内なる声が平静や寛容、慈悲や無私の精神を培い・・・・・

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 1月2日、近所に住む一人暮らしの知人たちと新年を祝った。
 この日の夕方までホテルの厨房で働いた私はゆったりと温泉に浸かってから、おせち料理の余りなどを貰って帰宅。知人たちを自宅に呼び寄せた。妻は仕事、子や孫たちも来ない年明けだったが、「おめでとう!」と言って酌み交わす酒はうまい。
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 総合法務事務所の新年会。予定していた助っ人が来れなくなり、みなさんにセルフ・サービスを強いることになった。紅一点のルミさんには皿洗いまでしてもらった。
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 新しい年の抱負だろうか。二人はしばらくの間、身振りを交えながら笑顔で語り合っていた。上掲の法務事務所の若いスタッフである。 
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「生活と健康を守る会」の新年会は約30人が参加して、市の保養施設を会場に今年もおこなわれた。ゲームに興じ、私のギター伴奏で歌い、カラオケで盛り上がった。
 年明け早々に厚生労働省は昨年10月時点の生活保護状況を発表。全国の生活保護受給世帯数は前月より964世帯増の163万7866世帯で3ヵ月連続で過去最多を更新した。
 新潟県内の受給世帯は前月比19世帯増の1万6088世帯で、3ヵ月連続の増加となった。受給者数は29人増の2万1060人。世帯別では65歳以上の高齢者世帯が12世帯増の7342世帯で全受給者世帯の45,6%を占めている。その多くが1人世帯だ。私が所属する「会」でも事情はそれぞれだが、1人暮らしの高齢者会員が圧倒的に多い。
 生活を守るために、くらしに役立つ制度の活用や、改善と新設を進めるなどの活動をおこなっている「生活と健康を守る会」。現在、全国連合会(全生連)は<いのちを守る、戦争から貧困から>の総がかりキャンペーンを展開中だ。 

 東京に住む絹さんから便りが届き、夫の父の葬儀で大阪へ行ってきたことが記されてあった。絹さんは私が私淑し、店名を付けてもらった故八木三男先生の一人娘。母を介護しながら<自費出版・編集工房>に携わり、社会学的な研究やアプローチをおこなっている。
 便りには「義父は中卒で徳之島から大阪へ夫婦で出てきて、沖縄や奄美諸島出身者への差別が強い中、トラック運転手として働いて働いて、3人の男の子を大学に行かせました。そのうち長男の私の夫と次男は大学教員となりました。苦労の末、18年前に脳梗塞で倒れ、後遺症の痛みに耐えながら闘病してきましたが、ついに帰らぬ人となりました」とあり、数首の短歌が添えてあった。

 慟哭の義母(はは)の叫びよ義父に届けこの人を置きどこへ行きしや
 泣き泣きて涙かれても泣く義母に人を愛する生き方をみる
 
 
 義父の臨終と慟哭の義母に心を寄せる絹さんの真情に、私は深く胸をえぐられた。夫婦で歩いた歳月。義母の慟哭はそこへ繋がる。
 今、絹さんの介護に支えられてリハビリに励む母八重子の刀自は、数年前に夫の言葉を引いて絹さんを詠んでいる。
  
 子の帰り行きたる雪の降る夜に夫はつぶやく「絹はいい子だ」  
                     (八木八重子歌集『出でませ子』)
 
 絹さんの便りと歌から、すぐに思い浮かんだのはこの一首だった。そして、30数年前に沖縄上空から見た、島々を抱くように取り囲むコバルト色の海だった。島々の中には徳之島もあったか。

 トラックで走りて三人の子を育て学を与うるが父の夢なり
 
 そのために「働いて働いて」と語句を畳んだ絹さん。<吹き付ける疾風の中>を生きてきた義父への思いが胸を締めつける。85歳の、故郷・徳之島へ帰る旅立ちだった。
 
 三線(さんしん)の島唄の節に見送られ御霊よ美しき海へと帰れ
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(セロジネ)
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 土浦の今井さんが東北大震災で被害を受けた岩手に行き、酒田からの経由で店に立ち寄ってくれた。1月は八木三男先生を偲ぶ蝋梅忌。だが、前記した義父の葬儀のことなどから話題は絹さんが中心だった。今回の旅には歌集『出でませ子』を携行していた今井さん。諳(そら)んじていた1首は私と同じだった。
 
 子の帰り行きたる雪の降る夜に夫はつぶやく「絹はいい子だ」
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 高校の同窓生に依頼していた、ふるさとの秋の伝統行事<しゃぎり>のDVDが届いた。
 中学生のころ、私も同じような装束をして参加していたのだ。何通りもある締め太鼓の撥(ばち)捌きは、半世紀以上の時間を隔てても覚えていた。隊列が移動する村の家並みにも目を凝らしたが、こちらは時の流れを痛感するほかなかった。<大祭>などという大規模なものではないが、祭衣装の幼児に付き添う若い母親。巧みな横笛で囃子を導く村人。見守る村人たち。<しゃぎり>が島根県石見地方のどの辺りでおこなわれているかは知らないが、離れて暮らすものにとっては、存続されていることに感謝の念がこみ上げてくる。軽トラックに鎮座する御輿(みこし)には思わず笑った。
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 年末年始をインドで過ごしたとマサエさんから連絡をもらった。マサエさんとは10年ほど前にニューデリーのカフェで出会ったことをきっかけに、村上にも何度か来るなど、付き合いが続いている。世界一周の女ひとり旅をやりとげるなど、バックパッカーの達人だ。そのマサエさんもやはり<インド通い>がやめられない。
 最初に出会ったサダルストリートの<ゴールデンカフェ>は健在。種々の商店がひしめき、牛がたむろする賑わう界隈もそのままだったという。聖地ヴァラナシ(ベナレス)では早朝から、巡礼者や観光客が行き交う通りを清掃する集団(クリーン部隊)がいたことが目に付いた変化だったという。<汚い>のもインド好きには魅力のひとつだったが・・・・。
(画像は1993年祭りパレードの一コマ・ニューデリー)
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(1997年バラナシ・ポンデチェリーのゲストハウス、列車内など)
26年前の秋、旅に出た。行き先はインド。どのような磁力に引き寄せられたのか、43歳のやや遅めのバックパッカーデビューだった。帰国後、その体験を本としてまとめ、書名を『朝焼けのガンガー』とした。著述にあたって『インド入門』(東京大学出版会1977)を参照した。著・編者は辛島昇東京大学教授(当時)。旅の印象だけにとどまっていたインドが、この本によって多面的なアプローチの対象として立ち上がる端緒となった貴重な一冊だった。
 10年後、放送大学(文部科学省設置の通信制大学)の入学案内に辛島教授の名前を見つけた。講義は「南アジアの歴史と文化」。アンテナを掲げ、インドとあればさまざまなものに触手を伸ばしていた当時の私は飛びつくようにして入学した。
 衛星放送のテレビやラジオ、インターネットを通じて学ぶ放送大学だが、画面からも伝わる辛島教授の風貌と人柄、講義の内容に強くひきつけられた。新しい講義「南アジアの文化を学ぶ」も受講し、夫人辛島貴子氏の著書「私たちのインド」も、インド社会で暮らす日本人の戸惑いや発見に、旅だけでは得られないインドを知る手がかりになった。インドへの旅を続ける中で、満を持して臨んだ単位認定試験は、しかし厳しいものだった。「教養学部・人間の探求」を専攻して6年間在籍、所定の単位を修得して卒業したのが2006年(平成18)、59歳だった。
 その辛島昇東京大学名誉教授・大正大学名誉教授が、2015年11月26日に逝去されていたことを「日印協会」のホームページで知った。死因は急性骨髄性白血病、享年82歳。喪主は妻の貴子さんとあった。
『インド入門』が手元にないので記憶に頼るが、その<あとがき>に大意「1960年代から若者を中心にインドへの関心が高まっている。そうした人たちによる著書も多い。しかし、大部分ははインドといういわば<書割(かきわり)>の中の自分に照明を当てたものに過ぎない」とあった。それには大いに触発されたが、同時に反発も感じた。実際に、私自身がインドの中で自分に向き合うことが大きな比重を占めていたからだ。
 それもあって<自分史>という言葉をつくりだしたといわれる、日本近代史・民衆思想史を専門とする歴史家色川大吉(1925~)の「物質文明の中で行き先を見失ってしまったらリュックを背負ってインドへ出かけなさい。そこには忘れていた生命の輝きがあり、生きることの厳しさがある」といった主張に強い共感を抱いた。請われてインドの話をするときには、きまって色川大吉氏を持ち出し、こうした言葉を紹介するのが常だった。

 昨年の10月18日、沖縄県北部の国頭郡東村(ひがしそん)高江の米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の建設工事を止めようと体を張っている市民に対し、大阪県警の機動隊員が「触るなくそ、どこつかんどんじゃボケ、土人が」と言い放った。この差別発言が報じられたときに受けた衝撃は、ほとんど死語だと思っていた「土人」という言葉が、20代の機動隊員から発せられたことだ。いったい彼はどこでこのような言葉と差別意識を教え込まれたのか。
 月刊誌『世界』(岩波書店)のリレーコラム「沖縄(シマ)という窓」で、執筆者のひとり松元松剛(まつもと・つよし=琉球新報)は、この「土人」発言を取り上げた(2017年1月号)。そのなかで「命令に従い義務を遂行していたのが分かった。ご苦労様」とツイッターに書き込んだ松井一郎大阪府知事、「差別と断じることはできない」と主張した鶴保沖縄担当相の延長上で、安倍内閣が「差別とは断じられない」とする答弁書を閣議決定したことについて、「圧倒的な力を持つ権力の側が市民を組み敷くために派遣した機動隊員が公務中に吐いた暴言をたしなめようともしない鶴保氏や松井氏の認識は、言葉に宿る差別意識を意図的にぼかし、結果的に沖縄県民への偏見を助長している」と述べた。
 そして「沖縄人の尊厳を否定する構造的差別の地下水脈、活断層は動いている。土人発言とその後も続く騒動は、鋭利な物で傷口を突かれるような痛みを沖縄社会に与えている」と松元氏はコラムを結んだ。

 ある新年の集まりで挨拶を求められた私は、昨年起きた<いやな事件>の一つとしてこの「発言」を取り上げ、芝居の<せりふ>のように発してみた。おぞましいほどの相手を見下すような差別的罵倒に、会場がしばし凍りついた。
 <いやな事件>の二つ目は相模原事件。相模原市の障害者施設で入所者が刃物で刺され、19人が殺された事件だ。容疑者が「ヒトラーの思想が降りてきた」と話したと報じられ、<優生思想>がよみがえったかと神経を逆なでされた。
 三つ目は電通社員の過労自殺。いずれの事件も、人間が時間をかけて練り上げ積み上げ、切り開いてきた<尊厳あるもの>としての人間存在が否定され、文明の歯車が逆に回ったかのように思われた。
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 長い馴染みの左からヒロアキ、マサヒコ、マサヒトの各氏。右はカールママ。マサヒトさんから「自分が読むのにふさわしい本を選んでよ」と言われたりして、カールママも交えて読書談義になった。
 
 近年スマホの普及にともなってSNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)が急速に広まっている。2008年に日本語版サービスが始まった簡易投稿サイト「ツイッター」は140文字以内「つぶやき」を書き込める。また、LINEでは仲間内で対話型のコミュニケーションが可能だ。いずれも瞬時に短いメッセージを発信できる利点があるが、長文のやりとりには適さない。
 昨年12月に公表された国際学力調査の結果では、「日本の15歳の読解力が4位から8位に低下。文部科学省は原因の一つとしてスマホの普及に伴う長文を読む機会の減少を挙げた。
 内閣府の15年度の調査では、平日にスマホで2時間以上ネットを利用する高校生の66,8%。全国学校図書館協議会(東京)によると、高校生の1ヶ月の平均冊数も16年は1,4冊と読書量が減少している。

 読書といえば、私自身はドライアイによる視力低下で読書には難儀をしている。勤務先ホテルの地下にある機械室は外光が遮断されているので幾分かは字を見易い。しかし、そこで長時間、本は読むことはできない。日に何度も点眼する治療薬の効果にも疑問が生じてきている。 
 それもあってかDVDで往年の名画といわれるものを精力的に見ている。先日はサマセット・モーム(1874ー1965)原作、タイロン・パワー主演の映画「剃刀の刃」(1946年)を見た。世俗的な価値観に馴染めない主人公がインドへ行き、聖人から教えを受ける。聖人は「賢者とは自分の内面に存在する神の声を聞き従う者のことだ。内なる声が平静や寛容、慈悲や無私の精神を培い永遠の平安をもたらす」と諭し、神(自然)と一体になるための修行を促す。ある朝、主人公は大地の脈動を感じ、朝靄の中で木々の間から差し込む光が自分の体内に入る体験をする。その体験を持った上で、聖者に世俗の中で生きることをすすめられた主人公は・・・・・。
 
 ところで、作家の格言にはアイロニー(皮肉・風刺)が含まれているものが多いが、モームは「読書は人を聡明にしない。ただ教養ある者にするだけだ」といっている。もちろん、スマホもSNSもない、読書をすることが当たり前の時代の格言だ。

 世界を混乱させているトランプ大統領。モームだったら何と皮肉るだろう。そして、彼にインド行きをすすめたら、ツイッターでなんと応えるだろう。「老年の最大の報酬は精神の自由だ」と、これもモームの言葉だが、老人にはしばしば<頑迷>という報酬がもたらされることもある。

 私自身は、いまだいわゆるガラ系の使用者だが、近いうちにスマホにしようと思っている。



 
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by yoyotei | 2017-02-02 07:39 | Comments(3)  

Commented by ミム at 2017-02-04 09:56 x
更新待ってました!伸ちゃんのブログは様々なエピソードがあげられていますが、どれも伸ちゃんの何に対しても変わらぬ熱い、優しい愛のあふれた目線で胸がキュンとします。今日は私の誕生日ですが、インフルエンザで寝ています。今タ関西の同級生が15名で遅い新年会です。新大阪近くのクニさんの従姉さんの店ですが残念ながら欠席。これからはお互い体調管理をしっかりしてお会いしましょうね。楽しみにしています。
Commented by yoyotei at 2017-02-08 13:25
遅ればせながら、誕生日おめでとう。いつもブログに目を通してもらってありがとう。年明けから店も暇。寒いのも苦手。ほとんど<冬眠>状態です。どこかで春が生まれてはいるのでしょうが、まだ足音が聞こえません。1週間前、3女に第3子が生まれ、孫が7人になりました。名前は李(もも)。こちらが春のおとずれなのでしょうか。インフルエンザ、早い回復を願っています。
Commented by yoyotei at 2017-02-08 17:55
追伸
ミムさん、7番目の孫の名前は桃(もも)になりました。女の子です。
<ありがとう、さよなら携帯>先ほどスマホにしました。

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