小さな小さな倖せはここに

c0223879_17221468.jpg

c0223879_17345164.jpg

c0223879_1741373.jpg

c0223879_14192985.jpg

長岡花火を見てきた。花火もすごかったが観客の数もすごかった。8月2・3の両日で120万人。私が観覧した3日は50万人の人出。それほどの人の海を視界に収めるのは未曾有のこと。会場への行き帰りも重要な思案のひとつだというが、次女の計らいで会場近くの駐車場が確保できたためにスムースな花火見物となった。
 豪華絢爛、大規模の花火だが、鎮魂、復興、平和への願いが込められたものと知れば、火の花が夜空に広がり、見上げている者に覆いかぶさってくるとき、息つく間もなく次々と打ちあがるスターマインに「オウッ、オウッ、オオーッ!」と声を発しながら、おのずと涙が滲んでくる。
<眠れるものは目覚めよ/天上に彷徨(さまよ)う魂はここに到れ/地上に臥す者はその顔を上げよ/いま夜空を轟かせ地を震わせて開く火の花は、天と地をつないだ/死者はひと時(とき)甦(よみがえ)り/生きてある者は冥府への道標(みちしるべ)を見た>
 そして私はといえば、トイレの帰り、自分の席を見失い迷子になった。やむなく席を探すのをあきらめて、空いていた桟敷に大の字に寝転んで天を仰ぎ続けた。途中、「マスター?!」と花火の明かりの中で声をかけられた。村上の元教師だった。50万人の中で知人に出会うこともある。

c0223879_9424756.jpg

c0223879_13523196.jpg

 夏の夜のしばしの同窓生交歓は、1961年(昭和36)生まれの左からトオル、エミ、マコト、ノリコ、ヒデノリ、アツシの各氏。
「週間FM」で編集にたずさわっていたというノリコさん。あの数日後、キヨミさんが叔母さんと二人で顔を出してくれましたよ。「FM」ではないが、YOYOTEI(夭夭亭)が中継地になっているような気がして嬉しくなりました。
c0223879_7413885.jpg

 前回のブログではジョージさん(右)の親族のうち、<薩摩隼人><薩摩おごじょ>を中心に紹介した。今回紹介するのは、まずジョージさんの妻の姉の息子ヨウジさん(中)、その妻フミコさん。ヨウジさんは瀬波温泉のホテルで私と同様の仕事をしている。フミコさんは私の三女と同期、職場で<生き字引>といわれているそうな。彼女の父も<物知り>で古い馴染みである。
c0223879_4351755.jpg

 左から、ジョージさんの次男アキヒコさん、長男ケイスケさん、ケイスケさんの妻エミさん。
c0223879_7523520.jpg

 彼らが見入っているスマホの画面には<ケンシロー君>が映っているのだろうか。ケンシロー君はケイスケ・エミさん夫妻が飼っている、スローロリスという超小型の猿。9歳になるが人見知りが激しく<ビビリウンコ>をするので連れてはこなかったという。一度だけ私も<面識>がある。
c0223879_758630.jpg

 エミさんとフミコさんは夫がイトコ同士だ。その妻たちは義理のイトコというのだろうか。 
c0223879_834827.jpg

 半年ぶりの会田さんだ。以前のこのブログで出産予定を明らかにしたが、予定よりちょっと遅れて長男が誕生した。結婚して8年。さまざまな苦闘を経てのうれしい誕生だった。命名は陽嵩(ひたか)くん。スマホの動画で6ヶ月になった陽嵩クンは元気に<寝返り>をしていた。父になった会田さんのうれしさがズンズンと伝わる。あらためておめでとう!。
c0223879_883316.jpg

 愛子さんが大きいおなかを抱えてやってきたのはいつだったか。その子が生まれて4ヶ月になった。こちらはユイちゃんと名付けられた。
c0223879_8141896.jpg

 愛子さんの父、友和さんと愛子さんの第一子アオイちゃん。アオイちゃん誕生の知らせを聞いたのは隣家本間桂先生の葬儀の朝だった。人が死に、人が生まれる。命の輪廻を実感したことであった。
c0223879_8183538.jpg

 会田さん(右)の目線の先には母に抱かれるユイちゃんがいる。命の不思議さ、命の重さ・・・・・・。
c0223879_8232392.jpg

 この夜はどうしたのだろう。「石亀」のエミさんまでも孫を連れてきた。生糸(きいと)ちゃんだ。生糸ちゃんの曾祖父から始まって、夭夭亭に顔を出した八藤後家の4代目となる。早々と酒場デビューを果たした生糸ちゃんだが、本格デビューになる頃には店も私の命も・・・・。「ウーム」である。
c0223879_826565.jpg

 ナツキさん&コウシロウさん夫妻だ。ナツキさんの隣にはテレビ会社の統括担当部長を務める父アツシさんがいる。そのアツシさんは「俺はいいから、二人を」と画面には納まらなかった。そこには若い娘夫婦を見守る父の姿があった。
c0223879_637149.jpg

c0223879_6404814.jpg

 昨年10月の飲み会もスタートが夜の9時30分だった。今回も9時30分スタートで「二次会?」と思っていたが、予約の電話をもらったルミさんの名刺を見て納得した。名刺には「エステティック&リフレクソロジイ/ダイアモンド・ムーン代表」とあり、「ダイアモンド・ムーン」は瀬波温泉(株)ホテル汐美荘内にあるのだった。仕事が終わるのが9時過ぎということなのだろう。
 この夜はルミさんの誕生日だった。キャンドルライトに浮かび上がるルミさんは、その容貌と、かもし出す雰囲気がいかにも職業にふさわしい。二十歳前後の頃にも夭夭亭には来たことがあると聞いた。
 ルミさんの夫は建設会社を営んでいる。穏やかな印象の人だ。このグループ全体がエレガントな空気感に包まれているのはルミさんの存在があるからだろう。
c0223879_23162581.jpg

 初代の祖父は産婦人科を開業していた。父の代から眼科となり自分もそれを継承したドクター・トガシさんは、私の次女と小学校の同級生。彼の姉も眼科医で何度かの来店があったが、現在は沖縄に住んでいるという。<沖縄で暮らしたい>というのが動機だったらしい。
 マリンさんはドクター・トガシさんの姪で薬科大学生。彼女の母は<沖縄へ行った叔母>の姉だそうだ。
c0223879_912350.jpg

 今回のブログは親子、孫、兄弟姉妹など、親族のつながりを紹介する内容になった。8月は親族や<魂>が寄り集まる季節、私の店にもそうした人たちが集ったようだ。
 この地に住んで半世紀近くになる私自身も、必ずしも親族ではないが、さまざまな人とのつながりの中で生きてきたし、これからも人とのつながりに助けられて生きる。
 6月末、ある人が旅立った。自ら立ち上げ長年続けた型枠工事の会社をたたみ、土を耕すことに新しい生きがいを感じていた。夏の朝、小学校の同級生だった妻と草取りをしていて倒れ、畑からそのまま天に昇っていった。<頑固だった父の、幸せな旅立ち>だったと、会葬御礼のはがきにあった。
 5月の連休に行われる「魚まつり」に初回から、子や孫を呼び寄せて大家族で参加。21回目の今年も元気にバーベキューコンロで魚を焼いていた。その日の夜には、彼の自宅地下室のカラオケルームで遅くまで歌いまくった。それが顔を見た最後になった。下の写真は5年前の「魚まつり」、前列右端がその人、山賀正喜さんだ。
c0223879_11315923.jpg
「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」『徒然草』(第九十三段)
<人は、死ぬことを憎むのならば、生命を大切に愛惜すべきである。この生きながらえているうれしさを、毎日よくよく心に味わい楽しまないでよいものであろうか>(訳注・安良岡康作/旺文社文庫1971)
 妻祥子さん(前列中央黄色のヤッケ)は喪主のあいさつをこう締めくくった。「これからは二人の日々の思い出を糧にして生きていきます」                              


c0223879_912245.jpg
 運転免許証を更新した。というよりも更新できたというべきかもしれない。視力に不安があったため、直前に眼科で検査をし、規定の0,7以上が見えることを確認していたのに、更新当日はかろうじてのパスだった。車の運転ができるか否かによって生活は大きく変化する。まずはよかった。

 オリンピックが閉幕した。早朝からのライブ映像をほとんど欠かさず見た。喜びがはじけるメダル獲得者たち。強い意志、過酷な鍛錬、寄せられる期待の重圧・・・・・・。そうして勝ち取った栄光。「偉いもんだ」と拍手を送りながら、しかし私の思いは敗者へ向かう。私自身に勝利体験、成功体験がないからだろうか。
 9月25日(日)には「村上・笹川流れ国際トライアスロン大会」がおこなわれる。フィニッシュエリアで一般参加の出場者たちに、MC担当の私はマイクに叫ぶ。「自分への挑戦に打ち勝ったすべての人が勝利者です」。そしてオリンピックイヤーの今年は呼びかけるかもしれない。
「みなさんひとり一人の胸の中にいちばん輝くメダルを掲げて下さい」


c0223879_4324794.jpg

c0223879_4201010.jpg

 村上駅前にあった「ビストロ駅舎」が店を閉じた。小学校教師を退職後にオープンした店は、面倒見が良くて姉御肌のトキコママを慕う教え子や相談事を抱えた客たちが集った。借用していた土地の返却期限となったための閉店だ。26年前、私も少しばかり開店に関与しただけでなく、遭遇するあれやこれやに耳を傾けてもらったこともしばしばだった。駅前のユニークな名物店が消えた。街はもう秋の気配である。
c0223879_5292735.jpg

秋の夜は更けて/すだく虫の音に
疲れた心いやす/わがやの窓辺
静かにほのぼのと/倖せはここに

星のまばたきは/心のやすらぎ
明日の夢をはこぶ/やさし君が笑み
静かなわが窓辺/倖せはここに

静かに静かに/街の灯も消えた
遠い空みてごらん/明日の夢がある
小さな小さな/倖せはここに
                               「倖せはここに」(作詞作曲/大橋節夫)
 
c0223879_536272.jpg

 今日8月29日、私は60代最後の誕生日を迎えた。
[PR]

# by yoyotei | 2016-08-29 05:39 | Comments(6)  

崩れ墜つ天地のまなか/一輪の花の幻

c0223879_7213277.jpg

(左から)泌尿器科医タドコロさん、産婦人科医セリさん、泌尿器科医ヒロユキさん。
c0223879_7321233.jpg

 セりさんは前女(まえじょ)の卒業生。前女とは前橋市(群馬県)の伝統的名門校前橋女子高校のこと。同じく男子校は前橋高校で、こちらは前高(まえたか)といわれている。伝統と現代性を併せ持つ優等生的美女のセリさん、結婚が近いと聞いた。
c0223879_5342349.jpg

 この1週間前には泌尿器科医タドコロさん(右)は、同じ泌尿器科医の先輩ヤマナさん(右)を伴って来店した。ヤマナさんもしばらく当地の総合病院に勤務したことがあった。久しぶりだった。
c0223879_53438.jpg

 長い馴染みのターッキーさん(左)が、新潟市から仕事仲間のイトウさん(右)とケンタさん(中)を引き連れてやってきた。以前から思っていたことだが、タッキーさんを含めて、彼の職場には個性的な人が多い。<カレー好き>を自認するイトウさんは、その薀蓄(うんちく)も並ではない。日焼けした<サーフィン野郎>ケンタさんはウインドサーフィンではオールジャパン優勝の実績もあるという。
c0223879_11483927.jpg

親族というのは血統や結婚によってつながる人々のことをいう。まさにこれは親族大集合の一端である。最年長のジョージさんを中心に続き柄を紹介してみる。
 左からジョージさんの長女ユキさん、ジョージさんの妹でユキさんの叔母ミホコさん、ジョージさん、ジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさんの妹クニコさん、クニコさんの夫シンヤさん。
c0223879_1221993.jpg

 クニコさんの夫シンヤさんの右はジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさん。そして、トモヒトさんの母シホコさん、同父ケイイチさんの夫婦と続く。
c0223879_1412427.jpg

 ジョージさんの長女ユキさんの夫トモヒトさんの妹クニコさんとクニコさんの夫シンヤさん、クニコさんとシンヤさんの長女は、おっと名前を聞き漏らした。
c0223879_1442795.jpg

 シホコさんとケイイチさんは幼馴染の同級生。シホコさんは学校卒業後、東京でバスガイドをしていたこともあり、同じくケイイチさんも東京で庭師をしていた。やがて故郷の鹿児島県阿久根市に帰った二人は結婚。長男トモヒトさん、長女クニコさんが生まれた。
<キャラが立つ>という表現がある。個性が際立つという意味で使われているのなら、まさにシホコさんとケイイチさん夫妻がそうだ。飲むほどに話がおもしろくなり、それぞれの人間性が浮かび上がってくる。シホコさんは阿久根市で「牡丹」という飲み屋を開業し、その個性と人間性で店を大繁盛させた。数年前に引退したが、今度はケイイチさんが蕎麦屋を開業した。また、ケイイチさんは海に潜る男でもあるらしい。
c0223879_1521616.jpg

 クニコさんとシンヤさんの長男アルト君(左)とユキさんとトモヒトさんの長男リュウヘイ君だ。
c0223879_4583276.jpg

 ジョージさんの長女ユキさんと長男リュウヘイ君。リュウヘイ君はジョージさんの孫ということになる。
c0223879_7391170.jpg
 
 ジョージさんと長女ユキさん、ミホコさんは越後村上の生まれ。リュウヘイ君は東京生まれだったかな。その他のみなさんは鹿児島県阿久根市生まれだ。
 画像には登場していないが、ジョージさんの妻エイさんは長く市会議員を務めたが、昨年12月に倒れ、今年5月の市議会議員選挙には立候補を断念した。徐々に健康を回復し、現在はリハビリ中のエイさんの<見舞い>ということで、この<薩摩おごじょ><薩摩隼人>の村上大集合が実現した。ジョージ・エイさん夫妻の長女ユキさんと、ケイイチ・シホコさん夫妻の長男トモヒトさんとの結婚が越後と薩摩を結びつけたが、越後出身の父と信濃出身の母が旧満州のハルビンで出会い、結婚したことによってジョージさんが誕生した。かくいう私は石見の出身で越後の女を妻にした。
「合縁奇(機)縁」という。「会者定離」とも仏教ではいう。夫婦も、血のつながった親子・兄弟姉妹であっても、いづれは別れる<定め>にある。だからこその、この<縁>なのだ。

 今日から8月。8月は私の誕生月であり、長女もその長男もこの月に生まれた。
 8月はまた<戦争>を想起する月でもある。
 昭和21年8月1日の朝、「私」は、上野ガード下の闇市場へ、再びやってきた。「きのうのイエスの顔をもう一度まぢかに見たい」と思ったのだ。「ふた目と見られぬボロとデキモノ」の浮浪児に「私」は財布を強奪されたが、「焼跡の新開地にはびころうとする人間のはじまり、すなわち『人の子』の役割を振り当てられているかもしれないその浮浪児は、「苦患(くげん)にみちたナザレのイエスの顔をしていた。(槌田満文著『名作365日』から石川淳「焼跡のイエス」)
 6月のブログのタイトル「明るく静かに澄んで懐かしい<音>、少しは甘えて・・・・・」とは、本屋大賞を受賞した『羊と鋼の森』(宮下奈都著)で引用された、小説家で詩人だった原民喜が憧れたという文体だ。
 広島に原爆が投下された昭和20年8月6日午前8時15分、原民喜は便所に入っていて命を拾った。
   遠き日の石に刻み
   砂に影おち
   崩れ墜つ天地のまなか
   一輪の花の幻
 広島平和記念公園の一角の原民喜の小さな記念碑に、この詩が刻まれている。原民喜は国鉄中央線の吉祥寺駅と西荻窪駅の間の線路に身を横たえて鉄道自殺をした。あの悲惨な原爆で<命を拾った>原民喜がなぜ、というほかはない。享年45歳、1951年3月13日深夜のことだった。
 
 昭和20年(1945年)の今日8月1日、長岡はB29の爆撃を受け、まちの8割が焦土と化し、1486名が犠牲となった。その忌まわしい空襲の日から1年後の同じ8月1日、「長岡復興祭」が開催された。昭和22年(1947年)の復興祭の1・2日には長岡の花火が「復活」する。明治12年(1879)長岡初の花火大会が行われ、その後は戦争によって中断されていたものだ。
 翌昭和23年(1948年)には、8月1日を「戦災殉難者の慰霊」の日とし、2・3日を「花火大会の日」と改め、現在に至っている。「裸の大将」こと山下清が貼り絵の「長岡の花火」を発表したのは昭和25年(1950)だ。「長岡の花火」は見たことがない私だが、山下清の「長岡の花火」は実物を見たことがある。
 8月3日、その「長岡の花火」を初めて見に行く。娘や孫たちも一緒だ。
[PR]

# by yoyotei | 2016-08-01 05:36 | Comments(0)  

<スペシャル・リポート>ハルビン・女たちの夏

 7月13日~15日「ハルビンビール祭り3日間」ツアー(新潟交通主催)に参加した。以下はその印象記である。
c0223879_1223402.jpg

c0223879_14105986.jpg

 日中は28度ほどになる7月のハルビンも、早朝は松花江を渡る風が肌寒さを運んでくる。松花河を北に遡上すれば中ロ国境を越えてハバロフスクに、そこから西へ向かえば国境沿いに河はアムール河と名を変える。
 陽光がさしはじめたスターリン広場や川岸では早起きの人々がエクササイズにいそしんでいる。水着姿の男たちはこれから松花河の水に体を浸すのだろうか。雨の多い時期だが、今日はいい天気になりそうだ。
c0223879_12271021.jpg

c0223879_9283087.jpg

 腰に手を回すのがカップルの中国的寄り添い方のようだ。<アンダンテ(伊)>という音楽用語がある。歩くような速さでゆっくり演奏せよという指示用語だ。しかし、さらには<貴婦人が歩くように>との指示が言外にあると聞いたことがある。貴婦人では若い中国人カップルのように軽やかではあるまい。
c0223879_957779.jpg

c0223879_9234625.jpg

c0223879_9101531.jpg

車の乗り入れが禁止されている「中央大街」は石畳の道を日中から夜にかけておびただしい人々が行き交う。やがておとずれるそんな喧騒を前に、道路清掃人や犬を散歩させる人たちが静かに朝を演出する。若いカップルたちにも新しい一日が始まった。
c0223879_10314688.jpg
c0223879_14272266.jpg

c0223879_5183620.jpg

 真冬には最低気温がマイナス25度を下回って松花河が凍りつく。松花河の中州にあるここ「太陽島公園」は、1月に開催される「氷祭り」会場になる。水面がきらめく今の季節は行楽客が訪れ、カップルたちのデートコースになる。
c0223879_5343084.jpg

c0223879_194529.jpg

 ロシア正教の聖ソフィア大聖堂はハルビンを象徴する建造物だが、現在は教会としては使用されておらず、建築芸術館として公開されいる。
c0223879_1457392.jpg

c0223879_1545416.jpg

c0223879_5523397.jpg

c0223879_6193384.jpg

c0223879_5574334.jpg

「東方のモスクワ」「東方の小パリ」などと呼ばれるハルビン。帝政ロシアの面影を今に伝え、旧満州国時代の建造物も数多く残っている。「旧桃山小学校」「旧大和ホテル」「旧日本領事館」などなど。
c0223879_5152781.jpg

 中国のビールといえば「青島ビール」が有名だが、中国で最初に製造されたのは「ハルビンビール」(1900年)で、ハルビン市民1人当たりのビール消費量はドイツのミュンヘンについで世界第2位だという。
c0223879_5262522.jpg

c0223879_7595616.jpg

c0223879_529871.jpg

 皿の中央にあるトウモロコシ風のものは高粱(こうりゃん)だと、中国通の落合さんが教えてくれた。「このトウモロコシ、まずいなあ!」と同じ席の数人が顔をしかめていたのだが・・・・・。帰国後、調べたら高粱とトウモロコシは同じものだった。やっぱり、<まずいトウモロコシ>だったのだ。
c0223879_6243587.jpg

c0223879_6282528.jpg

 餃子でビール、ロシア料理でビール。<ビール祭り>でもちろんビール。その後はビアガーデンで串焼きをほおばりながらまたビールなのだ。
c0223879_14432392.jpg

 左から鈴木さん、高野さん、落合さん。3人とも同じツアーのメンバーだ。新潟県三条市の落合さんは仕事で中国語を習得した。中国事情にも詳しく、メンバーとっては心強い存在だった。
c0223879_14463971.jpg

 左端の野上裕さんは10月10日(日・祝)に古町7番町で開催される「新潟オクトーバーフェスト2016」の副実行委員長だ。今回はその参考のためのツアー参加だった。「新潟ドイツワイン協会」の幹事でもある。楽しい酒を飲む人だった。
c0223879_1248238.jpg

 左からムツコさん、ヨウコさんのいとこ同士。右は二人の叔母ミキコさん。高齢のミキコさんを気遣う姪っ子二人が好印象だった。
c0223879_12575830.jpg

 82歳の父松井敏和さんを伴っての参加は、日本航空の現役パイロット健二さん。敏和さんにはハルビンに特別な思いがあったのだろうか。息子の傍らにいて終始ご機嫌だった。他にも母と息子の参加メンバーがいた。私と一緒に参加したジョージさんは両親がハルビンで結婚したのだという。戦後、夫の郷里村上市に引き上げた。それから70年、ハルビンは永遠の思い出の地だ。今も元気な母だが、さすがにツアー参加は無理だった。
c0223879_13475195.jpg

 「ビール祭り」会場では、大音響と光が交錯するステージパフォーマンスが繰り広げられる。私も含めて高齢者は少々辟易気味だったが、この元気である。
c0223879_13525629.jpg

c0223879_14534228.jpg

c0223879_13575716.jpg

 「ビール祭り」会場を後にした一行の内、数人は河畔のビヤガーデンへ繰り出した。私にとっては2晩続きの「河畔牌酒工坊」だった。
c0223879_10153123.jpg

c0223879_1028449.jpg

c0223879_11341266.jpg

 ロシア娘なのかロシア風中国娘なのか。歌姫は体をくねらせて歌う。歌の中にはロック風にアレンジされたテレサ・テンのヒット曲もあった。
c0223879_764595.jpg
 
 ツアーメンバーの中には今回が30回目の海外旅行で、すでに26カ国を訪れたという80歳の女性もいた。はじめのうちは夫と共に、夫を見送ってからは一人で・・・・・。生きてあればこその今、彼女の表情は明るく、好奇心に瞳は輝き、その視線は四方八方に動く。スニーカーの足取りは中央大街の石畳を、太陽島公園の土をしっかりと踏みしめて軽やかだった。
 50時間に満たないハルビン滞在だったが、得たものは多岐に渡った。ツアーメンバーとの<一期一会>もそのひとつだ。帰国後、数日は腹具合がおかしかったが、これもハルビン土産のひとつだったか。
[PR]

# by yoyotei | 2016-07-21 07:08 | Comments(0)  

諍いはつづきおれども昼時となりて並びて泥の手洗う

c0223879_781180.jpg

 総合病院に勤務する産婦人科医ハルカさん。この夜は大学病院に転勤する彼女の送別二次会。<ハレヤカ(晴れやか)ハルカさん>のこの笑顔に迎えられた新生児は幸せだろう。
c0223879_71323.jpg

<BAR街>イベントで初来店だったショータ&シュンスケさんがセイナ&ナオキさんを伴って再来店。
c0223879_7193531.jpg

 こちらがセイナ&ナオキさん夫妻。
c0223879_7232797.jpg

 こちらのショータ&シュンスケさんは、おそらく夫婦ではない。
c0223879_4155889.jpg

 こちらも<BAR街>初来店だったコズエさん(左)が、ヒサエさん(中)とミキ(右)さんを引き連れて(?)やってきた。魚沼出身の3人。ミキさんはライターだと聞いた。どんなものを書いているのだろう。
c0223879_4234726.jpg

 久々のヨシマサ&タカユキ・イカラシさん。2児の父になっても相変わらず元気みなぎるヨシマサさん。タカユキさんはパートナーを切実に求めているようだが・・・・・。
c0223879_4285753.jpg

 詳しい話はできなかったが女子3人もパートナー募集中か。酒場のカウンターはそんな人たちの出会いを演出することもある。
c0223879_4333847.jpg

 5月に初来店だった建築士でインテリアコーディネーターのジュンコさんが再度やってきた。酒の店「むらさき」に興味があるというのでお連れした。前ブログで紹介したように「むらさき」は村上の伝説の飲み屋の一軒だ。 
c0223879_4372372.jpg

 伝説といわれるのは、半世紀以上も変わらない店のたたずまいとママの人柄だ。
c0223879_4413066.jpg

 店では、これもかつて存在した「ホープ」という飲み屋の元主人がひとり銚子を傾けていた。昭和レトロそのままの時間がこの店には流れている。青森県八戸市から転勤してきているジュンコさんは「すてき!」を連発した。
c0223879_1020562.jpg

 私の店の右隣は浄土真宗の寺、左隣は畳屋、畳屋の隣がカラオケスナック「レガート」だ。左が「レガート」のアヤコママ。右はママの次女泉さんだ。泉さんは新潟市在住の画家。「レガート」には数点の彼女の絵が掲げられてある。泉さんの心の内奥が静かに、しかし激しく迸(ほとば)しっている抽象画。人間存在の確かさと危うさ、希望と絶望、揺れ動く心。それらの絵をいつか紹介することがあるだろう。
c0223879_17273964.jpg

 堀田亨さんの名刺には「越後村上大町鶏邑(けいゆう)会会長」とある。<村上大祭発祥の地・大町を支援するお祭り大好き友の会>というのが「鶏邑会」であり、一行はその会員だ。さらに堀田さんは「本庄繁長公の会」事務局長、「胎内星まつり」本部スタッフ、「ザ・わっしょいズ」ドラム担当ハリー堀田といった別の顔もある。多才にして多忙、しかしそれを心から楽しむといった生き様が表情から伝わってくる。「村上高校同窓会新潟支部」の幹事でもある。この後、アヤコママの店「レガート」で堀田さんと話した。温厚な人柄と豊かな知見。高い人望も、さにあらんの人である。彼らはすでに来年の村上大祭に思いを馳せている。 
c0223879_1012491.jpg

 「鶏邑会」のメンバーに泉さんの同級生がいた。泉さんはわたしの三女とも同級生でもあるらしい。
c0223879_10235977.jpg

 国内外で活動する日高さとみさんは生田流の琴の演奏家だ。伝統的な筝曲からロックなどとのコラボまで演奏ジャンルは幅広い。5月の「宝田明公演」で紹介され、この夜は翌日に行われる「日高さとみ筝コンサート」(7月10日村上教育情報センター)を前に来店となった。この10月にはトロント(カナダ)でのコンサートが予定されている。
c0223879_19174579.jpg

右は村上市山辺里(さべり)出身の田所和子さん。「日高さとみ筝コンサート」で<歌う人>と紹介された。
 平原さん(左)とは面識を得て長くはないが急速に新密度が高まっている。世界のあちこちに足を運んでいる村上出身の実業家。この夜はインドの話が共通の話題になった。ガンジス河の聖地バラナシの迷宮のような路地に話が及んだとき、私は昔どこかで平原さんと会ったことがあるのでないかと胸が震えた。
c0223879_1035789.jpg

c0223879_554730.jpg

c0223879_59718.jpg

 7月10日の夜は<オール村上・岩船/平和と共生>の事務所で参議院選挙の開票を見守った。支援した野党統一候補森ゆうこさんは、その差2,279票の激戦を制して当選した。メディア取材で「新しい民主主義が新潟から生まれた」と森ゆうこさんは語った。支持拡大に奔走した友人は、政党や組合などを超えて共闘した選挙戦に大きな歴史の変化を見たと話す。政党や組合運動に無縁の私は、「むらかみ9条の会」の<一市民>として参画した。短い間だったが、選挙戦を通じて新しいいくつかの絆が生まれた。
c0223879_5432626.jpg

c0223879_5474097.jpg

 投票日の翌日、森さんは当選報告のため村上に現れた。新潟では彼女が勝利したが、全体では改憲勢力が憲法改正発議に必要な3分の2の議席を超えた。改憲阻止に向けて、彼女に<何人分>もの期待が集まる。野党共闘は「野合」ではなく「希望」と<オールにいがた平和と共生ニュース>は伝えた。
 
「民主主義とは、敵と共生する・反対者とともに統治する、そのための政治制度」(哲学者オルテガ・イ・ガセット)
c0223879_6463211.jpg

 頼んでおいた歌集『綿雪』が届いた。6年前の発刊時に著者の稲葉範子さんから贈呈されていながらサッと目を通しただけで、所在不明となっていたものを改めて購入したのだ。夫とともに専業の農業を営みながらスーパーの魚屋でも働く著者と私の妻は職場を通じての知人だった。

 子を背負い玉葱の苗植えているこの子に最初の雪のま近し
 九月の夜寒い寒いとうそぶいて伸べ来る夫の手の温とさよ
 <温とさ>は(ぬくとさ)と読むのだろうか。
 夕去りて一輪車引く影長し夫の頭を踏みつつ歩く
 諍いはつづきおれども昼時となりて並びて泥の手洗う
 
 土浦の今井さんはこの歌集を旅の友としていた。私も明日からのハルビンの旅に『綿雪』を携えて行こう。
[PR]

# by yoyotei | 2016-07-12 07:46 | Comments(0)  

明るく静かに澄んで懐かしい<音>、少しは甘えて・・・・・・

c0223879_6501332.jpg

c0223879_4164161.jpg

 タカヨシさん&リサさん夫妻だ。「むらかみBAR(バル)街」の参加者説明でタカヨシさんと席が隣だったのも何かの縁だったか。国道沿いで「うまいもんや新町」を営んでいる。
c0223879_4242843.jpg

c0223879_4314173.jpg

c0223879_540888.jpg

 左からタカヨシ、リサ、サチコ、ショータ、シュンスケさん。リサさんの他はみんな同級生。「うまいもんや新町」の繁盛を支えているにちがいない人たちだ。
c0223879_7373552.jpg

c0223879_663628.jpg

 アンニャほど上手に日本語を話し・書き・読む外国人を知らない。新潟大学でドイツ語の教鞭を執るドイツ人だ。村上駅前でライブ・カフェ「楽屋」を営む夫・青山マスターと共に「映像から暮らしと環境を考える会」のメンバーでもある。私はこの「映像から・・・の会」で、商業主義ではない数多くの映画の存在を知った。
 この夜はドイツの<カバレット>が話題になった。ジャーナリスト佐高信とお笑い芸人松元ヒロの対談集『安部政権を笑い倒す』(角川新書2015)という本。その中に「社会や政治批判をして人を笑わせる芸をドイツでは<カバレット>、カバレットをやる人たちを<カバレッティスト>呼ぶ」とあったからだ。
 今の日本はカバレットのネタに事欠かない。嘘と欺瞞が横行し、恥ずかしげもないチャラチャラ、シャアシャアとした権力者の言動にあきれ果てる。
「かなわぬ存在への畏(おそ)れがあると、人は傲慢にならない。傲慢な人間は、よき人生の師というものを持っていない人」。あれこれの人物に聞かせたい言葉だ。もちろん自分への戒めとしても。
c0223879_6123430.jpg

 私の店から歩いて1分のところにある老舗料亭「能登新(のとしん)」の主人(左)。外科医で病院長でトライアスリートでもあるドクター・ムラヤマ(中)。そしてアンニャ・ホップ(右)。それぞれがひとり一人やってきて偶然に顔を合わして飲みながら談笑する。「やあ」「こんばんは」「今夜は?」「ちょっと集まりが・・・」。こんな店が私の理想だ。
 夭夭亭が村上の伝説の店(飲み屋)3軒に入っていると聞いた。先輩筋にあたる2軒は「木馬」「むらさき」だという。どちらの店も時代に迎合することなく、独自のスタイルを半世紀にわたって守り続けている。時代の流れに乗りたいのに、上手に時代を乗りこなせない私は定まらない腰つきのままだ。
c0223879_7455662.jpg

 宝田明さんとの食事を料亭「能登新」でとったことがある。その折の<献立>だ。料亭料理に接することなどほとんどない私は料理の数々、食材の多様さに目を瞠るばかりだった。この料亭には西郷隆盛の逸話があるが、それはまたいづれ。 
c0223879_6333251.jpg

 岳(がく)君もこの夜は<BAR街>の客。このあともパパ・ママと何軒か<ハシゴ酒>を続けたのだろうか。
「俺がガキだったあのころ、話せる親父に連れられて一緒に酒場へ行ったんだ。親父が飲むのを見ていたら俺もなんだか飲みたくなって・・・」(1961年の日活映画『赤い荒野』で主演の宍戸錠が歌った「ジョーの子守唄」の一節で、この映画は私が中学・高校時代をすごした場所でロケがおこなわれた)
 岳君2歳、酒を飲めるまでには18年。店の存続はおろか、私自身のこの世における存在すら危うい。
c0223879_637860.jpg

 菜月ちゃんも<BAR街>酒場めぐり。モダンバレエを習っていて私と舞台の仲間でもある。秋には<オオカミ>に扮する私と同じ演目で共演することになるようだ。
c0223879_6191083.jpg

(左から時計周りに)カオリ、ミホ、マリ、アイコ、ミナコの女子5人組。この日はミホさんの?回目の誕生日ということで、私もお祝いのケーキのご相伴にあずかった。
c0223879_14522791.jpg

 エリさんは近々タイへ旅立つ。初めての海外だそうだ。旅立ち前のワクワク感。視界に飛び込んでくる異国の風景。いつまでも鮮烈によみがえる旅の思い出。旅はあらためて自分に向き合うことでもある。「行く前と行ってきてから顔を出します」とメールをもらった。ちょっと涙目のエリさん、旅の話を聞くのが楽しみだ。

 私にもインド旅行の話が舞い込んできた。暑い国の最も暑い時期、来年5月のインドだ。5泊ほどの特別ツアー。この時期のインドは初めてだし、インドのツアー旅行も初めてだ。どうなることやら・・・・・・。

 開催2回目にして初めて参加した「むらかみBAR(バル)街」。BAR客70人の8割が初来店だった。「「気になっていた店です」「外からは想像できなかった(店内)、驚きました」「BARイベントがなければ入れなかった店です」などの感想をもらった。来店予約もあった。店の存在をあらためて教えてもらったような手ごたえを感じた<BARイベント>は、10月に第3回目が行われる予定だ。

 前から一度は見たいと思っていた8月の長岡花火。抽選販売の升席をゲットしたと次女から連絡があった。三女は第三子を懐胎、来春には7人目の孫が誕生予定との知らせも。その三女の夫から<父の日>に甚平と雪駄が送られてきた。花火見物の衣装が決まった。。
 新潟市に住む孫が1昨年の村上大祭の夜店で釣った金魚2匹が5月末に産卵し、1週間前に孵化した。いま大量の稚魚がボウフラのように泳いでいる。さらに同じ金魚が6月19日、20日と2回目の産卵をした。
 3週間後には「村上大祭」だ。昨年、数年ぶりに参加して感動し、居住町内の法被(はっぴ)をつくると宣言したのに、染物屋の店先には早々と「大祭の法被注文締め切りました」の張り紙。法被新調は来年に持ち越しとなった。

 参議院選挙が公示された。新潟県では野党統一候補に森ゆうこ氏が決まった。与野党逆転の可能性が高い注目選挙区だ。先夜、森ゆうこ氏を迎えて、地区の総決起大会がおこなわれ、<むらかみ9条の会>としてあいさつをした。歴史的な政治変化の胎動を感じている。今日6月23日は沖縄「慰霊の日」。初めて行った沖縄を思い出す。28年前の夏の終わり、じっとりと汗ばむ暑い日だった。選挙結果は沖縄の明日にもつながる。蒸し暑い梅雨の中の熱い選挙戦だ。
c0223879_6271782.jpg

 書評を読んで気になっていた本を購入した。宮下奈都著『羊と鋼の森』(文藝春秋)。羊の毛を固めてつくるフェルト。フェルトでつくられたハンマーで弦をたたいて音を出すピアノ。弦は鋼でつくられている。ピアノの調律師が主人公の小説だ。
 高校への通学路に「石崎米穀店」という米屋があった。登下校の時、2階からピアノの音が聞こえることがあった。どんな人が弾いているのだろう。ピアノの音は、それを弾く人への憧れを抱かせる。
 『羊と鋼の森』は、まだ4分の1ほど読んだだけだ。どのような展開になるのかどんな結末なのかはわからない。ただ主人公に<どんな音を目指しているか>と聞かれた先輩の調律師が引用した、小説家原民喜の言葉がいい。「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少し甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」。文体を<音>に置き換えたものが目指している音なのだという。
 誰も弾かないわが家のピアノは30年も調律をしないままだ。ピアノが堪らなく不憫に思えてきた。
c0223879_885571.jpg
 
[PR]

# by yoyotei | 2016-06-23 08:25 | Comments(0)