崩れ墜つ天地のまなか/一輪の花の幻

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(左から)泌尿器科医タドコロさん、産婦人科医セリさん、泌尿器科医ヒロユキさん。
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 セりさんは前女(まえじょ)の卒業生。前女とは前橋市(群馬県)の伝統的名門校前橋女子高校のこと。同じく男子校は前橋高校で、こちらは前高(まえたか)といわれている。伝統と現代性を併せ持つ優等生的美女のセリさん、結婚が近いと聞いた。
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 この1週間前には泌尿器科医タドコロさん(右)は、同じ泌尿器科医の先輩ヤマナさん(右)を伴って来店した。ヤマナさんもしばらく当地の総合病院に勤務したことがあった。久しぶりだった。
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 長い馴染みのターッキーさん(左)が、新潟市から仕事仲間のイトウさん(右)とケンタさん(中)を引き連れてやってきた。以前から思っていたことだが、タッキーさんを含めて、彼の職場には個性的な人が多い。<カレー好き>を自認するイトウさんは、その薀蓄(うんちく)も並ではない。日焼けした<サーフィン野郎>ケンタさんはウインドサーフィンではオールジャパン優勝の実績もあるという。
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親族というのは血統や結婚によってつながる人々のことをいう。まさにこれは親族大集合の一端である。最年長のジョージさんを中心に続き柄を紹介してみる。
 左からジョージさんの長女ユキさん、ジョージさんの妹でユキさんの叔母ミホコさん、ジョージさん、ジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさんの妹クニコさん、クニコさんの夫シンヤさん。
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 クニコさんの夫シンヤさんの右はジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさん。そして、トモヒトさんの母シホコさん、同父ケイイチさんの夫婦と続く。
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 ジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさんの妹クニコさんとクニコさんの夫シンヤさん、クニコさんとシンヤさんの長女は、おっと名前を聞き漏らした。
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 シホコさんとケイイチさんは幼馴染の同級生。シホコさんは学校卒業後、東京でバスガイドをしていたこともあり、同じくケイイチさんも東京で庭師をしていた。やがて故郷の鹿児島県阿久根市に帰った二人は結婚。長男トモヒトさん、長女クニコさんが生まれた。
<キャラが立つ>という表現がある。個性が際立つという意味で使われているのなら、まさにシホコさんとケイイチさん夫妻がそうだ。飲むほどに話がおもしろくなり、それぞれの人間性が浮かび上がってくる。シホコさんは阿久根市で「牡丹」という飲み屋を開業し、その個性と人間性で店を大繁盛させた。数年前に引退したが、今度はケイイチさんが蕎麦屋を開業した。また、ケイイチさんは海に潜る男でもあるらしい。
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 クニコさんとシンヤさんの長男アルト君(左)とユキさんとトモヒトさんの長男リュウヘイ君だ。
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 ジョージさんの長女ユキさんと長男リュウヘイ君。リュウヘイ君はジョージさんの孫ということになる。
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 ジョージさんと長女ユキさん、ミホコさんは越後村上の生まれ。リュウヘイ君は東京生まれだったかな。その他のみなさんは鹿児島県阿久根市生まれだ。
 画像には登場していないが、ジョージさんの妻エイさんは長く市会議員を務めたが、昨年12月に倒れ、今年5月の市議会議員選挙には立候補を断念した。徐々に健康を回復し、現在はリハビリ中のエイさんの<見舞い>ということで、この<薩摩おごじょ><薩摩隼人>の村上大集合が実現した。ジョージ・エイさん夫妻の長女ユキさんと、ケイイチ・シホコさん夫妻の長男トモヒトさんとの結婚が越後と薩摩を結びつけたが、越後出身の父と信濃出身の母が旧満州のハルビンで出会い、結婚したことによってジョージさんが誕生した。かくいう私は石見の出身で越後の女を妻にした。
「合縁奇(機)縁」という。「会者定離」とも仏教ではいう。夫婦も、血のつながった親子・兄弟姉妹であっても、いづれは別れる<定め>にある。だからこその、この<縁>なのだ。

 今日から8月。8月は私の誕生月であり、長女もその長男もこの月に生まれた。
 8月はまた<戦争>を想起する月でもある。
 昭和21年8月1日の朝、「私」は、上野ガード下の闇市場へ、再びやってきた。「きのうのイエスの顔をもう一度まぢかに見たい」と思ったのだ。「ふた目と見られぬボロとデキモノ」の浮浪児に「私」は財布を強奪されたが、「焼跡の新開地にはびころうとする人間のはじまり、すなわち『人の子』の役割を振り当てられているかもしれないその浮浪児は、「苦患(くげん)にみちたナザレのイエスの顔をしていた。(槌田満文著『名作365日』から石川淳「焼跡のイエス」)
 6月のブログのタイトル「明るく静かに澄んで懐かしい<音>、少しは甘えて・・・・・」とは、本屋大賞を受賞した『羊と鋼の森』(宮下奈都著)で引用された、小説家で詩人だった原民喜が憧れたという文体だ。
 広島に原爆が投下された昭和20年8月6日午前8時15分、原民喜は便所に入っていて命を拾った。
   遠き日の石に刻み
   砂に影おち
   崩れ墜つ天地のまなか
   一輪の花の幻
 広島平和記念公園の一角の原民喜の小さな記念碑に、この詩が刻まれている。原民喜は国鉄中央線の吉祥寺駅と西荻窪駅の間の線路に身を横たえて鉄道自殺をした。あの悲惨な原爆で<命を拾った>原民喜がなぜ、というほかはない。享年45歳、1951年3月13日深夜のことだった。
 
 昭和20年(1945年)の今日8月1日、長岡はB29の爆撃を受け、まちの8割が焦土と化し、1486名が犠牲となった。その忌まわしい空襲の日から1年後の同じ8月1日、「長岡復興祭」が開催された。昭和22年(1947年)の復興祭の1・2日には長岡の花火が「復活」する。明治12年(1879)長岡初の花火大会が行われ、その後は戦争によって中断されていたものだ。
 翌昭和23年(1948年)には、8月1日を「戦災殉難者の慰霊」の日とし、2・3日を「花火大会の日」と改め、現在に至っている。「裸の大将」こと山下清が貼り絵の「長岡の花火」を発表したのは昭和25年(1950)だ。「長岡の花火」は見たことがない私だが、山下清の「長岡の花火」は実物を見たことがある。
 8月3日、その「長岡の花火」を初めて見に行く。娘や孫たちも一緒だ。
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# by yoyotei | 2016-08-01 05:36 | Comments(0)  

<スペシャル・リポート>ハルビン・女たちの夏

 7月13日~15日「ハルビンビール祭り3日間」ツアー(新潟交通主催)に参加した。以下はその印象記である。
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 日中は28度ほどになる7月のハルビンも、早朝は松花江を渡る風が肌寒さを運んでくる。松花河を北に遡上すれば中ロ国境を越えてハバロフスクに、そこから西へ向かえば国境沿いに河はアムール河と名を変える。
 陽光がさしはじめたスターリン広場や川岸では早起きの人々がエクササイズにいそしんでいる。水着姿の男たちはこれから松花河の水に体を浸すのだろうか。雨の多い時期だが、今日はいい天気になりそうだ。
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 腰に手を回すのがカップルの中国的寄り添い方のようだ。<アンダンテ(伊)>という音楽用語がある。歩くような速さでゆっくり演奏せよという指示用語だ。しかし、さらには<貴婦人が歩くように>との指示が言外にあると聞いたことがある。貴婦人では若い中国人カップルのように軽やかではあるまい。
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車の乗り入れが禁止されている「中央大街」は石畳の道を日中から夜にかけておびただしい人々が行き交う。やがておとずれるそんな喧騒を前に、道路清掃人や犬を散歩させる人たちが静かに朝を演出する。若いカップルたちにも新しい一日が始まった。
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 真冬には最低気温がマイナス25度を下回って松花河が凍りつく。松花河の中州にあるここ「太陽島公園」は、1月に開催される「氷祭り」会場になる。水面がきらめく今の季節は行楽客が訪れ、カップルたちのデートコースになる。
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 ロシア正教の聖ソフィア大聖堂はハルビンを象徴する建造物だが、現在は教会としては使用されておらず、建築芸術館として公開されいる。
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「東方のモスクワ」「東方の小パリ」などと呼ばれるハルビン。帝政ロシアの面影を今に伝え、旧満州国時代の建造物も数多く残っている。「旧桃山小学校」「旧大和ホテル」「旧日本領事館」などなど。
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 中国のビールといえば「青島ビール」が有名だが、中国で最初に製造されたのは「ハルビンビール」(1900年)で、ハルビン市民1人当たりのビール消費量はドイツのミュンヘンについで世界第2位だという。
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 皿の中央にあるトウモロコシ風のものは高粱(こうりゃん)だと、中国通の落合さんが教えてくれた。「このトウモロコシ、まずいなあ!」と同じ席の数人が顔をしかめていたのだが・・・・・。帰国後、調べたら高粱とトウモロコシは同じものだった。やっぱり、<まずいトウモロコシ>だったのだ。
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 餃子でビール、ロシア料理でビール。<ビール祭り>でもちろんビール。その後はビアガーデンで串焼きをほおばりながらまたビールなのだ。
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 左から鈴木さん、高野さん、落合さん。3人とも同じツアーのメンバーだ。新潟県三条市の落合さんは仕事で中国語を習得した。中国事情にも詳しく、メンバーとっては心強い存在だった。
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 左端の野上裕さんは10月10日(日・祝)に古町7番町で開催される「新潟オクトーバーフェスト2016」の副実行委員長だ。今回はその参考のためのツアー参加だった。「新潟ドイツワイン協会」の幹事でもある。楽しい酒を飲む人だった。
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 左からムツコさん、ヨウコさんのいとこ同士。右は二人の叔母ミキコさん。高齢のミキコさんを気遣う姪っ子二人が好印象だった。
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 82歳の父松井敏和さんを伴っての参加は、日本航空の現役パイロット健二さん。敏和さんにはハルビンに特別な思いがあったのだろうか。息子の傍らにいて終始ご機嫌だった。他にも母と息子の参加メンバーがいた。私と一緒に参加したジョージさんは両親がハルビンで結婚したのだという。戦後、夫の郷里村上市に引き上げた。それから70年、ハルビンは永遠の思い出の地だ。今も元気な母だが、さすがにツアー参加は無理だった。
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 「ビール祭り」会場では、大音響と光が交錯するステージパフォーマンスが繰り広げられる。私も含めて高齢者は少々辟易気味だったが、この元気である。
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 「ビール祭り」会場を後にした一行の内、数人は河畔のビヤガーデンへ繰り出した。私にとっては2晩続きの「河畔牌酒工坊」だった。
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 ロシア娘なのかロシア風中国娘なのか。歌姫は体をくねらせて歌う。歌の中にはロック風にアレンジされたテレサ・テンのヒット曲もあった。
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 ツアーメンバーの中には今回が30回目の海外旅行で、すでに26カ国を訪れたという80歳の女性もいた。はじめのうちは夫と共に、夫を見送ってからは一人で・・・・・。生きてあればこその今、彼女の表情は明るく、好奇心に瞳は輝き、その視線は四方八方に動く。スニーカーの足取りは中央大街の石畳を、太陽島公園の土をしっかりと踏みしめて軽やかだった。
 50時間に満たないハルビン滞在だったが、得たものは多岐に渡った。ツアーメンバーとの<一期一会>もそのひとつだ。帰国後、数日は腹具合がおかしかったが、これもハルビン土産のひとつだったか。
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# by yoyotei | 2016-07-21 07:08 | Comments(0)  

諍いはつづきおれども昼時となりて並びて泥の手洗う

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 総合病院に勤務する産婦人科医ハルカさん。この夜は大学病院に転勤する彼女の送別二次会。<ハレヤカ(晴れやか)ハルカさん>のこの笑顔に迎えられた新生児は幸せだろう。
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<BAR街>イベントで初来店だったショータ&シュンスケさんがセイナ&ナオキさんを伴って再来店。
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 こちらがセイナ&ナオキさん夫妻。
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 こちらのショータ&シュンスケさんは、おそらく夫婦ではない。
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 こちらも<BAR街>初来店だったコズエさん(左)が、ヒサエさん(中)とミキ(右)さんを引き連れて(?)やってきた。魚沼出身の3人。ミキさんはライターだと聞いた。どんなものを書いているのだろう。
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 久々のヨシマサ&タカユキ・イカラシさん。2児の父になっても相変わらず元気みなぎるヨシマサさん。タカユキさんはパートナーを切実に求めているようだが・・・・・。
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 詳しい話はできなかったが女子3人もパートナー募集中か。酒場のカウンターはそんな人たちの出会いを演出することもある。
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 5月に初来店だった建築士でインテリアコーディネーターのジュンコさんが再度やってきた。酒の店「むらさき」に興味があるというのでお連れした。前ブログで紹介したように「むらさき」は村上の伝説の飲み屋の一軒だ。 
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 伝説といわれるのは、半世紀以上も変わらない店のたたずまいとママの人柄だ。
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 店では、これもかつて存在した「ホープ」という飲み屋の元主人がひとり銚子を傾けていた。昭和レトロそのままの時間がこの店には流れている。青森県八戸市から転勤してきているジュンコさんは「すてき!」を連発した。
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 私の店の右隣は浄土真宗の寺、左隣は畳屋、畳屋の隣がカラオケスナック「レガート」だ。左が「レガート」のアヤコママ。右はママの次女泉さんだ。泉さんは新潟市在住の画家。「レガート」には数点の彼女の絵が掲げられてある。泉さんの心の内奥が静かに、しかし激しく迸(ほとば)しっている抽象画。人間存在の確かさと危うさ、希望と絶望、揺れ動く心。それらの絵をいつか紹介することがあるだろう。
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 堀田亨さんの名刺には「越後村上大町鶏邑(けいゆう)会会長」とある。<村上大祭発祥の地・大町を支援するお祭り大好き友の会>というのが「鶏邑会」であり、一行はその会員だ。さらに堀田さんは「本庄繁長公の会」事務局長、「胎内星まつり」本部スタッフ、「ザ・わっしょいズ」ドラム担当ハリー堀田といった別の顔もある。多才にして多忙、しかしそれを心から楽しむといった生き様が表情から伝わってくる。「村上高校同窓会新潟支部」の幹事でもある。この後、アヤコママの店「レガート」で堀田さんと話した。温厚な人柄と豊かな知見。高い人望も、さにあらんの人である。彼らはすでに来年の村上大祭に思いを馳せている。 
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 「鶏邑会」のメンバーに泉さんの同級生がいた。泉さんはわたしの三女とも同級生でもあるらしい。
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 国内外で活動する日高さとみさんは生田流の琴の演奏家だ。伝統的な筝曲からロックなどとのコラボまで演奏ジャンルは幅広い。5月の「宝田明公演」で紹介され、この夜は翌日に行われる「日高さとみ筝コンサート」(7月10日村上教育情報センター)を前に来店となった。この10月にはトロント(カナダ)でのコンサートが予定されている。
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右は村上市山辺里(さべり)出身の田所和子さん。「日高さとみ筝コンサート」で<歌う人>と紹介された。
 平原さん(左)とは面識を得て長くはないが急速に新密度が高まっている。世界のあちこちに足を運んでいる村上出身の実業家。この夜はインドの話が共通の話題になった。ガンジス河の聖地バラナシの迷宮のような路地に話が及んだとき、私は昔どこかで平原さんと会ったことがあるのでないかと胸が震えた。
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 7月10日の夜は<オール村上・岩船/平和と共生>の事務所で参議院選挙の開票を見守った。支援した野党統一候補森ゆうこさんは、その差2,279票の激戦を制して当選した。メディア取材で「新しい民主主義が新潟から生まれた」と森ゆうこさんは語った。支持拡大に奔走した友人は、政党や組合などを超えて共闘した選挙戦に大きな歴史の変化を見たと話す。政党や組合運動に無縁の私は、「むらかみ9条の会」の<一市民>として参画した。短い間だったが、選挙戦を通じて新しいいくつかの絆が生まれた。
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 投票日の翌日、森さんは当選報告のため村上に現れた。新潟では彼女が勝利したが、全体では改憲勢力が憲法改正発議に必要な3分の2の議席を超えた。改憲阻止に向けて、彼女に<何人分>もの期待が集まる。野党共闘は「野合」ではなく「希望」と<オールにいがた平和と共生ニュース>は伝えた。
 
「民主主義とは、敵と共生する・反対者とともに統治する、そのための政治制度」(哲学者オルテガ・イ・ガセット)
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 頼んでおいた歌集『綿雪』が届いた。6年前の発刊時に著者の稲葉範子さんから贈呈されていながらサッと目を通しただけで、所在不明となっていたものを改めて購入したのだ。夫とともに専業の農業を営みながらスーパーの魚屋でも働く著者と私の妻は職場を通じての知人だった。

 子を背負い玉葱の苗植えているこの子に最初の雪のま近し
 九月の夜寒い寒いとうそぶいて伸べ来る夫の手の温とさよ
 <温とさ>は(ぬくとさ)と読むのだろうか。
 夕去りて一輪車引く影長し夫の頭を踏みつつ歩く
 諍いはつづきおれども昼時となりて並びて泥の手洗う
 
 土浦の今井さんはこの歌集を旅の友としていた。私も明日からのハルビンの旅に『綿雪』を携えて行こう。
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# by yoyotei | 2016-07-12 07:46 | Comments(0)  

明るく静かに澄んで懐かしい<音>、少しは甘えて・・・・・・

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 タカヨシさん&リサさん夫妻だ。「むらかみBAR(バル)街」の参加者説明でタカヨシさんと席が隣だったのも何かの縁だったか。国道沿いで「うまいもんや新町」を営んでいる。
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 左からタカヨシ、リサ、サチコ、ショータ、シュンスケさん。リサさんの他はみんな同級生。「うまいもんや新町」の繁盛を支えているにちがいない人たちだ。
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 アンニャほど上手に日本語を話し・書き・読む外国人を知らない。新潟大学でドイツ語の教鞭を執るドイツ人だ。村上駅前でライブ・カフェ「楽屋」を営む夫・青山マスターと共に「映像から暮らしと環境を考える会」のメンバーでもある。私はこの「映像から・・・の会」で、商業主義ではない数多くの映画の存在を知った。
 この夜はドイツの<カバレット>が話題になった。ジャーナリスト佐高信とお笑い芸人松元ヒロの対談集『安部政権を笑い倒す』(角川新書2015)という本。その中に「社会や政治批判をして人を笑わせる芸をドイツでは<カバレット>、カバレットをやる人たちを<カバレッティスト>呼ぶ」とあったからだ。
 今の日本はカバレットのネタに事欠かない。嘘と欺瞞が横行し、恥ずかしげもないチャラチャラ、シャアシャアとした権力者の言動にあきれ果てる。
「かなわぬ存在への畏(おそ)れがあると、人は傲慢にならない。傲慢な人間は、よき人生の師というものを持っていない人」。あれこれの人物に聞かせたい言葉だ。もちろん自分への戒めとしても。
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 私の店から歩いて1分のところにある老舗料亭「能登新(のとしん)」の主人(左)。外科医で病院長でトライアスリートでもあるドクター・ムラヤマ(中)。そしてアンニャ・ホップ(右)。それぞれがひとり一人やってきて偶然に顔を合わして飲みながら談笑する。「やあ」「こんばんは」「今夜は?」「ちょっと集まりが・・・」。こんな店が私の理想だ。
 夭夭亭が村上の伝説の店(飲み屋)3軒に入っていると聞いた。先輩筋にあたる2軒は「木馬」「むらさき」だという。どちらの店も時代に迎合することなく、独自のスタイルを半世紀にわたって守り続けている。時代の流れに乗りたいのに、上手に時代を乗りこなせない私は定まらない腰つきのままだ。
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 宝田明さんとの食事を料亭「能登新」でとったことがある。その折の<献立>だ。料亭料理に接することなどほとんどない私は料理の数々、食材の多様さに目を瞠るばかりだった。この料亭には西郷隆盛の逸話があるが、それはまたいづれ。 
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 岳(がく)君もこの夜は<BAR街>の客。このあともパパ・ママと何軒か<ハシゴ酒>を続けたのだろうか。
「俺がガキだったあのころ、話せる親父に連れられて一緒に酒場へ行ったんだ。親父が飲むのを見ていたら俺もなんだか飲みたくなって・・・」(1961年の日活映画『赤い荒野』で主演の宍戸錠が歌った「ジョーの子守唄」の一節で、この映画は私が中学・高校時代をすごした場所でロケがおこなわれた)
 岳君2歳、酒を飲めるまでには18年。店の存続はおろか、私自身のこの世における存在すら危うい。
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 菜月ちゃんも<BAR街>酒場めぐり。モダンバレエを習っていて私と舞台の仲間でもある。秋には<オオカミ>に扮する私と同じ演目で共演することになるようだ。
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(左から時計周りに)カオリ、ミホ、マリ、アイコ、ミナコの女子5人組。この日はミホさんの?回目の誕生日ということで、私もお祝いのケーキのご相伴にあずかった。
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 エリさんは近々タイへ旅立つ。初めての海外だそうだ。旅立ち前のワクワク感。視界に飛び込んでくる異国の風景。いつまでも鮮烈によみがえる旅の思い出。旅はあらためて自分に向き合うことでもある。「行く前と行ってきてから顔を出します」とメールをもらった。ちょっと涙目のエリさん、旅の話を聞くのが楽しみだ。

 私にもインド旅行の話が舞い込んできた。暑い国の最も暑い時期、来年5月のインドだ。5泊ほどの特別ツアー。この時期のインドは初めてだし、インドのツアー旅行も初めてだ。どうなることやら・・・・・・。

 開催2回目にして初めて参加した「むらかみBAR(バル)街」。BAR客70人の8割が初来店だった。「「気になっていた店です」「外からは想像できなかった(店内)、驚きました」「BARイベントがなければ入れなかった店です」などの感想をもらった。来店予約もあった。店の存在をあらためて教えてもらったような手ごたえを感じた<BARイベント>は、10月に第3回目が行われる予定だ。

 前から一度は見たいと思っていた8月の長岡花火。抽選販売の升席をゲットしたと次女から連絡があった。三女は第三子を懐胎、来春には7人目の孫が誕生予定との知らせも。その三女の夫から<父の日>に甚平と雪駄が送られてきた。花火見物の衣装が決まった。。
 新潟市に住む孫が1昨年の村上大祭の夜店で釣った金魚2匹が5月末に産卵し、1週間前に孵化した。いま大量の稚魚がボウフラのように泳いでいる。さらに同じ金魚が6月19日、20日と2回目の産卵をした。
 3週間後には「村上大祭」だ。昨年、数年ぶりに参加して感動し、居住町内の法被(はっぴ)をつくると宣言したのに、染物屋の店先には早々と「大祭の法被注文締め切りました」の張り紙。法被新調は来年に持ち越しとなった。

 参議院選挙が公示された。新潟県では野党統一候補に森ゆうこ氏が決まった。与野党逆転の可能性が高い注目選挙区だ。先夜、森ゆうこ氏を迎えて、地区の総決起大会がおこなわれ、<むらかみ9条の会>としてあいさつをした。歴史的な政治変化の胎動を感じている。今日6月23日は沖縄「慰霊の日」。初めて行った沖縄を思い出す。28年前の夏の終わり、じっとりと汗ばむ暑い日だった。選挙結果は沖縄の明日にもつながる。蒸し暑い梅雨の中の熱い選挙戦だ。
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 書評を読んで気になっていた本を購入した。宮下奈都著『羊と鋼の森』(文藝春秋)。羊の毛を固めてつくるフェルト。フェルトでつくられたハンマーで弦をたたいて音を出すピアノ。弦は鋼でつくられている。ピアノの調律師が主人公の小説だ。
 高校への通学路に「石崎米穀店」という米屋があった。登下校の時、2階からピアノの音が聞こえることがあった。どんな人が弾いているのだろう。ピアノの音は、それを弾く人への憧れを抱かせる。
 『羊と鋼の森』は、まだ4分の1ほど読んだだけだ。どのような展開になるのかどんな結末なのかはわからない。ただ主人公に<どんな音を目指しているか>と聞かれた先輩の調律師が引用した、小説家原民喜の言葉がいい。「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少し甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」。文体を<音>に置き換えたものが目指している音なのだという。
 誰も弾かないわが家のピアノは30年も調律をしないままだ。ピアノが堪らなく不憫に思えてきた。
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# by yoyotei | 2016-06-23 08:25 | Comments(0)  

それを止めるのは私たちの果たすべき使命

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(5月27日カップル)
埼玉からの旅の途中、ヒデ&ユキコさんのサクライ夫妻である。<YOYOTEIブログ>にたどりつきましたでしょうか。楽しい旅をお続けください。お二人の<人生の旅>も順風満帆でありますように。
新潟シティガイドTaka様
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 過日(5月20日)は宝田明公演に、遠路をご来場ご下さいましてありがとうございました。おかげさまで800人ほどのお客様を迎えることができました。実行委員会はもとより、宝田座のみなさんにも喜んでいただきました。何より観客から「夫も連れてくればよかった」などの声が聞かれたことでした。特に宝田明さんは第二のふるさと村上での公演が大成功だったことで、舞台でも打ち上げ会場でも涙ぐんでおられました。私たち実行委員も<ふるさとはあたたかい>と宝田さんに実感していただいたと胸が熱くなりました。
 たいそう遅くなりましたが、お約束の写真を同封いたしました。ピントのあまい下手な写真で申し訳ありません。ご笑納ください。また、入場待ちの中にTakaさんの姿を見つけましたのでここにアップさせていただきました。今回のブログをTakaさん宛の手紙形式で書き進めることもご寛恕ください。列の先頭で微笑んでいるのは知人の元教師です。
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 新潟西区に住んでおられるそうですが、私の次女も西区に住んでいまして、5月8日には「アートミックスジャパン」の「石見神楽」を次女・孫と鑑賞してきました。私は島根県の石見地方の生まれで、物心ついたころから石見神楽を見て育ちました。終始目頭を熱くしながらの鑑賞でした。客席から大きな拍手が沸くたびに、私が拍手を受けているような誇らしい気持ちになりました。「私も石見の生まれです」と周りの人に打ち明けたいような衝動に駆られたりしました。不思議なものですね。セイン・カミュさんがプレゼンターでしたが、もう少し物語の概略を紹介したほうがよかったかなとも思いました。これも石見神楽をもっと知ってほしいという<ふるさと自慢>でしょうか。7月にはやはり西区に住む娘と県民会館で行われる染五郎の松竹大歌舞伎に行く予定です。
 先日、宝田明公演の最後の実行委員会がありました。達成感や満足感を再確認した集まりでした。瀬賀実行委員長は「いつか、また公演協力の要請があれば引き受けても・・・・」と、プロモーター(興行主)になったような面持ちでした。観客のみなさんにあらためて感謝です。
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 公演の前夜、私の店で宝田さんたちと前祝をしました。そのときの写真も同封しました。宝田さんは酒が強く、若いころには映画俳優の酒豪番付で横綱を張っていたということです。実行委員会事務局を担当したヒサミさん(上/左)マリさん(上/私の右)二人の細かい配慮、事務的作業に留まらず、チケット販売の営業活動など多岐にわたっての働きはには頭が下がりました。
 宝田企画のコグレさん(下/中)とヒサミさん、マリさんの3人は、まるで3姉妹になったようでした。協同の取り組みは新しい人間関係も創出するものですね。Takaさんとの出会いは、期せずして宝田明さんによって演出されたといっていいでしょう。今後ともよろしくお願いします。
 梅雨入りが近づいています。ご自愛とご活躍をお祈りいたします。
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アベ様
 ごめんください。過日(5月3日)、村上市の海浜公園でお会いしました者です。村山ドクターから阿部さんがお送りくださいました『伊能図』が私にも届きました。大変に高価で豪華な本に驚いております。早速の御礼をと思いながら、大変遅くなってしまいました。本当にありがとうございました。
 当日の私たちは県北の寝屋漁港(『伊能図』では根屋村)で、毎年行われる<魚まつり>に参加したグループです。朝から漁船上で漁師料理をいただき、大安売りの魚を購入して海浜公園で野外パーティーをするという、20年も続けてきた気のおけない仲間たち家族です。
 来年も同じ日に22回目の<魚まつり>が開催されます。海浜公園での野外パーティーも同様です。阿部さんご夫妻との出会いも<何か>の導きかも知れません。朝早い時刻ですと寝屋漁港の賑わいも一見の興があると思います。神奈川県座間市からは近くはありませんが、今回と同じくドライブ旅行の途中で足をお止めになるのもいいかと思います。大歓迎です。
 梅雨に向かいます。御身ご大切にお過ごしください。
 当日のお写真を同封しました。豪華な書籍、本当にありがとうございました。
追伸
 知人に郷土の歴史を探求している元教師がいます。かつて生徒たちに伊能忠敬がどのようにして地図を作ったかを教示していました。しかも伊能忠敬の扮装までして、伊能忠敬たちが歩いた所を実測してみるというもので、地元の新聞でも紹介されました。彼にも「伊能図」を見てもらいたいと思います。
 阿部さんは国土地理院におられたということ。当地の荒川河口近くに小さな高台のような山があります。この山には明治維新の頃、荒川を挟んで行われる攻防戦に備え、村上藩奥羽越列藩同盟の幕府軍により砲台が置かれ役人が駐在するための番所があり「番所山(ばんしょやま)」と呼ばれていたそうです。現在は稲荷山と呼ばれ山頂には稲荷様をまつる赤い祠(ほこら)があり、展望台も作られています。地域関係者600名の署名によって国土地理院に掲載要請をして、今は「新潟県で一番低い山」として地形図に掲載されています。標高は15.3メートルで山頂には三角点(水準点?)があります。
 展望台からは塩谷の町並みはもちろん、天気の良い日は佐渡や粟島、近隣の町や水平線が一望できます。
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 アジが釣れているという情報を得て、久しぶりに釣りに行った。釣り場の岩船漁港には福島ナンバーの車が目立つ。釣りの準備をしていると隣の青年が釣り上げたカマスをもらってくださいと言う。訛りも福島のものだ。アジを釣りに来たのでカマスはいらないのだという。カマスはうまいよ、といっても、「もらってください」と言う。仕方がないのでもらった。いい型のものが10数尾もあった。片道3時間もかけてやって来たのに、福島青年の心の内がわからない。
 私は2時間ばかりで15~20センチのアジを60尾ほど釣った。半分は3枚におろし、軽く塩をあてて酢につけた。半分は頭と腸(はらわた)を取り、塩をして干した。何匹かはタタキにもした。どれもうまかった。
 福島青年からもらったカマスは塩をして丸干しにした。焼いたら油がにじみ出て、やはりうまかった。カマスはアヒージョにしてもうまい。
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 宝田座公演「宝田明物語&煌(きらめ)くミュージカルコンサート」が終わった。当日は実行委員の一人としてカメラマンを任じられた。他のステージではないことだが、宝田さんは写真でも録音でも自由にとって、どこにでも公表してくださいと言う。カメラマンの私だけではない。観客に対しても、本番中の舞台でも同じだ。私はリハーサル、本番、打ち上げなど、約500枚もの写真を撮った。その中から、ほんの数枚をアップしておく。
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 舞台に上がっていてもおかしくないきれいな人だ。元宝ジェンヌの真矢ミキさんかと思った。もちろん、観客のひとりだ。
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 戦後、旧満州から菩提寺のある新潟県村上に引き上げてきた宝田家族は大工町のお寺に身を寄せた。舞台では大工町の祭りの<オシャギリ>も披露された。宝田少年にとっては地元の子ども世界に招かれた忘れ得ないオシャギリの音だ。
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 舞台では出演者たちの歌唱力に魅了され、圧倒された。エレクトーン演奏者長谷川幹人さんの技術の高さにも驚かされた。彼の演奏なしには表現できない舞台だった。
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 ステージのフィナーレは会場も一緒になっての「青い山脈」の大合唱だった。宝田さんにうながされて会場からステージに上がった人もいた。私の妻もその一人だった。<手紙形式>のブログの相手Takaさんも夫婦でステー上の人となって歌った。
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 打ち上げ会場である。美人が大好きな私は圧倒的な歌唱力と美しさの井料瑠美さんとのツーショットを望んでいたのに、脇から柳瀬さんがヌッと顔を出した。無粋な人だ(笑)。柳瀬さんは1年ほど前に古民家を購入して東京から夫婦で移り住んできた。実行委員の一人である。
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 実行委員の各人がそれぞれの得意分野で力を発揮した。委員の佐藤さん(右端)はチケットを一人で120枚も売った。宝田さんが生まれた旧満州ハルビンの小学校の1年下で、宝田さんと同様に過酷な体験をしてきた人だ。宝田さんの人生を自分に置き換えた佐藤さんはチケット販売にも悲壮な思いで取り組んだのだった。
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 今日から28軒の飲食店が参加して「越後むらかみBAR(バル)街」イベントが始まる。スペインのBARを<ハシゴ>する文化を取り入れて飲食街(店)の活性化を図ろうという商工会議所の企画だ。飲食店を<ハシゴ>する文化は必ずしもスペインだけではない。日本にだって古くからある。私は11歳上の兄に連れられて大阪天保山の飲食街で10軒近い<ハシゴ>をしたことがある。最後の店では船乗りの外国人と兄が喧嘩になったのを、私が取り成したこともあった。今回2回目となる「むらかみBAR」はどうだろう。
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 ここ2ヶ月ばかり、宝田座公演に忙殺された。だが、終わってみれば得ることの多い取り組みだった。宝田明さんは1934年旧満州(現中国東北部黒竜江省)のハルビンで生まれた。来月、そのハルビンへ行くことになった。名物だという<ビール祭>でビールを飲もうという2泊3日のショートトリップだ。同行者は友人のジョージさん。彼とはこれまでも数ヶ国に同行している。私には初めての中国だが、せめて宝田少年のハルビンにおいての苛烈な体験に思いを馳せてみたい。
 
 人は誰も幸せを求めて生きている
 愛とやさしさ温もりを探し続ける
 それなのになぜ人は戦うのだ
 それなのになぜ人は殺し合うのだ?
 作詞・宝田明、作曲・沢木順による「私の願い」の一節だ。そして、歌は「戦争を止めるのは私たちの一人一人の力/それを止めるのは私たちの果たすべき使命」と宝田座の出演者全員によって高らかに歌い上げられた。 
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# by yoyotei | 2016-06-09 13:34 | Comments(2)