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黙っているわけにはいかない。今、語らねば。

 夏が往く。なにかに追われているような、なにかに立ち向かっているようだった今年の夏。猛暑もおさまり朝晩はすっかり涼しくなって、あちこちに足早な秋の気配。
 30日には「9条を守れ」「安全保障法案廃案」を掲げる抗議行動に参加した。雨の中、市内5ヶ所で40人ほどの参加者とリレーでマイクを握り、シュプレヒコールをあげた。この日、東京では12万人が国会議事堂を取り囲んだ。
 10月20日の宝田明講演のポスターとチラシができあがった。講演タイトルは「わが青春の戦争と平和」。キャッチコピーは「黙っているわけにはいかない。今、語らねば」だ。講演成功に向けての取り組みが始動した。
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 左は市内の建設会社3代目社長加藤さん。右の遠山さんは年に数回も通うというタイマニア。タイ語も堪能で、タイには友人も多いと聞いた。遠山さんも建設会社経営家族のひとりだが、旅好きな<自由人>といった印象と風貌は変わらない。<その人らしさ>がいい。
 タイへは私も1度だけ行ったことがある。<微笑みの国>と称されるように好印象の国だった。食べ物も旨い。そのタイのバンコクでこのほど爆弾テロ事件があった。遠山さんも心を痛めていることだろう。
 加藤さんはインドへの渡航歴がある。私と共通の旅の経験に話が盛り上がった。
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 ガンジス河の上流リシケシは<ヨガ>のふるさとといわれ、ヒンドゥ教の聖地のひとつでもある。酒も肉料理もない聖地で、酒飲み男3人が数日を過ごしたのは2008年の秋だった。今のところそれが最後のインドの旅になっている。
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 8月6日、村上駅前のカフェ扇屋を2時間ほど借り切って「平和カフェ」を開いた。戦争(戦時)体験を聞いて平和を考えようという「むらかみ9条の会」の取り組みだった。
 70年前のこの日、広島は世界史上初めての原子爆弾を投下された。平和宣言の中で松井広島市長は「広島をまどうてくれ」というフレーズを語った。隣県の島根で生まれ育った私は、瞬時に<まどうてくれ>の意味とともに、その言葉を使っていた半世紀以上前の頃に立ち返った。<まどうてくれ=元に戻してくれ>とは、ほとんどつぐない不可能な破壊状態からの怒りと悲しみの悲痛な叫びだった。
 秋葉広島元市長はかつての平和宣言で、<やれんのう>と原爆投下後の惨状の中で呻(うめ)いた広島の人々の声を取り上げた。苦しい、痛い、つらい・・・。人間が耐えうる限界を超えたとき、広島の人々は<やれんのう>と声にならない声を絞り出したのだった。「平和カフェ」開店のあいさつで、私はそうしたことを話した。
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「平和カフェ」では、介護施設で働くアカ裕子さんが歌ってくれた。コートジボアール人の夫を持つ裕子さんの、アフリカ内戦の現実に触れたトークと力強い歌声は圧巻だった。
 ピアノ伴奏をしてくれたアカさんのかつての同僚だったという川村絵梨歌さん(29)は、新聞記者のインタビューに「生まれたときから戦争がないことが当たり前だったので(今日の戦時体験者の話は)想像しがたい話ばかりだった。だからこそ今、平和とは何かを考えるいい機会になった」と話した。(『新潟日報』8月8日付)
「平和カフェ」を開いた私たちの思いが伝わったようで、うれしかった。
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 高橋澄子さんは昭和5年生まれの84歳。私と同じ町内の一人暮らしのご近所さんだ。高橋さんは、旗を振って兵隊を送り出したことなどを、渾身の力で立ち上がって語った。ある女性は、小学校の教師だった高橋澄子さんから「原爆許すまじ」の歌を教わったと話した。
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 駅前にある扇屋カフェは旅行者も立ち寄る店だ。貸切にしていた店の前を行きつ戻りつしていた二人を招じ入れた。奈良からやってきたという彼女と新潟の彼。二人の行く先に、この日に遭遇した「平和カフェ」体験は思い出話のひとつになるだろうか。
「年寄りばっか集まって<クウシュウ(空襲)>とか<ガクトドウイン(学徒動員)>なんて話してたね。あれって日本語だったの?」
 そんなことはないか。
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 カフェでは、ゲストスピーカーの斉藤勇さん(86)が東京大空襲の体験を、関川村の遺族会会長の平田時夫さん(83)はミャンマーで戦死した父のことを語った。8月8日付「新潟日報」は「戦禍の記憶生々しく」と見出しを掲げ、「平和カフェ」の模様を大きく報道した。
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 アヤさん(左)は初めての来店だっただろうか。レイさんは姉といっしょに来店したことも何度かある。ホームセンターの園芸コーナーで遭遇したのは今年の春だったか昨年の秋だったか。来年の春には連翹(レンギョウ)の黄色い花を見ることができるはずだ。
<アラフォー世代>のふたり。思い通りにいかないからこそ人生だともいえる。
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 予備情報もなく「夭夭亭」のドアを開けるにはちょっと勇気が必要だ。勇気あるふたりが 雄貴(ユウキ)さんと&ユウさんだ。共に23歳のふたり。「結婚は?」と水をむけると「10年後にお互いがひとりだったら」とユウキさん。「長くない?」「じゃあ5年」といきなり半分に短縮。それを聞いてユウさんは「7年・・・」
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「タイの少数民族にこんなのいなかったか?」「南米インディオには?」「首に輪をはめてる首長族とか」「ミャオ族は?」
 この夏、私を驚かせ、笑わせてくれたのは、6人いる孫の中では最年少の4歳児アンズだ。
『和泉式部日記-全訳注』(小松登美・著 講談社学術文庫)に、「日本人は平安時代から今日に至るまでの間、大きな民族的混血をしていない。しかし、我々が見逃しがちがちな非常に大きな混血を国内で数次に渡り経験し、しかも明治以降のそれは決定的」とあって興味深い。
 国際結婚はいまや驚くことではないが、国内においても明治以降、通婚圏が広がり、異にする地域の混血が繰り返されてきた。その結果としてこんな<少数民族系カワイイ>が生まれたということになろうか。
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 左は5年生の、彼女も私の孫娘のひとり。いとこ同士だが民族が異なっているかのような、著しい顔立ちのちがいだ。
 最年長の孫は8月末に20歳になった。「今度いっしょに飲もうや」とメールがきた。翌日は私の誕生日。大峰山で迎える計画は忙しさの中で雲散霧消してしまった。
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 地元の人か旅行者かは大体の見当がつく。富山から足を運んだ土地さん夫妻である。土地は<どち>と読む。富山市内でガソリンスタンドなど<トータルカーケア サービスステーション>を展開している。大田和彦さんの『居酒屋味酒覧(みしゅらん)第2版』情報での来店だった。暇な週末で、土地さん夫妻から誕生日を祝ってもらった。トヨタカさん&アツコさん、ありがとう。
 土浦の今井さんも、ありがとうございます。<連帯の誕生祝>きました。
 そういえばアツコさんも、孫のアンズと同じ<少数民族系カワイイ>だ。アンズには中国地方、越後、関東、南九州などの遺伝子が絡み合っている。アツコさんはどうだろう。
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『居酒屋味酒覧』の著者大田和彦さんは、『オール讀物』(文藝春秋社)2008年6月号から「居酒屋おくのほそ道」を連載していた。たまたま雑誌をめくっていて見つけた。洒脱な文章である。私が会ったときの大田和彦さんは<控えめな人>という感じだった。文体と本人とは印象がちがう。
『居酒屋味酒覧』で太田和彦さんは私のことを「インドを中心に世界を放浪しているという自由人マスターは、笑い顔のいい明朗な好漢で、カウンターに座った私は二分で友達になった」と書いた。<私は二分で友達になった>という表現がうまい。
<私は17歳で老いた>とはマルグリット・デュラスの『ラマン(愛人)』の書き出しだったか。あるい文中の1行だったかも知れないし、17歳ではなく16歳だったかも知れない。
<私は68歳で恋に落ちた>などというのもいい。<私68歳。青春まっ盛り>、かなり無理があるし、なによりも軽い。
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 8月4日、広島市で開催された「原水爆禁止世界大会開会総会」で宝田明さんは来賓 として挨拶に立った。
「きな臭い世の中になっている。日本は被爆国であり、憲法9条を持ちながら、それがなし崩し的にどんどん大地の中に埋もれていくような危うい時期にさしかかっています」
<黙っているわけにはいかない>宝田さんなのだ。

 右眼はよほど大きい文字でなければ読み取れない。だが左眼は細かい辞書の文字でも読むことができていた。その左眼がおかしい。文字に影がついたように二重になってきわめて読み辛い。いささか困った。宝田明講演実行委員のひとりがライトのついた小さいルーペをくれた。部分的にはよく見えるが本を読むにはあまり適さない。これからは本を読むための工夫が欠かせない。
 8月中のブログの更新ができなかった。眼のせいではない。

 
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by yoyotei | 2015-08-30 18:15 | Comments(0)