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小さな小さな倖せはここに

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長岡花火を見てきた。花火もすごかったが観客の数もすごかった。8月2・3の両日で120万人。私が観覧した3日は50万人の人出。それほどの人の海を視界に収めるのは未曾有のこと。会場への行き帰りも重要な思案のひとつだというが、次女の計らいで会場近くの駐車場が確保できたためにスムースな花火見物となった。
 豪華絢爛、大規模の花火だが、鎮魂、復興、平和への願いが込められたものと知れば、火の花が夜空に広がり、見上げている者に覆いかぶさってくるとき、息つく間もなく次々と打ちあがるスターマインに「オウッ、オウッ、オオーッ!」と声を発しながら、おのずと涙が滲んでくる。
<眠れるものは目覚めよ/天上に彷徨(さまよ)う魂はここに到れ/地上に臥す者はその顔を上げよ/いま夜空を轟かせ地を震わせて開く火の花は、天と地をつないだ/死者はひと時(とき)甦(よみがえ)り/生きてある者は冥府への道標(みちしるべ)を見た>
 そして私はといえば、トイレの帰り、自分の席を見失い迷子になった。やむなく席を探すのをあきらめて、空いていた桟敷に大の字に寝転んで天を仰ぎ続けた。途中、「マスター?!」と花火の明かりの中で声をかけられた。村上の元教師だった。50万人の中で知人に出会うこともある。

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 夏の夜のしばしの同窓生交歓は、1961年(昭和36)生まれの左からトオル、エミ、マコト、ノリコ、ヒデノリ、アツシの各氏。
「週間FM」で編集にたずさわっていたというノリコさん。あの数日後、キヨミさんが叔母さんと二人で顔を出してくれましたよ。「FM」ではないが、YOYOTEI(夭夭亭)が中継地になっているような気がして嬉しくなりました。
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 前回のブログではジョージさん(右)の親族のうち、<薩摩隼人><薩摩おごじょ>を中心に紹介した。今回紹介するのは、まずジョージさんの妻の姉の息子ヨウジさん(中)、その妻フミコさん。ヨウジさんは瀬波温泉のホテルで私と同様の仕事をしている。フミコさんは私の三女と同期、職場で<生き字引>といわれているそうな。彼女の父も<物知り>で古い馴染みである。
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 左から、ジョージさんの次男アキヒコさん、長男ケイスケさん、ケイスケさんの妻エミさん。
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 彼らが見入っているスマホの画面には<ケンシロー君>が映っているのだろうか。ケンシロー君はケイスケ・エミさん夫妻が飼っている、スローロリスという超小型の猿。9歳になるが人見知りが激しく<ビビリウンコ>をするので連れてはこなかったという。一度だけ私も<面識>がある。
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 エミさんとフミコさんは夫がイトコ同士だ。その妻たちは義理のイトコというのだろうか。 
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 半年ぶりの会田さんだ。以前のこのブログで出産予定を明らかにしたが、予定よりちょっと遅れて長男が誕生した。結婚して8年。さまざまな苦闘を経てのうれしい誕生だった。命名は陽嵩(ひたか)くん。スマホの動画で6ヶ月になった陽嵩クンは元気に<寝返り>をしていた。父になった会田さんのうれしさがズンズンと伝わる。あらためておめでとう!。
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 愛子さんが大きいおなかを抱えてやってきたのはいつだったか。その子が生まれて4ヶ月になった。こちらはユイちゃんと名付けられた。
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 愛子さんの父、友和さんと愛子さんの第一子アオイちゃん。アオイちゃん誕生の知らせを聞いたのは隣家本間桂先生の葬儀の朝だった。人が死に、人が生まれる。命の輪廻を実感したことであった。
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 会田さん(右)の目線の先には母に抱かれるユイちゃんがいる。命の不思議さ、命の重さ・・・・・・。
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 この夜はどうしたのだろう。「石亀」のエミさんまでも孫を連れてきた。生糸(きいと)ちゃんだ。生糸ちゃんの曾祖父から始まって、夭夭亭に顔を出した八藤後家の4代目となる。早々と酒場デビューを果たした生糸ちゃんだが、本格デビューになる頃には店も私の命も・・・・。「ウーム」である。
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 ナツキさん&コウシロウさん夫妻だ。ナツキさんの隣にはテレビ会社の統括担当部長を務める父アツシさんがいる。そのアツシさんは「俺はいいから、二人を」と画面には納まらなかった。そこには若い娘夫婦を見守る父の姿があった。
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 昨年10月の飲み会もスタートが夜の9時30分だった。今回も9時30分スタートで「二次会?」と思っていたが、予約の電話をもらったルミさんの名刺を見て納得した。名刺には「エステティック&リフレクソロジイ/ダイアモンド・ムーン代表」とあり、「ダイアモンド・ムーン」は瀬波温泉(株)ホテル汐美荘内にあるのだった。仕事が終わるのが9時過ぎということなのだろう。
 この夜はルミさんの誕生日だった。キャンドルライトに浮かび上がるルミさんは、その容貌と、かもし出す雰囲気がいかにも職業にふさわしい。二十歳前後の頃にも夭夭亭には来たことがあると聞いた。
 ルミさんの夫は建設会社を営んでいる。穏やかな印象の人だ。このグループ全体がエレガントな空気感に包まれているのはルミさんの存在があるからだろう。
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 初代の祖父は産婦人科を開業していた。父の代から眼科となり自分もそれを継承したドクター・トガシさんは、私の次女と小学校の同級生。彼の姉も眼科医で何度かの来店があったが、現在は沖縄に住んでいるという。<沖縄で暮らしたい>というのが動機だったらしい。
 マリンさんはドクター・トガシさんの姪で薬科大学生。彼女の母は<沖縄へ行った叔母>の姉だそうだ。
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 今回のブログは親子、孫、兄弟姉妹など、親族のつながりを紹介する内容になった。8月は親族や<魂>が寄り集まる季節、私の店にもそうした人たちが集ったようだ。
 この地に住んで半世紀近くになる私自身も、必ずしも親族ではないが、さまざまな人とのつながりの中で生きてきたし、これからも人とのつながりに助けられて生きる。
 6月末、ある人が旅立った。自ら立ち上げ長年続けた型枠工事の会社をたたみ、土を耕すことに新しい生きがいを感じていた。夏の朝、小学校の同級生だった妻と草取りをしていて倒れ、畑からそのまま天に昇っていった。<頑固だった父の、幸せな旅立ち>だったと、会葬御礼のはがきにあった。
 5月の連休に行われる「魚まつり」に初回から、子や孫を呼び寄せて大家族で参加。21回目の今年も元気にバーベキューコンロで魚を焼いていた。その日の夜には、彼の自宅地下室のカラオケルームで遅くまで歌いまくった。それが顔を見た最後になった。下の写真は5年前の「魚まつり」、前列右端がその人、山賀正喜さんだ。
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「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」『徒然草』(第九十三段)
<人は、死ぬことを憎むのならば、生命を大切に愛惜すべきである。この生きながらえているうれしさを、毎日よくよく心に味わい楽しまないでよいものであろうか>(訳注・安良岡康作/旺文社文庫1971)
 妻祥子さん(前列中央黄色のヤッケ)は喪主のあいさつをこう締めくくった。「これからは二人の日々の思い出を糧にして生きていきます」                              


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 運転免許証を更新した。というよりも更新できたというべきかもしれない。視力に不安があったため、直前に眼科で検査をし、規定の0,7以上が見えることを確認していたのに、更新当日はかろうじてのパスだった。車の運転ができるか否かによって生活は大きく変化する。まずはよかった。

 オリンピックが閉幕した。早朝からのライブ映像をほとんど欠かさず見た。喜びがはじけるメダル獲得者たち。強い意志、過酷な鍛錬、寄せられる期待の重圧・・・・・・。そうして勝ち取った栄光。「偉いもんだ」と拍手を送りながら、しかし私の思いは敗者へ向かう。私自身に勝利体験、成功体験がないからだろうか。
 9月25日(日)には「村上・笹川流れ国際トライアスロン大会」がおこなわれる。フィニッシュエリアで一般参加の出場者たちに、MC担当の私はマイクに叫ぶ。「自分への挑戦に打ち勝ったすべての人が勝利者です」。そしてオリンピックイヤーの今年は呼びかけるかもしれない。
「みなさんひとり一人の胸の中にいちばん輝くメダルを掲げて下さい」


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 村上駅前にあった「ビストロ駅舎」が店を閉じた。小学校教師を退職後にオープンした店は、面倒見が良くて姉御肌のトキコママを慕う教え子や相談事を抱えた客たちが集った。借用していた土地の返却期限となったための閉店だ。26年前、私も少しばかり開店に関与しただけでなく、遭遇するあれやこれやに耳を傾けてもらったこともしばしばだった。駅前のユニークな名物店が消えた。街はもう秋の気配である。
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秋の夜は更けて/すだく虫の音に
疲れた心いやす/わがやの窓辺
静かにほのぼのと/倖せはここに

星のまばたきは/心のやすらぎ
明日の夢をはこぶ/やさし君が笑み
静かなわが窓辺/倖せはここに

静かに静かに/街の灯も消えた
遠い空みてごらん/明日の夢がある
小さな小さな/倖せはここに
                               「倖せはここに」(作詞作曲/大橋節夫)
 
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 今日8月29日、私は60代最後の誕生日を迎えた。
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by yoyotei | 2016-08-29 05:39 | Comments(6)  

崩れ墜つ天地のまなか/一輪の花の幻

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(左から)泌尿器科医タドコロさん、産婦人科医セリさん、泌尿器科医ヒロユキさん。
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 セりさんは前女(まえじょ)の卒業生。前女とは前橋市(群馬県)の伝統的名門校前橋女子高校のこと。同じく男子校は前橋高校で、こちらは前高(まえたか)といわれている。伝統と現代性を併せ持つ優等生的美女のセリさん、結婚が近いと聞いた。
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 この1週間前には泌尿器科医タドコロさん(右)は、同じ泌尿器科医の先輩ヤマナさん(右)を伴って来店した。ヤマナさんもしばらく当地の総合病院に勤務したことがあった。久しぶりだった。
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 長い馴染みのターッキーさん(左)が、新潟市から仕事仲間のイトウさん(右)とケンタさん(中)を引き連れてやってきた。以前から思っていたことだが、タッキーさんを含めて、彼の職場には個性的な人が多い。<カレー好き>を自認するイトウさんは、その薀蓄(うんちく)も並ではない。日焼けした<サーフィン野郎>ケンタさんはウインドサーフィンではオールジャパン優勝の実績もあるという。
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親族というのは血統や結婚によってつながる人々のことをいう。まさにこれは親族大集合の一端である。最年長のジョージさんを中心に続き柄を紹介してみる。
 左からジョージさんの長女ユキさん、ジョージさんの妹でユキさんの叔母ミホコさん、ジョージさん、ジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさんの妹クニコさん、クニコさんの夫シンヤさん。
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 クニコさんの夫シンヤさんの右はジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさん。そして、トモヒトさんの母シホコさん、同父ケイイチさんの夫婦と続く。
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 ジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさんの妹クニコさんとクニコさんの夫シンヤさん、クニコさんとシンヤさんの長女は、おっと名前を聞き漏らした。
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 シホコさんとケイイチさんは幼馴染の同級生。シホコさんは学校卒業後、東京でバスガイドをしていたこともあり、同じくケイイチさんも東京で庭師をしていた。やがて故郷の鹿児島県阿久根市に帰った二人は結婚。長男トモヒトさん、長女クニコさんが生まれた。
<キャラが立つ>という表現がある。個性が際立つという意味で使われているのなら、まさにシホコさんとケイイチさん夫妻がそうだ。飲むほどに話がおもしろくなり、それぞれの人間性が浮かび上がってくる。シホコさんは阿久根市で「牡丹」という飲み屋を開業し、その個性と人間性で店を大繁盛させた。数年前に引退したが、今度はケイイチさんが蕎麦屋を開業した。また、ケイイチさんは海に潜る男でもあるらしい。
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 クニコさんとシンヤさんの長男アルト君(左)とユキさんとトモヒトさんの長男リュウヘイ君だ。
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 ジョージさんの長女ユキさんと長男リュウヘイ君。リュウヘイ君はジョージさんの孫ということになる。
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 ジョージさんと長女ユキさん、ミホコさんは越後村上の生まれ。リュウヘイ君は東京生まれだったかな。その他のみなさんは鹿児島県阿久根市生まれだ。
 画像には登場していないが、ジョージさんの妻エイさんは長く市会議員を務めたが、昨年12月に倒れ、今年5月の市議会議員選挙には立候補を断念した。徐々に健康を回復し、現在はリハビリ中のエイさんの<見舞い>ということで、この<薩摩おごじょ><薩摩隼人>の村上大集合が実現した。ジョージ・エイさん夫妻の長女ユキさんと、ケイイチ・シホコさん夫妻の長男トモヒトさんとの結婚が越後と薩摩を結びつけたが、越後出身の父と信濃出身の母が旧満州のハルビンで出会い、結婚したことによってジョージさんが誕生した。かくいう私は石見の出身で越後の女を妻にした。
「合縁奇(機)縁」という。「会者定離」とも仏教ではいう。夫婦も、血のつながった親子・兄弟姉妹であっても、いづれは別れる<定め>にある。だからこその、この<縁>なのだ。

 今日から8月。8月は私の誕生月であり、長女もその長男もこの月に生まれた。
 8月はまた<戦争>を想起する月でもある。
 昭和21年8月1日の朝、「私」は、上野ガード下の闇市場へ、再びやってきた。「きのうのイエスの顔をもう一度まぢかに見たい」と思ったのだ。「ふた目と見られぬボロとデキモノ」の浮浪児に「私」は財布を強奪されたが、「焼跡の新開地にはびころうとする人間のはじまり、すなわち『人の子』の役割を振り当てられているかもしれないその浮浪児は、「苦患(くげん)にみちたナザレのイエスの顔をしていた。(槌田満文著『名作365日』から石川淳「焼跡のイエス」)
 6月のブログのタイトル「明るく静かに澄んで懐かしい<音>、少しは甘えて・・・・・」とは、本屋大賞を受賞した『羊と鋼の森』(宮下奈都著)で引用された、小説家で詩人だった原民喜が憧れたという文体だ。
 広島に原爆が投下された昭和20年8月6日午前8時15分、原民喜は便所に入っていて命を拾った。
   遠き日の石に刻み
   砂に影おち
   崩れ墜つ天地のまなか
   一輪の花の幻
 広島平和記念公園の一角の原民喜の小さな記念碑に、この詩が刻まれている。原民喜は国鉄中央線の吉祥寺駅と西荻窪駅の間の線路に身を横たえて鉄道自殺をした。あの悲惨な原爆で<命を拾った>原民喜がなぜ、というほかはない。享年45歳、1951年3月13日深夜のことだった。
 
 昭和20年(1945年)の今日8月1日、長岡はB29の爆撃を受け、まちの8割が焦土と化し、1486名が犠牲となった。その忌まわしい空襲の日から1年後の同じ8月1日、「長岡復興祭」が開催された。昭和22年(1947年)の復興祭の1・2日には長岡の花火が「復活」する。明治12年(1879)長岡初の花火大会が行われ、その後は戦争によって中断されていたものだ。
 翌昭和23年(1948年)には、8月1日を「戦災殉難者の慰霊」の日とし、2・3日を「花火大会の日」と改め、現在に至っている。「裸の大将」こと山下清が貼り絵の「長岡の花火」を発表したのは昭和25年(1950)だ。「長岡の花火」は見たことがない私だが、山下清の「長岡の花火」は実物を見たことがある。
 8月3日、その「長岡の花火」を初めて見に行く。娘や孫たちも一緒だ。
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by yoyotei | 2016-08-01 05:36 | Comments(0)