<   2010年 09月 ( 2 )   > この月の画像一覧

 

実況トライアスロン

『「2010村上・笹川流れ国際トライアスロン大会」が26日、村上市で開かれた。秋晴れの県北を舞台に、国内外から集まった約700人のアスリートが、鍛えた肉体の限界に挑んだ』
 これは大会の模様をつたえる地元紙の書き出しである。「肉体の限界に挑んだ」のはいいとしても、記事の見出しが20年このかた紋切り型だ。『「鉄人」700人限界に挑む』とあるのだ。

 1974年、アメリカ南西海岸の港町、海軍基地のあるサンディエゴで若い海兵隊員が太平洋を眺めながら話していた。
「ボブ、君は水泳が得意だってね」「ああ、先週の休暇にはサンタクルーズ島からサンタローザ島ま泳いで渡ったよ。13マイルはあったかな。そういうマイクだって、マラソンにかけては基地では右に出るものがいないって、ジムが感心していたよ」「ジムはいつだってラージスケールなのさ。そういえばジムのやつ、自転車の尻にすごい‘おでぶちゃん‘を乗せてソラナビーチまでペダルをこいだって、まったくよくやるよね」「ちょっと思いついたんだけど、スイム、ラン、それに自転車の3種を一度にやったらどうだろうね。そうとうハードだと思うけど・・・」

c0223879_5593589.jpg

 そんな会話があったかどうか。かれらの発想が4年後、ハワイ・オアフ島での「第1回大会」となって実現し、参加15名のうち12名が完走した。通常、ロングタイプといわれている、水泳3,9Km、自転車180、2Km、ランニングはフルマラソンで42,195Km、計226、295Kmを、途中休憩を挟むことなく継続する。超人的な体力と精神力が必要とされるために、これがアイアンマン(鉄人)レースと呼ばれたのである。日本では1980年に鳥取県皆生温泉での競技を皮切りに、「全日本宮古島大会(沖縄県)」「アイアンマンジャパンびわ湖(滋賀県)」が開催されるなどして全国へ広がっていった。
 その後、健康な身体づくりと全身持久力の維持を目的に、安全をモットーとして、より多くの人たちが参加しやすい距離に短縮された。スイム1、5Km、バイク40Km、ラン10Km、計51、5Kmである。現在、国内外で主流として採用され、シドニー五輪から正式に認定されたこともあって、オリンピック・ディスタンスと称されている。「鉄人」が紋切り型だというのはそのことだ。鉄人とオリンピック・ディスタンスはなじまない。当地では早い段階からオリンピック・ディスタンスで競技をおこなっている。
 とはいうものの、今回の最高齢参加者は男子77歳、女子69歳だった。69歳の女子選手は73歳の夫とともに夫婦での出場だった。私からすればこの方たちはまぎれもなく「超人・鉄人」の部類に入る。
 より広範にトライアスロン競技を楽しむために3人でそれぞれの種目を担当して、リレーでつなぐスタイルも定着してきた。今大会では50組もの参加があった。
 私はといえば今回も実況MC担当だった。

「今大会の特徴のひとつにリレー部門の参加が多いことがあげられます(ここからはなぜかMC口調になる)。その中から特に東京都から参加の‘どんとこい初心者!‘チームに注目してみたいとおもいます。メンバーはS、M、Wの各選手、20代前半から半ばにかけての若いチームであります。チームリーダーのS選手は2008年のこの大会に単独でデビューし、みごと完走していますが、今回はそのときサポーターだったW君、大学の後輩のM君をともなってリレー部門に挑戦であります。スタートのスイムはS選手ですが、2008年の大会では海が荒れていたために、デュアスロンに変更されて砂浜を走りました。S選手にとって、スイムは初挑戦となります。今回スイムは予定どうりにおこなわれますが、ごらんの通り今日の海もかなり荒れております。波がテトラポットを襲い白いしぶきをあげています。、どす黒くにごった海は上下に激しくうねっています。750メートルの折り返し点付近は、テトラポットが途切れているために、うねりは選手たちを容赦なく翻弄するでありましょう。さあ、リレー部門のスタート時間が近づいてきました。
‘ウンコしてきます‘え?あっ、S選手がトイレに向かいました。極度の緊張でS選手、体調を崩したのか、はたまた余裕なのか。昨夜は深夜12時過ぎまで飲んでおりましたが、不摂生をここへきて露呈しています。M,W両選手もいささかあきれております。ああ、S選手が帰ってきました。すっきりした様子ではありますが・・・。ん?ふんふん、ウエットスーツの下のパンツを?前後逆に穿いていた?なんということでありましょう。心ここにあらずの状態です。まもなくスタートであります。私、先ほど途中でギブアップするときのアピールを伝授し、背中をビシャッとおもいきり叩いて‘活‘を入れたのでありますが、とても見ておれません。フィニッシュ地点へ移動して待ちたいと思います」

c0223879_615814.jpg

 4年前の夏、私の店に近所の料理屋の娘さんが2人の学生をつれてきた。酒を飲んで話しているうちに朝になった。話の中でかれらが東大生だと知った。その後、夏になると料理屋に宿泊しながら、朝まで飲んで語り合うのが恒例のようになったが、その間に2人は大学を卒業して、日本を代表する大手商社に就職した。その2人がS君とW君だ。今回はじめてきたM君も同じ大学を卒業後、大手の広告代理店に就職している。

「フィニッシュ地点に移動してきました。ここからはMCパートナーの‘マドンナMIYAKO‘とともに実況を続けてまいります。(このマドンナMIYAKOが料理屋の娘さんだ。数年前からふたりでMCを担当している)私、今回はリレー部門の‘どんとこい初心者!‘チームに注目していますがMIYAKOさんはいかがです?‘はい、私もそうなんです。スタート地点でのかれらの様子はどうでした?‘それがもう・・・。S選手にいたってはスタート直前にウンコはするし、パンツは前後ろ逆に穿くし、もう見ていられませんでした。‘まあ・・・。昨夜ずいぶん遅くまで飲んでいたのではありませんか?‘遅くまでって、あなたもいっしょだったではありませんか。ベロベロに酔っ払い、深夜の路上で‘あしたはガンバロー‘って、5人で気勢(奇声)をあげたじゃないですか!‘そ、そんなあ・・・。これ放送に入ってるんですよ。私まだ嫁入り前なんですから、イジワル」(もちろんこんなことは実際にはしゃべりません)
 さあ、選手たちが続々とフィニッシュしていますが、‘どんとこい初心者!チームのW選手はまだ姿を見せません。S選手、M選手とたすきはつながったのでしょうか。たすきではない?ああそうです。記録計測用のアームバンドをつなぐのでした。W選手も不安があるんですよ。どうもランのコースがよくわかっていないようなのです。前を走る人について行けとか、わからなくなったら沿道の人に道をたずねるようにとアドバイスはしたんですが・・・。なにしろインドでイカサマばくちに引っかかって、ボコボコにされた上に大金を巻き上げられたっていう人ですから。レースナンバー731というのも気になります。第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関に731部隊というのがありまして、正式名称は関東軍防疫給水本部といいますが、細菌戦の研究や人体実験などもしたらしいですね。戦後、帝銀事件というのがありましたが、これにも関与していたのではないかという話もあります。731部隊の部隊長は石井四郎中将という人で、石井部隊ともいわれました。‘あの、トライアスロンに関係ないことしゃべらないでください!あっ、見えました!レースナンバー731石井部隊、あっまちがえました。どんとこい初心者!チームの石井選手、あっまたまちがえました。W選手です。もうっ、よけいなことばかりしゃべるから・・・‘(MIYAKO涙声になる)。‘どんとこい初心者‘チームのW選手、意外に元気であります。W選手ガンバレガンバレ!後2周だよ。冷たいビールが待ってるぞ!ううっ・・・。‘どうしたんですか?‘ちょっと腹具合が・・・。昨夜、あの後、朝の3時まで飲んでおりまして、私も体調管理ができておりませんでした。ウンコしてきます。ひとりでやってて。‘んん、もう!‘」
c0223879_16155780.jpg

 私がトイレに入っている間に3人はフィニッシュゲートをくぐり、無事に完走した。かれらの表情には達成感があふれていた。今回はじっくり話すことができなかったが、S君が一冊の本をすすめてくれた。『これからの「正義」の話をしよう~いまを生きるための哲学~』(マイケル・サンデル・著 鬼澤忍・訳 早川書房 2010年)だ。近頃は新刊書を買うことがほとんどない。久しぶりの書店でその本を手にし「ああっ」と思った。NHKテレビで「ハーバード白熱教室」というのを偶然2度ほど見たことがあったが、それはハーバード大学で超人気の講義を一般公開したものだった。著書はその講義をもとに書かれた『Justice(正義)』の邦訳だったのだ。
 ほとんど一気に読み終えた。詳しくは触れないが、第6章/平等をめぐる議論~ジョン・ローズの一節、「分配は自然のめぐり合わせによって起きるが、その結果は道徳的観点からすると恣意的だ。所得と富の分配が、才能という生まれ持った資産の分配によって決まるがままにしておくのは、それが歴史的・社会的運命によって決まるのと同じくらい筋が通らない」が、はからずもかれら3人を想起させた。ストレートで東京大学に入学するほどの学力を持ち、一流企業で安定した高収入を約束されたかれらはこの部分をどのように読んだのか。もう2、3回熟読をして、今度かれらと会ったときの酒の肴にしようと思う。著者には失礼だが、哲学も大事ではあるが、私には酒も同じように大事であって、いい肴は酒をよりうまくするものなのだ。
、 
[PR]

by yoyotei | 2010-09-30 15:51  

大峰山

「山小屋ライフを味わいたい」
そんな私の希望を仲間たちがかなえてくれた。条件をつけた。ハードな登山はしないということである。仲間が選んでくれたのは新発田市の北に位置する大峰山。日本で一番小さい山脈とされる櫛形山脈の一つで,標高は399メートル。山桜の名所で5月にはそれを目当てに賑わう所だという。
 8月29日の午後、猛暑の中を男性3人女性2人で出発。私を除いては登山の愛好者たちである。「山小屋ライフ」といっても、つまりは山小屋に泊まって酒を飲むことだ。ビール、日本酒、ウイスキー、焼酎と酒類は豊富に用意した。食材も肉類をメインに、大宴会のいでたちである。私はギターも携行した。リュックはインド行きのものを使ったが、1ヶ月のインド旅行よりも重くなった。
 車を降りて歩き始めるといきなり登りである。下山してきた人に聞くと、30分で山小屋だという。ハイキングコースと案内板にあった。そんな軽登山コースなのだ。だが、歩き始めてすぐに汗が噴き出した。息が切れる。
 昨夜は店が予想外の忙しさで、午前4時まで客と飲んでいた。この日の昼には釣りの仲間との恒例行事「鮎を食べる会」にも顔を出してきた。さすがに酒は飲まなかったが、睡眠時間は充分とはいえない。あわただしく酒や肉を買い、氷や保冷剤をリュックに詰め込んでの出発だったのだ。なにやら言い訳めいているが、万全の体調ではない。気温も30度を超えている。
 それにしても辛い。10分ほど登って早くも15分の休憩。リュックを下ろして、頭から首筋に水をかける。女性二人はリュックを担いだままで休んでいる。再び登り始めてすぐに女性の一人がギターを持ってくれた。私の辛い様子を見かねたらしい。10分ほどしてまた休憩。休ませてくれと私が要求した。
 ようやく山小屋が見えた。みんなはそのまま山小屋へ向かったが、私はへたり込んだ。
 
 山小屋の窓を開けると涼風が吹き込んできた。今夜の泊まりは私たちだけだ。汗でぐっしょりになったシャツを脱いで上半身裸になった。先ほどまでの意気地なしが、急に元気になった。眺望がすばらしい。遠く日本海まで見通せる。明るいうちに始めようと、さっそく野外に宴会場を設置。熱々の肉をほおばり、冷たいビールを呷る。至福の瞬間だ。苦労して担ぎ上げた最高のご褒美だ。こうなると私の元気は加速する。
「幽霊かと思った」とだれかが言った。知人が差し入れに1人で登ってきたのだった。保冷剤で冷やしたワインと塩イカ。「これを付けて食べるとうまいですよ」とキムチのタレまで・・・。うれしいやらありがたいやら。飲まないで下山するという彼を、無理やり飲ませて泊めることにする。遠い町の夜景を眺め、花火に興じ、歌をうたい・・・。小屋に引き上げてからも飲んで語り合ったが、話の中身はまったく覚えていない。私は上半身裸のまま布を被っていつの間にか眠っていた。
c0223879_1813161.jpg
 
 翌朝、知人は仕事があるからと早々と下山していった。朝のすがすがしさの中を初老の男性が登ってきた。週1回の大峰登山を欠かさないのだという。ゆっくりと朝食をとって下山。リュックが軽い。前日の登りはしゃべるのも億劫だったが、軽い冗談も口をついて出る。誰かが歌いだし、やがて合唱になった。

 帰路、温泉で汗を流した。だが足が重い。徐々にふくらはぎが痛くなってきた。帰宅しても動く気にならず、膏薬を貼って店は臨時休業。仲間たちはすでに次の登山の計画を立てている。わが身の体力の無さには驚くばかりだ。若い頃から、瞬発力はそこそこあるが、持久力に欠けているという自覚はあった。しかし、身体を鍛えたり体力保持に努めたことはほとんどない。衰えにまかすだけである。「山小屋ライフ」は偶然私の誕生日にあたった。これを機に歩くことからでも始めてみるか。
[PR]

by yoyotei | 2010-09-01 18:13