<スペシャル・リポート>ハルビン・女たちの夏
7月13日~15日「ハルビンビール祭り3日間」ツアー(新潟交通主催)に参加した。以下はその印象記である。
日中は28度ほどになる7月のハルビンも、早朝は松花江を渡る風が肌寒さを運んでくる。松花河を北に遡上すれば中ロ国境を越えてハバロフスクに、そこから西へ向かえば国境沿いに河はアムール河と名を変える。
陽光がさしはじめたスターリン広場や川岸では早起きの人々がエクササイズにいそしんでいる。水着姿の男たちはこれから松花河の水に体を浸すのだろうか。雨の多い時期だが、今日はいい天気になりそうだ。
腰に手を回すのがカップルの中国的寄り添い方のようだ。<アンダンテ(伊)>という音楽用語がある。歩くような速さでゆっくり演奏せよという指示用語だ。しかし、さらには<貴婦人が歩くように>との指示が言外にあると聞いたことがある。貴婦人では若い中国人カップルのように軽やかではあるまい。
車の乗り入れが禁止されている「中央大街」は石畳の道を日中から夜にかけておびただしい人々が行き交う。やがておとずれるそんな喧騒を前に、道路清掃人や犬を散歩させる人たちが静かに朝を演出する。若いカップルたちにも新しい一日が始まった。
真冬には最低気温がマイナス25度を下回って松花河が凍りつく。松花河の中州にあるここ「太陽島公園」は、1月に開催される「氷祭り」会場になる。水面がきらめく今の季節は行楽客が訪れ、カップルたちのデートコースになる。
ロシア正教の聖ソフィア大聖堂はハルビンを象徴する建造物だが、現在は教会としては使用されておらず、建築芸術館として公開されいる。
「東方のモスクワ」「東方の小パリ」などと呼ばれるハルビン。帝政ロシアの面影を今に伝え、旧満州国時代の建造物も数多く残っている。「旧桃山小学校」「旧大和ホテル」「旧日本領事館」などなど。
中国のビールといえば「青島ビール」が有名だが、中国で最初に製造されたのは「ハルビンビール」(1900年)で、ハルビン市民1人当たりのビール消費量はドイツのミュンヘンについで世界第2位だという。
皿の中央にあるトウモロコシ風のものは高粱(こうりゃん)だと、中国通の落合さんが教えてくれた。「このトウモロコシ、まずいなあ!」と同じ席の数人が顔をしかめていたのだが・・・・・。帰国後、調べたら高粱とトウモロコシは同じものだった。やっぱり、<まずいトウモロコシ>だったのだ。
餃子でビール、ロシア料理でビール。<ビール祭り>でもちろんビール。その後はビアガーデンで串焼きをほおばりながらまたビールなのだ。
左から鈴木さん、高野さん、落合さん。3人とも同じツアーのメンバーだ。新潟県三条市の落合さんは仕事で中国語を習得した。中国事情にも詳しく、メンバーとっては心強い存在だった。
左端の野上裕さんは10月10日(日・祝)に古町7番町で開催される「新潟オクトーバーフェスト2016」の副実行委員長だ。今回はその参考のためのツアー参加だった。「新潟ドイツワイン協会」の幹事でもある。楽しい酒を飲む人だった。
左からムツコさん、ヨウコさんのいとこ同士。右は二人の叔母ミキコさん。高齢のミキコさんを気遣う姪っ子二人が好印象だった。
82歳の父松井敏和さんを伴っての参加は、日本航空の現役パイロット健二さん。敏和さんにはハルビンに特別な思いがあったのだろうか。息子の傍らにいて終始ご機嫌だった。他にも母と息子の参加メンバーがいた。私と一緒に参加したジョージさんは両親がハルビンで結婚したのだという。戦後、夫の郷里村上市に引き上げた。それから70年、ハルビンは永遠の思い出の地だ。今も元気な母だが、さすがにツアー参加は無理だった。
「ビール祭り」会場では、大音響と光が交錯するステージパフォーマンスが繰り広げられる。私も含めて高齢者は少々辟易気味だったが、この元気である。
「ビール祭り」会場を後にした一行の内、数人は河畔のビヤガーデンへ繰り出した。私にとっては2晩続きの「河畔牌酒工坊」だった。
ロシア娘なのかロシア風中国娘なのか。歌姫は体をくねらせて歌う。歌の中にはロック風にアレンジされたテレサ・テンのヒット曲もあった。
ツアーメンバーの中には今回が30回目の海外旅行で、すでに26カ国を訪れたという80歳の女性もいた。はじめのうちは夫と共に、夫を見送ってからは一人で・・・・・。生きてあればこその今、彼女の表情は明るく、好奇心に瞳は輝き、その視線は四方八方に動く。スニーカーの足取りは中央大街の石畳を、太陽島公園の土をしっかりと踏みしめて軽やかだった。
50時間に満たないハルビン滞在だったが、得たものは多岐に渡った。ツアーメンバーとの<一期一会>もそのひとつだ。帰国後、数日は腹具合がおかしかったが、これもハルビン土産のひとつだったか。
日中は28度ほどになる7月のハルビンも、早朝は松花江を渡る風が肌寒さを運んでくる。松花河を北に遡上すれば中ロ国境を越えてハバロフスクに、そこから西へ向かえば国境沿いに河はアムール河と名を変える。
陽光がさしはじめたスターリン広場や川岸では早起きの人々がエクササイズにいそしんでいる。水着姿の男たちはこれから松花河の水に体を浸すのだろうか。雨の多い時期だが、今日はいい天気になりそうだ。
腰に手を回すのがカップルの中国的寄り添い方のようだ。<アンダンテ(伊)>という音楽用語がある。歩くような速さでゆっくり演奏せよという指示用語だ。しかし、さらには<貴婦人が歩くように>との指示が言外にあると聞いたことがある。貴婦人では若い中国人カップルのように軽やかではあるまい。
車の乗り入れが禁止されている「中央大街」は石畳の道を日中から夜にかけておびただしい人々が行き交う。やがておとずれるそんな喧騒を前に、道路清掃人や犬を散歩させる人たちが静かに朝を演出する。若いカップルたちにも新しい一日が始まった。
真冬には最低気温がマイナス25度を下回って松花河が凍りつく。松花河の中州にあるここ「太陽島公園」は、1月に開催される「氷祭り」会場になる。水面がきらめく今の季節は行楽客が訪れ、カップルたちのデートコースになる。
ロシア正教の聖ソフィア大聖堂はハルビンを象徴する建造物だが、現在は教会としては使用されておらず、建築芸術館として公開されいる。
「東方のモスクワ」「東方の小パリ」などと呼ばれるハルビン。帝政ロシアの面影を今に伝え、旧満州国時代の建造物も数多く残っている。「旧桃山小学校」「旧大和ホテル」「旧日本領事館」などなど。
中国のビールといえば「青島ビール」が有名だが、中国で最初に製造されたのは「ハルビンビール」(1900年)で、ハルビン市民1人当たりのビール消費量はドイツのミュンヘンについで世界第2位だという。
皿の中央にあるトウモロコシ風のものは高粱(こうりゃん)だと、中国通の落合さんが教えてくれた。「このトウモロコシ、まずいなあ!」と同じ席の数人が顔をしかめていたのだが・・・・・。帰国後、調べたら高粱とトウモロコシは同じものだった。やっぱり、<まずいトウモロコシ>だったのだ。
餃子でビール、ロシア料理でビール。<ビール祭り>でもちろんビール。その後はビアガーデンで串焼きをほおばりながらまたビールなのだ。
左から鈴木さん、高野さん、落合さん。3人とも同じツアーのメンバーだ。新潟県三条市の落合さんは仕事で中国語を習得した。中国事情にも詳しく、メンバーとっては心強い存在だった。
左端の野上裕さんは10月10日(日・祝)に古町7番町で開催される「新潟オクトーバーフェスト2016」の副実行委員長だ。今回はその参考のためのツアー参加だった。「新潟ドイツワイン協会」の幹事でもある。楽しい酒を飲む人だった。
左からムツコさん、ヨウコさんのいとこ同士。右は二人の叔母ミキコさん。高齢のミキコさんを気遣う姪っ子二人が好印象だった。
82歳の父松井敏和さんを伴っての参加は、日本航空の現役パイロット健二さん。敏和さんにはハルビンに特別な思いがあったのだろうか。息子の傍らにいて終始ご機嫌だった。他にも母と息子の参加メンバーがいた。私と一緒に参加したジョージさんは両親がハルビンで結婚したのだという。戦後、夫の郷里村上市に引き上げた。それから70年、ハルビンは永遠の思い出の地だ。今も元気な母だが、さすがにツアー参加は無理だった。
「ビール祭り」会場では、大音響と光が交錯するステージパフォーマンスが繰り広げられる。私も含めて高齢者は少々辟易気味だったが、この元気である。
「ビール祭り」会場を後にした一行の内、数人は河畔のビヤガーデンへ繰り出した。私にとっては2晩続きの「河畔牌酒工坊」だった。
ロシア娘なのかロシア風中国娘なのか。歌姫は体をくねらせて歌う。歌の中にはロック風にアレンジされたテレサ・テンのヒット曲もあった。
ツアーメンバーの中には今回が30回目の海外旅行で、すでに26カ国を訪れたという80歳の女性もいた。はじめのうちは夫と共に、夫を見送ってからは一人で・・・・・。生きてあればこその今、彼女の表情は明るく、好奇心に瞳は輝き、その視線は四方八方に動く。スニーカーの足取りは中央大街の石畳を、太陽島公園の土をしっかりと踏みしめて軽やかだった。
50時間に満たないハルビン滞在だったが、得たものは多岐に渡った。ツアーメンバーとの<一期一会>もそのひとつだ。帰国後、数日は腹具合がおかしかったが、これもハルビン土産のひとつだったか。
by yoyotei | 2016-07-21 07:08