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もういくつ寝ると・・・

 12月になってブログの更新がおろそかになっていたので、ここは思い出すまま一気呵成に書きつづる。そうしないと新しい年が明けてしまいそうだ。脈絡も時間の前後にもとらわれないこととする。またまた長くなってしまいそうだ。
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 まずはクリスマス寒波襲来のイブの夜、ブログで告知しておいた弦楽器による演奏会。
 なんと演奏者が6人も来てくれ、この日のために特別練習までしたということだった。参加者と一緒に「諸人こぞりて」を歌って演奏会は始まった。
 遠く土浦からはImaiさんが来てくださった。Shinちゃんが来た。Izumi夫妻が来た。奥さんのIkumiさんからは私にプレゼントがあった。ありがとうございました。来年からはみんなも見習うように・・・。

 「G線上のアリア」「アイネクライネ・ナハトムジーク」「きよしこの夜」と演奏は続いた。「アイネクライネ・ナハトムジーク」って第4楽章まであるのですね。第1楽章の出だしでは張り詰めた音と、その迫力の音量に持っていたグラスを落としそうになった。
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 Wadaさんが来た。最初からガンガン飲んだ。マイクさんが来た。Ootakiさんが来た。彼からは前日に鴨を3羽もらった。無農薬の米作りをしている彼の田んぼで雑草を食べて協力をした鴨たちは、役割を終えてこの時期、人間の腹におさまる。Otakiさんに絞めてもらった彼らの羽を河川敷でむしった。この夜の客に振舞うつもりだったが、飲んだりしているうちに料理ができなくなった。
 Souma さんが来た。Inabaさんが来た。別の忘年会を切り上げてカールママが来た。そのころには前半は終わって楽団員たちも飲む人は飲んでいたが、再び楽器を手にした。いつもは40万円もするギターを弾いているカールママが、私の安ギターで「おじいさんの古時計」を演奏した。チェロ、ビオラ、ヴァイオリンが彼女の演奏を盛り立てた。カールママには忘れられない演奏になっただろう。
 Mikaが来た。彼女には鉢植えのポインセチアをもらって、店の中がクリスマスらしくなった。来年からはみんなも見習うように・・・。
 
 記憶に残っているのはここらまでで、後は断片的にしか思い出せない。
 チェロのShinさんとビオラのNakazawaさん、それに私のギターで何曲か演奏して、感激のあまり「3人で旅に出ましょう」と叫んでいたようだ。私は気に入った人には男女おかまいなく「一緒に旅に出ましょう」という癖がある。言われた相手は困るだろう。

 Hideさんが来た。Koike君が来た。彼の友人の市役所職員が来た。Inagakiさんが来た。何人かがカウンターで働いていたようだ。Murataさんが相変わらずジョッキを傾けていた、ようだ。

 Soumaさんが「宮廷貴族になったようだ」と言ったことが記憶の片隅にある。この一言がこの夜の印象を代表していると思う。イブの夜を贅沢に演出してくれたバイオリンのHirayamaさんに感謝だ。そういえばHirayamaさんの奥さんも来た。

 寒くて目が覚めると朝の7時だった。店の椅子に座ったまま寝ていた。ほかにも二人の男が眠っていた。WadaさんとMurataさんだった。
「マスター、私のコートを着てるんですもの」とWadaさんが独特の声で言った。寒くてそこらにあったものを着込んだらしい。

 ホテルに泊まっているImaiさんに「塩引き鮭」を土産に届けた。2キロちょっとの小さいもので、私が塩引き作りの手伝いの合間に作った。いい仕上がりだったと思う。自分で手がけて試食をし、初めて「新巻鮭」と「塩引き鮭」の味の違いに納得した。
 東日本大震災で鮭漁の拠点のひとつである三陸地方が壊滅的な被害を受けた。それによって鮭の価格も高騰し、当地の加工業者も悲鳴を上げた。
 11月下旬から続いていた「塩引き鮭」の仕事は、イブの日の昼過ぎに終わった。
 
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 10時前、迎えのバスに乗り込んで「お話と忘年会」に出かけた。
 前夜のパーティーグッズ、トナカイの角を付けて曹洞宗の僧侶の話を聞きながらよく寝た。いびきが聞こえたと隣の人が言った。バチがあたるかも知れない。僧侶は私の店にも来たことがあるらしい。失礼なことだった。やはりバチがあたるかも知れない。僧侶の生き方には強い関心がある私なのになんということだ。
 温泉に入った。ちょっと熱めのいい湯だった。Kobayashiさんが一緒だった。彼は私よりも12歳年上だ。この年代になると男の尻は力を失って垂れ気味になる。だが、Kobayashiさんはとてもいい尻をしていた。趣味の山登りが形のいい尻を維持しているのだろう。といっても私の趣味が尻観察というわけでは断じて、ない。
 彼もトナカイの角を付けたまま僧侶の話を聞いていた。彼にもバチがあたるだろう。

 <エピソード①温泉>
 ある男とホテルの温泉に行った。20年近くも前だ。スキーの帰りだった。裸になって大浴場に向かうと、露天風呂の案内表示が目に入った。「いいなあ露天風呂」。どちらともなく言って、コンクリートの上に敷かれたすのこ板の通路をたどった。だが、通路を行けども行けども露天風呂は遠い。寒さに身体を竦めながら小走りに足を運んで、ようやく白い湯気を上げる露天風呂に行き着いた。
 外は横殴りの吹雪。冷え切った身体を暖めようと足を入れた連れの男が「ギャアッ」と声を上げた。私もちょっと足を入れて叫んだ。「熱ッツウウウ!」
 露天風呂の湯は、沸騰しているのではと感じるほどの熱湯なのだった。吹雪は素っ裸の身体を容赦なく襲う。寒い。このままでは凍死する。だが、温泉は熱くて入れない。大浴場に引き返すにしても通路は長い。水の蛇口を全開にし、二人の裸男は「寒い」「熱い」を繰り返しながら地獄の責め苦に耐えた。最後にはあまりの無様さに笑うしかなかった。
 露天風呂の温度調整は完璧であってほしい。特に冬季は・・・。


 温泉で温まってから宴会になった。飲んだ。カラオケを歌った。高齢の婦人に求められて「他
人舟」を歌った。歌にあわせてその婦人が踊った。腰の曲がったおぼつかない足取りの彼女が、人が変わったようにしゃきっとして振りが決まる。見事だった。
 その後、親しい者同士で二次会になった。会場はカールママの家。前夜、出番のなかった鴨を持って行った。鴨鍋を囲んで飲んだ。笑った。40万円のスペイン製ギターを弾いて歌いまくった。いい尻のKobayashiさん、隣人のOgataさんの二人の他は、前夜も一緒だったInaba,Soumaの各氏。キリスト生誕の夜が更けた・・・。

 ここまで書いて急にタラ汁が食べたくなった。 マダラのあらに肝、豆腐とネギが入った味噌仕立ての汁だ。ちょうど昼時でもある。近くの「YZマート」へ行った。タラのあらや太刀魚の切り身、ぶりの刺身などを買った。帰宅して驚いた。なんと「YZマート」のバスケットをそのまま持ち帰っているではないか。品物の代金は払ったが、バスケットは無断拝借、いやいや泥棒ということになる。店長やレジの人も顔見知りだから、今度行くときに持って行って謝ろう。
 先日はホームセンターで買った品物を置いたまま帰ろうとした。「お客様これっ」とレジ係にいわれて、恥ずかしかった。

<エピソード②履きまちがい>
 古い友人が訪ねてきた。「あの人もボケが始まってね」などと、友人知人の近況が話題になった。帰り際に玄関先で友人が「あなたもそこそこの年なんだからボケないでよ」と言い置いて帰っていった。
「その人、私の靴を履いて行ったのよ。まちがえたことにも気づかないで」と、元教師のKastumi先生が話してくれた。

 長く続く不景気でも師走の週末にはそこそこ人が騒ぐ。
 土曜日の夜、医師と看護師の女子たちが2次会で来店。Sachikoさんが「マスター大変!」とトイレから飛び出してきた。見るとすごい勢いで水が噴き出している。貯水槽と水道管をつなぐパイプが壁際で断裂したのだ。外の元栓を絞めて水を止めたが、店内では水が使えない。もちろんトイレも使えないし水も飲めない。洗い物もできないまま、その夜は閉店となった。
 どうやら酔っていたSachikoさんが身体を支えるために掴んだらしい。25年も経って老朽化していたのだ。翌日、水道工事をしているMaedaさんが修理してくれた。Sachikoさん、今度は掴まってもだいじょうぶだからね。

 夜、店の前から離れない犬を、向かいの店の若主人が見つけた。犬種はコーギーで、とても人懐っこい。首輪もついている。どこの犬だろうということになったが、近所にコーギーを飼っている家は知らない。犬は、店のドアを開けると勢いよく飛び込んできた。
 待てよ?確か、犬小屋を作りたいといっていた客がいた。その人は、ある朝、コーギーを散歩していたぞ。Murataさんがそうだ。電話をする。車を運転中だという。数分後にMurataさんがやって来た。彼の飼い犬、ロビーだった。 
 つないであった紐をはずしたのかはずれたのか、ロビーは主人を探して、行きつけの酒場にたどり着いたのだった。家からはおよそ300メートルの距離がある。  
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 小学校の課外授業で「インドカレー」の調理実習をしたことがある。その実習に6年生の息子さんと参加したというお母さんAbeさんが、友人と二人で来店した。その息子さんは確か大学生になったということだった

 ここからはデジカメにあった画像を掲載していく。顔を出されては困るという人も、どうして載せてくれないのかという苦情も不満もあると思う。今度、店に来て文句を言うように。
 森林研究所のみなさんがいる。結婚が決まった二人もいるかな。
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 Sakuraiさん(上)がかつてインドネシア・ジャカルタの日本人学校の教師をしていた頃、『ラグラグ・ダリ・インドネシア』という歌集を持ち帰った。それをベースにしてにわかバンドを結成し演奏活動をしたこともある。声もいいし、インドネシア語もできる彼がボーカル担当だった。仲間の結婚式や店で私が時折歌う「チャチャマリチャ」や「アヨ・ママ」「ウイドリ」は彼の伝授によるものだ。
 この日、Sakuraiさんは病気の治療入院の報告に来てくれた。笑顔の奥に不安もあるかもしれない。大丈夫に決まってるよ。元気になって帰っておいで。
 あなたをメインボーカルにして、「シンさんとその仲間」による弦楽グループの演奏会をしようよ。待ってるよ。
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 NPO法人「都伎沙羅」のみなさん、森林研究所のみなさん。白マスクで辛そうにしているのがHirayamaさんで「イブコンサート」の立役者である。その他といっては大変失礼だが、大勢のみなさんに来店していただいた師走だった。
 チェロを抱えているのはMurataさん、寄り添うのは「シンさんとその仲間」のバイオリニストYumikoさん。

 Abeさんが来店した夜、高校のダンス部恒例の同窓会的女子会があった。例年になく少人数で3人だけの飲み会だった。顧問で指導者だったTakizawaさんとは今年、隣家の葬儀や原発講演会でも会った。
 3人だけの忘年会はほかにもあった。Ootakiさん,Honmaさん、それにEbataさんの農業者による、こちらは男子会だ。農業を通じてそれぞれが個性的な意見を交わす。Honmaさんは自分で育てている「ノバセンブラ」という、私たちには珍しいユリを持ってきてくれた。
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「1回目は女友達と二人で、2回目は結婚前に一人で・・・。そして、今夜が3回目、10年ぶりです」
 先月、職場のみなさんと大勢での来店で、そう言っていたRyukoさんがまた来てくれた。女子3人でノリノリの夜でした。Ryukoさん、日曜日はごめんなさい。 
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 事務局員をつとめている「市民ネットワーク」の忘年会もあった。代表のIinumaさんから地元の名産「朝日豚」の差し入れがあった。
 立ち上がってのあいさつはTakakuさん。「ネットワーク」の顧問をしてもらっている。胃を全摘出してずいぶん面立ちが変わったが、来年に向けていくつもの抱負を話された。強い人である。
 この忘年会が「市民ネットワーク」の今年最後の事業と思っていたら、市議会で政務調査費の一挙4倍もの増額議案が議員発議で上程されるというニュースが伝わった。早速、議長に会談を申し入れた。市民も一緒にもっと議論を重ねるべきだというのが申し入れの主旨だ。
 私は「塩引き鮭」で忙しく、参加できなかったが「市民ネットワーク」のメンバーは活発に意見を述べた。
 だが「お手盛り」「てんこ盛り(大盛り)」の議案は賛成多数で可決された。
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 子育て真っ盛りのお母さんたちの飲み会もあった。今度は子連れでもいいですよ、ということになった。犬だってやってくる店なのだ。子連れのお母さん大歓迎なのだ。
 肴町のShimadaさんという青年が来た。中学校の柔道部で三女と一緒だったそうだ。「強かったですよ」と言ったが、お愛想にきまっている。
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 現在は新潟市在住のShimizu夫妻が来られた。ご主人は当地の総合病院の前院長で外科医、奥さんは内科医だ。ブナ林の保護運動で出会い、その後の当地への赴任で再会した。当地域を含めた医療環境などに高い見識を持ち、その実態を憂慮されている。「村上市民ネットワーク」で講師として話をしてもらったこともある。
 近年はいつも夫婦一緒だ。 
 
 じっくりと本に向かう時間がない中で、配達された『世界』の別冊「破局の後を生きる」を手に取る。3.11東日本大震災と原発災害の「被災の手記」を掲載したものだ。
 終わろうとしているこの一年は改めて振り返らなくても、3.11から始まったと言っていい。しかも、新しい年が巡ってきても、それで何らかの区切りがついたというものではない。被災地の苦悩は続いているし、原発事故による放射能汚染は先が見えない。
 
 この度の大規模破壊と人間の大量死は、文明や死生観を大きく問い直す契機をつくった。あの破壊の現場に立たなくては何も語ることができないと思いながら、私は現地にはいまだ行かないでいる。伝えられる画像に想像を重ねてきただけだ。
 通常の「人が死ぬ」という当然のことには驚かないが、これほどの大量死、しかも瞬時の大量死は、「人は死ぬもの」という穏やかな死生観をぶちのめした。
 自然は私たちを生かしてきた。その恵みに感謝を捧げながら人々は命をつないできた。その自然が、あるとき突然、恐ろしい牙をむく。生殺与奪は自然の独壇場なのだ。
 インドの神シヴァは「破壊と創造」の二つの顔を持つとされる。破壊をまぬがれようと、人々は感謝と慰撫を捧げて荒ぶる神をなだめようとしてきた。だが、私たちは神話の時代に生きているわけではない。謙虚に自然に向き合いながら、災害に強い地域や国づくりのために知見を集め、被害を最小にとどめる工夫をしなければならない。
 しかし、原発事故は自然災害ではない。荒ぶる大地と知りながら危険極まりない原発を建設した、またそれを許した私たちの間違いだった。その責任は重大だ。生まれた土地、慣れ親しんだ土地を追われた人々、いつ帰ることができるのかその見通しもつかない。
 なんということだ。私たちは新しい「流浪の民」を生み出してしまった。

 『世界』1月号の編集後記は次のように書く。
「メディアには、被災者が絆を取り戻し、復興に立ち上がったというような美談が多い。現実はそればかりではない。絶望、喪失感、虚脱感・・・・・。あまりに大きな破壊に、立ち直れない人も多い」
 あれほどの破壊に見舞われて、私だったら立ち直れないと思う。

 それにしても、人々はもっと怒っていいのではないか。不満をぶちまけてもいいのではないか。不信をさらけ出してもいいのではないか。 
 
 落語家の談志が亡くなった。生前に一度だけ寄席で談志を聞いたことがある。当時は言葉としてなかった「ドヤ顔」を見た気がした。落語の巧さは認めるにしても、癖っぽい人間性については好きになれなかった。
 死後、いくつかのコメントを聞き、生前の映像を見る機会があった。そのひとつは、新潟県の田んぼで自ら米作りをしている談志だった。稲刈りを終えた談志がカメラに向かって語った。
「こうして働いて手にするカネと、マネーゲームで手にするカネの色を変えて欲しいね」
 同じカネでも価値が違うということだ。ちょっと談志を好きになった。

 年賀状を出さない私にところに、今年は3枚の「年賀欠礼」が届いた。いずれも夫を亡くした方からのものだ。
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 バレエ公演の舞台写真が届いた。老人役の私だが、実態もほとんど老人である。
 先夜、客と話していて共感した。
「生きるってのは恥を重ねることだよね」
 とはいっても耄碌は恥ずかしいことではなかろう。
「子ども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」

<エピソード③粋な老人>
 社殿の階段に若い男女が腰掛けていた。ひとりの老人が境内の草取りをしながら近づいてきた。若い男女がいるのに気づいた老人が言った。
「私は耳が遠いから何を話しても気にすることはありませんよ」
 若い男は私であった。耳が遠いというのは本当でも嘘でもいい。粋な老人だと思った。若い女は、まあだれでもいい。
 
 今年も後わずかになった。多くのみなさんに今年も支えていただいた。感謝感謝の年の暮れである。
 先日、郷里島根の同窓生から万葉歌人柿本人麻呂の足跡を巡る観光マップが届いた。今年最後のブログを万葉集の歌で締めくくろう。
    
  新(あらた)しき年の始の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
 
 当地の元旦は雪になりそうだ。

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by yoyotei | 2011-12-29 13:07 | Comments(4)  

~イブの夜を弦楽器の調べで~

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 12月になった。師走であり、忘年会であり、クリスマスである。
 常連のバイオリニストHirayamaさんの計らいで、すばらしい夜が訪れることになった。「きよしこの夜 ~イブの夜を弦楽器の調べで~」と題するコンサートが実現するのだ。
 ブログ「セロ弾きのシンさんと仲間たち」(2011年10月12日)で紹介した、そのシンさんが新たな仲間たちを引き連れて24日の夜に来てくれることになった。
 G線上のアリア、アイネクライネ・ナハトマジーク、賛美歌などを、チェロ、ビオラ、バイオリンで奏でてもらえる。なんとも贅沢な夜になる。
 しかも、コンサートのための特別な料金は必要ない。いつものように飲みに来ればいい。クリスマスらしい酒と料理を準備しよう。セロ弾きのシンさんや仲間たちと、一緒にイブの夜を楽しく過ごそうということなのだ。
 開始時刻は、おおむね夜の7時30分ということにしている。きっと思い出に残る一夜となることだろう。

 参加資格は敬虔なクリスチャン、ではなかった。熱烈な夭夭亭ファンであればどなたでも。コンサートを「エサ」に誰かを誘うのもいいかもしれない。効果抜群だと思う。

 終演時刻?遅くなるだろうなあ・・・。
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by yoyotei | 2011-12-01 22:34 | Comments(4)  

いい男たちの夜

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 いい夫婦の日(11月22日)の翌日、Izumiさん夫婦が来てくれた。二人の結婚式が一昨年の「いい夫婦の日」だったのだ。2009年の「酒」と題した私のブログを見ると、二人の入籍の日に来店して、北海道旅行のお土産「小樽グラス」のお湯割りコップ(上)をいただいている。そして、その数日後、二人の結婚を祝うパーティーが夭夭亭で賑やかにおこなわれたのだった。
 
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 あれから2年。私の店が、二人の人生の大切なメモリアルになっているのだと思うと、いい店にしなければ、長く続けなくては、との使命を感じる。飲み屋に限らずリピーターのお客はありがたいものだろうが、この夜はほんとうに嬉しかった。そして奥さんのIkumiさんとメル友になった。
 ちなみに夫妻が来てくれた11月23日勤労感謝の日は、37年前1974年に私が店を開店した日だ。
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 Izumiさん夫妻が来店した3日前、新発田市に住むIshiguriさんが突然あらわれた。彼は私の店で現在の奥さんと出会って結婚した。大勢の友人たちが集まってのお祝いパーティーも私の店でおこなわれた。その中に結婚前のIkumiさんがいたのである。幸せの連鎖が私の店で続いたようで、どうやら伝説がまたひとつ生まれようとしているようだ。
 Ishiguriさん夫妻には5ヶ月前に2世が誕生したということだった。居合わせたMurataさんと犬小屋を作るような話をしていたが、どうなったかな。Ishiguriさんはイケメン大工なのだ。
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 左は女性ふたりのアッシーでやってきた、こちらもなかなかの好男子。右端は岩手の競馬新聞の編集者Uchiyamaさん。41歳で独身ということは聞いたが、どういうことで来店されたのかは聞き漏らした。聞いたのかもしれないが、この夜の私はかなり飲んでいた。
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 こちらもイケメンK.Odaさんだ。フラッとやってきて、ニコッと笑って、フラッと帰って行く。こちらに気を使わせない、フレンドリーな人だ。
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 いい男に年齢はない。介護老人保健施設の施設長Oguma医師と女性スタッフ。
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 右の女性スタッフは10年ぶりの来店だという。
「はじめは女友達と二人で・・・。その後、結婚が決まったとき、もうこういう店には来れないと思って
一人で・・・」
 その彼女が施設の忘年会の2次会でみなさんを連れて来てくれた。
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 イケメンシリーズを続けよう。
 中央は北原俊寛さん。東京でトータル・クリエイティブ・プロダクション「RUNS(ランズ)」を運営する。世界中を飛び回って写真を撮り記事も書く。初めての来店で、酒の話から料理の話、インドの共通体験も飛び交って楽しい夜になった。近所の割烹「千渡里(ちどり)」さんの紹介だった。
 今回は当地の地酒「大洋盛」の取材ということで、雑誌「PHPほんとうの時代Life+」の来年2月号に掲載予定らしい。右はShigeちゃん、左は通称キャサリン。偶然の出会いでも、いい男には美女が寄り添う。
 ということで、やはりいい男には美女が寄り添うのだ。
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by yoyotei | 2011-12-01 21:24 | Comments(4)