枯れそめし草の黄よりもなほ黄にてこの蟷螂も雨に濡れつつ

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きみにこのこえが/とどきますよおにからみつく/かぜをすりぬけ今ねがうよ/あしたをせかすこどうにぼくは/いつからかとまどいかくしてた/さめないゆめにまよって/くりかえすひびにいばしょを/さがしてたきみにであい/むりょくをしりかかえ/きれないひかりにもふれた/そこになにがあっていみな/くあれたってこたえあわ/せじゃつまらない/きみにこのこえが/とどきますよおに/やけつくときをすりぬけていま/ねがうよ

 この文章が書かれた紙は、久しぶりに腕を通したベストのポケットから出てきた。いつ、誰が書いて、私に渡したのか。いや、渡された記憶もないし、思い当たるフシはまったくない。ポケットに入っていたことすら不思議なのだ。しかも、書かれている内容も単純なメモといったものではない。意味を探りやすくするために段落を整理し、漢字混じり文にしてみる。

「君にこの声が届きますように/絡みつく風をすり抜け今願うよ
明日を急(せ)かす鼓動に/僕はいつからか戸惑い。
隠してた醒めない夢に迷って/繰り返す日々に居場所を探してた
君に出会い/無力を知り/抱えきれない光にも触れた
そこに何があって意味なくあれたって/答え合わせじゃつまらない
君にこの声が届きますよお(う)に/焼付く時をすり抜けて
今願うよ」

 強い筆圧で大きく書かれた最後のフレーズ<ねがうよ(願うよ)>。いったいこれは何なのだろう。

 アイコさんとカズノさんは昨年の暮れに初来店、2016年1月のブログに登場してもらった。そこに私は「新しい年は、カズノさんもアイコさんも変化に向き合うことになるのだろう」と書いた。そして、変化はあった。二人とも幸せな変化ではなかった。冒頭の文章が二人の思いを代弁しているかのようでもある。元気を取り戻すことを<願うよ>。
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 小児科の医師と看護師、それに深夜に呼び出されたタドッチことタドコロ泌尿器科医師(左)
 中央のミキコさんは4人の子どものママさん。その後ろコジハルことハルナさんにはカリンちゃんという1歳7ヶ月の女の子。ケンタロー医師には1歳10ヶ月のアカリちゃんがいて、来年1月には第2子が誕生予定。博多生まれマサヒロ医師は独身だったかな、子どもの話は出なかった。
 ケンタロー医師は中国とパキスタンの国境クンジェラブ峠を越える旅行をしたという。パミール高原、カラコルムハイウエィと聞いただけでワクワクドキドキする。かつては真剣にこの旅を計画したこともあったが・・・。この峠は標高4733mとも4943mまた4693mともいうが、はっきりしない。かつて日中共同で製作されたNHK番組「シルクロード」の何週目かに「パミールを越えて」というタイトルがあったのを記憶する。当時、数台の車でキャラバン隊を組んで走りぬけた砂漠を今は鉄道が通る。
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 第3回えちご村上BAR(バル)街イベントがおこなわれた。今回も提供するのはキーマカレー&バトーラのミニセット。前回は押し寄せる(?)客にパニック寸前になったので。昼間勤務するホテルの佐藤さんに手伝いをお願いした。フロント担当の佐藤さんは186センチ、22歳のイケメン青年。「いつでも手伝いますよ」と言ってくれたので、彼の指名予約を受け付けることにした。
 前売りチケットの売れ行きは前回を下回ったということだったが、夭夭亭では<後バル>最終日に来客数が前回に並び、さらに3人の増客だった。
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 左はサントリー新潟支店の三宅隆人さん。メーカーとしてバルイベントになんらかの協力・協賛ができないだろうかと状況視察をかねてのはしご酒。25歳の爽やか青年が隣に座ってナオコさん(右)もご満悦なのだ。
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 大沼広美さん(右)は長岡市の「NPO法人まちなか考房」の事務局長であり「ながおかバル街」実行委員長。函館の西部地区で行われていた<バル街>イベントに啓発されて、5年前に長岡でも開催に踏み切った。その後は県内各地に広がり、村上ではこの秋で3回目の開催となった。長岡では10月22日(土)に参加72店舗、村上の3倍もの規模で開催された。
 坂田晃秀さん(左)は長岡市役所職員で<ながおか・若者・しごと機構>の特命主幹。「NPO法人まちなか考房」では事務局統括を担う。村上では商工会議所・観光サービス部会の主催だが、長岡では実行委員会が主催し、行政が協力支援という開催形態のようだ。この夜は村上のバル街探訪。地域おこしやイベント仕掛け人たちのなんと魅力的なことか。つい「友達になりましょう」と手を握った。
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 居合わせた長岡市役所の坂田さんにケーキへの点火をしてもらうこの夜の主役はカオリさん。前回はミホさんの誕生会でやはりケーキのご相伴にあずかった。カオリさんも誕生日のお祝いだったのかな。
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 カサブランカ・ダンディことオオタキ・シゲオさんに初孫が生まれた。マリリンの祝福を受けて顔がほころぶ新米ジジイなのだ。
 この夜、山ほどの洗い物を彼女たち保健医療課の女子たちがやってくれた。こうした人たちに支えられて、この店はどうにか存続している。
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 この夜の最後のバル客。メモにサイトウ・タケシさんとあったがどちらがそうなのか記憶にない。障害者福祉について熱く語ったように思う。あらためてじっくり飲んで語り合いたい二人だ。
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バルイベントで初来店だったアサミさん(左)さんが、翌日には母と一緒にやってきた。母フジコさんは40年来のお馴染みで、今でも現役の看護師だ。母と娘はバルメニューの<キーマカレー&バトーラ>を「うまい!」を連発しながら食べてくれた。
翌日は新潟知事選挙の投票日。「原発イヤだから!」と、キパッと言って帰っていったアサミさん。結果は「新潟に新しいリーダーを誕生させる会」の米山隆一候補が勝利した。最大の争点は柏崎刈羽原発再稼動だった。「福島原発事故の検証なしに再稼動の議論はできない」とした泉田知事の路線を継承した米山候補に県民の期待が集まったのだ。アサミさん、やりましたね。今度うまい酒を飲みましょう。
 この勝利は、再稼動した川内原発の停止を訴えて勝利した鹿児島県の三反園訓知事に続くものだ。
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 ミキさん&カズオさん夫妻は20年ぶりの来店だと聞いた。確かに顔に覚えがある。
<オープン43年目、伝説の店になりつつあります>が今回のバルイベントで私が掲げたキャッチコピー。客にも私にもさまざまに時がめぐり、共に歳を重ねていく。 
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 フジコさん同じ看護師のユウコさん。カウンターから顔を覗かせているカール。<おしゃまなパリジェンヌ>といわれていたカールもすっかり年老いた。それでもユウコさんとの酒場通いはやめられない。
「ああいう若い人がいると店に活気が出るね」と、アサミさんを笑顔で見送ったユウコさん。登山、長距離ウオーキングに加えて最近はマラソンも始めたという。
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 ジュンちゃん、シゲコさんなど4人は同級生。この夜は同級会の計画で盛り上がった。商工会議所に勤めるジュンちゃんには確定申告の相談や営業上のことで、長い間お世話になっている。今回のバルイベントでも・・・・・。
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村上中等学校の英語科の教師たち。左から時計回りハルナ、イーライ、エミ、サトミ、タクミ、オサムさん各氏。
ハルナさんが手にしているのはサトウキビ。「Sugarkane!」と誰かが叫んだ。
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 イーライさんはオーストラリアからやって来た37歳。同僚の日本人教師たちから日本語のレッスンを受けていた。
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 左からマサユキさん、セイコさん、ヒロミさんの市役所職員の3人。前夜に続いてサトウキビをかじってもらった。Sugarkaneだと昨夜教わったばかりの英語を・・・。すかさずマサユキさんが<Sugarkane>というジーンズのブランドが日本にあると教えてくれた。さらに、サトウキビ畑で働いていた労働者たちの作業着がジーンズだったことがブランド名の由来だろうとはマサユキさんの考察。まちがいなくそうだと思う。
 セイコさんとヒロミさんは「ざわわ、ざわわ」だねという反応。もちろん森山良子が歌う「さとうきび畑」だ。

 むかし海の向こうから/いくさがやってきた/夏のひざしのなかで
 あの日鉄の雨にうたれ/父は死んでいった/夏のひざしのなかで                  
 中等学校の教師たち同様、みんなが関心を示してくれるサトウキビ。これはジョージさんの娘婿の故郷鹿児島から送られたもので、おすそわけにいただいたものだ。反原発で誕生した三反園知事の鹿児島から、慎重姿勢を維持する米山新知事を誕生させた新潟県に届けられたサトウキビ。なくなってしまったので通販で取り寄せた。でも、こちらは味が薄いようだ。
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 バルイベント最後の客で、前回をこちら3人の看護師が記録を伸ばしてくれた。左からニジコさん、エツコさん、ノリコさん。懐かしい顔もあれば友人の妻もいる。前回のバルは初めての来客が目立ったが、今回は数年ぶり数十年ぶりといった顔ぶれが多かった。
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 外国人たちにカウンターを囲まれると、急速に自分の日本人意識が目覚める。2日前に初来店したイーライさんがERT仲間をつれてきてくれたのだ。みんなフレンドリーに打ち解けてカメラに収まってくれた。
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 左からイーライさん(オーストラリア37)、イライサさん(USA24)。いずれも国名の後は年齢。以下<さん>は省略。
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 シャオビー(USA22)クリス(USAカリフォルニア31)
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 ジョナサン(USAバージニア22)タイラー(USAオハイオ27)
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 イライサ、ニッキ(USA25)
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 シン(日本42)、エミ(日本33)とこちらはカウンターの端で日本代表を務めたお二人さんだ。シンさんは一人でウイスキー1本を空(から)にするという酒豪。いい雰囲気の二人に「大滝舞踊研究所発表会」(11月19日開催)の招待券をプレゼントした。今回の発表会で私はオオカミに扮して、ヒヨコ役の幼年部の女子たちと共演する。
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 この自作のオオカミは「オオカミなんかこわくない」というバレエの演目でMHK全国放送された際に使用した。もう17年も前になる。それ以来の出番を迎える。ハロウィーン用ではない。
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 家族と一緒のとき、人は別の顔を見せることがある。シンちゃんことナカムラ自動車社長も例に漏れない。夜は空手指導に情熱を燃やす<心優しい猛者>が、家では娘の弁当を作るという。
「お父さんのいいところと直してほしいところは?」。娘たちに聞いてみればよかった。

  注文していたワインが宅配便で届いた。同時に二人の女性客が入店した。カウンター席に座ってもらい、「ご旅行ですか?どちらから」「東京からです。夕日を見に」「今日はいい天気でしたね。夕日は?」「見ました」・・・・・。
 女性客の一人はこじんまりした目鼻立ち。話し口調と声に、初めてではない、どこかで会った人だと思った。記憶をたどっている私の目線に応えて「そうです」とうなづいた。目に微笑をたたえて静かに言葉をつなぐ、その人は女優の田中裕子さんだった。私の中で、その名前が浮かぶまでには、それでもいささかの時間を要した。
「田中裕子さんというのは本名ですか」「ええ。今は沢田ですけど」。沢田は女優の夫、沢田研二の姓だ。出生地や女優になったきっかけ、舞台「マクベス」や、彼女も行ったことがあるバラナシ(インド)のことなど、私はまるでインタビュアになったように質問をなげかけた。そうした話の中で、女優は曽祖父が村上の出身だと驚くようなことを打ち明けた。曽祖父はタキザワといい呉服屋を営んでいたが、商売に行き詰まり村上を離れた。女優の祖父は田中姓の家の養子になったかして女優の本名につながった、といった話だった。
 一見、どこにでもいるようで地味な印象。小声で抑揚を抑えた話し振り。しかし、かつて沢田研二との恋愛から結婚に際して女優につけられた<魔性の女>という冠詞や、女優の内部で燃え盛っているマグマが、いつ噴出すかしれないような不思議な存在感を、映画やテレビドラマの中の女優を思い浮かべながら、私は確かに感じとった。それは「結構、飲まれるんですね」という私の問いかけに「飲むときにはね」と応えた女優の<凛>とした反応からもうかがうことができた。<やるときにはやります><私が決めたことです>。懸命にこらえながら、それでも瞳に滲み出る涙。悔しさに血が滴るほど唇を噛み、押し黙ったまま震える。時として怨念や情念を迸らせて挑みかかる。修羅の世界を自身としても女優としても生きている、そんな女優の姿や表情を、目の前の本人に重ねて連想した。「女が行く極楽に男はなく、男が行く極楽に女はいない」と書いたのは尾崎紅葉だったか。この世は男女の愛憎が織り成す修羅の場でもある。
 1時間後、女優と所属事務所のスタッフを送り出した後、私は女優と同じ、濃い目の水割りを数杯立て続けに飲んだ。化粧っ化のない普通のおばさん然とした女優にカメラを向けるのはためらわれた。だから画像はない。
だからこそ、女優がそこにいたのも<幻>だったともいえるのだ。

 枯れそめし草の黄よりもなほ黄にてこの蟷螂も雨に濡れつつ      吉野秀雄

 木枯らしの季節になると、蟷螂(かまきり)の色も枯色となる。交尾の後、メスはオスを食い、産卵して枯れてゆきながら、なお生きている。(山本健吉『句歌歳時記』新潮社/昭和61)

10月も終わる。秋が深まる。
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# by yoyotei | 2016-10-12 02:01 | Comments(6)  

言葉こそ生きる楽しみ生きる術(すべ) 不如意の無念も表せぬとは

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「かなしからずや身はピエロ、月のやもめの父無児(ててなしご)!月はみ空に身はここに、身すぎ世すぎの泣き笑い!」(第一詩集「月光とピエロ」堀口大学から「ピエロの嘆き」)。9月10日(土)の新潟日報は題字下にこの詩を掲げた。泣き笑いの日々を生きるのは人のさだめ、その身を昂然と輝く月に比すればおのれはピエロのごとくだという。
 石原裕次郎が「青い満月」を歌ったのは40数年も前だっただろうか。
   青い満月教えてくれよ/親も故郷をも捨てたいときは/だれにすがればよいものか
   好きな同士が一緒になれぬ/何もせぬのに嘘まで触れて/なんで世間が邪魔をする

   青い満月察してくれよ/人の世界にあいそがつきて/月に物問う切なさを
   人にかくれて泣きたい時は/月よお前の雫(しずく)にぬれよう/あすも今頃出てお呉れ
                       (作詞・萩原四郎 作曲・上原賢六)
 「月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。万(よろづ)の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり」と、これは「徒然草」第八十三段の一節。
 人を感傷に誘い、人と語らせ、物事の消長にまで思いを巡らしめる月。その月はまた雲間に隠れることもある。
「待てど暮らせど来ぬ人を/宵待ち草のやるせなさ/今宵は月も出ぬそうな」と歌われる竹久夢二の『宵待草』。

はげしいむし歯のいたみから/ふくれあがつた頬つぺたをかかへながら/わたしは棗の木の下を掘つてゐた、
なにかの草の種を蒔かうとして/きやしやの指を泥だらけにしながら/つめたい地べたを堀つくりかへした、
ああ、わたしはそれをおぼえてゐる/うすらさむい日のくれがたに、
まあたらしい穴の下で/ちろ、ちろ、とみみずがうごいてゐた、
そのとき低い建物のうしろから/まつしろい女の耳を、
つるつるとなでるやうに月があがつた/月があがつた。

日本近代詩の父と称される萩原朔太郎(1886~1942)の最初の詩集『月に吠える』におさめられた詩「白い月」。
                       
『百人一首』にも月を詠んだ歌は数多い。私などでも口をついで出るのは次の一首だ。
「月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど」(大江千里』)。また、「なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」という西行の歌もある。王朝人のなんとセンチメンタルなことかと思うが、突如として高校時代の国語教師野津迪子(みちこ)先生を思い出した。先生が大学の卒業論文に西行を取り上げたと聞いたことがあったからだ。先生の知的なまなざしで見つめられると妙な反抗心が生まれた、そんな素直でない年代であった。
 迪子先生は結婚して野津から神田へ姓が変わった。神田先生は美術や演劇部の顧問で、美術部に入部した私に「代金はいつでもいいから」と言って油絵の道具一式を買い与えた。その道具で描いた油絵の第一作が今も店の壁にある。代金はいまだ未払いのままである。
 神田先生はベトナム戦争の悲惨な状況を私に教えた人でもあり、社会への関心というひとつの窓を開けてくれた先生だった。敬愛する二人の結婚を同窓生から聞いたのは卒業してから30年も後のことだった。自分のことのように嬉しかった。
 童謡『月の沙漠』の情景が私は好きだ。「月の沙漠をはるばると旅の駱駝が行きました」(作詞・加藤まさを 作曲・佐々木すぐる)
 かつてシルクロードの旅やインド西部タール砂漠のキャメル・サファリに大きく興味をそそられこともあったが・・・・・。作詞の加藤まさをは外国へも、まして砂漠へも行ったことはなくて、千葉県の御宿海岸でこの詩の着想を得たという。
  「広(ひろ)い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう
  朧(おぼろ)にけぶる 月の夜(よ)を 対(つい)の駱駝は とぼとぼと
  砂丘(さきゅう)を 越(こ)えて 行きました
  黙(だま)って 越えて 行きました」
 神田先生夫妻は健在だろうか。同じ月を二人寄り添って眺めておられるだろうか。
*<沙漠>と<砂丘>、沙と砂が使い分けられていることを歌詞を確認して初めて知った。
                         
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 農業の現状と将来を語る農業者二人。山形県高畠町からやってきた猪野クニオさん(左)と地元で米中心の農業集団を率いる板垣ヨシマサさんだ。彼らの熱い語り合いから、<農業こそはわれらが天職>といった思いが強く伝わってくる。
 そんな中で環太平洋連携協定(TPP)をめぐって、輸入米の価格偽装問題が浮上している。
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 産婦人科医のユミコさん(左端)が結婚して村上を去ってから3年近くも経っただろうか。その彼女がかって勤務した当地の病院の同僚たちと顔を見せた。ユミコ医師と私は<インドつながり>で、ベトナムに同行したこともある。ユミコ医師の右隣は、同じ産婦人科医のセリさん。先月のブログにも登場してもらった。
 セリさんの隣がこの夜の主役・小児科医のカツヤマさんだ。カツヤマさんは7年ほど勤めた当地の総合病院から長岡市の病院へ移ることになった。右は長い馴染みの外科医ワタナベさん。
 先に引いた詩人萩原朔太郎は群馬県前橋市の開業医の家に生まれた。セリさんも前橋の出身だが生家は開業医ではないらしい。これも前回のブログで紹介したが、セリさんは「前女(まえじょ)」こと県立前橋女子高校出身。朔太郎は「前高(まえたか)」と呼ばれている県立前橋高校(旧・県立前橋中学校)へ入学したが落第したと経歴にある。
 そのセリさんが、転勤するカツヤマ医師を「いい人オーラ」が蓋(おお)っていると表現した。本人もほとんど怒ったことがないという。<いつも穏やかに笑顔を湛えている人>というのが私が持ち続けてきた印象だ。長岡でも子どもやおかあさんたちから信頼される医師として活躍してほしい。
 先ごろ、朝日新聞「声」欄に次のような投稿が載った。
「医師の役目は病気を治すことだけではない。できる限り、患者が望む生き方ができるようにサポートすることだ。そのためには、患者の声をよく聴き、その人の生き方や思いを理解し、不安や悩みを取り除く必要がある」。 
 小学生の時、ストレスから体調を崩し受診した投稿者は、医師の冷たい態度に診察のたびに泣いていたという。患者としてのつらい体験から、「患者の心を傷つけない医師になる」という18歳の決意表明。心からエールを送りたい。もちろん、長岡へ転勤するカツヤマ医師にも。
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 鹿島アントラーズの育成部長高島さんを真ん中に飯島夫妻である。鹿島・高島・飯島と<島>が並んだ。ついでに私は島根県出身だ。
 歩行に支障をきたしていた飯島夫人カヨさんがずいぶんと回復したように見受けられた。そして、相変わらずの可愛い笑顔だ。トライアスロンでもボランティアとして、やはり笑顔で参加していた。
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「ギターを抱いた吟遊詩人」とも「さすらいのフォークシンガー」とも称される楠木しんいちさんが顔を見せた。1年ぶりか。京都市を拠点に、青春18切符で鈍行列車を乗り継いでの全国フォーク行脚は30年が過ぎた。この夏のライブ・スケジュールの一端を紹介してみる。
〇7/18(月)京都市嵐山『音や』〇7/30(土)金沢市湯涌創作の森『夕暮れ時コンサート』〇8/3(水)神奈川県大磯町『今古今(こんここん)』投げ銭ライブ〇8/6(土)三浦市三崎『ラ・クエンタ』投げ銭ライブ〇8/7(日)東京・阿佐ヶ谷『あるぽらん』〇8/15(月)ピースウォーク京都市市役所前スタート〇8/16(火)京都市『キッチンハリナ』ライブ〇8/20(土)東京都国立市『くにたち市民芸術小ホール』参加フリーライブ〇8/27(土)北海道今金町〇9/2(金)札幌市ギャラリー&カフェ『樹樹』〇9/3(土)札幌市『タペストリー』〇9/9(金)群馬県前橋市『クールフール』〇9/10(土)前橋市『水星』〇9/15(木)東京東中野『リズ』などといった具合である。
 この夜、二人だけでビールを飲みながら話した。さまざまな人間の営みや社会における価値観の変遷・・・・・。彼の語り口調はいつも穏やかで緩やかだ。
 彼には、はつ菜さんという一人娘がいる。父と同様のシンガーソング&ライターとして活動し、<京都の妖精>といわれていた。そのはつ菜さんが、今年の5月に博多の音楽関係者と結婚したという。そして、父しんいちさんは9月24日(土)に博多でライブを行ったはずだ。
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 これは、一昨年の「夭夭亭ライブ」のはつ菜さん。そして歌った歌の一節。 
 
 私は運命のなんとやらなんて信じてない
 そう簡単に安心なんてできない
 何度だって転ばせてよ
 何度だって傷つけてくれたっていいよ
 何度だって立ち上がってみせるから
 ねえ、ほらっ・・・。
                 「Resilience」から
 いささか自虐的な歌詞だが、結婚によってはつ菜さんの歌世界に変化があるだろうか。
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 診察待ちの眼科で、看護師から生年月日をたずねられた。右隣の人が「昭和13年8月29日」と答え、私は「昭和22年8月29日です!」と答えた。並んだ二人の誕生日が同じだった。私は右隣の男性に「同じですね」と声をかけた。男は、それがどうした?といわんばかりに、私をちらっと見ただけであった。偶然を面白がらない人だ。看護師さんの方がちょっと感動した面もちで「珍しいですね」と軽く笑った。
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 近所のスーパーで買い物をした。レジでの会計が7品目で、ちょうど1000円だった。私の次に並んでいた中年女性が「ピッタリ賞ですね」と言って顔をほころばせた。私もレジ係りも笑った。こんな些細なことでも人は笑い合える。
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 八重子の刀自(とじ)が倒れた、との報は5月下旬にもたらされていたが、このほど娘の絹さんから詳しい近況が知らされた。5月はじめに脳梗塞で倒れ、右半身のマヒと失語症の後遺症が残り、要介護5と認定されたこと。さまざまなリハビリに励みながら、現在は介護施設に入所していることなど。
 八重子の刀自は「夭夭亭」の名付親、故八木三男先生の夫人。村上を去って国分寺市に住む一人娘絹さんの近くに住まいを移したのは2年も前だろうか。村上を去るにあたって八重子の刀自と絹さん、八木三男先生の治療にあたった高校の教え子・瀬賀医師と私とで別れの膳を囲んだ。その折、刀自からひとつの話題が提供された。『百人一首』の「忍ぶれど 色にでにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」(平兼盛)と「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか」(壬生忠見)の2首の和歌について、「汝らはいづれを好むや、またいづれを優とするや」というものであった。「天暦の御時(おほんとき)の歌合(うたあわせ)」(960年)以来千年の論争となっていることを、私はこの時に刀自から教わった。
 絹さんからの便りに、「介護施設は私の自宅から近く、リハビリの手伝いをしたり、百人一首の勉強をして過ごそうと考えています」とあった。
 刀自(とじ・とうじ)とは(老若にかかわらず)一家の女主人の敬称などと『古語大辞典』(小学館)にある。私のブログ「八重子の刀自(とじ)」(2012年6月)に、そのいきさつを載せているので再掲する。画像の左が6年前の元気な頃の八重子の刀自で、右は土浦の今井さん。
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 『二年前に「出でませ子」と題したブログで、八木八重子さんの歌集『出でませ子』を紹介した。そのなかで歌のいくつかも紹介したが、じつは歌集名の由来について、あとがきに次のようにあったのだ。 
(前略)ある日、日本書紀の中の歌垣の歌が話題になり、夫は傍らにあった筆をとり、すらすらと書きました。

八重子の刀自
打橋(うちはし)の頭(つめ)の遊びに出(い)でませ子
玉手の家の八重子の刀自
出でましの悔いはあらじぞ出でませ子
玉手の家の八重子の刀自

 この古歌は四十数年前に夫が私におくってくれたもので、結婚のきっかけとなりました。歌集名『出でませ子』は夫が書き遺したこの古歌からとり、題字は夫の最後の筆跡です。(後略)』
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 絹さんの便りには20首の歌が添えられてあった。数首を載せる。
 
 この人はわが母なりやぼんやりの表情のなかに面影求む
 家庭科のマチ針に絹、絹、絹、絹 書きたる母を思い出しおり
 歯ブラシにタオルにパジャマ、リハビリシューズ今度はわれが母の名を書く
 母がその母になしたる介護なればわが母にまたわれも尽くさむ
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「2016村上・笹川流れ国際トライアスロン大会」。開催前夜には決まって高崎さん(中)が顔を見せる。JTU(日本トライアスロン連合)の公認カメラマンである高崎さんはオリンピック・リオ大会にも大きなカメラを抱えて行ってきた。そして「リオは北京と同じ臭いがした」と語った。両国に共通するトイレ事情によるものだという。文章を書くことも生業(なりわい)のひとつである彼の話題は多岐にわたり、その掘り下げは深く正確だ。2年ぶりの偶然の再会となったマヤさん(左)とも話が弾んだ。
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 1000人を超える参加アスリート、競技を支える運営スタッフとボランティアは820人。当地でローカル大会として誕生したとき以来、公認の世界大会となってからも実況のマイクを握ってきた。当地が会場となった新潟国体トライアスロン競技でもやはりマイクを握った。だが、「今年でもう限界だ」と終了後に担当者に伝えた。なにしろ名簿の選手名が読み取れないのだ。ドライアイのために野外では対象物がちらちらする。サングラスで対応したが後半はボランティアの女性に読み上げてもらって、それを復唱するといった始末だった。来年に向かって後任者を見つけなくてはならない。
 作家の村上春樹さんなど著名人の参加もある大会だが、今回はモデルでタレントの道端カレンさんが出場した。「レースナンバー364道端カレン!東京都からのエントリー!」と紹介して「ん?」と顔を上げた時にはスタイルのいい後姿が右手のコーナーを曲がって消えた。
 参加者の最高齢は男子の80歳2名だった。2名とも最後尾でタイムアップとなった。それでも最後まであきらめることなく走り続けたが、無情にも道路上のコースを示すコーンなどは撤去された。道路の占有許可時間が終了したのだ。
「千葉県からのエントリー、タケウチ・シンセイさん、新潟県からのイシグロ・シュウキチさん、ともになんと80歳!二人はゴールをめざして今も懸命に走り続けています・・・・。しかし、残念ですが、ほんとうに残念ですが、こちら実況ブースからの放送はこれをもって終了させていただきます・・・・。ご協力ありがとうございました」と、私は4時間にわたってしゃべり続けたマイクを置いた。私の30年近いMC担当も終わった。
「人生はスポーツ。スポーツは人生だ!!100歳まで挑戦します。よろしくお願い申し上げます」
「日本トライアスロン連合(JTU)」創設者の一人でもある石黒修吉さん(80)から大会事務局へ寄せられたコメントだ。
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 秋雨の中、庭の金木犀が香ってきた。強い香りが印象的だが、咲かせる花は小さくつつましい。謙虚・謙遜・気高い人などの花言葉がある。数日のうちに濡れた地面が、ビーズを散りばめたように黄色く染まるだろう。
 タイトルの歌も絹さんが母を詠んだ一首。秋の雨は降り続いている。
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# by yoyotei | 2016-09-29 08:39 | Comments(1)  

小さな小さな倖せはここに

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長岡花火を見てきた。花火もすごかったが観客の数もすごかった。8月2・3の両日で120万人。私が観覧した3日は50万人の人出。それほどの人の海を視界に収めるのは未曾有のこと。会場への行き帰りも重要な思案のひとつだというが、次女の計らいで会場近くの駐車場が確保できたためにスムースな花火見物となった。
 豪華絢爛、大規模の花火だが、鎮魂、復興、平和への願いが込められたものと知れば、火の花が夜空に広がり、見上げている者に覆いかぶさってくるとき、息つく間もなく次々と打ちあがるスターマインに「オウッ、オウッ、オオーッ!」と声を発しながら、おのずと涙が滲んでくる。
<眠れるものは目覚めよ/天上に彷徨(さまよ)う魂はここに到れ/地上に臥す者はその顔を上げよ/いま夜空を轟かせ地を震わせて開く火の花は、天と地をつないだ/死者はひと時(とき)甦(よみがえ)り/生きてある者は冥府への道標(みちしるべ)を見た>
 そして私はといえば、トイレの帰り、自分の席を見失い迷子になった。やむなく席を探すのをあきらめて、空いていた桟敷に大の字に寝転んで天を仰ぎ続けた。途中、「マスター?!」と花火の明かりの中で声をかけられた。村上の元教師だった。50万人の中で知人に出会うこともある。

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 夏の夜のしばしの同窓生交歓は、1961年(昭和36)生まれの左からトオル、エミ、マコト、ノリコ、ヒデノリ、アツシの各氏。
「週間FM」で編集にたずさわっていたというノリコさん。あの数日後、キヨミさんが叔母さんと二人で顔を出してくれましたよ。「FM」ではないが、YOYOTEI(夭夭亭)が中継地になっているような気がして嬉しくなりました。
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 前回のブログではジョージさん(右)の親族のうち、<薩摩隼人><薩摩おごじょ>を中心に紹介した。今回紹介するのは、まずジョージさんの妻の姉の息子ヨウジさん(中)、その妻フミコさん。ヨウジさんは瀬波温泉のホテルで私と同様の仕事をしている。フミコさんは私の三女と同期、職場で<生き字引>といわれているそうな。彼女の父も<物知り>で古い馴染みである。
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 左から、ジョージさんの次男アキヒコさん、長男ケイスケさん、ケイスケさんの妻エミさん。
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 彼らが見入っているスマホの画面には<ケンシロー君>が映っているのだろうか。ケンシロー君はケイスケ・エミさん夫妻が飼っている、スローロリスという超小型の猿。9歳になるが人見知りが激しく<ビビリウンコ>をするので連れてはこなかったという。一度だけ私も<面識>がある。
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 エミさんとフミコさんは夫がイトコ同士だ。その妻たちは義理のイトコというのだろうか。 
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 半年ぶりの会田さんだ。以前のこのブログで出産予定を明らかにしたが、予定よりちょっと遅れて長男が誕生した。結婚して8年。さまざまな苦闘を経てのうれしい誕生だった。命名は陽嵩(ひたか)くん。スマホの動画で6ヶ月になった陽嵩クンは元気に<寝返り>をしていた。父になった会田さんのうれしさがズンズンと伝わる。あらためておめでとう!。
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 愛子さんが大きいおなかを抱えてやってきたのはいつだったか。その子が生まれて4ヶ月になった。こちらはユイちゃんと名付けられた。
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 愛子さんの父、友和さんと愛子さんの第一子アオイちゃん。アオイちゃん誕生の知らせを聞いたのは隣家本間桂先生の葬儀の朝だった。人が死に、人が生まれる。命の輪廻を実感したことであった。
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 会田さん(右)の目線の先には母に抱かれるユイちゃんがいる。命の不思議さ、命の重さ・・・・・・。
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 この夜はどうしたのだろう。「石亀」のエミさんまでも孫を連れてきた。生糸(きいと)ちゃんだ。生糸ちゃんの曾祖父から始まって、夭夭亭に顔を出した八藤後家の4代目となる。早々と酒場デビューを果たした生糸ちゃんだが、本格デビューになる頃には店も私の命も・・・・。「ウーム」である。
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 ナツキさん&コウシロウさん夫妻だ。ナツキさんの隣にはテレビ会社の統括担当部長を務める父アツシさんがいる。そのアツシさんは「俺はいいから、二人を」と画面には納まらなかった。そこには若い娘夫婦を見守る父の姿があった。
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 昨年10月の飲み会もスタートが夜の9時30分だった。今回も9時30分スタートで「二次会?」と思っていたが、予約の電話をもらったルミさんの名刺を見て納得した。名刺には「エステティック&リフレクソロジイ/ダイアモンド・ムーン代表」とあり、「ダイアモンド・ムーン」は瀬波温泉(株)ホテル汐美荘内にあるのだった。仕事が終わるのが9時過ぎということなのだろう。
 この夜はルミさんの誕生日だった。キャンドルライトに浮かび上がるルミさんは、その容貌と、かもし出す雰囲気がいかにも職業にふさわしい。二十歳前後の頃にも夭夭亭には来たことがあると聞いた。
 ルミさんの夫は建設会社を営んでいる。穏やかな印象の人だ。このグループ全体がエレガントな空気感に包まれているのはルミさんの存在があるからだろう。
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 初代の祖父は産婦人科を開業していた。父の代から眼科となり自分もそれを継承したドクター・トガシさんは、私の次女と小学校の同級生。彼の姉も眼科医で何度かの来店があったが、現在は沖縄に住んでいるという。<沖縄で暮らしたい>というのが動機だったらしい。
 マリンさんはドクター・トガシさんの姪で薬科大学生。彼女の母は<沖縄へ行った叔母>の姉だそうだ。
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 今回のブログは親子、孫、兄弟姉妹など、親族のつながりを紹介する内容になった。8月は親族や<魂>が寄り集まる季節、私の店にもそうした人たちが集ったようだ。
 この地に住んで半世紀近くになる私自身も、必ずしも親族ではないが、さまざまな人とのつながりの中で生きてきたし、これからも人とのつながりに助けられて生きる。
 6月末、ある人が旅立った。自ら立ち上げ長年続けた型枠工事の会社をたたみ、土を耕すことに新しい生きがいを感じていた。夏の朝、小学校の同級生だった妻と草取りをしていて倒れ、畑からそのまま天に昇っていった。<頑固だった父の、幸せな旅立ち>だったと、会葬御礼のはがきにあった。
 5月の連休に行われる「魚まつり」に初回から、子や孫を呼び寄せて大家族で参加。21回目の今年も元気にバーベキューコンロで魚を焼いていた。その日の夜には、彼の自宅地下室のカラオケルームで遅くまで歌いまくった。それが顔を見た最後になった。下の写真は5年前の「魚まつり」、前列右端がその人、山賀正喜さんだ。
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「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」『徒然草』(第九十三段)
<人は、死ぬことを憎むのならば、生命を大切に愛惜すべきである。この生きながらえているうれしさを、毎日よくよく心に味わい楽しまないでよいものであろうか>(訳注・安良岡康作/旺文社文庫1971)
 妻祥子さん(前列中央黄色のヤッケ)は喪主のあいさつをこう締めくくった。「これからは二人の日々の思い出を糧にして生きていきます」                              


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 運転免許証を更新した。というよりも更新できたというべきかもしれない。視力に不安があったため、直前に眼科で検査をし、規定の0,7以上が見えることを確認していたのに、更新当日はかろうじてのパスだった。車の運転ができるか否かによって生活は大きく変化する。まずはよかった。

 オリンピックが閉幕した。早朝からのライブ映像をほとんど欠かさず見た。喜びがはじけるメダル獲得者たち。強い意志、過酷な鍛錬、寄せられる期待の重圧・・・・・・。そうして勝ち取った栄光。「偉いもんだ」と拍手を送りながら、しかし私の思いは敗者へ向かう。私自身に勝利体験、成功体験がないからだろうか。
 9月25日(日)には「村上・笹川流れ国際トライアスロン大会」がおこなわれる。フィニッシュエリアで一般参加の出場者たちに、MC担当の私はマイクに叫ぶ。「自分への挑戦に打ち勝ったすべての人が勝利者です」。そしてオリンピックイヤーの今年は呼びかけるかもしれない。
「みなさんひとり一人の胸の中にいちばん輝くメダルを掲げて下さい」


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 村上駅前にあった「ビストロ駅舎」が店を閉じた。小学校教師を退職後にオープンした店は、面倒見が良くて姉御肌のトキコママを慕う教え子や相談事を抱えた客たちが集った。借用していた土地の返却期限となったための閉店だ。26年前、私も少しばかり開店に関与しただけでなく、遭遇するあれやこれやに耳を傾けてもらったこともしばしばだった。駅前のユニークな名物店が消えた。街はもう秋の気配である。
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秋の夜は更けて/すだく虫の音に
疲れた心いやす/わがやの窓辺
静かにほのぼのと/倖せはここに

星のまばたきは/心のやすらぎ
明日の夢をはこぶ/やさし君が笑み
静かなわが窓辺/倖せはここに

静かに静かに/街の灯も消えた
遠い空みてごらん/明日の夢がある
小さな小さな/倖せはここに
                               「倖せはここに」(作詞作曲/大橋節夫)
 
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 今日8月29日、私は60代最後の誕生日を迎えた。
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# by yoyotei | 2016-08-29 05:39 | Comments(6)  

崩れ墜つ天地のまなか/一輪の花の幻

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(左から)泌尿器科医タドコロさん、産婦人科医セリさん、泌尿器科医ヒロユキさん。
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 セりさんは前女(まえじょ)の卒業生。前女とは前橋市(群馬県)の伝統的名門校前橋女子高校のこと。同じく男子校は前橋高校で、こちらは前高(まえたか)といわれている。伝統と現代性を併せ持つ優等生的美女のセリさん、結婚が近いと聞いた。
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 この1週間前には泌尿器科医タドコロさん(右)は、同じ泌尿器科医の先輩ヤマナさん(右)を伴って来店した。ヤマナさんもしばらく当地の総合病院に勤務したことがあった。久しぶりだった。
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 長い馴染みのターッキーさん(左)が、新潟市から仕事仲間のイトウさん(右)とケンタさん(中)を引き連れてやってきた。以前から思っていたことだが、タッキーさんを含めて、彼の職場には個性的な人が多い。<カレー好き>を自認するイトウさんは、その薀蓄(うんちく)も並ではない。日焼けした<サーフィン野郎>ケンタさんはウインドサーフィンではオールジャパン優勝の実績もあるという。
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親族というのは血統や結婚によってつながる人々のことをいう。まさにこれは親族大集合の一端である。最年長のジョージさんを中心に続き柄を紹介してみる。
 左からジョージさんの長女ユキさん、ジョージさんの妹でユキさんの叔母ミホコさん、ジョージさん、ジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさんの妹クニコさん、クニコさんの夫シンヤさん。
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 クニコさんの夫シンヤさんの右はジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさん。そして、トモヒトさんの母シホコさん、同父ケイイチさんの夫婦と続く。
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 ジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさんの妹クニコさんとクニコさんの夫シンヤさん、クニコさんとシンヤさんの長女は、おっと名前を聞き漏らした。
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 シホコさんとケイイチさんは幼馴染の同級生。シホコさんは学校卒業後、東京でバスガイドをしていたこともあり、同じくケイイチさんも東京で庭師をしていた。やがて故郷の鹿児島県阿久根市に帰った二人は結婚。長男トモヒトさん、長女クニコさんが生まれた。
<キャラが立つ>という表現がある。個性が際立つという意味で使われているのなら、まさにシホコさんとケイイチさん夫妻がそうだ。飲むほどに話がおもしろくなり、それぞれの人間性が浮かび上がってくる。シホコさんは阿久根市で「牡丹」という飲み屋を開業し、その個性と人間性で店を大繁盛させた。数年前に引退したが、今度はケイイチさんが蕎麦屋を開業した。また、ケイイチさんは海に潜る男でもあるらしい。
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 クニコさんとシンヤさんの長男アルト君(左)とユキさんとトモヒトさんの長男リュウヘイ君だ。
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 ジョージさんの長女ユキさんと長男リュウヘイ君。リュウヘイ君はジョージさんの孫ということになる。
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 ジョージさんと長女ユキさん、ミホコさんは越後村上の生まれ。リュウヘイ君は東京生まれだったかな。その他のみなさんは鹿児島県阿久根市生まれだ。
 画像には登場していないが、ジョージさんの妻エイさんは長く市会議員を務めたが、昨年12月に倒れ、今年5月の市議会議員選挙には立候補を断念した。徐々に健康を回復し、現在はリハビリ中のエイさんの<見舞い>ということで、この<薩摩おごじょ><薩摩隼人>の村上大集合が実現した。ジョージ・エイさん夫妻の長女ユキさんと、ケイイチ・シホコさん夫妻の長男トモヒトさんとの結婚が越後と薩摩を結びつけたが、越後出身の父と信濃出身の母が旧満州のハルビンで出会い、結婚したことによってジョージさんが誕生した。かくいう私は石見の出身で越後の女を妻にした。
「合縁奇(機)縁」という。「会者定離」とも仏教ではいう。夫婦も、血のつながった親子・兄弟姉妹であっても、いづれは別れる<定め>にある。だからこその、この<縁>なのだ。

 今日から8月。8月は私の誕生月であり、長女もその長男もこの月に生まれた。
 8月はまた<戦争>を想起する月でもある。
 昭和21年8月1日の朝、「私」は、上野ガード下の闇市場へ、再びやってきた。「きのうのイエスの顔をもう一度まぢかに見たい」と思ったのだ。「ふた目と見られぬボロとデキモノ」の浮浪児に「私」は財布を強奪されたが、「焼跡の新開地にはびころうとする人間のはじまり、すなわち『人の子』の役割を振り当てられているかもしれないその浮浪児は、「苦患(くげん)にみちたナザレのイエスの顔をしていた。(槌田満文著『名作365日』から石川淳「焼跡のイエス」)
 6月のブログのタイトル「明るく静かに澄んで懐かしい<音>、少しは甘えて・・・・・」とは、本屋大賞を受賞した『羊と鋼の森』(宮下奈都著)で引用された、小説家で詩人だった原民喜が憧れたという文体だ。
 広島に原爆が投下された昭和20年8月6日午前8時15分、原民喜は便所に入っていて命を拾った。
   遠き日の石に刻み
   砂に影おち
   崩れ墜つ天地のまなか
   一輪の花の幻
 広島平和記念公園の一角の原民喜の小さな記念碑に、この詩が刻まれている。原民喜は国鉄中央線の吉祥寺駅と西荻窪駅の間の線路に身を横たえて鉄道自殺をした。あの悲惨な原爆で<命を拾った>原民喜がなぜ、というほかはない。享年45歳、1951年3月13日深夜のことだった。
 
 昭和20年(1945年)の今日8月1日、長岡はB29の爆撃を受け、まちの8割が焦土と化し、1486名が犠牲となった。その忌まわしい空襲の日から1年後の同じ8月1日、「長岡復興祭」が開催された。昭和22年(1947年)の復興祭の1・2日には長岡の花火が「復活」する。明治12年(1879)長岡初の花火大会が行われ、その後は戦争によって中断されていたものだ。
 翌昭和23年(1948年)には、8月1日を「戦災殉難者の慰霊」の日とし、2・3日を「花火大会の日」と改め、現在に至っている。「裸の大将」こと山下清が貼り絵の「長岡の花火」を発表したのは昭和25年(1950)だ。「長岡の花火」は見たことがない私だが、山下清の「長岡の花火」は実物を見たことがある。
 8月3日、その「長岡の花火」を初めて見に行く。娘や孫たちも一緒だ。
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# by yoyotei | 2016-08-01 05:36 | Comments(0)  

<スペシャル・リポート>ハルビン・女たちの夏

 7月13日~15日「ハルビンビール祭り3日間」ツアー(新潟交通主催)に参加した。以下はその印象記である。
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 日中は28度ほどになる7月のハルビンも、早朝は松花江を渡る風が肌寒さを運んでくる。松花河を北に遡上すれば中ロ国境を越えてハバロフスクに、そこから西へ向かえば国境沿いに河はアムール河と名を変える。
 陽光がさしはじめたスターリン広場や川岸では早起きの人々がエクササイズにいそしんでいる。水着姿の男たちはこれから松花河の水に体を浸すのだろうか。雨の多い時期だが、今日はいい天気になりそうだ。
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 腰に手を回すのがカップルの中国的寄り添い方のようだ。<アンダンテ(伊)>という音楽用語がある。歩くような速さでゆっくり演奏せよという指示用語だ。しかし、さらには<貴婦人が歩くように>との指示が言外にあると聞いたことがある。貴婦人では若い中国人カップルのように軽やかではあるまい。
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車の乗り入れが禁止されている「中央大街」は石畳の道を日中から夜にかけておびただしい人々が行き交う。やがておとずれるそんな喧騒を前に、道路清掃人や犬を散歩させる人たちが静かに朝を演出する。若いカップルたちにも新しい一日が始まった。
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 真冬には最低気温がマイナス25度を下回って松花河が凍りつく。松花河の中州にあるここ「太陽島公園」は、1月に開催される「氷祭り」会場になる。水面がきらめく今の季節は行楽客が訪れ、カップルたちのデートコースになる。
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 ロシア正教の聖ソフィア大聖堂はハルビンを象徴する建造物だが、現在は教会としては使用されておらず、建築芸術館として公開されいる。
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「東方のモスクワ」「東方の小パリ」などと呼ばれるハルビン。帝政ロシアの面影を今に伝え、旧満州国時代の建造物も数多く残っている。「旧桃山小学校」「旧大和ホテル」「旧日本領事館」などなど。
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 中国のビールといえば「青島ビール」が有名だが、中国で最初に製造されたのは「ハルビンビール」(1900年)で、ハルビン市民1人当たりのビール消費量はドイツのミュンヘンについで世界第2位だという。
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 皿の中央にあるトウモロコシ風のものは高粱(こうりゃん)だと、中国通の落合さんが教えてくれた。「このトウモロコシ、まずいなあ!」と同じ席の数人が顔をしかめていたのだが・・・・・。帰国後、調べたら高粱とトウモロコシは同じものだった。やっぱり、<まずいトウモロコシ>だったのだ。
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 餃子でビール、ロシア料理でビール。<ビール祭り>でもちろんビール。その後はビアガーデンで串焼きをほおばりながらまたビールなのだ。
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 左から鈴木さん、高野さん、落合さん。3人とも同じツアーのメンバーだ。新潟県三条市の落合さんは仕事で中国語を習得した。中国事情にも詳しく、メンバーとっては心強い存在だった。
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 左端の野上裕さんは10月10日(日・祝)に古町7番町で開催される「新潟オクトーバーフェスト2016」の副実行委員長だ。今回はその参考のためのツアー参加だった。「新潟ドイツワイン協会」の幹事でもある。楽しい酒を飲む人だった。
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 左からムツコさん、ヨウコさんのいとこ同士。右は二人の叔母ミキコさん。高齢のミキコさんを気遣う姪っ子二人が好印象だった。
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 82歳の父松井敏和さんを伴っての参加は、日本航空の現役パイロット健二さん。敏和さんにはハルビンに特別な思いがあったのだろうか。息子の傍らにいて終始ご機嫌だった。他にも母と息子の参加メンバーがいた。私と一緒に参加したジョージさんは両親がハルビンで結婚したのだという。戦後、夫の郷里村上市に引き上げた。それから70年、ハルビンは永遠の思い出の地だ。今も元気な母だが、さすがにツアー参加は無理だった。
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 「ビール祭り」会場では、大音響と光が交錯するステージパフォーマンスが繰り広げられる。私も含めて高齢者は少々辟易気味だったが、この元気である。
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 「ビール祭り」会場を後にした一行の内、数人は河畔のビヤガーデンへ繰り出した。私にとっては2晩続きの「河畔牌酒工坊」だった。
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 ロシア娘なのかロシア風中国娘なのか。歌姫は体をくねらせて歌う。歌の中にはロック風にアレンジされたテレサ・テンのヒット曲もあった。
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 ツアーメンバーの中には今回が30回目の海外旅行で、すでに26カ国を訪れたという80歳の女性もいた。はじめのうちは夫と共に、夫を見送ってからは一人で・・・・・。生きてあればこその今、彼女の表情は明るく、好奇心に瞳は輝き、その視線は四方八方に動く。スニーカーの足取りは中央大街の石畳を、太陽島公園の土をしっかりと踏みしめて軽やかだった。
 50時間に満たないハルビン滞在だったが、得たものは多岐に渡った。ツアーメンバーとの<一期一会>もそのひとつだ。帰国後、数日は腹具合がおかしかったが、これもハルビン土産のひとつだったか。
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# by yoyotei | 2016-07-21 07:08 | Comments(0)