<   2011年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

 

インドの路上で

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 写真の男とは1998年の秋、ニューデリーで出会った。この男が芸人なのか、思いつきで私に声をかけたのか、それはわからない。
「どうだい?ジャパーニー、俺の芸を見ていかないか」
「どんな芸だ!」
「そこに石があるだろう。あれを持ち上げる」
 単なる力自慢なのかと思った。そこらには切り出した石が転がっているが、石は力自慢でなくては持ち上がらないような大きさでもない。だが、私が立ち去ろうとすると、男は追いすがってきた。
「待て待て!これで持ち上げるんだ」
 男はルンギー(腰巻)の前をはだけると自分の股間を指差した。
 バカバカしさと、おかしさと、まさかという思いが交錯した。まさかという思い、それはインドだからである。
「100ルピーだ。いいなジャパーニー」
 見届けてやろうと私は決断した。100ルピーはとてつもない金額だが、それでもいいと思った。
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 男は切り石を持ってくると、頭に巻いていた布を解いて石を結んだ。物見高い見物人が集まってきた。
 男は両足を開き、腰を落として石に結んだ布の端を、股間から引っ張り出した自分の一物に引っ掛けた。私の期待はそこからである。男はここで手を離し、突如として固く大きく屹立した股間の一物だけで持ち上げるのだ。それこそがインドの神秘、インドの奇蹟でなくてなんであろう。
 しかし、男は手を離すどころか右手でしっかりと自分の分身を握ったまま、「ムムッ」と呻きながら腰を伸ばした。石が地面を離れた。呻きながら男は目を剥いて耐えたが、それはわずかな時間だった。男が右手を離すと石はゴツンと音をたてて地面に落ちた。
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 私は声をあげて笑った。見物人からも笑いが起こった。石の重量は股間の一物にかかったにちがいないが、それが股間からスポッと抜けないかぎり(抜けるはずもないが)、重みと痛みに耐えれば石は持ち上がる。まさかと思いながら、期待した神秘も奇蹟もなく、超人的な技でもなかった。芸ともいえないバカバカしさとおかしさが辺りを包んだ。
 男は体操競技の着地のように両手を挙げてポーズを決めたが、それがまたさらに笑いを誘った。だが、男の顔は真剣そのものだった。
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「演技」を終えて男は100ルピーを要求してきた。300円ほどだ。私は50ルピーにしろと言ったが男は100ルピーを譲らない。
「よし、わかった。それなら今度は私が同じように持ち上げよう。100ルピーだ、いいな!」
そう言いながら、私ははいていたズボンを下ろそうとした。すると男はあわてて50ルピーでいいと承諾した。私の「演技」は真にせまっていたようだった。

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 同じ時期のニューデリー路上である。私には芸に見えなかった。なにかの発作でも起こしたのかと思ったのだが・・・。

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 兄が太鼓を叩き、妹が踊っていた。もっとも兄妹というのはこちらの勝手な思い込みだ。2人に確かめたわけではない。
 数枚の写真を撮らせてもらったお礼に何かご馳走しようと言うと、アイスクリームが食べたいとこたえた。近くのレストランに入ろうとしたら2人の入店は断られた。私が金を払うのだと言っても駄目だった。店員と私のやり取りを、2人は不安そうに眺めていた。
 結局、アイスクリームは店外の路上で食べることになった。それでも2人は、うれしそうにうまそうに食べてくれた。
「アッチャ?」「アッチャ!」(うまいか?)(うまい!)
 2人の笑顔がよかった。

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 男の右足が黒く変色しているのは「象皮病」と思われる。
 以前、メインバザールでガンガーと名乗る男と出会った。歩いていると足元から呼び止められた。「ヘーイ、ジャパーニーこの足を写真に撮れよ」
 見ると、地面に座り込んでいる男の右脚は、膝から下が黒く変色し、足首から足先にかけて大きく肥大していた。象皮病だった。
「撮っていいのか?」
「いいとも」
 病気の足を、むしろ誇らしそうにカメラの前に投げ出して笑うガンガーに、私は圧倒された。写真を撮ってわずかな小銭を与えたが、それ以来、通りで出会っても金を要求することはなかった。しかし、声をかけることは忘れなかった。
「ヘーイ、ジャパーニー元気かい?」
 彼の笑顔も忘れ難い。
 
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by yoyotei | 2011-01-22 20:29 | Comments(0)  

インドの犬たち

 
 ある年の秋、ニューデリーのメインバザールにいた。世界中のバックパッカー達が安宿と旅の情報を求めて集まるのがメインバザールだが、住所としての地名はパハルガンジという。ニューデリーの鉄道駅から、人と車とオートリクシャーがひしめき合う通りを命からがら渡り終え、その通りに入るとさまざまな商店が両側に連なっている。まさにバザールなのだ。数軒ある食堂のなかにオープン・カフェのように、椅子とテーブルが道端にせり出したような店がある。店頭のタンドール(インド風穴釜)で、ナンやチキンを焼いている店は、私の知るかぎりそこだけであった。何のカレーなのか、大きな鍋も野外でグツグツと煮えている。
 その日も私は、その店でタンドリー焼きの骨付きのチキンを頬張っていた。食べながら道路に目をやると1匹の犬と目が合った。
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 茶色の痩せたその犬は汚れるだけ汚れていた。皮膚病に冒されているのか、身体には毛の抜けたところもあった。そして、後ろ足は片方しかなかった。食べていたチキンの骨を犬の前に投げてやると、犬はすばやく片方の後ろ足で跳ねて骨にかぶりついた。そして、食べ終わると注意深く近づいてきて私を見上げた。
 店員は追い払おうとしたが、その店員を制して私は残りの骨も犬に与えた。

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 その日、私はメインバザールでもっとも汚い、したがってもっとも安いといわれる宿に泊まっていた。バックパッカー達の中で、話題にのぼるいわくつきの宿だった。私はその「ハニー・ゲストハウス」に巣くっている長期滞在の日本人の若者達のために、一匹分のタンドリー・チキンをテイクアウトして席をたった。その私の後を、犬は片方の後ろ足で跳ねるようにして追ってきた
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「帰れ!もう帰れ!」と声をかけたが、その犬に帰るところがあるのかどうか・・・。それでも、安宿「ハニー・ゲストハウス」に向かう路地に入ると、犬は追うことを止めた。振り返ると、しばらくは、こちらを向いて街明かりに逆光のシルエットをとどめていたが、何度目かに振り返ったとき、その姿は消えていた。

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「骨は残しておいてくれよ。犬にやるんだから」
 私は、「ハニー・ゲストハウス」で、タンドリーチキンをむさぼっている若者達に言った。

 翌朝、窓から差し込む光の中でチキンの骨を探したが、どこにもない。
「そこにまとめて置いたんですが・・・」
 若者達の1人が言い、誰かが「ああ、ネズミじゃあないですか」とこともなげに言ってのけた。日中でも天井の破れからネズミの尻尾がのぞいているような宿である。それにしても、眠っていたとはいえ、部屋には10人近くの人間がいるのだ。そうしたなかでネズミはチキンの骨を奪っていったのだった。
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 その後、「ハニー・ゲストハウス」を引き払って街に出たが、片足の犬には出会わなかった。

 インドで出会った犬たちはほとんどが野犬だ。汚れているし、皮膚病の犬も多く、狂犬病の犬もいる。それでも死ぬまでは生きていられる。
 ガンジス河の聖地ベナレス(バラナシ)では、深夜に野犬の群れに囲まれたこともある。人肉を喰う犬もいると聞いていて震え上がったが、なんとか事なきを得た。人々が沐浴をするガートの対岸へ行くと、生まれ変わって犬になるという。犬に生まれ変わることは、輪廻転生の中でも最悪のようだし、インド神話にはあまたの動物が神々と共に登場するのに、犬は出番を与えられていないようだ。
それでも都市では、リードにつながれて歩くペットの犬にも遭遇する。
 3枚目と4枚目のまだら模様の犬は死んでいない。生きて、この大胆さだ。
 
 20年前、ブッダが悟りを得たというブッダガヤという村を訪れた。アジア各国の仏教寺院があるなかでビルマ(ミャンマー)寺に泊まっていた。敷地内に寺で飼われているらしい、人なつっこい犬がいた。ある時、身体を撫でていてぞっとするほど大量のノミを発見した。以後、尻尾を振って寄って来ても避けるようになった。あれほどのノミを自分の身体に飼いながら、その犬は健康そうに見えた。
 わが家の犬なめろーを紹介したので、インドの犬にも触れてみた。画像の犬達と文章は関係がない。
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by yoyotei | 2011-01-22 00:19 | Comments(6)  

犬たちのひと時

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「そやからな、資本主義システムはな、それを批判する思想もまたひとつの商品として流通させて、そこから利潤を上げてゆくわけや。自然破壊はやめなあかんと思いながら、その元凶である都市型生活をやめて自給自足の生活に入ってゆく勇気はなかなか持てへん。その隙間に「森の思想」なんぞちゅうもんが入り込むんや。都市型生活から離れることのでけへん人が書いた「森の思想」が、おんなじように都市型生活から離れられへん人々によって受け容れられて、彼らのこころの罪悪感を癒してゆく。この構造を解明せえへんことには、現代文明をその本質においてとらえることはでけんのや」
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「早い話が、あんたの飼い主からしてそうやないか?ついこの間も、鴨長明なんぞを引っ張り出してからに、仏教思想か出家の思想か知らへんけど、降る雪を眺めて、罪障が降り積もる罪障が降り積もるなんぞとぬかしくさって・・・。おのれの罪障は棚に上げて、降り積もってんのは誰の罪障やねん」
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        「黙っていればキミも言いたい放題ですね。まあ、キミに仏教思想とか無常観などを説くつもりはありませんがね。なにしろ、あなたはこの世に誕生してからまったく年もとらず、ごはんを赤い皿で食べるか黄色い皿で食べるかさえ決められないんです。そうなふうに言うとあなたは、<お皿はみんな同じ色にすべきだな・・・>って負け惜しみをいうにちがいない。はじめから選択肢も設定しないで、迷うことからも考えることからも逃避するのです。わたしは人間の暦ではまだ7、8歳ってとこですけど、犬年齢ではほとんど晩年です。近頃はトイレも近くなって、紙おむつが欠かせなくなりました。そうなって初めて悟ることもあるのです。<ミネルヴァの梟は夕闇に飛び立つ>といいますからね。この文明が続く限り、キミは滅ぶことはないでしょう。でも、わたしは早晩、わたしの主人にしても遅からずこの世の命を終えます。滅びを直視することによって、不滅の力を見出そうとする教えが『般若心経』ですが・・・」
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「ほんでその不滅の力を見出したんでっか?見出せへんからジタバタすんのとちゃうのんかい!この文明が続く限り・・・とあんさんは言わはるけど、わいが言うとんのは、この文明が続くことを憂慮してのことや。人間を含めてすべての生物が他の生物を殺して食い、利用することによって生き延びてきたんやし、これからもそうや。そやのにこの文明は<生命>を直視する視点が弱いんや。また早い話になるんやが、日常的に肉や魚を食うてんのに・・・」
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「そうです、生き物というのはすべて他の生き物の命をいただいて生きています。わたしは特に肉類を好みます。でも、もう長い間生きている動物を自分で殺して食べることはしていません。それどころか、いったいなんでつくられているのかわからない<ぺットフード>が主食になっています」

「あんたはんもそうでっか。わいらビーグルは元はウサギを追っかけていたんや。ウサギを食っていかどうかはもうわからへんけど。それが今では、パワー・ドーナッツで体力をつけたり、ライナスにクッキーあげるからなんて言われてボールを追っかけてるんやから、ほんま洒落にもならしまへん」

「わたしもついこの間までは、中国の宮廷で可愛がられていたのです。それが近頃は飼い主の不景気な顔を見せ付けられてばかりです。おまけに時々は、トイプードルとかいう脚の長い犬がやってきては家中を我が物顔に走り回ります。わたしらの時代はもう終わりのようです。どうです。また、いつものように1曲聴かせてはもらえませんか?」

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「そうでっか、ほんなら・・・」
「今日はどんな曲を?」
「こんなんはどうでっか?」
「ああ、<As  Time Goes By>ですね」
「<時のすぎゆくまま>、映画『カサブランカ』で歌われたんやが・・・」 

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「胸に沁みます・・・、胸に沁みますが、わたしには思い出すような恋もありません。宮廷での栄華の日々も文献に残るだけで、わたしの記憶にあるわけではないのです。生きてるだけでいいって飼い主は言ってくれますが・・・」

      参考『生命観を問いなおす』(森岡正博・著 ちくま新書 2001)
     『スヌーピーたちのやさしい関係』(チャールズ・M・シュルツ・著 講談社+α文庫) 

 なめろーのひと言「むさくるしい顔でごめんなさい。カット前に録画したものです。投稿順序が逆になってしまいました」
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by yoyotei | 2011-01-16 10:27 | Comments(0)  

はじめまして、わたし犬の

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冬になれば、この地方に雪が降るのは毎年のことで、なにも驚くことはありません。でも、今年の冬は山陰地方から九州・四国地方までかなりの雪に見舞われて戸惑っておられることでしょう。こどもたちは喜んで、雪だるまだ、雪合戦だと、結構はしゃぎ回っているのでしょうが・・・。
 わたしも子犬の頃は、それなりにはしゃいだように見えたかもしれませんが、なにしろ脚は短い、鼻は低い、そのうえ毛は細くて長いという身体的特徴のために、雪はあまり好きではありません。積雪が20センチもあると、もう身動きができません。
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 ごらんのように、もう雪だるま状態です。特に脚は団子になります。お湯で溶かしてから家に入るという生活をここ数日続けています。垂れ下がった毛と雪でほとんど前は見えません。
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 で、久しぶりに「ミルキー・ハウス」へカットに行ってきます。暖かい時期には、ご主人が外でカットしてくれますが、こう寒いと主人も外へ出たがりません。じゃあ、ちょっと行ってきますね。


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 はーい!お待たせでした。今日は「ミルキー・ハウス」さんも空いていて、気持ち念入りでしたよ。道路は除雪車が入りますから、歩きやすいのですが・・・。
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 家の前は・・・、歩きにくいなあ。除雪しなよ。
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 どうです?わたしだって、カットすればそれなりに愛らしくなるでしょう。でも、この耳のリボンがねえ、いちおうわたし男子なんで。 
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 あらためてごあいさつを申し上げます。前に1,2度登場したことがありますが、わたし名前を「なめろー」といいます。なんともふざけた名前ですが、本人は結構気に入ってます。機嫌が悪い時には噛みつきますからご用心を・・・。どうぞよろしく。 
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by yoyotei | 2011-01-15 15:36 | Comments(6)  

雪が降る お客は来ない

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 真紅のシクラメンは昨年のクリスマスに届いた。水を与えると花がすくっと立ち上がる。生きている、を実感させる花だ。伊達直人(?)さん、ありがとうございました。
 写真は中1の孫娘だ。昨年、東京のモダンバレエ・コンクールでの1枚。今年の秋はバレエを始めた「大滝舞踊研究所」(村上市)の40周年記念公演に出演することになりそうだ。
 私も舞台美術かナレーションで関わることになるかもしれない。

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 前にも登場してもらった専業で農業経営をしているOtakiさん夫妻である。日中は一緒に仕事をし、休みには一緒に映画鑑賞などという仲良し夫婦だ。「ビールの原材料になる麦を植えたのでビールを造りましょう」という話になった。いいなあ。自分たちで造ったたビールで盛大な酒盛り・・・。やろうやろう!と私。密造酒?なんとかクリアーできるだろう。そういえばOtakiさんは羊も飼っている。ジンギスカンに手造りビール。メンバーを募ったら集まるんではないか。
 昨年末には除草の役目を終えた鴨をいただいた。毛をむしり解体して、今は冷凍庫にある。Otakiさんは農業を中心に据えながら、夢のある、遊びのある生活を実践しようとしている。孫ができたら「トゥリー・ハウス」を作って、と聞いたこともある。
 もともと学生時代には日本最西端の与那国島に滞在し、海に潜って魚を獲ったりしてきた自然派だ。また、卒業論文は「南島古謡」に取り組むなど、ジャンルの幅と歴史的奥行きにも造詣を持つ音楽愛好家でもあり、時には油絵の筆もとる趣味人だ。新婚旅行も与那国島だったというから、奥様も彼の影響を少なからず受けていると思うのは私の独断だが・・・。

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 この夜、来店されたお二人。男性のIkuさん(?)は関西、女性は関東だという面白カップル。 Ikuさんはメディア関係の仕事をしているということだったが、博識で情報通で豪放磊落。私のブログやTV映像も見た上での来店だったそうだ。女性の方もインドの話やインドで出会った写真家稲垣徳文など、共通の話題が炸裂、話していて興奮することしきり、Otakiさんも加わって楽しい夜だった。手造りビールができたら、一緒に乾杯したいお二人。そうでしょう?Otakiさん!
「2度とない人生だ。楽しまなくちゃあ」というアグレッシブな価値観を共有できる人たちだ。

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 年明け早々の、娘や小さい孫たちが来ていた頃の雪は、水分を含んだ「べた雪」だったが、ここ数日は雪遊びには最高の雪が降り続いている。今週末は吹雪の予報だ。
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 自宅も雪の中に沈みそうだ。駐車のスペースは除雪をして確保したが、この作業は腰に負担がかかる。これだけ積もると門から入れない。
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 店の客足もさっぱり。夜の灯りがことさらに寂寥感を誘う。寂寥感の中で『方丈記』を手に取った。鴨長明は元久元年(1204)、50歳で出家し、54歳の頃に大原から日野の外山に移って方丈の庵をむすんだ。方丈の庵とは3メートル平方、家の高さは2メートルそこそこ。その庵で長明は「(略)冬は、雪をあはれぶ。積もり消ゆるさま、罪障にたとへつべし」と記した。現代語訳は「冬は、雪をしみじみと見る。雪の積もったり、消えたりする様子は、人間の犯す罪障が、迷いによって生じ、懺悔によって消えるさまにたとえることができよう」となる。(『方丈記』簗瀬一雄・訳注  角川文庫 昭和48)
 45年前、「さらさらととけゆく雪もまたかなし春においたておいたてられて」と詠んだ人がいた。17歳の女子高校生だ。ちょっとしたつきあいがあり、言葉遊びをしていたときの彼女の作品だ。多くの人が待ち望む春も、雪の身になれば、ということなのだろうか。
 曹洞宗「飯野山龍皐院(りゅうこういん)」の参道に面した自宅の除雪をしていると住職が通った。「大変ですね」と住職。「まったくです。ほっておいても春になればとけるのに・・・。仏罰でしょうか」「はははっ。仏は罰を与えません」
 出家者鴨長明は降り積もる雪を人間の迷いから生まれる罪障に例えた。なるほど、この冬は雪が多い。罪障が降り積もる、降り積もる。
 
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by yoyotei | 2011-01-13 22:36 | Comments(0)  

あの顔、この人

 昨年の暮れから新年にかけ、店の客をデジカメに収めた。ブログへの掲載については、すべて許可をいただいたものばかりだ。もちろん、来客のすべてではない。店は(特に飲み屋とか酒場)、規模が小さければ小さいほど、その雰囲気を客がつくるという傾向がある。まさに私の店を彩ってくれる客たちだ。その都度、ストーリー付きで紹介したい人たちばかりだが、こまめなブログの更新ができないまま、ちょっとたまってしまった。

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 中央のワイルドな風貌の青年は、かつて私のこのブログに登場している。
 ちょうど1年前、2010年1月11日「出会いさまざま」のなかで紹介した。
 新潟アルビレックスのチケットをもらい、たまたま隣に坐っていた女性とサッカー観戦に行き結ばれたというエピソードの、あのカップルの農業青年がこのNiiizumiさんなのだ。
 この日、保育園の「こどもつながり忘年会」をしていた3組のファミリーが、夫婦の出会いの話になったとき、出会いは「夭夭亭」というカップルが偶然2組いたという。意気投合した男たちは、おくさんとこどもたちを温泉のホテルにおいて来てくれた。この日は定休日だったが、自然保護運動の仲間たちとの忘年会で店は臨時開店していた。
 左の男性が、そのもう一組のIchiokaさんだ。
 Ichiokaさんの場合も「それは吹雪に荒れる真冬の夜のことだった・・・」と語りはじめると、ちょっとしたラブストーリーのワンシーンーのようだが、舞台は私の店と冬の駅だ。いずれ、このブログに登場させたいと思う。Ichiokaさんには結婚披露宴にも招待された。席次表に「恩師」と肩書きがあって驚いたが、スピーチを求められ、「恩師」の肩書きについての説明と、新郎新婦の馴れ初めを語ることになってしまった。昨年、奥さんが女友達と来店されたが、しばらく誰なのか分からなかった。それほど、きれいになっていた。

 サッカー観戦がきっかけでゴールインしたNiiizumiさんは、この日しきりに「あれは自分のオウンゴールだった」と言っていた。どういう意味なんだろう?
 実はこの日の前日、そのチケットをもたらしてキューピッドになったKayoさんが、恒例のパーティーで来店していたのだ。
 もし、Kayoさんと会っていたら、Niiizumiさんよ、ワインの1本ぐらいではすまなかったかもしれないぞ!

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 左からMaya,Noriko ,Sachikoの女子3人である。Noriko さんとは初対面だが、MayaとSachiko(私は旧姓Murataで呼んでいる)は私の店に、ひとつの時代をつくった人たちである。2人は結婚しているが、Rumikoさんの場合は聞き漏らした。
 3人ともいうところの「アラフォー」だ。Mayaは画家志望だった父親を連れてきたこともある、お父さん大好きの娘だ。その父親は穏やかで、この地方ではめずらしいタイプの人だ。話していて時が止まる。元気だろうか。Mayaに、これも聞き漏らした。
 Murataはピアノ教師。教師の妻となっても自宅で教室を続けている。「マスオさん」状態で、温厚な夫と共に、目下のところ幸せ一杯といったところか。ノッポの彼と甘え上手でおチビさんの彼女。昔そんなコミックがあったな。「ちっちゃな恋人」(?)っていったかな。
 この女子たちとの会話が知的で大人で、ある種の問題提起を(私にとって)含んでいて、かなり面白い。多様な分野で、Mayaの説得力のある言葉は、ほとんどカリスマ的だ。この夜(朝)午前4時。私は椅子に腰掛けたまま眠っていた。


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 向かって右から、女学生、姐御、かにぞう、みやじい。昨年暮れの画像もあるが、これは新年明けてからのもの。「アケオメ・コトヨロ」の元新潟大学教授の丸山先生、この姐御が先生の教え子だそうです。元気でやっております。
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 2枚目。失恋したばかりだという「みやじい」の右は、暮れにテキーラを飲みすぎて店の床で眠ってしまった人。全員が同じ職場の同僚たちで、かにぞうを除いて、男たちはただいま「合コン」待機中。写真にはいないが、もう1人仲間の男がいた。性差、年齢差を超えて、快活に言いたい事を言い合う感じのいい集団だ。一緒に「森」を守り育てましょう。


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 今年の箱根駅伝は早稲田の優勝だったが、左端は昭和62年の箱根駅伝で、大東文化大学の選手として第9区を走ったObaさんだ。現在も毎年の100キロマラソン出場など、走ることを続けている。中央はAzusaちゃん。もっと若いと思っていたのに、26歳だとこの日知った。右はAzusaちゃんが働いている市内の居酒屋『我家(がや)』のマスターSomaさん。3人は1月16日、宮古島の50キロマラソンに行く。走るのは箱根OBのObaさんとこの夜はいなかったがChikaちゃんで、AzusaちゃんとSomaマスターはサポーターだろう。ちがうかな?

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 村上総合病院の忘年会の流れ組ご一行。院長、事務長、泌尿器科の医師などなど。外科のベテランである院長とは長い付き合い。彼はトライアスロンやマラソンなど、スポーツマンでもある。テーブルに彼のキープボトルがあるが、わかるかな。シーバスリーガルの瓶に白のサインペンであれこれと書いてある。このボトルの紹介は後日。
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 11月の「若女将の会」のひとり、料亭『能登新』の女将Yukikoさん(左)の職場つながりの友人Rumikoさん(中央)とShizukaさん。これも女子会。この後、Yukiko女将はカウンターの中に入り、友人たちはカウンターの客と交流。女子3人に店をジャックされた一夜だった。

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  新年早々のワンシーンである。
 かつて3年連続で「ミス村上高校」に輝いたという実績の保持者であるAkoさん。手を回して引き寄せているのは私だが、Akoさんとは30年前に舞台で共演している。モダンバレエ教室に通っていたAkoさんと、アマチュア劇団を立ち上げたばかりの私たち仲間が、教室の記念公演でコラボレーションをしたのだ。演目は手塚治虫の「火の鳥・鳳凰編」。片目片腕の和泉の我王が私の役だったが、当時はAkoさんを知るよしもなかった。なにしろ30年前だ。私のことは「怖かった」らしい。
 Aakoさんは詩人でもある。時々、新聞の文芸欄に彼女の詩が選ばれて掲載される。
 この夜は、兄と弟の3人での来店であった。あの兄弟に挟まれて育ったAkoさん、外見の美しさの奥に、とてつもない強靭さを持っているのだろうと思う。よく耐えて(?)いるねAkoさん(笑)。
 兄と弟はこのブログにたびたび登場していただいている長年の常連さんだ。兄弟(姉妹)、夫婦、親子など、ファミリーで来ていただくと、ちょっと違った意味で私は嬉しい。 
 
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by yoyotei | 2011-01-08 20:24 | Comments(3)  

アケオメ・コトヨロ

 年が明けてやっとブログを更新したのに、新年のあいさつをしていなかったことに気づいた。年賀状を出さないことを長い間の悪しき習慣にしていて、頂いても出さない礼儀知らずの横着者でも、せめてブログを覗いてくださる方々とは、新しい年を迎えられたことを喜びたいと思う。また、年賀状を頂いた方々にもこの場で新年のあいさつをしたいと思う。
あけましておめでとうございます
 にっしーさんブログでの励ましに加えて年賀状ありがとう。
 大村さん、Yosihoちゃんの誕生おめでとう。
 瀧川さん、さいたま市に引越しですか、少し近くなりましたね。
 松戸市の松澤さん、子どもさん達はもう社会人ですか?
 みっちよ、マック15歳は犬だよね。
 尼崎のサチ子さん、毎年の賀状ありがとう。都志見君も・・・。また、同窓会で会いましょう。
 ウッチー!また飲もうな。
 丸山先生、胃を全摘出してからの64ヶ国目ですか。頭が下がります。アビニヨン古代水道橋のスケッチ、うらやましい技です。年明けに早々に先生の教え子さんが来られました。林学を先生から学んだ女性で、県の森林研究所勤務です。
 山本君、佐渡の海へ行きたいと思っているのですが・・・。
 朱里ちゃん、素敵なお家ができてよかったね。また、パパママと一緒にヒゲジーのお店にお出でね。
 その他、親戚、縁戚のみなさま、本年もよろしくお願いいたします。あっ中村自動車様、昨日はありがとうございました。
 女優の蒼井優さんからは面識もないのに丁寧な年賀状を頂戴して・・・。え?あなたもですか。

     ぼくのたからもの
                   染谷 修平(東京・小2)

   こまったな どうしよう
   あした 学校に
   たからものを
   もっていかなくちゃいけないんだ
   それで おはなしもするんだって
   だけど
   ぼくのたからものは
   まきちゃん(妹)なんだもん
 『こどもの詩』(川崎洋・編 文春新書 平成12年)

 この本にはこどものすばらしい詩が収められています。読売新聞の「家庭とくらし」欄に掲載されたものだそうです。胸が熱くなる詩をもう1篇。

       大事なもの
                    上原 沙織(千葉・小4)

   お母さん もし大地しんがきて
   何か大事なものを持って
   にげるとしたら
   何を持って行く?
   わたしは
   おかあさんを持って行くよ   


 自分にとっていちばん大事なもの、宝物はなんだろう。
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by yoyotei | 2011-01-08 19:58 | Comments(0)  

また新年が巡ってきた

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両人対酌すれば 山花開く
一杯一杯 復(ま)た一杯
我酔うて眠らんと欲す 卿(きみ)且(しば)らく去れ
明朝意有らば 琴を抱いて来(きた)れ

 店のドアに掲げる新年のあいさつに今年は李白の詩を借りた。「山中にて幽人と対酌す」と題する詩だ。幽人(ゆうじん)は世を避けて山奥に住んでいる人をいう。山中で幽人と酒を酌み交わしていたら、酔って眠くなった。そこで李白は、君はひとまず帰れ、明日の朝、気がむいたら琴を抱いてまた来たまえというのだ。当時、中国の男子は教養として琴を弾いたという。
 李白には酒の詩が多いが、その中からこの詩を選んだのにはちょっとしたわけがある。昨年の暮れには店で客と飲んでいて眠りこんだ事が数度あったのだ。当地の特産「塩引き鮭」づくりに関わって、睡眠時間がかなり削られたことも要因のひとつだが、酒に弱くなったこともあるのだろう。夜の12時をとっくに過ぎているのだから、「我酔うて眠らんと欲す 卿(きみ)且(しば)らく去れ」と言えば、客だって素直に応じてくれるにきまっている。それが客と話をしながら眠ってしまうのだった。
 李白には「自遣」と題する詩もある。「對酒不覚暝 落花盈我衣 醉起歩溪月 鳥還人亦稀」。「酒と差し向かいでいたら、日が暮れたのに気がつかなかった。降りしきる花びらは、私の衣にいっぱいになった。酔った後の眠りから覚めて、谷川の月にそぞろ歩きをすると、鳥たちはねぐらに帰り、人影もまた稀であった」と、こちらは昼酒だ。私の場合は、夜明け近くに酔った後の眠りから覚めると、店には人影もない。客たちはタクシーを呼んで帰ったらしい。後片付けや洗いものをしていると、新聞配達の車が通る。

 そんな風にして年は暮れた。塩引き鮭の仕事が30日で終わり、大晦日はOgata氏と昼間から温泉に行った。彼が無料の入湯券を持っていたからだ。瀬波温泉の磐舟(ばんしゅう)という古い宿である。風呂場まで急な階段を上らなくてはならない。息が切れた。
 帰りがけにフロントで知人と会った。別のホテルに勤めていた人で、そのホテルで私の店の25周年パーティーをおこなった際に世話になった人だ。「いろいろありまして・・・」と、勤務先を替えたことに言及したが、具体的な理由をたずねるほどの仲ではない。その人の妹とは演劇を一緒にやったことがあったが、消息をたずねることもしなかった。腰が低く笑顔を絶やさない人だが、その笑顔にちょっと卑屈さの見えるのが気になった。

「紅白歌合戦」を観た。それも初めの数分だけ。赤組司会者が「ゲゲゲの女房」で、この連続朝ドラは貧乏時代が長く、漫画が売れ出したときには、ドラマに引きずられながら「よかった、よかった」と一緒になって喜んだ。現在放映中の「てっぱん」は村上あかり役の若い女優も悪くはないが、かつての東映任侠映画のヒロイン「緋牡丹のお竜さん」こと、富司純子がいい。実は「紅白」には特別審査員として彼女が出演するのではと予測していたのだった。彼女が出ていないのを確認してチャンネルを替えた。それにしても勝ち負けを争うようなこの番組のコンセプトには以前から疑問を持っている。「お遊び」だとしても幼稚だ。「紅白歌の祭典」でもいいのではないか。

 元旦。このブログの更新をと、パソコンに向かったら携帯が鳴った。「どうしてますか?」とJojiさんからだ。携帯を通して酒が匂って来る。「暇をしてるよ」「来ませんか。おふくろの所。酒、何かあります?」「あなたがこの間置いていった薩摩の焼酎が・・・」。話は早い。一升瓶をぶら下げて出かけた。
 Jojiさんの実家には88歳になる母親と未婚の妹が2人で暮らしている。彼とは長く濃い付き合いを続けて20年近くになる。社会的な活動はほとんど彼と連携してきた。酒もどれだけ酌み交わしたことか。短い海外旅行も数度、3年前にはインドまで引っ張って行った。インド行きの彼の服装がジャージにスニーカーだった。後日その写真を見た私の三女が、すかさず「ジャージ・Joji」と命名した。
 ジャージ・Jojiの妹が古いギターを出してきて、88歳のご母堂も老人クラブの集まりで配られたという古い歌の歌集を探し出してこられた。みんなで古い歌を歌った。やがて酔ったジャージ・Jojiが電話をかけた。共通の知人で1人暮らしのOgata氏にである。ジャージ・Jojiは「これから行くよ」と言って電話を切って立ち上がり、私も飲みかけのワインを持って彼に従った。
 Ogata氏のアパートのドアを叩いたが応答がない。あらためて電話をするが出ない。「おかしいな」と、ジャージ・Jojiはさらに激しくドアを叩くがやはり応答がない。「もういいよ」と彼を制してわが家へ行く。互いのグラスにビールを注いだところで私の記憶は途切れた。「我酔うて眠らんと欲す 卿(きみ)且(しば)らく去れ」と言ったわけではないが、酔った後の眠りから覚めると、ジャージ・Jojiの姿はなく、彼のカバンだけがむなしくソファーに置かれてあった。
 これには、後日談がある。Jojiさんが電話をした相手はOgata氏ではなかったのだ。まちがって電話をかけられた誰かさんは、今来るか今来るかと元旦の夜をジャージ・Jojiを待って過ごしたということだ。誠実さを疑われたOgata氏には罪もなければ事の成り行きを知る由もない。携帯の電源を切ってアパートは不在にしていただけのことだ。さすがのジャージ・Jojiも酔った自分の所業にしょげていた。

 今年の仕事始めは3日だった。10数名の予約を昨年の早い時期からもらっていた。
 この日、新潟市に住む次女と東京・世田谷に住んでいる三女が帰郷した。それぞれに1人ずつの子どもがいる。三女は4月末に第2子を出産の予定だ。私にとっては6人目の孫ということになる。
 いちばん年長の孫は今春、高校生になる。すでに志望校への推薦入学が内定したということだ。元旦にメールのやり取りをした。「今年からは高校生だな、ゆとりができたらキミと旅をするのが夢だよ。よい年になりますように」と私。「ボクもそれを願っています。また今度お会いしましょう。失礼します」。な、なんだ、この他人行儀な言葉遣いは・・・。塾とか学校で面接の練習でもした結果なのか。   
 
 7年前、店に来た県職員たちの中にその女性はいた。「今度、1人で来てもいいですか」といったが、数日後、顔を見せたときには男性と一緒だった。「どういうつながりなんだ?」と私が驚くくらいにその男性のことは知っていた。といっても知っていたのは彼のごく一部だけだったということを、深刻な報告と共に知ることになった。
 その女性Yokoさんはほとんど電撃的にその男性と結婚した。結婚を祝うパーティーには私も招かれた。教員をしていたが何らかの理由で辞めたことは本人から聞いていたが、その理由は知らなかった。その後、彼は安定した職についていたし、実家の支援もあって結婚生活は順調だと思っていた。やがて男児も誕生した。
 昨年の2月、深夜を過ぎても、いつになく賑わっていた店に彼が来た。以前から酔って普通ではない状態におちいることが気になっていたが、その夜の彼は視線がまったく定まらず、周りの状況も私の声もわからないようだった。車を呼んで、帰るようにすすめても聞き入れない。私が声を荒げ、たまたまいた古い常連の看護士がなだめて、ようやくにしてタクシーに乗せた。3日程して、迷惑をかけたと謝りの電話があった。大丈夫なのか?仕事には行っているのか?と聞いたが、応えはあいまいで声は小さかった。高校時代の担任で、彼をよく知る教師に様子を見てやってくれとそれとなく頼んだこともあった。
 正月気分の中にどっぷり浸かっていた4日。Yokoさんが1人息子を連れて店に来た。今までにないことだった。ただ事ではないと感じながら彼女が口を開くのを待った。
「彼と別れる事を前提に引っ越すことにしました」
 かすかな予想が的中したように感じた。
 Shinitiroさんや弟のHideyukiさんが息子の相手をしてくれている中で、彼女から話を聞いた。うつ病、アルコール依存、暴力・・・。パトカーを呼ぶなどの修羅場を繰り返した挙句の入院。「私がなんとか力になって・・・」と頑張ったが、「力尽きました」と彼女は涙を浮かべた。私は、子どもと自分のことをいちばんに考えることを進言し、きっと子どもが支えになると力づけた。話を聞いていたのかShinitiroさんは、「お母さんを守れよ!」と小学1年生の息子に何度も語りかけた。

「マスター、Yukaだよ」と、Hideyukiさんが自分の携帯を私に渡した。「Yuka、おめでとう」「マスター、今年は絶対お店に行くからね」「おお来いよ、待ってる」
 10年ばかり前、同じ村の中学の同窓生たちが足しげく店に通っていた。中心はHideyukiさんだった。毎月のように誰かの誕生会と称して集まっては遅くまで盛り上がった。後片付けをし、洗い物をして帰るのが彼らの慣わしのようになっていた。当時カメラ店に勤めていたYukaはそんな賑わいを撮影するのが常だった。おびただしい数の当時の彼らの写真は、今も店の引き出しにある。やがて彼らにも結婚の季節が訪れ、Yukaも結婚した。結婚すれば酒場から足が遠のくのはあたりまえだ。
 久しぶりのYukaの声だった。電話を切るとHideyukiさんが言った。「Yukaも厳しい人生を生きてますよ」「ん?」「Yukaのだんな、肩から下が不随なんですよ。自損の交通事故で・・・」
 私は言葉を失った。電話のYukaの声にはそんな重い現実を抱えた悲壮感はなかった。
 Hideyukiさんも結婚し、子どもにも恵まれながら離婚して数年になる。ようやく、再婚という選択肢も見えてきたようだ。昨年の暮れの「来年こそは・・・」という言葉に力がこもっていた。そして、新しい年が巡ってきた。

 冒頭の李白の詩の一節、「我酔欲眠卿且去」。「わたしは酔って眠たくなった。きみもひとまず帰りたまえ」は、「篇篇酒あり」といわれた六朝の詩人陶淵明による。酒が好きで、誰が訪れて来ても一緒に酒を飲んだ陶淵明だが、先に酔っ払ってしまうと客に向かって言ったという。
 李白はそれに続けて「明日の朝、気がむいたら琴を抱いてまた来たまえ」としたのだが、同じ酒飲みの私はこう言おう。
「何かあれば我が店に来たれ。何もなくても我が店に来たれ。琴は抱かずともよし。悩みがあればそれを抱いて来たれ。ここには酒があり人がいる」
 そして、歌ってあげよう。「喜びも悲しみも立ち止りはしない、巡りめぐって行くのさ」(『生きてりゃいいさ』河島英五)
 
 そういえば、暮れにIijimaさんが来た。東京でデザイン会社を立ち上げて20年。ようやく借金を返済したということだった。この厳しい時代に「本当に苦しかったです」と打ち明けた。そして、今年はおおいに飲みに来ますよと、嬉しく力強い言葉を聞いた。さらに、今小説を執筆中だという。おっと、これはまだ内緒かな。
 それにしても多才な人だ。かつては詩も書いていて、曲が付けられてCDもある。彼によってインド音楽家伊藤公朗、美郷夫妻を知り、私の店などで演奏会もした。夫妻の初めてのCDアルバム「YATORI」は今も店で流れている。
 アルバムの中で伊藤美郷さんは、ラビンドラナート・タゴールの詩を歌う。
「こんな夕暮れに 市場はもう終わったのに 籠をさげ あなたはどこへ急いで行くのです」。このフレーズは何度も何度も繰り返される。
 ほんとうに私たちはどこへ行こうとしているのだろう。なにを急いでいるのだろう。
 また新しい年が巡ってきた・・・。
 

 
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by yoyotei | 2011-01-07 20:12 | Comments(5)