おお、神は冬を何という美しいものにしてくださったのだろう

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「Live as long as you may, the first twenty years are the longest half of 
your life」 
 イギリスの詩人ロバート・サウジーの「The Doctor」一節。『心に残る言葉』(小野寺健・著/河出書房新社・1992)からの引用だ。
 11月に広島で行われた高校の同窓会。早くに会場ホテルに着いた私は、続いて姿を見せた詳子ちゃんと「平和公園」へ出かけた。そのことは前回のブログに書いた。すると、同窓生のニッシー君から「たったそれだけ?」という感想が寄せられた。もちろんそれだけのことではなかった。
 たまたま同窓会の前夜はバレエの発表会があり、またその前夜は舞台稽古と店での「投げ銭ライブ」。さらにその前には舞台美術担当として持ち道具や大道具の点検と搬入などもあった。ひとつづつこなしていくことに、まさに忙殺された。同窓会は私にとってそれらを終えた後の<打ち上げ>でもあった。だからといって、同窓会の印象が希薄だったわけでは決してない。長年にわたって同窓会事務局を担当しているクニさんから、送っていた当日のSDカードが戻ってきたのであらためて振り返ってみる。クニさんは直前になって母親が倒れ、欠席となった。母親はその後いくらかの回復をみせていると聞いた。
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 冒頭の英詩は以下のように日本語訳がなされてある。
「いくら長生きしても、最初の20年こそ人生のいちばん長い半分だ」
 今年、古希を迎えた私たち同窓生。まさに、この最初の20年に相当する時代に人生の大部分が凝縮されていたのは確かだ。だからこそ、いささかの羞恥を覚えながらも懐かしさに相集う。そして、その後のいくらかの成長を見せようとしても底が見えてしまう滑稽さもある。風貌は時間とともに変化をするが、瞳の奥にはあの時代の輝きを残している。無謀なな夢。自信と不安。脆弱な自尊心。異性への憧れと劣等感、自己嫌悪。人生の道標を見ずに知らずに、己だけを頼みにしていた不遜。そして蹉跌の第一歩はこの時期に経験した。
 とまあ、それらは私であって、着実に一段一段、人生の階段を上っていった同窓生もいただろう。それにしたって、その人にとっては波乱に満ちたものだったにちがいない。同窓生ひとり一人に「よくがんばったなあ」と声をかけたい思いだ。
「二十歳くらいまでに知ったこと、経験したことが土台になって、あとはそれを拡大、延長していくのが、あらかたの人間の人生なのではないだろうか。この感受性のつよい時期に、ほんとうにすぐれた人に出会い、美しいものに打たれ、高い理念に燃え、激しい愛情を経験するかどうかーそういうことが、その後の人生を左右する」と著者は詩の一節に解説を加える。半世紀前にこの文章に接していたらと思う。
「人生に手おくれということはない」(同書)といってもなあ。
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 平和公園に行った折、原爆資料館のエレベーターに車椅子の女子高生と同乗した。スポーツをしていて怪我をしたが、修学旅行へは車椅子と松葉杖で参加したという。
 資料館を出て「原爆の子の像」へ歩を進めると、高校生たちが像を囲んで合唱をしていた。鎮魂と平和の歌声に私は強く心をうたれた。集団の端にエレベーターで遭遇した車椅子の女子高生もいた。引率教師に尋ねた学校名はつくば市の並木中等教育学校。帰宅してから、その時の感動を認(したた)め、写真とともに学校宛に投函した。
 そうして先日、車椅子の生徒から手紙が届いた。
「広島へ行った際、原爆被害の実相を初めて目にしました。戦争、また原爆の理不尽さを知りました。無差別で残酷な原爆にとても心を痛め、二度とこのようなことは起きてはいけないと思いました。そのためには私たち若い世代が語り継ぐ必要があると感じました。お手紙をくださったこと本当に嬉しかったです」
 感じたことを言葉にし文にし、手紙にする。大事なことが人生の1ページに刻まれた。彼女にも私にも・・・・・。託されたことを引き受けて、思いを言葉をつないで、私たちは生きていく。
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 内山アキラさん(左)も横山ノリオさん(右)も、私と同じく古希を迎えた同時代人である。内山さんは世界的な写真家として活躍を続け(2015年2月ブログ「物語は始まり、物語は終らない」)、横山さんは妻を帰らぬ旅に送り出して、この日はふた七日目だった。結婚以来、頭髪は妻が切ってくれていたという横山さん。「妻以外の人に切ってもらうってのはどうもね」。長く伸びた白髪交じりの髪を掻き上げながら、横山さんはさびしく笑った。
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「明日から死ぬほど忙しくなります」というのは村上郵便局に勤務する仕事仲間たち。左からカツオ、トシカズ、エリ、マサカツさん。トシカズさんとは車関係の仕事をしているころからの長い付き合いだ。
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 こちらは新潟県林業事務所の職員たち。ナツホさん、エミコさんと二人の女子だけが名前を明かしてくれた。
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 左からサトシ、ケイ、サオリ、ユウイチさん。新潟市から50分もかけての初来店。以前に休業日に来たことがあってリベンジの再訪となった。ありがたいことだ。情報誌の紹介記事を見たことがきっかけだと聞いた。その記事の掲載は1年以上も前だと思う。みなさん、今度は飲みましょう!あっ、当分は日・月を定休日にしているからね。
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 この夜は「村上9条の会」の役員会もあった。彼らも新潟からの4人と、こちらも初めて来店した平田医師(左端)も加わって画像に収まった。酒場が<出会いの場>でもあることを喜びとしている亭主冥利の一枚だ。
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 瀬賀医師と平田医師は高校・大学の先輩と後輩である。
平田医師は村上市に隣接する関川村の平田大六村長の息子。平田村長からは、かつてブナ林伐採阻止の住民運動や市町村合併問題でも指導や協力をもらった。11月のバレエ発表会では村長の孫娘とも共演した。岩船郡関川村。藁で作られた巨大な蛇がギネスにも登録され村人を繋ぐ「大したもん蛇まつり」。人口5700人の「小さくても輝く村」だ。
 目標は総合診療の充実だという平田医師。穏やかな笑顔が誠実な人柄を表している。在宅診療で忙しく往診に飛び回っている瀬賀医師とともに地域の重要な存在となっている。
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 市内で開業している医師をはさんでいる二人のピコ太郎は製薬メーカーの社員。今年の暮れはあちらこちらの忘年会でピコ太郎が出現したことだろう。衣装は一式5000円前後と聞いた。
 11月の「バレエ発表会」でオオカミに扮した私も長いマフラーで密かにピコ太郎を真似た。そして、舞台の袖で青年部の女子から教わった<恋ダンス>のフリを少しだけ本番で取り入れた。
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 クリスマス近くになると村上高校時代の恩師を囲んでワイングラスを傾ける集いが持たれる。何年も続くこの女子だけのパーティーへ、今年は瀬賀医師が加わった。恩師は彼の恩師でもある。
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 日々出来(しゅったい)する大小さまざまな出来事。穏やかであれと願っても浮世(うきよ)は<憂き世>でもある。スガイさんフナヤマさん、ヤスザワさん・・・・。それでも、みんなどうやら今年も乗り切ったぜ! 
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 手作りして庭のヒマラヤスギに取り付けた巣箱にスズメの姿を見つけたのは2015年6月だった。しかし、今年はその姿を見ることはなかった。それどころか、先日の風で巣箱が落下した。取り付けていた紐が穴から抜けたようだった。中を覗いて驚いたのは産卵、抱卵、羽化、巣立ちまでのために親スズメがつくった巣箱のベッドの厚さだった。天気のいい日に同じところに設置しなおすことにするが、中のベッドはそのままでいいのだろうか。それとも次の住人のために古いベッドは取り除くほうがいいのだろうか。迷いながら年を越すことになる。来年は酉(鳥)年である。
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 ユウキさん(左)が恩師の桑名先生に連れられて来店したのが20年前。それ以来の来店に同級生のトモコさん(右)を同伴した。二人と少し話して、ギターを取って1曲歌い、「いいお年を」と言い交わして送り出し、静かに店を終えた。夭夭亭年内最後の来客となったユウキさんトモコさん、あらためていいお年をお迎えください。巳年生まれで蛇好きのトモコさん、帰郷の折にはまたね。
 
 勤務するホテルのオーナーが、年明けから中国人に替わる。そのホテルの年末31日、厨房の手伝いを頼まれた。手伝いは元旦、2日と続く・・・・。

「O!what a beautiful thing God made winter to be,by stripping the trees.and letting us see their shapes and forms」(from Dorothy Wordsworth’s Journal
 ドロシー・ワーズワース(1771~1855)は英国の大詩人ウイリアム・ワーズワースの1歳ちがいの妹。イングランド湖水地方で兄とともに暮らした。
「おお、神は冬を何という美しいものにしてくださったのだろう。木々を裸にし、その姿形を見せてくださって」と、 冒頭の英詩同様に日本語訳をする著者は以下のように解説を加える。(『心に残る言葉』「小野寺健・著/河出書房新社・1992)」「(葉も花も)すべてをむしりとられてなお、毅然として立っている裸木に感動するドロシーには、東洋的な心さえうかがえる」。そして、「簡素なものに美を見て感動できるのは、豊かな心の持ち主である」と結ぶ。<富める者が天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るのより難しい>というのは英国の教訓であるらしい。

 新春を迎えても、季節は冬である。むしろ、これからが冬本番だ。カナダから届いた白ワイン-summerhillを飲みながらPSに向かっている今は元旦の午前2時。しかし「明けましておめでとう」は寝て起きてからにしよう。みなさまにとって新しい年が穏やかでありますように。
<冬来たりなば春遠からじ>というフレーズが私は好きだ。冬を越さずに春を迎えるのも駱駝が針の穴を通るより難しい。
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by yoyotei | 2016-12-31 11:59 | Comments(0)  

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