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彼は問題を解決しなかったから偉大なのであり・・・・・

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「<きときと>の鰯(いわし)いらんかね!」
 行商の魚売りが、そんな売り言葉を発するテレビドラマを見た記憶がある。<きときと>とは新鮮で生きのいい様を表現するオノマトペだと思っていた。ドラマの舞台は若狭湾か富山湾あたりか。知人から釣ったばかりの鰯をもらったので『日本国語大辞典』(小学館)にあたってみた。それらしい意味としては<きっぱりと、はっきりと、しっかりと>などの意味が記されてあった。ちょっとした記憶違い、思い違いをしているかもしれない。
 新鮮なことこの上ない鰯は知人の薦めしたがって刺身で食した。これが鰯かと驚くほどに、その身は<きっぱりと、はっきりと、しっかりと>した食感だった。<きときと>の鰯はしっかりと鱗(うろこ)をまとっている。鱗はペットボトルの蓋でこそげ取るのがいいと、日々釣三昧の知人は教えてくれた。まさにその通りだった。
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 富山からいつも土産持参で来てくれるシンさんとマサミさん。今回はかまぼこ、マスの笹寿司、ホタルイカの干物などを携えて、ほとんど家族訪問といった感じで顔を見せてくれた。先月の女優田中裕子の来店以来<裕子病>にとりつかれた私の病気見舞いともなった。マサミさんは富山の居酒屋で出会うという女優室井滋(富山県滑川市出身)に触れて、私の<病状>に寄り添ってくれた。シンさんは田中裕子は名女優だと繰り返した。
 富山市議会では政務活動費の不正使用で辞職者が相次ぎ、さきほど出直しの選挙がおこなわれた。村上市においても数年前に政務活動費について「市民ネットワーク」のメンバーたちと問題提起したことがある。不透明で公私混同になりやすい側面がある政務活動費だ。もちろん政務活動費に罪はない。
<キトキト>は富山周辺で「新鮮、生きがいい」という意味で使われていることをシンさんとマサミさんに確認した。パソコンの電子辞書でも同様の意味が記されてあった。
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 カイツさん、ヒロコさんと呼び合う夫婦だが、一度だけカイツさんが「お前は黙ってろ!」と言い放ったことがある。庭で見つけた蛇を、カイツさんが捕獲しようとしているときにヒロコさんが、ああだこうだと口を出したからだ。「カイツさんは私よりも蛇が好きなの」とヒロコさんは言った。まさかと思ったが、カイツさんは捕獲した蛇を首に巻いたというから本当に蛇好きなのだろう。蛇を捕獲した道具は、冬に雪合戦などで使う雪玉をつくるものだった。
 現在は上越市に住む夫妻だが、カイツさんはかつて村上で働いていた。この日は妻を連れてのショートトリップだった。さっそく当時の仕事仲間で横須賀に住むワダさんに連絡をとった。
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 カイツさん夫妻来店の数日後、ワダさんから横須賀名物の海軍カレーが送られてきた。段ボール箱には食品ラップやティッシュペーパーから災害用トイレ処理剤までも詰めこまれてあった。どこまでも<ワダ流>なのである。カレーは数人のお客と分け合った。ワダさん、ありがとう。
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 10月に行われた「村上バルイベント」での来店客がリピーターとして来てくれた。左からセガ、サチコ、シブヤさんだ。サチコさんは数日後、今度は娘を連れて来てくれた。
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 座禅を体験した。会場は自宅近くの曹洞宗寺院。ご近所さんの若い僧侶から指導を受けた。25分の座禅初体験は私を魅了し、自宅でも続けるべく、即座に通販で座蒲(ざふ)を購入した。だが、いつもテレビやラジオの音がするわが家に静謐の環境はない。というのはいいわけだ。現在のところ、座蒲はソファーで格好の枕となっている。警策(きょうさく)で「びしっ!」と厳しく肩を打ってもらわなくては禅修行は覚束ないが、それ以前の問題だ。まずは座るところから始めなくてはなるまい。
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 左から安澤さん、ノリコさん(1947年生)、エミコさん(1950年生)の二人の姉妹と一人の弟。カネコさん(左1942生)はエミコさんの夫。
 近頃、夭夭亭には親子・兄弟姉妹・夫婦など、ファミリー親族の客が多いという実感がある。そうした間柄には、他人にもそれとわかる空気感がある。
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 マリリンことケイコさんには、近々に孫が誕生だという。若くて少し驚いたが・・・・・。老舗の金物店を営むタムラさんは押し寄せる大型ホームセンターパワーに日々立ち向かっている。
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 村上出身で同窓生の前田&大滝さん。この夜、自営業の二人は老後の生活について語った。老いていく親に自分自身の老後を重ねる年齢になったのだ。二人の生活スタイルは大きく異なるが、<老い>は同じようにやってくる。私が二人のちょっと先をぎくしゃくしながら歩いている。
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 狭山から「狭山茶」を土産にやって来たマスダさん(左)は生涯教育に力を注いできた市役所を、この春に定年退職した。東京大学経済学部を来春卒業予定のナオヤさん(右)は鉄道関係に就職が内定した。退職した者と職に就く者。二人は旅行先の鳥取砂丘で出会って以来、親子以上に年が離れた友人になった。旅行好きで鉄道にも詳しい二人に、私が高校時代の3年間、通学に利用した三江線の廃止に触れると、二人ともその情報は既知のことで、ナオヤさんは廃止前に乗ってくる予定だと言った。
 還暦以来、毎年続いてきた高校の同窓会が来年は母校の周辺で行われるらしい。私にとってもその機会が三江線最後の乗車になるはずだ。「声が小さい!」と車両の端の連結部分で先輩たちから叱咤されながら校歌や応援歌を歌わされた新入生の頃。ベニヤ板2枚分の大画面の油絵を背負い、乙原駅から竹駅を通過して川本の学校まで線路上を歩いたこともあった。描いた絵は付き合っていた女子生徒への心象を題材にしたものだった。彼女が蕁麻疹(じんましん)になったと聞いて付けたタイトルは「蕁麻疹の尻尾」。ローカルな赤字路線の廃止だが、私にとっては青春の一時期、さまざまな夢や迷い、挫折を乗せて走った鉄道だ。ナオヤさん、車窓に中国太郎の江川を眺め、石見川本駅と乙原(おんばら)駅を目に焼き付けて来てほしい。
 マスダさん、狭山のサトイモ届きました。でかいなあ!ありがとうございました。今度、なにかうまいものを送りますね。
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 左から時計周りにヒロリン、ミマ、アユ、マサキ、ユッケ、カッチャン、ベシのみなさん。マサキさんが夭夭亭は初めてというメンバーを連れてきてくれた。詳しくは聞かなかったが学校関係者ということにしておこう。ぜひまたのご来店を。
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 左からアケミ、ミキ、サチコさん。アケミさんは数十年前からのお客で、話をすれば時は瞬時に半世紀近くも遡る。先月の<バル街>にも顔を見せた。サチコさんも<バル街>からのリピーターで、つい1週間前にも<バル街仲間>と来てくれたばかり。初登場はサチコさんの娘ミキさん。母とそっくり顔のミキさんは、このほど羽田空港の保安検査の仕事が決まった。まもなく憧れの東京生活が始まる。
「がんばらなくていからダメだと思ったら帰ってくるんだよ」と、アケミさんが何度も言った。「そうだよ、そうだよ」と私。だが、言葉は不思議だ。ミキさんは「がんばらなくてもいいい」を聞きながら、きっと「がんばろう!」と自分に言い聞かせているのだろう。
「故郷の水はうまいからね」
 言葉にはしなかったが、私のミキさんへの餞(はなむけ)だ。力尽きて帰ってきたとしても、故郷は優しく迎えてくれる。ミキさん、30歳を目前の旅立ちだ。
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 11月18日、京都の吟遊詩人楠木しんいちさんの「投げ銭ライブ」をおこなった。今回は北海道から阿知波一道(あちわ・いちどう/1954生)さん(上のCDジャケット画像)の参加もあった。
 浄土真宗の僧侶でもある一道さんは胎内市善良寺での報恩講(浄土真宗の宗祖とされる親鸞 の祥月命日の前後に、宗祖親鸞に対する報恩謝徳のために営まれる法要)のため、また併せて昨年亡くなった善良寺住職加藤真人さんの追悼ライブも法要後におこなう予定で、妻久子さんを伴って来店した。同じ歌仲間で、こちらも僧侶の石川ひさとさんも石川県からやってきて合流、<楠木しんいち&僧侶2人>のライブとなった。
 この夜の演奏曲にはなかったかもしれないが、一道さんのCD『器(うつわ)』から歌詞の一部を紹介する。『器』は一道さんが55歳になった年、20009年の5月5日、5時間55分かけて55曲を歌ったライブを録音したもので、後に出会った楠木しんいちさんがコーディネートして製作された。

 陽気な人に出会った事がある/うつむきながら歩き続ける人にも/天高く昇る事もあるだろう/はいつくばってのたうちまわることも/生きる人々の様々な歌を聴くだろう/歌われる前からそこにあった歌/鳥が飛ぶ空を選んだにしても/空は飛ぶ鳥を選ばない
♯僕がいのちを台無しにしても/いのちは僕をだいなしにはしない/鳥が飛ぶ空を選んだにしても/空は飛ぶ鳥を選ばない   「空は飛ぶ鳥を選ばない」から

 このCDアルバムは数年前、加藤真人さんが私に届けてくれた。加藤さんは夭夭亭での楠木しんいちさんのライブに息子さんと来店し、ブルースハープで参加したことがあった。その加藤さんが昨年亡くなったことを一道さんから今回のライブの折に聞いた。さらに、前回の私のブログ冒頭に掲げた「ねがうよ」の文章は加藤真人さんが書いたものではないかと一道さんはいう。加藤さんが私にCDを手渡す際に添えてあったのか、ライブで来店した時に・・・・。私の記憶の一部が欠落していたのだろうか。文章の内容にも関連して不思議は深まるばかりだ。
 不思議はもうひとつある。ライブの翌々日、広島で行わる高校の同窓会出席を控えて、デジタルカメラのSDカードを新しく購入し装填していた。その上でライブの様子も撮影したのに画像を引き出すことができない。どうしたことだろう。不思議だ。
 私は北海道には行ったことがない。一道さんをたずねて北海道に足を運ぶのもいいなと思い始めている。しんいちさんと同じく<青春18切符>で行くか。<大人の休日クラブ>もある・・・・・。いい出会いをもらった一夜だった。「抱えきれぬ程の/大きなものを/出逢いの中に/手渡されている」。一道さん作詞「Peace to you」の一節だ。胸の奥にズンッときてブルッと震えた。震えはしばし止まらなかった。
 私は、「ねがうよ」の文章は加藤真人さんから私に手渡されたメッセージだと思うことにした。
 追悼の思いをこめて加藤真人さんの「ねがい」を今一度掲載する。
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「君にこの声が届きますように/絡みつく風をすり抜け今願うよ
明日を急(せ)かす鼓動に/僕はいつからか戸惑い。
隠してた醒めない夢に迷って/繰り返す日々に居場所を探してた
君に出会い/無力を知り/抱えきれない光にも触れた
そこに何があって意味なくあれたって/答え合わせじゃつまらない
君にこの声が届きますよお(う)に/焼付く時をすり抜けて
今願うよ」
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 今年の同窓会は広島でおこなわれた。最も遠くから最も早く会場に着いた私は、続いて到着した詳子ちゃんと「平和公園」を訪れた。詳子ちゃんの父は原爆投下直後に広島へ入り、二次被爆をしたということだった。
「平和記念資料館」ではオバマ大統領が献上した折鶴(上)も見た。
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「原爆の子の像」を取り囲んでいるのは茨城県立並木中等教育学校の生徒たち。彼らは折鶴を捧げて平和と原爆犠牲者の鎮魂を歌った。深い感動に満たされた私は泣きそうになり、しばしその場を立ち去りがたかった。
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 原爆ドームを視野におさめながら、大田川の川岸ではコンサートがおこなわれていた。
<しんいち&僧侶2人>ライブ、並木中等教育学校の生徒たちが捧げたコーラス、そして広島の川岸コンサート。想いと願いは詩となりメロディーとなり音となって、深く沈潜し、高く飛翔していく。
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 平和公園で出会ったベトナムの娘さんたちが満面の笑顔をくれた。片言の日本語は日本で働く人たちだろうか。この日は日曜日。「平和公園へ行ってみようよ」と3人は話したに違いない。周辺ではイチョウが黄色く色づき、穏やかに時間が流れていた。ベトナム語で「カーム オン(ありがとう)」と言いたかった。11月20日。汗ばむほどの陽気に包まれた一日だった。
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 スーパーの地元野菜のコーナーにビーツがあった。嬉しくなってロシア料理ボルシチをつくった。コリアンダーもあった。ベトナムでもタイでもコリアンダー(パクチー・香菜)は料理に欠かせない。インスタントラーメンに入れた。たちまちベトナムの麺料理フォーのような味わいになった。いま日本でパクチーが静かなブームだという。パクチー愛好家をパクチストというとか。独特の香り、それをクリアーすれば後は病みつきになるだけだ。
 色鮮やかで多彩な野菜たち。サトイモは狭山のマスダさんから送られた。ユズは常連の姉御マヤさんが持ってきた。大地から人から恵みをもらっている。
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 11月25日にキューバのフィデル・カストロ前評議会議長が死去した。彼は2003年3月来日。広島を訪問して、「人類は広島の教訓を学び取っていない」と訴えた。27日には国連総会第1委員会(軍縮)で採択した核兵器禁止条約交渉の開始を求める決議案に、なんと日本は反対した。アメリカの「核の傘」にあるとしても反対はないだろう。これまでは一貫して棄権としてきた日本だ。広島と長崎の教訓を学び取っていないのは日本政府ではないのか。
 29年前の1987年6月にキューバからバンド「Los Novels Cuba」が当時のソ連経由で新潟から入国した。日本キューバ友好協会の招きだと聞いた。そして、日本での最初の公演が村上市で開催された。公演後メンバーたちと夭夭亭で打ち上げをした。写真はそのときのものだ。彼らが持参したキューバのラム「ハバナクラブ」にしレモンを絞り込んで飲んだ。ラムのうまさに驚いた。
 キューバ・リブレ(Cuba Libre)というカクテルがある。第二次キューバ独立戦争の合言葉として使われた「Viva Cuba Libre(キューバの自由万歳)」にちなんで作られたカクテルだという。1898年4月に始まった米西戦争においてアメリカが勝利し、キューバがスペインから独立して1つの国家としての歴史をスタートする。その独立を祝う為に生まれたカクテルがまさしくキューバ・リブレだったのだ。
 1898年8月、キューバ独立を助けた1人のアメリカ人将校がハバナのバーで、キューバにアメリカ兵と共にやって来たコカ・コーラと、当時の地元で最も人気のあった、バカルディ社のゴールド・ラムをミックスすることを思いついた。そして、他のアメリカ人将兵たちが次々にこのドリンクをオーダーし、「キューバ・リブレ!」と雄叫びを上げて乾杯したのがこのカクテル誕生の由来といわれる。(ウィキペディアから)
「キューバ・リブレ」は「ラムコーク」ともいう。
 村上公演を実現させた、日本キューバ友好協会の会員だった画家ウチヤマさんの絵が夭夭亭にある。フラメンコダンサーの絵がそれだ(下)。30年前、長くスペインで画業を磨いたウチヤマさんは、当地で教員をしていた大学時代の友人の計らいで個展を開催した。その折に、私がこの絵を購入したことがきっかけで、酒のグラスを合わせることになった。
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 故八木三男先生と八重子の刀自夫妻の家の新しい住人が決まった。その家族と移譲の仲立ちをしたセガ医師、娘の絹さんらが夭夭亭で一席を持った。「ちょっとさびしい気がする・・・」と、絹さんに葉書を書いていたが、新しい住人は素敵な家族で、自分のことのようにうれしかった。
 そして、絹さんから「実家売却(またはふるさと)」とする歌が届いた。
  
 福島を出でてこの地にたどり着きし若き家族にこの家を託す
 年ごとに学校替わりし二人子よ山見ゆるこの家で羽根を休めよ
 父母とわれの四十余年この家のすみずみまでを動画に収む
 友を呼び風呂を薦めし父の声湯殿にいまも残るかのごと

 <若き家族>は福島の原発事故を逃れて当地に暮らしていたのだ。
 八木邸の玄関を入った正面の壁にウチヤマさんの油彩画があった。やはり、30年前の個展で購入されたものだったが、今はどこにあるのだろうか。庭にあった円い穴の開いた鞍馬石の石柱は・・・・。

 タイトルは以下のように続く。「一生を通じて彼の精神を苦しめていた問題に結局忠実だったから偉大なのである」(『決定版夏目漱石』江藤淳/昭和54/新潮文庫)
 「彼」とは夏目漱石である。漱石を苦しめていたのは「愛」の問題だ。「人間的愛の絶対的必要性を痛切に感じながら、それが同時に絶対的に不可能であることを、全ての智力を傾けて描いていた奇妙な男」(同)
 今年は「奇妙な男」漱石の没後100年だった。明日から師走だ。
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by yoyotei | 2016-11-30 08:51