温泉井戸の掃除のために温泉の供給が止まる。そのときに温泉タンクを空にしてタンク内の掃除をする。館内のダクトや送風孔のフィルター洗浄と取替え、窓ガラスやガラスドアなどの汚れ取りも男たちの仕事だ。どこそこの電球が切れた、トイレの水が止まらない、洗面台の水が流れない、テレビのリモコンがおかしい、障子が破れている、こうした事態への対応もことごとく男たちが担当する。結露でカビが生じた客室の壁紙を張り替えたこともある。
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 浴場関連は規模やシステムが違うが、それ以外の清掃・補修やトラブルは一般家庭で起こることと変わらない。日曜大工や庭の管理が好きな人なら苦にならない作業だ。特に熟練・練達を求められはしないが、私は昨年「家屋工事技師」の通信養成講座を終えた。日々の作業の参考になっている。好天だった先日は館外のカイヅカイブキを植木バリカンで刈り込んだ。芝庭をコの字に囲んで植栽されたものが30メートルほどある。作業はその日のうちには終わらなかったが、次の私の勤務日が雨でなければ作業を継続する。
 男3人女2人が私たちのセクションのメンバーだが、女たちの作業内容は男たちとはちがう。それでも、お茶、昼食は一緒にとり、休憩室も同室だ。5人の人間関係がスムースであれば仕事は楽しい。私にとってはこれまでほとんどなかった環境だが、それぞれの気心も知れてジョークも通じる仲間になっている。家族や健康についてが茶飲み話の中心だ。 
 経営改善のために3月からコンサルタントが入っていることは先のブログにも書いた。新しいコンピューターシステムの導入、業務の指示系統の整備、料理改革などが課題としてあげられている。また、能力が低下しているボイラー2基を新しく設置することも決まった。5月の連休後から改善に向けた変更が本格化する。

 5月になった。連休は店も休みがちになる。とはいってもそうそう休んでばかりもいられない。なかば書斎と化している店の一角で本やパソコンに向かいながら客を待つ。予約がある日以外、それは常態化している。「読書の邪魔だったかな」と言って入ってくる客もいる。
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 上はカナコさんとキヨシさん夫妻である。秋田のカナコさんと長崎のキヨシさんが新潟の大学で出会って結婚し秋田で暮らしている。酒好きの二人は国内をかなり広範囲に居酒屋めぐりをしてるようだ。この夜は『太田和彦の居酒屋味酒覧〈第二版〉』(新潮社)が夭夭亭への道しるべだった。二人とも亥年、ついでながら私も亥年である。短い時間だったが楽しい酒になった。函館に住んでいたカナコさんの〈ハゲオジ〉が、60年も前に「横手焼きそば」を始めたという話も飛び出した。私は、その〈ハゲオジ〉に似ているらしい。
 居合わせたソエカワ夫妻とも話が弾んだ。旅先で地元の人と交流することは旅の楽しみでもあり、忘れがたい思い出にもなる。
 今回のブログで私の釜爺(かまじい)の仕事についてかなり詳細に紹介したが、私が勤務するホテルは「ニューハートピア瀬波」という。この夜、カナコさんキヨシさん夫妻が宿泊したのが、偶然にも「ニューハートピア瀬波」だった。
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 県北の小さな漁村が年に1度おおいに賑わう。「2016SANPOKU さかなまつり」だ。
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 3日(火)の「さかなまつり」は21回目を迎えた。1年に1回だけ、このイベントで顔を合わす人もいる。第1回目から欠かさず参加しているのは私とドクター・ムラヤマ夫妻、ヤマガ夫妻か。船上でカニやエビをたらふく食べて、格安で売られる魚を買い、海浜公園で大宴会。その後は、ヤマガ邸でカラオケ。もちろん私は「一本刀土俵入り」を2度は歌った。さらに「生活と健康を守る会」の班の飲み会。その後は・・・・・・・。轟沈。
 この日は憲法記念日。「安保法制廃止アピール」のスタンディングと街頭スピーチの参加案内が来てたが<身>はひとつだ。「さかなまつり」を優先した。だが、国会では憲法改正に向けたスケジュールが現実のものとなっている。そんな中で今年の2月、「新潟日報」声欄に「憲法、普段から話そう」と題する投稿が載った。投稿したのは関川村の伊東正夫さん(86)だ。伊東さんとは以前、市町村合併問題の学習会などで教えを受けた。伊東さんは訴える。「日本国憲法は戦後最大の重要局面にある。このまま何もせず、ずるずると流されるか。志を持って声を上げるか」
 もちろん、流されてはならない。
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 同じく「新潟日報」5月1日付の声欄には「インド旅行に一点の後悔」と題した投稿が掲載された。投稿者の西沢有紀子さんの名前に覚えがあった。
 23年前の1993年、初めてのインド1週間の団体ツアー旅行をした有紀子さんは帰国後、手書きの旅行記を書き友人知人に配った。たまたま有紀子さんの父が、私の店の客だったことから、私も一冊頂戴した。当時の私は2度目のインド旅行から帰ったばかりの〈インドおたく〉だった。
 インドに強く魅かれた有紀子さんは、友人と二人の団体ツアーということでようやく家族の許しを得てインドへ旅立った。20歳前後だったと思われる。飛行機に乗るのも生まれて初めての海外だった。
 貧しい人々が多いインドで、カレーを食べ残すツアーの日本人に憤慨し、物乞いをする指や手足のない人たちに心を痛め、路地の不潔さに逃げ出したい気持ちにもなった有紀子さん。それでも旅行記の終わりに有紀子さんは書いた。「考えるのはインドのことばかり。日本にいれば清潔だし安全なのにどこか物足りないのだ。なぜかこの整った街並み、過ぎ行く人々を見ていると無性にインドが恋しくなる。ああ、インドに帰りたい・・・」
 投稿からは、その後1人旅でインド南端まで足を伸ばしたことが知れる。有紀子さんは「インドへ帰った」のだった。そして、そこでの「一点の後悔」とはこうだ。
 南端のカニヤクマリで10歳くらいの少年2人から請われて写真を撮った。そして少年たちは写真を送ってくれと住所を書いた。帰国後、現像すると逆光で顔もよくわからない写真だった。どうしようと考えているうちに結局、写真は送らずじまいになってしまった。写真を待っているだろう少年たちの笑顔を思うと、20年たった今でも暗い気持ちになる有紀子さんなのだ。
 初めてのインドで感じたことは、私も有紀子さんとほとんど同じだった。混沌、雑多・・・。人間のはらわたが路上にぶちまけられているような赤裸々の生。翻弄されながら、その中に潜むやすらぎ。インドが自分に訴えてくるのは何なのだ!
 そして、インドで出会った人たちに<不義理>をしたことは、恥ずかしながら私には多々ある。送らなかった写真、返信をしなかった手紙。有紀子さんの投書を読んで天を仰いだ私だった。「アアッ・・・・」
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 左はドクター・ムラヤマ。右の2人は「さかなまつり」の大宴会会場の野潟海浜公園で出会った旅行中の夫妻。私のカメラに写っていたが、写真を送ると約束したんじゃないかと、とても気になってきた。探してみたが住所や名前を書いたメモはどこにもない。だが、あの後、泥酔した私はビニールシートに正体もなく沈み込んでいた。私の「一点の後悔」でなければいいが。

 8日(日)には新潟市で行われるイベント「アート・ミックス・ジャパン(AMJ)」に故郷島根県の石見神楽が来演する。すでにチケットは購入済みで、娘と孫娘も初めての生神楽の鑑賞に同行する。大げさだが父とヒゲ爺の魂の原点に触れることになるかもしれない。演目は「ヤマタノオロチ」だ。
「古事記」「日本書紀」に登場する<頭が八つ尾が八つ>のヤマタノオロチをスサノオノミコトが退治するという話。子どものころ見たものはせいぜい2頭の大蛇だったが、今回は伝承どおりに8匹の大蛇が出るという。「18メートル、8匹の大蛇。圧巻の迫力。過去のAMJで拍手が鳴り止まなかった伝説のステージ」。見ないわけにはいかない。見終わった後の酒までが楽しみである。
 
 活字で見たもの、テレビなどで聞いたせりふなど気になったものを書き留める癖がある。2012年の日記の余白にこんなメモがあった。「黒木メイサはちょっとだけアロエでできている」(TV/CM)。それに並べて「私はかなりの部分が酒でできている」とある。「恋ってさ、髪の先っちょにたまるんだよね。だからそこを切るとさっぱりする」。ドラマのセリフだったか。そして「人生は少しいびつなぐらいが面白い」と。どこでだれが言った言葉かはメモられていない。いびつに生きようと思う人は少ないと思うが、まあちょっと自嘲気味ではある。 
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by yoyotei | 2016-05-06 08:56  

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