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台風一過

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 「100均」でキャンバスを売っていたので暇つぶしに絵の具を塗ってみた。絵の具はチューブがブクブクになった46年も前のものだ。固まっていたものもあったが発色は悪くない。この二枚はまだ未完成で、小学1年生の孫娘を描くための練習画だ。10号のキャンバスは数ヶ月前から用意されているが、本気で取り組むには雑用がありすぎる。昨夜の客に、そんなに古い絵の具でも大丈夫かと聞かれた。彼女も相当古い絵の具を所有しているらしい。
 
 台風6号が西日本に強風と大雨をもたらせた後、太平洋を南下して行った。これまで続いていた朝からの暑さ、特に昨日は県内で30度を記録するほどの猛暑だっただけに今朝の涼しさが気持ちいい。
 暑い日々が続くなかでさまざまなことが出来(しゅつらい)した。伝統の村上大祭が交通事故に見舞われ、これによる知人の死。放射性セシウムに汚染された稲わらが肉牛に与えられていた問題。この事態は新潟県内にも波及し、村上市でも汚染わらを与えていた畜産農家があったことが報道された。今月末には所属する「市民ネットワーク」で「村上牛」の畜産農家を見学する予定になっている。どこまで続くのか放射能汚染。九州電力の‘やらせメール‘問題の発覚。怒りをこえて暗澹となる。悪質な世論誘導はまともな人間のやることではない。

「大滝ファーム」のユリの収穫手伝いは何年目になっただろうか。出荷できないものを大量にもらってはあちこちに配ったり、店の客に持ち帰ってもらったりする。「夏野菜の3点セット」というのは私が勝手に命名しているのだが、ナス、キュウリ、トマトの3種はこの時期、多方面からいただくことが多い。はっきりいえば、もてあますこともないわけではない。だが、花をもらって迷惑する人はいないだろう。「え!いいんですか、こんなに?うれしい!」。もちろん女性の反応だが、私の好感度アップに大きく貢献しているのはまちがいない。ユリを栽培しているShigeo&Yumikoさん夫妻、ありがとうございます。
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 久々の空手家コンビ、Shinichiro&Iinumaさん。右は前夜に次いで、この夜2度目の来店となるMurataさんだ。彼は常連さんたちとすぐに馴染んだ。酒もなかなかいけるね。まあ、家も近いしまたね。かつて結婚するまで常連さんだった、あのピアノ教師Murataの兄貴なのだ。
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 私の顔がここに登場するのはめずらしい。新しいデジカメでShinichiroさんが撮ってくれたので恥ずかしながら掲載する。
 
 Wカップでの「なでしこジャパン」の快挙!決勝の対アメリカ戦は早朝からテレビに見入った。「スポーツ音痴」で、キャプテンの澤穂希選手も、名前すら知らなかったが大きな感動をもらった。「苦しい時には私の背中を見ろ!」。なかなか言える言葉ではない。
 両手を突き上げ、跳び上がって喜びを表現できる瞬間を持つ人は稀だ。多くの人はささやかなことを喜びとして悩み多い人生を生きる。だからこそなのか、選手たちの頑張りに惜しみない拍手をおくり、活躍や成果を我がことのように喜ぶ人たちのいかに多いことか。スポーツに限らないが、努力や苦闘など、そこに至るまでの過程があるからこその喜びの共感なのだろう。選手たちといっしょに両手を突き上げて歓喜した人々のなかに、恥ずかしながら私もいた。 、
 監督と選手たちの関係もフレンドリーな信頼が感じられて好ましい。ただ、待遇や練習環境など、どうも選手たちの環境はよくないらしい。改善が待たれる。

 女子の活躍(?)は私の店でもあった。先週末のMikaさんたち「アラフォー女子会」は約5時間におよんだ。こどもの担任だった教師を囲んでのママさんたちが、店をにぎやかにしてくれた。「女子力」については、以前からそれを認めることには躊躇しないできたが、「なでしこジャパン」効果で、そのパワーはますます高まるにちがいない。
 今回の「粘り強さ」もさることながら、女子力のひとつに「後片付け力」があると思う。だいたい男たちは物事を始めることは得意だが、後処理については無責任を決め込むことが多々あると、あるテレビ番組でフェミニズム論客の田島陽子女史が言っていた。歴史認識についての言及だったが、ちょっと共感した。

 飯能市から、知人の紹介でE.Hayashiさんが来店した。脱サラをして池袋に居酒屋を開く準備をしているのだそうだ。食材の調査、調達など、その本気度はかつての私の開店準備など足元にも及ばない。探究心といい、専門性といい、なかなかのものである。数時間にわたって語り合ったが、明朗闊達、話題豊富で当意即妙な対応は接客サービスの適応性も抜群と評価した。焼酎がメインの店らしい。あっ、Hayashiさん、あの「湯上り娘」、粗熱を取らなくて熱々のまま食すのがいいですよ。なにしろ「湯上り娘」ですから・・・。

 
 昨日は「大滝ファーム」でマガモの羽切りを手伝った。Otakiさんたちはマガモに水田の雑草を食べてもらい、除草剤を使用しない自然農法で米を作っている。田植え以来の役目が終わったマガモたちは、水田の水を落とすと同時にネットで囲われた池に移す。その際、柵をこえて飛び立たないように羽の一部を切り取るのだ。
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『世界』(8月号)、東日本大震災・原発災害特集で高史明・高橋哲哉の「対談・日本のありようがまるごと問われている」が掲載されている。そのなかで「犠牲のシステム」という語句で日本の近現代を捉えていることが私の注意を引いた。
 高橋哲哉氏のいう「犠牲のシステム」とは、「在る者たちの利益が、他のものたちの生活[生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々]を犠牲にして生み出され、維持されるシステム」ということだ。原発の末端の現場で働いている被曝労働者といわれる人たちの存在、また絶対安全といいながら原発が地方にだけ立地されてきた「犠牲」のシステムも今回の原発事故で露呈した、と高橋哲也氏は指摘している。あまりに唐突だが「人柱」を連想した。
 ひとばしら【人柱】架橋・築城・堤防工事などで工事の極めて困難な時、神の心を和らげるための犠牲(いけにえ)として、生きた人を水底または地中に埋めたこと。また、その人。(広辞苑)
 原発の安全が「神話」であったことはまさに露呈したし、創られた神話であったことも明らかになった。<神話の神>はこの後どれほどの人柱、犠牲(いけにえ)を要求し続けるのか。

 前回のブログでデジカメが壊れたと書いたら、次女から新しいデジカメが届いた。もともと壊れたデジカメも次女からのプレゼントだった。ありがとう。せめて撮影テクニックの向上に努めないとね。
 
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 海や山の夕焼けは普通に美しいが、家並みの向こうが赤く染まると禍々(まがまが)しく、不安な気持ちになる。どうか明日も平安でありますように。
 文章中、今日、明日とあるが、今現在が22日午前1時25分だ。ずれがあるが修正しない。悪しからず・・・。 
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by yoyotei | 2011-07-21 21:21 | Comments(2)  

暗転!村上大祭

 伝統の「村上大祭」。本祭の7日の夜は私の店もけっこう賑わった。千葉県から来たという60代後半の男性は前夜に続いての来店だった。動機は数年前にテレビで紹介された私の店と私の顔だったという。愉快で旅なれた女性を同伴だったが、夫婦かどうかは聞かなかった。ご両人とも、隣り合った客達と古くからの知己のように打ち解けて話す人柄がなかなかだった。男性の方は口数は少ないが上品でにこやかで、二日目の夜のアロハシャツがよく似合っていた。白髪に整えた白い口ひげ。いつもならデジタルカメラにおさめてこのブログで紹介するのだが、カメラがこわれてしまったので、当分このブログは画像無しになる。
 旧姓Isiguriさんも娘さんと友人をともなって来てくれた。結婚後はSetoさんになって仙台市に住み、介護福祉士をしているという。何年ぶりだっただろう。祭りや盆にはこうした帰省客が顔を見せてくれる。うれしいことだ。
午前1時を回っても客は帰らず、私もほとんどグロッキー状態。その頃、とんでもない事が起きていたのだった。
 
『8日午前0時半ごろ、新潟県村上市上片町の幹線道路で7日夜に終わった「村上大祭」で
使った「オシャギリ」と呼ばれる山車を引いて歩いていた男性たちが、対向してきた乗用車にはねられ、静岡県御殿場市川島田の自営業吉川貞一さん(67)と村上市下相川の自営業室橋宏昭さん(44)が死亡した。ほかに意識不明の重体となった1人を含む6人が負傷した。
 村上署は、乗用車を運転していた村上市間島、会社員磯部真平容疑者(20)を自動車運転過失傷害の疑いで現行犯逮捕した。現場は村上市の中心部に近く、商店や住宅が立ち並ぶ地区。事故が起きた道路は片側1車線で、同署によると、祭りの時間帯の通行止めが解除された後だったという』
 
 大祭暗転!といった事態になっていたのだが、ショックだったのは死亡した吉川貞一さんが知人だったことだ。
 村上市出身の吉川さんは神奈川県箱根町仙石原の箱根観光ホテルの支配人をしていた。私も若い頃に一時期、箱根のホテルに勤めていた。当時は知る由もないが、時移り村上に居住した私はある人物と親しくなった。お茶屋を営むKosakaさんだ。彼の結婚相手Hirokoさんが貞一さんの妹だった。そのような縁で貞一さんが帰省した折には必ず店に来てくれるようになった。「箱根のホテル」つながりも縁を強くした。あるときは母親(半年ほど前に他界されていたのを通夜で知った)を、あるときには娘さんを連れてきたりした。帰省の折には勤務するホテル特製のジャムなどを土産にもらうこともあった。
 大祭に帰省するのも毎年のことだった。そのたびに法被姿で顔を出してくれた。昨年もそうだった。そのときに封を切ったボトルを、7日の夜に私は棚の奥から探し出しておいた。だが、この夜、吉川さんは顔を出さなかった。顔は出さなかったがやはり帰って来てはいたのだった。

 持ち主を失った「シーバス・リーガル」を私は少し飲んだ。笑うと両目が「へ」の字になる吉川さんの笑顔が浮かんできた。

 
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by yoyotei | 2011-07-11 07:10 | Comments(4)