枯れそめし草の黄よりもなほ黄にてこの蟷螂も雨に濡れつつ
きみにこのこえが/とどきますよおにからみつく/かぜをすりぬけ今ねがうよ/あしたをせかすこどうにぼくは/いつからかとまどいかくしてた/さめないゆめにまよって/くりかえすひびにいばしょを/さがしてたきみにであい/むりょくをしりかかえ/きれないひかりにもふれた/そこになにがあっていみな/くあれたってこたえあわ/せじゃつまらない/きみにこのこえが/とどきますよおに/やけつくときをすりぬけていま/ねがうよ
この文章が書かれた紙は、久しぶりに腕を通したベストのポケットから出てきた。いつ、誰が書いて、私に渡したのか。いや、渡された記憶もないし、思い当たるフシはまったくない。ポケットに入っていたことすら不思議なのだ。しかも、書かれている内容も単純なメモといったものではない。意味を探りやすくするために段落を整理し、漢字混じり文にしてみる。
「君にこの声が届きますように/絡みつく風をすり抜け今願うよ
明日を急(せ)かす鼓動に/僕はいつからか戸惑い。
隠してた醒めない夢に迷って/繰り返す日々に居場所を探してた
君に出会い/無力を知り/抱えきれない光にも触れた
そこに何があって意味なくあれたって/答え合わせじゃつまらない
君にこの声が届きますよお(う)に/焼付く時をすり抜けて
今願うよ」
強い筆圧で大きく書かれた最後のフレーズ<ねがうよ(願うよ)>。いったいこれは何なのだろう。
アイコさんとカズノさんは昨年の暮れに初来店、2016年1月のブログに登場してもらった。そこに私は「新しい年は、カズノさんもアイコさんも変化に向き合うことになるのだろう」と書いた。そして、変化はあった。二人とも幸せな変化ではなかった。冒頭の文章が二人の思いを代弁しているかのようでもある。元気を取り戻すことを<願うよ>。
小児科の医師と看護師、それに深夜に呼び出されたタドッチことタドコロ泌尿器科医師(左)
中央のミキコさんは4人の子どものママさん。その後ろコジハルことハルナさんにはカリンちゃんという1歳7ヶ月の女の子。ケンタロー医師には1歳10ヶ月のアカリちゃんがいて、来年1月には第2子が誕生予定。博多生まれマサヒロ医師は独身だったかな、子どもの話は出なかった。
ケンタロー医師は中国とパキスタンの国境クンジェラブ峠を越える旅行をしたという。パミール高原、カラコルムハイウエィと聞いただけでワクワクドキドキする。かつては真剣にこの旅を計画したこともあったが・・・。この峠は標高4733mとも4943mまた4693mともいうが、はっきりしない。かつて日中共同で製作されたNHK番組「シルクロード」の何週目かに「パミールを越えて」というタイトルがあったのを記憶する。当時、数台の車でキャラバン隊を組んで走りぬけた砂漠を今は鉄道が通る。
第3回えちご村上BAR(バル)街イベントがおこなわれた。今回も提供するのはキーマカレー&バトーラのミニセット。前回は押し寄せる(?)客にパニック寸前になったので。昼間勤務するホテルの佐藤さんに手伝いをお願いした。フロント担当の佐藤さんは186センチ、22歳のイケメン青年。「いつでも手伝いますよ」と言ってくれたので、彼の指名予約を受け付けることにした。
前売りチケットの売れ行きは前回を下回ったということだったが、夭夭亭では<後バル>最終日に来客数が前回に並び、さらに3人の増客だった。
左はサントリー新潟支店の三宅隆人さん。メーカーとしてバルイベントになんらかの協力・協賛ができないだろうかと状況視察をかねてのはしご酒。25歳の爽やか青年が隣に座ってナオコさん(右)もご満悦なのだ。
大沼広美さん(右)は長岡市の「NPO法人まちなか考房」の事務局長であり「ながおかバル街」実行委員長。函館の西部地区で行われていた<バル街>イベントに啓発されて、5年前に長岡でも開催に踏み切った。その後は県内各地に広がり、村上ではこの秋で3回目の開催となった。長岡では10月22日(土)に参加72店舗、村上の3倍もの規模で開催された。
坂田晃秀さん(左)は長岡市役所職員で<ながおか・若者・しごと機構>の特命主幹。「NPO法人まちなか考房」では事務局統括を担う。村上では商工会議所・観光サービス部会の主催だが、長岡では実行委員会が主催し、行政が協力支援という開催形態のようだ。この夜は村上のバル街探訪。地域おこしやイベント仕掛け人たちのなんと魅力的なことか。つい「友達になりましょう」と手を握った。
居合わせた長岡市役所の坂田さんにケーキへの点火をしてもらうこの夜の主役はカオリさん。前回はミホさんの誕生会でやはりケーキのご相伴にあずかった。カオリさんも誕生日のお祝いだったのかな。
カサブランカ・ダンディことオオタキ・シゲオさんに初孫が生まれた。マリリンの祝福を受けて顔がほころぶ新米ジジイなのだ。
この夜、山ほどの洗い物を彼女たち保健医療課の女子たちがやってくれた。こうした人たちに支えられて、この店はどうにか存続している。
この夜の最後のバル客。メモにサイトウ・タケシさんとあったがどちらがそうなのか記憶にない。障害者福祉について熱く語ったように思う。あらためてじっくり飲んで語り合いたい二人だ。
バルイベントで初来店だったアサミさん(左)さんが、翌日には母と一緒にやってきた。母フジコさんは40年来のお馴染みで、今でも現役の看護師だ。母と娘はバルメニューの<キーマカレー&バトーラ>を「うまい!」を連発しながら食べてくれた。
翌日は新潟知事選挙の投票日。「原発イヤだから!」と、キパッと言って帰っていったアサミさん。結果は「新潟に新しいリーダーを誕生させる会」の米山隆一候補が勝利した。最大の争点は柏崎刈羽原発再稼動だった。「福島原発事故の検証なしに再稼動の議論はできない」とした泉田知事の路線を継承した米山候補に県民の期待が集まったのだ。アサミさん、やりましたね。今度うまい酒を飲みましょう。
この勝利は、再稼動した川内原発の停止を訴えて勝利した鹿児島県の三反園訓知事に続くものだ。
ミキさん&カズオさん夫妻は20年ぶりの来店だと聞いた。確かに顔に覚えがある。
<オープン43年目、伝説の店になりつつあります>が今回のバルイベントで私が掲げたキャッチコピー。客にも私にもさまざまに時がめぐり、共に歳を重ねていく。
フジコさん同じ看護師のユウコさん。カウンターから顔を覗かせているカール。<おしゃまなパリジェンヌ>といわれていたカールもすっかり年老いた。それでもユウコさんとの酒場通いはやめられない。
「ああいう若い人がいると店に活気が出るね」と、アサミさんを笑顔で見送ったユウコさん。登山、長距離ウオーキングに加えて最近はマラソンも始めたという。
ジュンちゃん、シゲコさんなど4人は同級生。この夜は同級会の計画で盛り上がった。商工会議所に勤めるジュンちゃんには確定申告の相談や営業上のことで、長い間お世話になっている。今回のバルイベントでも・・・・・。
村上中等学校の英語科の教師たち。左から時計回りハルナ、イーライ、エミ、サトミ、タクミ、オサムさん各氏。
ハルナさんが手にしているのはサトウキビ。「Sugarkane!」と誰かが叫んだ。
イーライさんはオーストラリアからやって来た37歳。同僚の日本人教師たちから日本語のレッスンを受けていた。
左からマサユキさん、セイコさん、ヒロミさんの市役所職員の3人。前夜に続いてサトウキビをかじってもらった。Sugarkaneだと昨夜教わったばかりの英語を・・・。すかさずマサユキさんが<Sugarkane>というジーンズのブランドが日本にあると教えてくれた。さらに、サトウキビ畑で働いていた労働者たちの作業着がジーンズだったことがブランド名の由来だろうとはマサユキさんの考察。まちがいなくそうだと思う。
セイコさんとヒロミさんは「ざわわ、ざわわ」だねという反応。もちろん森山良子が歌う「さとうきび畑」だ。
むかし海の向こうから/いくさがやってきた/夏のひざしのなかで
あの日鉄の雨にうたれ/父は死んでいった/夏のひざしのなかで
中等学校の教師たち同様、みんなが関心を示してくれるサトウキビ。これはジョージさんの娘婿の故郷鹿児島から送られたもので、おすそわけにいただいたものだ。反原発で誕生した三反園知事の鹿児島から、慎重姿勢を維持する米山新知事を誕生させた新潟県に届けられたサトウキビ。なくなってしまったので通販で取り寄せた。でも、こちらは味が薄いようだ。
バルイベント最後の客で、前回をこちら3人の看護師が記録を伸ばしてくれた。左からニジコさん、エツコさん、ノリコさん。懐かしい顔もあれば友人の妻もいる。前回のバルは初めての来客が目立ったが、今回は数年ぶり数十年ぶりといった顔ぶれが多かった。
外国人たちにカウンターを囲まれると、急速に自分の日本人意識が目覚める。2日前に初来店したイーライさんがERT仲間をつれてきてくれたのだ。みんなフレンドリーに打ち解けてカメラに収まってくれた。
左からイーライさん(オーストラリア37)、イライサさん(USA24)。いずれも国名の後は年齢。以下<さん>は省略。
シャオビー(USA22)クリス(USAカリフォルニア31)
ジョナサン(USAバージニア22)タイラー(USAオハイオ27)
イライサ、ニッキ(USA25)
シン(日本42)、エミ(日本33)とこちらはカウンターの端で日本代表を務めたお二人さんだ。シンさんは一人でウイスキー1本を空(から)にするという酒豪。いい雰囲気の二人に「大滝舞踊研究所発表会」(11月19日開催)の招待券をプレゼントした。今回の発表会で私はオオカミに扮して、ヒヨコ役の幼年部の女子たちと共演する。
この自作のオオカミは「オオカミなんかこわくない」というバレエの演目でMHK全国放送された際に使用した。もう17年も前になる。それ以来の出番を迎える。ハロウィーン用ではない。
家族と一緒のとき、人は別の顔を見せることがある。シンちゃんことナカムラ自動車社長も例に漏れない。夜は空手指導に情熱を燃やす<心優しい猛者>が、家では娘の弁当を作るという。
「お父さんのいいところと直してほしいところは?」。娘たちに聞いてみればよかった。
注文していたワインが宅配便で届いた。同時に二人の女性客が入店した。カウンター席に座ってもらい、「ご旅行ですか?どちらから」「東京からです。夕日を見に」「今日はいい天気でしたね。夕日は?」「見ました」・・・・・。
女性客の一人はこじんまりした目鼻立ち。話し口調と声に、初めてではない、どこかで会った人だと思った。記憶をたどっている私の目線に応えて「そうです」とうなづいた。目に微笑をたたえて静かに言葉をつなぐ、その人は女優の田中裕子さんだった。私の中で、その名前が浮かぶまでには、それでもいささかの時間を要した。
「田中裕子さんというのは本名ですか」「ええ。今は沢田ですけど」。沢田は女優の夫、沢田研二の姓だ。出生地や女優になったきっかけ、舞台「マクベス」や、彼女も行ったことがあるバラナシ(インド)のことなど、私はまるでインタビュアになったように質問をなげかけた。そうした話の中で、女優は曽祖父が村上の出身だと驚くようなことを打ち明けた。曽祖父はタキザワといい呉服屋を営んでいたが、商売に行き詰まり村上を離れた。女優の祖父は田中姓の家の養子になったかして女優の本名につながった、といった話だった。
一見、どこにでもいるようで地味な印象。小声で抑揚を抑えた話し振り。しかし、かつて沢田研二との恋愛から結婚に際して女優につけられた<魔性の女>という冠詞や、女優の内部で燃え盛っているマグマが、いつ噴出すかしれないような不思議な存在感を、映画やテレビドラマの中の女優を思い浮かべながら、私は確かに感じとった。それは「結構、飲まれるんですね」という私の問いかけに「飲むときにはね」と応えた女優の<凛>とした反応からもうかがうことができた。<やるときにはやります><私が決めたことです>。懸命にこらえながら、それでも瞳に滲み出る涙。悔しさに血が滴るほど唇を噛み、押し黙ったまま震える。時として怨念や情念を迸らせて挑みかかる。修羅の世界を自身としても女優としても生きている、そんな女優の姿や表情を、目の前の本人に重ねて連想した。「女が行く極楽に男はなく、男が行く極楽に女はいない」と書いたのは尾崎紅葉だったか。この世は男女の愛憎が織り成す修羅の場でもある。
1時間後、女優と所属事務所のスタッフを送り出した後、私は女優と同じ、濃い目の水割りを数杯立て続けに飲んだ。化粧っ化のない普通のおばさん然とした女優にカメラを向けるのはためらわれた。だから画像はない。
だからこそ、女優がそこにいたのも<幻>だったともいえるのだ。
枯れそめし草の黄よりもなほ黄にてこの蟷螂も雨に濡れつつ 吉野秀雄
木枯らしの季節になると、蟷螂(かまきり)の色も枯色となる。交尾の後、メスはオスを食い、産卵して枯れてゆきながら、なお生きている。(山本健吉『句歌歳時記』新潮社/昭和61)
10月も終わる。秋が深まる。
by yoyotei | 2016-10-12 02:01