カテゴリ:インド( 4 )

 

野垂れて死ぬ

「私の思春期は母の厳しい締めつけに、怒りと悲しみで粉々になりそうだった。登校拒否、家庭内暴力、神経症、学校に行けば問題児、社会に出れば変人と言われた。(中略)母を殺すか、私が死ぬか、どちらかしかないと思いつめた中学生だった私の重い十字架はいったい何だったのか」
      (『写真家はインドをめざす』日比野宏ほか共著 青弓社 1997)

 著書に、そうのように書いた写真家・栗脇直子は、「サドゥ」を撮ることを決めてインドへ旅立った。
「何故、サドゥは家を捨て、家族との絆を断ち切って修行僧の道に進んだのか」
 自己と他者との相克にのたうちまわった、思春期以来の自己解放へのカギとなるかもしれないとの期待が、栗脇にはあった。

 サドゥとは、インドにおいて出家した乞食遊行(こつじきゆぎょう)の修行者をいう。ぼろを身にまとい、乞食のための鉢を持ち、時として杖を携える。髪や髭は伸ばし放題で、灰や泥を身体に塗るといったイメージだ。もともとサドゥーという言葉は、<正しい><善い>、あるいは<正しい人><善い人>を意味した。ブッダが弟子の見解をほめるときの感嘆詞として用いており、しばしば「善哉」と漢訳されている。
 中世になって、さまざまな宗教者を意味するようになり、現代では、前記のイメージの修行者、苦行者、ヨーガ行者などを包括的に指す言葉になっている。インドの人々は、サドゥに敬意をこめて、「ババ」あるいは「ババ・ジー」と呼ぶ。

 栗原は、ガンジス河源流域の聖地でサドゥたちと出会い、共に旅を続けてきた一人のサドゥの死に遭遇する。
 そのサドゥは、栗原のちょっとした思い違いから、ヒマラヤ山麓の厳しい寒さの中で孤独な野垂れ死にをしたのだった。警察の取調べを受け、罪を問われたわけではなかったが、死の原因が自分にもあったとされて、衝撃と混乱に泣き崩れた。
 そんな栗脇に、他のサドゥや村人が言った。
「泣いてはいけない。死は悲しむことではない。彼は人生のゴールに辿り着いたのだ。サドゥにとって聖地で死ぬことほど幸福なことはない。悲しんで彼の死を冒涜してはいけない」

 3年前、私の店を訪れた栗脇と酒を酌み交わした。
「私には野垂れ死にしたいという願望があったのね。でも、まさしくその死に出会って思ったのは、野垂れ死ぬことに意味があるんじゃあなくて、野たれて死ぬ覚悟を持ってシンプルに生きることに意味があるってことだったんです」
 そう語った栗脇は、サドゥたちと再会するために、12年に一度アラハバード開催される、ガンジス河最大の祭クンブメーラーに行く予定をうちあけた。
 クンブメーラーは約一ヶ月間おこなわれる。その間に沐浴すると最大の功徳があり、魂が救済されるというので、インド全土から2千万人以上もの巡礼者と数十万人のサドゥたちが集まるという。
 初めてのインド行きに際して栗原は、「半年たって音沙汰もなかったら、探し出してひっぱたいても何してもかまわないから、私を日本に連れ戻してほしい」と、本気で友人に頼んで出発したという。
そして、2001年のクンブメーラーに行くといったきり音沙汰がない。野垂れ死に?それもいいか・・・。

*これは10年も前のことです。栗脇直子さんは2001年2月から開催されたクンブメーラーへ行ったはずです。おそらく今は日本で元気に生きていると思います。
 
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by yoyotei | 2010-01-14 09:00 | インド  

旅日記

昨年インドへ同行した野歩さんから、その時の旅の日記をいただきました。彼はインドから帰国して3ヶ月後にはネパールへ旅立ちました。
少しもじっとしていない人です。旅日記のタイトルも「まずは出かけよう」です。

野歩さんの旅日記で思い出したことがあり、自室をひっくり返してようやく探し出しました。
「インド旅行記(1993.10.31~1993.11.7)」という手書きで50ページほどの記録です。当時、地方紙の支局長だった人の娘さんから届けられたものです。
書き出しは、いきなり「インドが好きと言うと、必ず何で?という、驚きの声が返ってくる。自分でもどうして好きなのか分からない。何が好きなのか分からない。ただなんとなく魅かれるのだ」と始まります。

彼女はその頃、大学の一年生だったと記憶しています。
「インド熱は高まる一方だったが、(家族から)反対され続け」、ようやく友達と一緒での団体ツアーならと旅立ったのでした。
初めての飛行機、初めての外国がインドというのは、ちょっとした驚きです。
一週間の旅とはいえ、鋭敏な感受性と観察眼。見るものや遭遇することに対しての批判も含んだ感想は新鮮です。
「私は今回の旅行で食べ物を絶対に残さないことにしようと思ってきた。満足に食べられない人がたくさんいるインドへ、金持ちの国日本から旅行へ来て、ご飯を残すなんて傲慢すぎると思ったからだ。戦後の貧しさを体験してきたはずの大人たちが、ここインドで貧しさを目の前にしながらも、辛いとわがままを言って、平気で残すのは悲しすぎる。私がインドの人たちみんなにご飯をたくさん食べさせてあげることはできないけれど、せめて残さず食べることぐらいはしなければいけないと思った」
「(ツアーメンバーの中に)手袋をしているおじさんが一人いて、乞食が触るからだと大声で話していた。けれど、乞食を汚いもの扱いをして、それを大声で言う心のほうが汚い。確かにきれいではないが手袋までするくらいなら(インドへ)来ないでほしい」
土産物を高く売りつけられた彼女は、胸のうちで嘆きます。
「観光客用の値段で売られるのは悔しかったし、インド人と対等に接したかったのに、日本人としか見られていないと思うとさびしかった」

帰国した彼女は、「インドへの憧れはまったく幻滅もせず、逆にパワーアップしてしまった。(中略)人生にはいくつか転機があるというけれど、この旅行は私にとってひとつの転機だとさえ思えた」と、旅を振り返っています。
さらに、「考えるのはインドのことばかり。日本にいれば清潔だし安全なのにどこか物足りないのだ。なぜか、この整った街並みや過ぎ行く人々を見ていると、無性にインドが恋しくなる」と慨嘆しています。
そして、「ああ、インドに帰りたい」と感嘆して、旅行記は終わっています。

あれから16年。
今、彼女がどこでどのような人生を生きているかは分かりません。しかし、それ以後も続いたであろうインド体験が、彼女の人生を重厚なものにしていることは確かでしょう。

日本近代精神史が専門の色川大吉氏は、かつて次のように言っています。
「インドほど今の日本を反省するのによい国は世界にない。競争社会の中で孤独に陥り、疎外感に苦しみ、近代文明に毒され、飽食に浸りきって、喜びも希望も失った虚無的な日本の青年たちに、どうぞインドへ行って、巡礼になったつもりでインドを歩いてきて欲しい」

16年前、彼女がインドへ出発したその日、僕はインドとネパールの国境の村スノウリにいました。次女をともなっての二人旅でした。
ガンジス河畔の宿から国境の村まで一緒だった写真家・稲垣徳文氏が、そのとき撮影した写真が月刊誌『世界』(岩波書店 1995 1月号)に掲載されました。半年後には写真集『大陸浪人』((有)編集室ヴィスリー 1995)も出版。上海から中央アジア、インドやネパールを旅する日本人たちを撮影したものです。
写真集には旅人たちのコメントも掲載されています。いくつか紹介します。

「何か変わるかな。そんな思いで旅に出ました。でもどこに行っても結局は自分次第なんだと思いました。ただ、南インドへ向かう列車で見た、椰子の林から昇る朝日は忘れられません。あの瞬間、旅に出てよかったと思いました」(21歳 男性)

「インドで止まってしまいました。世界一周の予定がヨーロッパにさえも行けなかった。日本へ帰ってアメリカからもう一度スタートしようかと思っています」(25歳 男性)

「美大に落ちて、もうどうなってもいいやという気持ちでインドへ来たんです。でも、来てみると何だかそんなことどうでもいいことだったんだと思えるようになりました」(23歳 女性)

「内戦下でシャッターを切っていた頃、戦場帰りの少年に、将来なにになりたいかと尋ねたことがありました。明日死ぬかもしれないのに、そんなことわからない、それが答えでした。落ち込みましたね。その後、チベットに興味を持ち始めました。非暴力主義を掲げたチベット難民がとても仏教的に思えたのです。それから2年ですか。アフガニスタンの写真はすべて捨てました。もう僕には必要ありません。仏教自体を学びたいと思います」(27歳 男性)

「みんなが言うほど、ひどい国ではないと思います。ヒンディー語で話すと、また違った世界が見えてきます」(19歳 女性)
次のカップルはインドの安宿で出会い、カトマンズ(ネパール)の街で再会した新婚夫婦です。なんと21歳の年齢差。楽しい人たちでした。
「バックミラーのない車をよく見かけます。平気なんですかね。前しか見てないとしたら、前向きでスゴイ(笑)と思います」(43歳 男性  24歳 女性)

最後に、旅人ではありませんが佐々井秀嶺師のコメントも。師はインド内陸部のナーグプルで、不可触民といわれたアウトカーストの人々と仏教復興の運動をしている人です。
「ぼやんと歩いているようでも、旅人は何か見ているのと違うかな。ここに来る者は、何か求めてやって来おる」(60歳)

年齢は16年前のものです。
「旅の日記」から、過去へ引き戻されました。
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by yoyotei | 2009-12-18 23:47 | インド  

インド②

障害の体を見世物にして日々の糧を稼ぐ人。
哀れみをたたえながら、けっして卑屈には見えない物貰いの女性たち。
廃棄物を漁りながら澄んだ瞳の子供たち。

一方で、高価な装身具で身を飾り立て、近寄りがたい気品をただよわせる女たち。あきらかにアーリア系(白人系)の血筋と思われる大柄な体格と、悠揚せまらぬ貫禄をそなえたインド紳士たち。

そうしたことは、この日本にもあります。しかし、日本では見えにくい。
あからまに露呈されるインドの現実は、さまざまな問題意識を突きつけてきます。
国のあり方、社会のあり方、人間らしさとは、誇りとは、幸福とは。

「インドは自分を映す鏡」だと、僕は思っています。インドは土足で自分の内奥に入り込んできます。
無遠慮なその客人を、いかにもてなすか。
インドをどのように消化すればいいのか。しかも、インドは容易に内奥から立ち去ってはくれません。
繰り返すようですが、人間の、社会の普遍的な実相。それがインドでは見えるのです。
それこそがインドの魅力なのかなと、僕は思うのです。

ずいぶん前ですが、瀬戸内寂聴さんがインドを訪れた後に書かれていました。
手元にないので不正確かもしれませんが、こういうことだったと記憶しています。

「もうしわけないが、インドには乞食も騙す人もいてほしい。インドで見るもの体験すること、それらが自らを深い思考に誘うから」

寂聴さん、意味を取り違えていたらすみません。インドは人を哲学的にするというのが僕の実感です。
いくらでもインドの切り口はあります。歴史、宗教、文化、政治、社会、風俗、芸術、芸能。
それにしても、「スラムドッグ・ミリオネア」。いい映画だった。まだ観てない人がいたら是非!
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by yoyotei | 2009-11-14 02:53 | インド  

インド

昨夜来店された高齢のご夫婦。

ご主人は来年80歳になられるとか。
奥様も同じくらいかな。そのご夫婦が来年インドへ行こうかな、というお話。
夫婦で世界中を旅行してこられたお二人が旅のメインディッシュに選んだのがインドだなんてうれしいではありませんか。
40歳を過ぎてからインドデヴューをして、自称インド研究家になった僕にしては、
ご夫婦のインドの印象を聞くのがとても興味があります。
トラブルに遭われることはないと思いますが(ツアー旅行ですから)、
奥様は体調の変化を気にされてましたので、
どうかご無事な旅をお祈りいたします。もっとも僕のアドヴァイスで、
インドの旅のベストシーズンをすすめたところ、来年の10月ということになりました。
 

このブログに多くの方のインド話が飛び込んでくることを期待しています。
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by yoyotei | 2009-11-05 02:45 | インド