たまたま逢(あ)えば庚申(かのえさる)

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 埼玉県狭山市のマスダさん(左から二人目)とチビさん(右)が、今回は現役東大生のナオヤさんを伴ってやってきた。過去の来店ですっかり顔なじみになったミカさん(左)が、今回も<おもてなし係村上代表>である。
ナオヤさんは経済学部で学んでいるが、卒業後は出版関係を志望している。奈良の出身と聞いたが、話す言葉に関西訛りはない。明るいキャラクターに加えて、適応力や即応力を備えた好青年だ。
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 適応力や即応力ならチビさんも負けてはいない。くわえて物怖じしない社交性もある。<たまたま>隣に座ったワカコさん(中)とユカリさん(右)ともすっかり打ち解けた。飲み屋のカウンターはこうしてちょっとした知り合いになる所でもあるし、こんな出会いが結婚に発展したこともあった。
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 ヒデさんとタカヨさんの結婚を祝う仲間たちだ。二人の出会いは<たまたま>だったのだろうか。女優北川景子との結婚を発表した、歌手でタレントのDAIGO的コメントをすれば「YKT.YKT!」。つまり「よかった、よかった!」だ。「少しのユーモアと少しの忍耐。それに少しの幸運があれば結婚生活はうまくいく」と言ったのは誰だったか。結婚や結婚生活への適切なアドバイスほど難しいものはない。幸運を祈る!
  この夜はヒデさんの空手の先輩ノブユキさん(左から二人目)と、やはり空手仲間でヒデさんの兄シンちゃん(左)も来店していた。私の知人が紹介する女性とノブユキさんとの出会いを演出しようとの目論見があったのだ。しかし、それは直前になって頓挫した。<たまたま>二人が小学校からの同級生で、互いによく知っていることが判明したからだ。笑って終わった見合い計画だった。
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 私が釜爺勤務をするホテルの<清掃・設備係>では、10年以上も勤めた二人がそろって退職した。代わりに勤めた人が<介護離職>で愛知県から帰郷したこと、さらにそれにともなう<介護離婚>だったことは前回のブログに書いた。ところが、もう1人の新規女子社員と、この男子社員が<たまたま>小学校からの同級生だったことが顔を合わせてからわかった。およそ50年ぶりの再会だった。ノブユキさんに限らず、地方の小さな町では、こんな<たまたま>もある。
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 この日、サッカーのクラブチーム「エスペランサ」は年内の試合がすべて終了した。どうやら負け試合だったようだが、ともかくも打ち上げの飲み会である。チームリーダーのナカツカさんは、昨年のトライアスロンでは私と一緒にMCをつとめてくれた。しかし、今年は<たまたま>サッカーの試合と重なってMCができなかった。来年は当てにしている。
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 町内のソエカワさんが、東京に住む甥の佐藤豊さんをともなって来た。タブレットには新潟県知事やロシア政府関係者とのショットがあった。詳しいことことは聞かなかったが広範な交友関係を持つ人のようだ。
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 合気道の達人、小林夫妻である。夫人が胸に抱いているのはウサギのグレイ。村上の秋のイベント「宵の竹灯篭まつり」の帰途に立ち寄ったカヨさんの同棲相手だ。抱き上げるとおびえるように絡みついてくる。
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「父が宝田明さんと一緒に遊んだ仲間でしたが、今回の講演会の折に宝田さんと会える時間はあるのでしょうか」との問い合わせがあった。父は鈴木清一さん、市役所勤務の現役だった頃は夭夭亭にも顔を見せていた。娘の清美さんも夭夭亭が同窓生たちとの飲み場所だった時代がある。
 旧満州ハルピンから引き上げ、3年近くを父の故郷村上で過ごした宝田さん。少年時代の友人たちとの再会は宝田さんんも望むところだった。 
 母の入院で帰郷した清美さんを、父清一さんと共に宝田さんが夭夭亭に案内したともいえる。
 ところで、アメリカのアツコさん!清美さんが連絡を取りたいといっています。
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 かくて、「宝田明講演会」は少年時代の仲間たちとの交歓会から始まった。
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「さすがですね」と、小声の言葉を交わしながら舞台の袖から講演を見守る瀬賀さんと私。瀬賀さんには実行委員長をつとめてもらった。
 宝田さん一家は旧満州ハルピンで終戦を迎えた。しかし、銃を持ったロシア兵が人家を襲い金品を強奪する。女性を乱暴する。逆らえば撃ち殺される。宝田さんの家にもロシア兵が・・・・。明少年のこめかみに冷たい銃口があてられる。<殺される・・・>。恐怖で身体が震える。ガチッガチッと自分の歯が鳴る。<間>。客席が水を打ったように静かになる。しわぶきひとつも聞こえない。500人を超える聴衆全員が息を止めて、宝田さんの次の言葉を待つ。
 腹部に銃弾を受けた明少年は麻酔もない中で、裁ちバサミで肉を切り開いて銃弾を取り出された。筆舌に尽くしがたい痛みと肉を切る音を宝田さんは、今も忘れないと語る。時にロシア語、時には中国語を交えながらの臨場感に満ちた話。
 ようやくにして引き上げてきた父の故郷村上。魚の行商で生活を支える母を手伝う明少年。東京で俳優になったいきさつ。そして、強い平和への希求。どんなことがあっても戦争をしてはならない。戦争は消えない憎しみを残すだけだと宝田さんは強調した。
 「むらかみ9条の会」からの強い要請。縁(ゆかり)の地村上。そうしたことで実現した今回の講演を宝田さんはミュージカルのワンシーンのような歌で締めくくった。圧巻だった。
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 講演終了後のサイン会には長蛇の列ができた。宝田さんの<崩れない>丁寧な対応は、人としてのあり方をも、私に教えるものだった。「不戦不争」が大きく書き添えられた言葉だった。
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 宝田さんよりも10歳以上も若い私が年長者のようにくたびれた表情だ。若い頃は俳優たちの酒豪番付で横綱を張ったという宝田さんは飲んでも変わらない。
 この日、宝田さんは朝の新幹線で東京から新潟市へ着いた。昼食後ホテルの車で村上に到着。その後は市内でテレビ撮影。休む間もなく講演会場入りし、旧友との交歓。打ち合わせ。1時間30分の講演。サイン会。ホテルでの私たちスタッフとの打ち上げといった多忙さ。俳優は体力勝負ともいわれるが、さもありなんだ。
 翌朝、宝田さんはホテルを7時に出発して新潟市のテレビ局へ。午後はまた講演といったスケジュールをこなして東京へ帰っていった。
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「おっぱいが解禁になったの」とサチコさん。ドキッとしたが、第3子が乳離れをしたので飲酒が解禁になったということだった。アラサー・アラフォーの子育てママさんたち。左前から右回りにサユリ、ミキ、キョウコ、サチコさん。ママさんたちの子育て談義はとどまることを知らず、時間が過ぎていく。
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 孫娘のひとりが所属する劇団の、今年の公演は「モモ」(ミヒャエル・エンデ作/栗田芳宏脚本・演出)だった。原作は時間に追いまくられる現代人(時間‐金という捉え方もある)を風刺・問題視したものとして、日本でも人気がある。不思議な魅力を持つモモという少女と街の子どもたちや人々とのかかわり。時間泥棒の存在。昨年の「コルチャック先生と子どもたち」同様に子どもたちが主役でありながら、そのテーマは重く難解だ。
 右のパンフレット「ガリレオ裁判」は劇団ひまわり新潟エクステンションスタジオ所長でもある栗田芳宏氏が主宰するKURITAカンパニーの11月講演のものだ。
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 打ち上げパーティーでは劇団員全員が次々とマイクを握って、思うところを話した。「わたし本当はモモを演(や)りたかった」と胸中を打ち明けた少女もいた。配役は子どもにとっても大きな関心事だ。私の孫は今回もせりふのない<街の子どもたち>だった。それもいい、と私は思っている。劇団員の中には身体に障害を持つ兄弟もいる。舞台には車椅子で上がった。そうした人たちとも一緒にひとつの舞台を作り上げる。そうした体験こそが重要だ。健常者だけで社会や物事が成り立っているわけではない。孫娘にはそうしたことも掴み取ってほしいと思う。
 演劇は総合芸術といわれる。役者のせりふや動き、音楽や照明。舞台に上がる人も、それを裏方で支える人もあってこその舞台だ。企画段階から宣伝や多方面へのアプローチ。財政や会計処理など、さまざまな分野でさまざまな人たちが関って舞台はできる。そのことを体験し、実感として捉えられたらいいと思う。それは「宝田明講演会」で、あらためて私が実感したことでもある。
 昨年に続いて今年も打ち上げパーティーに参加した私は、所長の栗田芳宏さんと<たまたま>顔つきが似ていたために、栗田さんや他の「KURITAカンパニー」のメンバーにもしっかり顔を覚えられていた。
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 11月には「大滝舞踊研究所」の発表会がある。今回、私の出番は昨年同様「居場所」(エリナ・ファージョン作「マローンおばさん」より)の天国の門番聖ペテロ役だけだ。主宰者の大滝千津子さんが、夫である前村上市長の病気とそれによる市長辞職などで、新しい作品作りに専念できなかったのだ。舞台美術の仕事も今回はない。それでも稽古が始まった。
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 昨年のペテロ役では短い台詞を間違えた。少しの出番でも気を抜いてはならない。上は昨年の舞台写真。
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 ところで、先夜、武田さんという人が、常連の一ノ瀬さんと来店した。新潟県の森林研究所に勤めている武田さんは自分で見つけたブナの<あがりこ>を熱く語った。<あがりこ>とは写真のように伐った痕から枝が伸び、それを何度か繰り返すうちに巨大な瘤のようになったものをいう。巨大な瘤は地表面から上に形成される。積雪があるうちに伐り、雪上を滑らせて運び出すのである。ブナは主として薪炭用に伐採されたようだ。「あがりこ大王」と呼ばれている山形県と秋田県にまたがる鳥海山の<あがりこ>に対して、武田さんは自分で見つけた村上市のものを「あがりこ女王」と名づけた。
 この武田さんが「居場所」でマローンおばさん役をつとめるタケダさんの夫だった。これも<たまたま>というべきだろう。
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 左手前から右回りにルミ、カオル、マリ、ミワコさんの女性4人に、マサキ、カズヒロさんの男性2人。ルミさんとカズヒロさんは夫婦。ルミさんとマリさんは姉妹という関係。マサキさんの博識で確信に満ちた話し振りと、女性たちの都会的なたたずまいが印象的だった。ルミさんたちがこの夜の飲み場所を、はじめから夭夭亭と決めていたのか、あるいは<たまたま>だったのか。気になるところだ。
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 今年の2月、私の店に「むらかみ9条の会」のメンバーが集まったときに、<たまたま>宝田さんの話が出た。昨年の12月3日NHKテレビに生出演した宝田さんが平和について語り、選挙にまで言及したことだ。
『「無辜(むこ)の民が無残に殺されるようなことがあってはいけませんね。国家の運命というのは、たかが一握りの人間の手によってもてあそばれている運命にあるんですよ。だから間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうではない方向の人を選ぶのか、あるいはどうなのか……』
 宝田さんが言葉を継ごうとすると、聞いていた男性アナウンサーが突然、「その辺は各自、思うところがあるでしょうから、個々の選択がありますけどね……」と、制止するかのように割って入った。さらに「戦争を知っている世代として、これからもいろんな演技を見せていただきたいです。ありがとうございます」と、コーナー終了を“宣言”してしまったのだ。
 私は<たまたま>この番組を見ていた。宝田さんが村上に縁(ゆかり)のあるベテラン俳優だとは知っていたが、この時まではそれだけだった。宝田さんへの見方が変わった瞬間だった。

 土浦の今井さんからも「村上で宝田明さんの講演をやったらどうですか」との葉書をもらっていた。
 釜爺勤務のホテルで洗い場を担当している女性が前から2列目で講演を聞いたという。「よかったあ!」と言ってくれた。宝田さんと村上で同じ時間を共有し、戦中戦後を生き抜いてきた人たちから「ありがとう」とお礼を言われた。「むらかみ9条の会」だけではない、個人として実行委員会に加わった人たちの<思い>が結集し、結実したことを喜びたい。
 10月9日付の今井さんからの葉書の末尾に「新しい歴史の<芽>が見れました」とあった。「宝田講演」のことではなかったが、私も新しい<萌芽>、あるいは<息吹>を感じている。結実した果実からは種が生まれる。種は新しい芽を吹く。11月14日、報告と実行委員解散会をする。うまい酒が飲める。


「たまたま逢(あ)えば庚申(かのえさる)」
 庚申の夜は寝るものではないとされ、特に男女の交会は禁じたことから、間の悪い時には仕方がないものだということ。しかし、予期することが実現するとか、実現してよかったという気持ちを表すこともある。折よく、運よくなど。大慈恩寺三蔵法師伝承徳三年点ー「属(たまたま)有道に逢ふ。時惟(ときこれ)我が皇なり」
                                      (『日本国語大辞典』小学館)
 明日は胃がん検診を受ける。したがって今夜は飲食ができない。胃がんの心配はさほどないが、<目>は相当の不自由をきたしている。
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# by yoyotei | 2015-10-26 07:59 | Comments(0)  

曼珠沙華二本づつ立ち雨の中

 前回のブログに左目の視力低下について書いたが、2日後、嘘のようにその視力が回復した。
 その間、MCを担当する国際トライアスロン大会を控え、選手のレースナンバーはおろか姿さえも目視で捉えることは無理だと悩んだ。1年後の車の免許更新も不可能だと暗澹となった。靄がかかったような視野の中、恐る恐る車を走らせ、直系15センチの<縁なしライト付ルーペ>を買ってきた。これによってどうにか文字を読むことができると、小さな安堵。パソコン画面でも文字を拡大して、どうにかブログをアップした。
 前触れもなく靄が晴れたようにクリアーな視野が広がったとき、ほとんど時を同じくして、数日前からまったく音量が上がらなかったカーラジオから、女性パーソナリティーの明るい声が聞こえてきた。
 視力の一時的な低下は<かすみ目>だったかもしれない。それにしてもカーラジオの音声は・・・。いづれにしてもよかったよかった。
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 破顔一笑。左は<地名研究>や<村上の小路探求>ですっかり文化人となった佐藤三良(みつよし)さん。右は「NPO埼玉映画ネットワーク」を展開する今井吉規(よしのり)さん。今井さんは、大学で佐藤さんの4年先輩。3度目の来店だ。
 『ひまわり』(1970年/イタリア)『砂の器』(1974年/日本)など、今回も映画の話になった。今井さんは『砂の器』の刑事役丹波哲郎の演技を褒め、映画の中の彼の台詞「くり返しくり返し・・・、くり返しくり返し」を再現して見せた。そして涙ぐんだ。その場面がよくわかる私も瞼(まぶた)がジワッとなった。2年前に妻を癌で亡くした今井さんは、そのことに触れて、また涙声になった。私もまた涙を誘われた。
 今井さんは8月30日、「安保法案廃案」「安倍政権退陣」を訴えた国会前12万人の中にいたという。ネット上でも共感を広げている 「SEALDs KANSAI」(シールズ関西)、寺田ともかさん(22)=大学4年生=の訴えも聞いたという。
「国家の名のもとに人の命が消費されるような未来を絶対に止めたい。敵に銃口を向け、やられたらやるぞと威嚇するのではなく、そもそも敵をつくらない努力をあきらめない国でいたい。平和憲法に根ざした新しい安全保障のあり方を示し続ける国でありたい」と主張する寺田ともかさん。
 「いつの日か、一見、絶望的な状況から始まったこの国の民主主義が、人間の尊厳のために立ち上がるすべての人を勇気づけ、世界的な戦争放棄にむけてのうねりになることを信じる」
 この国にはこんなすばらしい若者がいることを実感した寺田ともかさんの発言。確かに、私はおおいに勇気づけられた。
 同じ日、私は村上市の国道7号線の数ヶ所の交差点で、<じっとしてはいられない>人たちとマイクを握っていた。
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 左からヨシ、スズキ兄、スズキ弟、カズオ、タカヒロさんの男たち5人。
 飲み屋の会話としては<タブー>といわれる宗教や政治の話題も、冷静さを欠かない限り私の店では<タブー>ではない。この夜はスズキ兄弟を中心に「安保法案」についての議論になった。「石亀」のママも顔を出したが、私も熱くなりそうだと、水割りをグイッと飲んで退散した。<白熱>を帯びた議論を静かに聞いていたマヤさんは、1週間後に来店して、彼らの安全保障に対する関心や、それなりに情報を取り込んでいることに驚いたと語った。私が<口火>を切ったにしても、地方の<普通>の青年たちがこの問題を語った。酒場だって<民主主義の学校>になる。
 この日、「安保法案」は参議院本会議で可決成立した。
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 この地域の在宅診療もしている開業医の瀬賀さんは、年に一度だけまとまった休みをとって海外旅行をする。今年はイタリアだった。この夜はイタリアへ同行した旅行仲間とイタリアワインを飲みながらの<ハンバギヌギ=打ち上げ>となった。
 メンバーのひとり元小学校教師のイヅミさん(左)は、初めての海外旅行が今回のイタリアだった。彼女は25年前、ある男性と二人で来店してウイスキーのボトル1本を空にしたという。そのときの男性が現在の夫である。
 この日から数日後、イヅミさんは夫をともなってやって来た。家では料理の達人という夫は、言葉を選びながらゆったりと話すイヅミさんの話を、おだやかな笑顔で聞いていた。銀婚式を迎えた二人。いい夫婦だ。
 イヅミさんの隣はピアノ教師のマリさん。イヅミさんのピアノの先生でもある。この夜はマリさんによって音楽への道を開かれたというミュージシャンの大滝さんも、指導しているコーラスのメンバーと共に大挙しての来店。師弟の再会となった。
 この夜はまた「村上秋花火」と銘打って、当地では17年ぶりという花火大会があった。店の前から人家の屋根越しに花火を眺め、店内では「アメージングレース」など、コーラスの歌声に魅了された。興に乗った瀬賀さんは指揮をしてコーラスを導いた。集った人たちがその場の空気をつくり、空気が人々の心をひとつにした。楽しい夜だった。
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 偽りの心があると手を噛み切られる、あるいは手が抜けなくなるという伝説がある「真実の口」(サンタマリア・イン・コスメディン協会/ローマ)。かつて、ある席で「私は(患者に)嘘ばかりついてきました」と語ったことがあった瀬賀さん。無事に帰ってきたところを見ると、瀬賀さんの嘘は<偽りの心>から出たものではなかったのだ。
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 蕾(つぼみ)だろうか。綿である。
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「生活と健康を守る会」で恒例になっている「ハゼを食べる会」。天候に配慮して、今年は会場を海岸から集会所へ移した。私は今回もハゼを釣ることなく、食べて飲んでギターを弾いた。中華料理店を廃業した料理人が、仲間が釣りためておいた大量のハゼを天麩羅にしてくれた。終了後はスタッフたちと、わが家で打ち上げ。そして轟沈した。 
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 村上総合病院医局の送別会があった。転勤するのは外科医日紫木(ひしき)さん(左)と脳外科医根路銘(ねろめ)さん(右)。二人とも珍しい名前ということもあってこのブログで紹介したことがあった。その二人がそろっての転勤ということになった。長いつきあいになった渡辺外科医長(中央)が歓送迎会の流れなどで、こうした若い医師たちを案内してきてくれる。この夜は「私は村上で生まれました」という内科医もいて、終末期を迎えた患者の命について少し話した。哲学、宗教、家族・・・。そして医療。どのように<命>と向き合うか。医師として人間として・・・。

 今年の「村上・笹川流れ国際トライアスロン大会」実況MCは、リハビリテーション大学生たちの助けを借りてなんとかやりおおせた。長年にわたるMCパートナーのミヤコさんは第2子の妊娠9ヶ月にして奮闘するも、早々に表彰式の司会にとられる。その後はほとんど1人でマイクに向かうこと4時間あまり。それでもさほどの疲労を覚えなかったのはさわやかな秋の天候のおかげだったか。
 参加選手から寄せられた自己PRからイシグロ・シュウキチさん(79歳/新潟県)のコメント「「100歳まで大会に参加します。年齢別表彰カテゴリーに80~100歳を新設してください」。イシグロさんは昨年の大会では657位だった。今年もみごとに完走した。
 私のMC担当も20年を過ぎた。数年前から後継者をさがしているがいまだ見つからない。こうなったら大会本部から引退を勧告されるまで続けようかと思っている。「もう歳だから」などといっていたらイシグロさんなど高齢の参加者から笑われる。
 とはいっても近頃は身体のあちこちに支障があらわれる。<かすみ目>もそうかもしれない。2週間前には左足親指の付けが痛みに襲われた。関節炎と診断されたが痛みが脛(すね)にまで達して歩行を困難にさせた。朝起きたら首が動かせないほど痛かったのは1週間前。酔ったあげくに不自然な寝方をして寝違えたと思われる。身体の支障は気持ちを落ち込ませる。健康がありがたい。
 ダブルワークのホテル勤務では「清掃・設備チーム」の先輩2人が9月で退職する。すでに替わりの新人男女各1名が採用されて業務についている。新人といっても2人とも59歳、そのうち男性の方は、数年前に高齢の両親を介護するために愛知県の勤務先を辞めて故郷へ帰ってきた。年間10万人を超えるといわれる介護離職者のひとりだ。彼の場合は離職に加えて離婚もともなった。小学校は片道1時間も歩いて登校したという北越後の山奥の集落へ、妻は来ることを拒んだという。母親が施設に入所したためにパートの勤めができるようになった。
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 曼珠沙華、彼岸花ともいう。これを見るものはおのずから悪行を離れるという。

 まんじゅしゃげつぼみの花のすがしけど手にとりがたき嘆きせりけり      尾山篤二郎

「曼珠沙華はある禁忌を伴う花だから、それが<手に取りがたき>というだけでなく、ある異性(少女?)の手をとりがたいとの嘆きが籠もっていよう」と山本健吉は解く。(『句歌歳時記・秋』新潮社 昭和61)
 だが、中村汀女は<曼珠沙華抱くほどとれど母恋し>と詠んでいる。この花に伴う<禁忌>とはいったいなんだろう。私は無人の隣家の裏庭にこの花を見つけたとき、ゾッとした。この花を両手いっぱいに摘み取るなどとは想像しがたい。『句歌歳時記』には次の句も載せてあり、山本健吉は「雨中に二本ずつ、とびとびに立つさまを、この花らしく奇怪と見たか」と評している。
 
 曼珠沙華二本づつ立ち雨の中                             安部みどり女
  
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# by yoyotei | 2015-09-29 10:24 | Comments(2)  

黙っているわけにはいかない。今、語らねば。

 夏が往く。なにかに追われているような、なにかに立ち向かっているようだった今年の夏。猛暑もおさまり朝晩はすっかり涼しくなって、あちこちに足早な秋の気配。
 30日には「9条を守れ」「安全保障法案廃案」を掲げる抗議行動に参加した。雨の中、市内5ヶ所で40人ほどの参加者とリレーでマイクを握り、シュプレヒコールをあげた。この日、東京では12万人が国会議事堂を取り囲んだ。
 10月20日の宝田明講演のポスターとチラシができあがった。講演タイトルは「わが青春の戦争と平和」。キャッチコピーは「黙っているわけにはいかない。今、語らねば」だ。講演成功に向けての取り組みが始動した。
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 左は市内の建設会社3代目社長加藤さん。右の遠山さんは年に数回も通うというタイマニア。タイ語も堪能で、タイには友人も多いと聞いた。遠山さんも建設会社経営家族のひとりだが、旅好きな<自由人>といった印象と風貌は変わらない。<その人らしさ>がいい。
 タイへは私も1度だけ行ったことがある。<微笑みの国>と称されるように好印象の国だった。食べ物も旨い。そのタイのバンコクでこのほど爆弾テロ事件があった。遠山さんも心を痛めていることだろう。
 加藤さんはインドへの渡航歴がある。私と共通の旅の経験に話が盛り上がった。
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 ガンジス河の上流リシケシは<ヨガ>のふるさとといわれ、ヒンドゥ教の聖地のひとつでもある。酒も肉料理もない聖地で、酒飲み男3人が数日を過ごしたのは2008年の秋だった。今のところそれが最後のインドの旅になっている。
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 8月6日、村上駅前のカフェ扇屋を2時間ほど借り切って「平和カフェ」を開いた。戦争(戦時)体験を聞いて平和を考えようという「むらかみ9条の会」の取り組みだった。
 70年前のこの日、広島は世界史上初めての原子爆弾を投下された。平和宣言の中で松井広島市長は「広島をまどうてくれ」というフレーズを語った。隣県の島根で生まれ育った私は、瞬時に<まどうてくれ>の意味とともに、その言葉を使っていた半世紀以上前の頃に立ち返った。<まどうてくれ=元に戻してくれ>とは、ほとんどつぐない不可能な破壊状態からの怒りと悲しみの悲痛な叫びだった。
 秋葉広島元市長はかつての平和宣言で、<やれんのう>と原爆投下後の惨状の中で呻(うめ)いた広島の人々の声を取り上げた。苦しい、痛い、つらい・・・。人間が耐えうる限界を超えたとき、広島の人々は<やれんのう>と声にならない声を絞り出したのだった。「平和カフェ」開店のあいさつで、私はそうしたことを話した。
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「平和カフェ」では、介護施設で働くアカ裕子さんが歌ってくれた。コートジボアール人の夫を持つ裕子さんの、アフリカ内戦の現実に触れたトークと力強い歌声は圧巻だった。
 ピアノ伴奏をしてくれたアカさんのかつての同僚だったという川村絵梨歌さん(29)は、新聞記者のインタビューに「生まれたときから戦争がないことが当たり前だったので(今日の戦時体験者の話は)想像しがたい話ばかりだった。だからこそ今、平和とは何かを考えるいい機会になった」と話した。(『新潟日報』8月8日付)
「平和カフェ」を開いた私たちの思いが伝わったようで、うれしかった。
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 高橋澄子さんは昭和5年生まれの84歳。私と同じ町内の一人暮らしのご近所さんだ。高橋さんは、旗を振って兵隊を送り出したことなどを、渾身の力で立ち上がって語った。ある女性は、小学校の教師だった高橋澄子さんから「原爆許すまじ」の歌を教わったと話した。
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 駅前にある扇屋カフェは旅行者も立ち寄る店だ。貸切にしていた店の前を行きつ戻りつしていた二人を招じ入れた。奈良からやってきたという彼女と新潟の彼。二人の行く先に、この日に遭遇した「平和カフェ」体験は思い出話のひとつになるだろうか。
「年寄りばっか集まって<クウシュウ(空襲)>とか<ガクトドウイン(学徒動員)>なんて話してたね。あれって日本語だったの?」
 そんなことはないか。
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 カフェでは、ゲストスピーカーの斉藤勇さん(86)が東京大空襲の体験を、関川村の遺族会会長の平田時夫さん(83)はミャンマーで戦死した父のことを語った。8月8日付「新潟日報」は「戦禍の記憶生々しく」と見出しを掲げ、「平和カフェ」の模様を大きく報道した。
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 アヤさん(左)は初めての来店だっただろうか。レイさんは姉といっしょに来店したことも何度かある。ホームセンターの園芸コーナーで遭遇したのは今年の春だったか昨年の秋だったか。来年の春には連翹(レンギョウ)の黄色い花を見ることができるはずだ。
<アラフォー世代>のふたり。思い通りにいかないからこそ人生だともいえる。
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 予備情報もなく「夭夭亭」のドアを開けるにはちょっと勇気が必要だ。勇気あるふたりが 雄貴(ユウキ)さんと&ユウさんだ。共に23歳のふたり。「結婚は?」と水をむけると「10年後にお互いがひとりだったら」とユウキさん。「長くない?」「じゃあ5年」といきなり半分に短縮。それを聞いてユウさんは「7年・・・」
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「タイの少数民族にこんなのいなかったか?」「南米インディオには?」「首に輪をはめてる首長族とか」「ミャオ族は?」
 この夏、私を驚かせ、笑わせてくれたのは、6人いる孫の中では最年少の4歳児アンズだ。
『和泉式部日記-全訳注』(小松登美・著 講談社学術文庫)に、「日本人は平安時代から今日に至るまでの間、大きな民族的混血をしていない。しかし、我々が見逃しがちがちな非常に大きな混血を国内で数次に渡り経験し、しかも明治以降のそれは決定的」とあって興味深い。
 国際結婚はいまや驚くことではないが、国内においても明治以降、通婚圏が広がり、異にする地域の混血が繰り返されてきた。その結果としてこんな<少数民族系カワイイ>が生まれたということになろうか。
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 左は5年生の、彼女も私の孫娘のひとり。いとこ同士だが民族が異なっているかのような、著しい顔立ちのちがいだ。
 最年長の孫は8月末に20歳になった。「今度いっしょに飲もうや」とメールがきた。翌日は私の誕生日。大峰山で迎える計画は忙しさの中で雲散霧消してしまった。
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 地元の人か旅行者かは大体の見当がつく。富山から足を運んだ土地さん夫妻である。土地は<どち>と読む。富山市内でガソリンスタンドなど<トータルカーケア サービスステーション>を展開している。大田和彦さんの『居酒屋味酒覧(みしゅらん)第2版』情報での来店だった。暇な週末で、土地さん夫妻から誕生日を祝ってもらった。トヨタカさん&アツコさん、ありがとう。
 土浦の今井さんも、ありがとうございます。<連帯の誕生祝>きました。
 そういえばアツコさんも、孫のアンズと同じ<少数民族系カワイイ>だ。アンズには中国地方、越後、関東、南九州などの遺伝子が絡み合っている。アツコさんはどうだろう。
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『居酒屋味酒覧』の著者大田和彦さんは、『オール讀物』(文藝春秋社)2008年6月号から「居酒屋おくのほそ道」を連載していた。たまたま雑誌をめくっていて見つけた。洒脱な文章である。私が会ったときの大田和彦さんは<控えめな人>という感じだった。文体と本人とは印象がちがう。
『居酒屋味酒覧』で太田和彦さんは私のことを「インドを中心に世界を放浪しているという自由人マスターは、笑い顔のいい明朗な好漢で、カウンターに座った私は二分で友達になった」と書いた。<私は二分で友達になった>という表現がうまい。
<私は17歳で老いた>とはマルグリット・デュラスの『ラマン(愛人)』の書き出しだったか。あるい文中の1行だったかも知れないし、17歳ではなく16歳だったかも知れない。
<私は68歳で恋に落ちた>などというのもいい。<私68歳。青春まっ盛り>、かなり無理があるし、なによりも軽い。
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 8月4日、広島市で開催された「原水爆禁止世界大会開会総会」で宝田明さんは来賓 として挨拶に立った。
「きな臭い世の中になっている。日本は被爆国であり、憲法9条を持ちながら、それがなし崩し的にどんどん大地の中に埋もれていくような危うい時期にさしかかっています」
<黙っているわけにはいかない>宝田さんなのだ。

 右眼はよほど大きい文字でなければ読み取れない。だが左眼は細かい辞書の文字でも読むことができていた。その左眼がおかしい。文字に影がついたように二重になってきわめて読み辛い。いささか困った。宝田明講演実行委員のひとりがライトのついた小さいルーペをくれた。部分的にはよく見えるが本を読むにはあまり適さない。これからは本を読むための工夫が欠かせない。
 8月中のブログの更新ができなかった。眼のせいではない。

 
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# by yoyotei | 2015-08-30 18:15 | Comments(0)  

朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ

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 庭の巣箱から巣立ったスズメたち(だと思う)。朝夕2回、米やご飯粒を施している。愛しい命たちだ。

「富貴も淫(みだ)す能はず/貧賎も移(か)うる能はず/威武(いぶ)も屈(くじ)く能わざる、此れをこれ大丈夫と謂う」
 この中国戦国時代孟子の言葉を生きる指針として精進してきたという人がいる。先月28日におこなわれた村上市長選挙に立候補した1人Sさんだ。
 現代語訳では「いかなる富貴(社会的地位や金銭・収入)で誘惑してもその心をとろかし乱すことはできず、いかなる貧賎(貧しく低い身分)で責め苦しめても、その操(自分の主義・主張)を変えさすことはできず、いかなる威光や武力で圧迫しても、その志を枉(ま)げさすことはできない。こういう人こそ、まことの大丈夫、すなわち<立派な男子>という」となるだろう。 
「村上市民ネットワーク」は市長選に先立ち、市長候補者4人の出席してもらい「あすの村上を語る」シンポジウムを計画した。しかし、Sさんからは出席を拒まれた。何度目かの電話でようやく連絡がとれ、40分ものやりとりの果てだった。文書参加ということで折り合いをつけた数日後、地元の新聞社経由で届けられた手紙に書かれてあったのが冒頭の孟子だ。シンポジウムで、私は彼の文書(手紙)を代読した。
 Sさんは前回の市長選にも立候補し、現職市長との一騎打ちで9000票ほどを獲得した。今回の獲得票はその10分の1にも届かず、4人の候補の中では最下位だった。組織も持たず、ポスター掲示板には決められたスペースの4分の1もない手書きのような小さいポスターが貼られてあった。それも、数ヶ所の掲示板でしかなく、選挙戦はハンドマイクで訴えをしながら、徒歩での行脚だった。現実の政治や行政にどのように関っていくのかという疑問はあったが、Sさんの手紙の、読みづらい手書きの文字に悪戦苦闘しながら、私は大いに感じるものがあった。。
新しい市長には、元議会事務局長で前市長の後継指名を受けた高橋邦芳氏が就任した。
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 このところ立て続けに3度も来店してくれたソエカワさん夫妻。電装会社のオーナーの夫と妻スミコさんだ。
「60過ぎたら女房を大事にしろよって、仲間に言われてね」
 仲のいい夫婦は見ていて気持ちがいい。
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 ソエカワ夫妻に、私の店を紹介してくれたのがこの兄だったった。
 先日、買い物客で賑わう市内の朝市で「安保法制」に抗議するアピールアクションをしていた。そこにヒョイと現れたソエカワ兄は、ハンドマイクを握る私の脇でアピールボードを掲げてくれた。後述する市議会の総務文教委員会での「請願趣旨説明」にも傍聴にきてくれた。衒(てら)いも気負いもない飄々(ひょうひょう)とした存在感。宮沢賢治を思い起こす。ホメラレモセズクニモサレズ。
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 今年の村上大祭は珍しく好天に恵まれた。提灯をゆらしながら練り歩く屋台にシャッター切ったら右下にマリさん母娘が写っていた。マリさんとは翌々日、店で飲んだ。美人の母に美人の娘だ。
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 祭の夜は、店に居ながらにして夜店帰りの客のご相伴にあずかる。<タイラーメン><トルコ風ナントカ?><ナントカ風バーグ><関西風ホルモン>。もちろん<蒸気パン(ポッポ焼き)>も。
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 隣家の故本間桂先生の教え子たちが、長男の帰宅に合わせて集った。村上高校時代、その前の村松高校時代。
 早々に看板を消して、私も合流した。モノクロ写真は半世紀近くの昔。しかし、思い返せば<ついこの間>だ。
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 右上から時計回りにミホ、アイコ、スズカ、テルミさん。顔見知りの人も・・・。4人のつながりは聞きもらした。
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 私の住まいは羽黒町。今年の祭は、回り当番で10年ぶりに<傘鉾(かさぼこ)>の組み立て・引き回しにたずさわった。本祭の前日、締太鼓を打ち鳴らしながら、組み立てた傘鉾を引き回して祭屋台を先導した。
 興が乗った私は本祭でも10年ぶりに屋台を引いた。太い綱を持って歩くだけだが、なにやら楽しい。沿道に懐かしいを顔を見る。声を掛け合う。呼び寄せられて酒を振舞われる。
 この夜は祭の<ハンバギヌギ>。ご苦労会だ。近くの料理屋の帰りに、祭の主立(おもだち)が立ち寄ってくれた。羽黒町は羽黒神社を擁する古い町内だが、宅地造成で拡大した新市街を併せ持つ。私もそのエリアに居住しているが、この人たちの多くも、そうした新しい住民だ。
 さらに興が乗った私は、来年は町内の法被(はっぴ)を誂えることにした。来年の祭が楽しみになってきた。
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 アカ裕子さん(左)はコートジボアール人の夫を持つ。アカは夫の苗字(ファミリーネーム)だろう。裕子さんは8月6日に計画している<平和カフェ>で歌ってくれるかもしれない。3人は同じ福祉施設で働く仲間。親分肌・姉御肌のリュウコさん(中)は彼女たちの心強い存在だろう。
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 コヤナギさん(左)は洋ナシのルレクチェ栽培など農園を営んでいる。(当ブログ「バトンは渡されていく」(2013/12/16)参照)「百姓=百まで女と生きる」(コヤナギ語録より)
 農業指導員として<明日の農業>を熱く語っていた県職員のコバヤシさん(下)は、現在は農業大学校で農業者の育成に携わっている。なかなかの貫禄がついてきた。妻とは夭夭亭で出会った。<出会いのその後>を見る思いがする。 
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 24日、村上市議会の総務文教委員会で、「安保法案」制定の中止を求める請願の意見陳述をおこなった。10人ほどが傍聴するなかで採決が行われ、請願は賛成2人反対6人で否決された。結果もさりながら、審議の様子を傍聴していて空しかった。
 石川裕一郎聖学院大学教授は(専門は憲法、フランス法)「ここ数年の日本は<反知性主義>が広がっている」といい、「歴史上、論理や知を軽んじて栄えた国はない」と主張している。昨年7月閣議決定をしたこの「安保法案」の「安保法案特別委」での審議をふまえた論評だ。私の感じた<空しさ>はこの論評につながる。
 いささか長いが趣旨説明の全文を掲げておく。

安全保障関連法」制定の中止を求める請願の趣旨説明      平成27年7月24日
                            むらかみ9条の会代表 高木 伸二         
 先に6月25日付で提出いたしました「安全保障関連法」制定の中止を求める請願書につきまして、本日これに係わる意見を申し述べる機会をいただきましたことを感謝申し上げます。
 「むらかみ9条の会」は日本国憲法第9条、すなわち「(前略)国権の発動たる戦争と武力による威嚇、または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした、いわゆる<戦争放棄の平和憲法を守ること>を共通課題とし、憲法の平和主義を標榜して参集した市民団体です。よろしくお願いいたします。
 以下、提出いたしました【請願趣旨】に沿いながら意見を述べさせていただきます。
                            
 今国会で「集団的自衛権行使」を認める一連の法案の審議・成立がはかられようとしています。
 政府は 「安全保障関連法案」を昨年7月に閣議決定、先般7月15日衆院特別委員会では「同法案」を強行採決、翌16日衆議院本会議では、これも国民多数の反対、慎重審議を求める声を押し切って強行採決いたしました。
 いま多くの国民が、日本国憲法が禁じている海外での武力行使に大きく踏み出すことになるのではないかと、不安と危惧を広げています。
 16日付「朝日新聞」<天声人語>は、憲法学の権威といわれる樋口陽一さんが、有識者でつくる「国民安保法制懇」の記者会見で語った言葉を取り上げました。
 「憲法9条の下では集団的自衛権は使えないとするこれまでの解釈は何十年にもわたる国会論戦の中で確立されてきた。その積み重ねを一気に吹き飛ばしたのが昨年の閣議決定であり、安保関連法案だ。また、解釈変更の根拠として米軍駐留の合憲性が問われた砂川判決が挙げられたが、牽強付会にもなっていない議論で、学生の答案であれば落第だ。これらは国会審議への侮辱であり、最高裁判例への侮辱だ」と、樋口陽一さんは批判したというものです。<天声人語>は、「昨日の採決強行で、さらに侮辱が重ねられた。それは民主主義そのものへの侮辱である。国民の理解がすすんでいないことを認めながらの暴挙は国民に対する侮辱でもある」と断じ、「怒りの声がいよいよ高まり、広がるのは必定だろう」と述べています。
「集団的自衛権行使」が憲法違反だとする見解は、合憲性を問われた衆議院憲法審査会でも参考人の憲法学者3氏全員が違憲だとし、国内の圧倒的多数の憲法学者や研究者が同様の認識を示しています。
 日弁連(日本弁護士連合会)の村越進会長は「何時間、審議しても憲法違反が合憲になるはずがない。取り下げるか廃案にしなければならないものだ」と主張しています。
 このように明白な憲法違反である法案を数の力で成立させようとする暴挙は、立憲主義の否定であり断じて許されるものではありません。このことを、まず主張するものです。

 政府が国会提出した「安全保障関連法案」は、これまで自衛隊が「行ってはならない」とされていた「戦闘地域」にも派兵を認めるものとなっています。また、自衛隊の武器使用についても、「自己防衛」(正当防衛)に限られていたものから大きく拡大されます。これらのことから、自衛隊の任務の危険性は高まって、戦死者を出すことも懸念されます。
 政府は<後方支援>という戦場の常識にはない概念で安全を強調しますが、国際的には「兵站(ロジスティクス)」は格好の攻撃対象だといわれています。自衛隊員のリスクが増大することは明白です。
 さらに、政府が「存立危機事態」と判断すれば集団的自衛権が発動され、「重要影響事態」と判断すれば、「日本周辺」に限らず、世界中のどこでも米国の戦争支援に踏みだす内容となっています。
 そのうえ、「国際平和支援法」という名で、自衛隊海外派兵の恒久法がつくられようとしています。
 このように「安全保障関連法案」で、いつでもどこでも日本の自衛隊が海外で戦争に参加する国になり、「殺し、殺される」国に変わろうとしています。 
 日本は先の大戦においてアジアでは2000万人、日本でも300万人を超える犠牲者を出しました。今も連綿と語り続けられる戦争の悲劇。どのような理由があろうとも、あの忌まわしい戦争の悲劇は二度と繰り返してはならないと、痛苦の教訓の上に平和憲法をつくりました。いかなる紛争も武力を持って解決しないという憲法の原則を貫き、戦闘地域には自衛隊を派遣せず、70年間1人の命も奪うことも奪われることもない歴史を築いてきました。
 この「法案」は戦後70年間、平和憲法の下で、我が国が貫いてきた海外で武力行使をしないという原則を大きく転換するものです。
 
 請願書の提出から時間が経過したために、「法案」は特別委での審議と採決、衆院での強行採決で可決され参議院に送られましたが、その後の世論調査(朝日新聞社18,19日実施/7月20日掲載)では憲法解釈を変え、集団的自衛権を使えるようにする法律整備を進めていることには「適切ではない」が74%で、「適切だ」の10%を大幅に上回っています。また、この「法案」の今国会成立は慎重姿勢が多数で「今国会で成立させる必要はない」69%と「必要だ」の20%を大きく上回っています。
 さらに、各界・各層で、また国会前をはじめ、全国各地で廃案を求める集会やアピールアクションが、日を追って広がっています。
また、「法案」に反対を表明したり、「廃案」「慎重審議」などを求める意見書を可決した地方議会は11日までに265議会に達しています。隣の長野県は全国で最も多く49議会となっています。
 新潟県議会は今月10日の本会議で、国に「安全保障関連法(安保法制)」の慎重審議を求める意見書を、自民・公明両党のなどの賛成多数で可決しました。
 県内30市町村議会のうち21議会が廃案や慎重な審議を求める意見書や請願を議論し、うち五泉市、加茂市、湯沢町、関川村の4議会が廃案・制定中止を求める意見書を可決。柏崎、魚沼、胎内の3市議会は徹底・慎重審議を求める意見書を可決しました。(新潟日報7月16日付)
 
 法案が衆院を通過した翌7月17日、「新潟日報」は「地域の声届けなければ」と題して特任論説編集員の署名記事を掲載しました。そこでは「多くの国民が懸念と不安を抱き、憲法との矛盾を覆い隠すこともできない法案が、衆院を平然と通過した。戦後70年、私たちが先の大戦に対する痛切な反省の上に築き上げてきた平和国家としての誇り、諸国からの信頼が崩れ落ちる音がきこえそうだ」とペンを起こし、「県議会をはじめ、多くの県内議会が国会に慎重な審議を求めている」とし「今後の参院審議が<数の力>だけで推し進められることがあってはならない。現実の暮らしに根ざす地域の声が届かなければ、この国は道を誤りかねない。私たちは歴史の岐路に立っている」と結んでいます。心して受け止めなければならない主張だと思います。 
 以上、意見に加えて、世論や県内自治体の動向について申し添えました。
 
 週明けからは参院での審議が始まります。今、まさに私たちは歴史の重大な岐路に立っています。委員各氏におかれましては、日本の将来、私たちの将来、子供たちの未来に禍根を残すことのない賢明な判断をお願いいたします。「審議未了」や「継続審査」などと、判断を先送りすることなく、村上市議会の名誉と誇りにかけ、毅然とした判断をお願いいたします。
 村上市内においても多くの戦死者を出したことを忘れてはなりません。子供たちの未来は平和でなければなりません。
 以上のことから、下記事項を請願いたします。
【請願事項】
 1 「安全保障関連法」制定中止の請願を提出してください。
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 ベテラン俳優・宝田明さんの「わが青春の戦争と平和」と題する講演会は10月20日と決まった。会場は客席数600人の村上市総合文化会館。
 8月6日は市内のカフェを借りて「平和カフェ」を開店する。遺族会の会長らから話を聞きながら語り合おうというものだ。

 夏は戦争を回顧する季節。暑い夏だが、今年は特にアツイ。
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 朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ        日野草城

 「おもひを遂げし」がエロチックだと、文芸評論家山本健吉はいう。(『現代俳句』山本健吉)おなじ日野草城に「物の種にぎればいのちひしめける」という句があり、この句に山本健吉は「一握の種子の感触に、張り切った物の命を感じ取ったのである。生命力にあふれているというより、生命力への郷愁といった或るさびしさを、この句から受け取ることができる」と鑑賞している。
 下の青葉は<綿>である。昨年、近所に住む知人が入院し、無人になった家の庭先から摘み取った種を蒔いたものだ。白い綿に包まれた種は愛しい物だった。
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# by yoyotei | 2015-07-29 11:26 | Comments(0)  

子の燕居、申申如たり、夭夭如たり。

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「生活と健康を守る会」総会。総会後の交流会ではギターで全員合唱の伴奏をした。飲んで歌っている間にナメローは旅立っていった。
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 このブログの2012年1月30日「寒波襲来」で、巣箱を作ってヒマラヤスギの幹に取り付けたことを書いた。その後、シジュウカラらしき小鳥が巣箱の穴から顔をのぞかせていたとも書いた。(同年4月17日「さまざまな旅立ち」)その後は出入りしている小鳥の姿も見えないまま3年がたった。手作りの巣箱に小鳥を住まわせるのは失敗だったかなと思いながら、見上げたのがつい先日だった。なんと、スズメがひんぱんに出入りしているではないか。ナメローが昇天した翌々日だった。
 そして、この数日の間に数羽の雛が巣立った。子スズメたちは置いてやった飯粒をついばんでは巣箱に帰っていく。スズメの鳴き声で賑やかな庭になった。
 日差しに誘われてカナヘビも<日向ぼっこ>か。ナメローが死んでから、ことさらに<命>が愛しくなった。
  殺さんと捕えてわれはかなしめりカマキリの子の極小の鎌
                (大阪府/井上欠伸 朝日新聞投稿歌壇)
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 右は大滝聡(さとし)さん。NPO法人/都岐沙羅パートナーズセンターの理事として多彩な活動を展開している。古い常連になった聡さんのプロフィールをホームページから紹介する。
 本業はデザイナー。武蔵野美術大学卒。漆工芸の仕事やアーティスト活動を続けた後、1990年(有)オム・クリエイションを設立。グラフィックデザイン、環境造形、コミュニティデザインに携わる。
 1996年より岩船地域ニューにいがた里創プランのコーディネーターとして参画し、都岐沙羅パートナーズセンターの設立にあたっては中心的な役割を担う。現在、国土交通省地域振興アドバイザー、国土交通省水源地域対策アドバイザー、新潟県地域づくりアドバイザー、新潟県緑の山里アドバイザー、NPO法人まちづくり学校代表理事、NPO法人新潟NPO協会理事など、といった多彩さである。先日のシンポジウム「あすの村上を語る」では、彼のネットで参加を呼びかけてもらった。
 この夜は娘のナミコさん(聡さんの隣)とその友人ユリさんの3人での来店。
 左端は町内の<お祭り男>ソエカワさん。今年の大祭ポスターはソエカワさん宅と夭夭亭がある<細工町>の屋台(おしゃぎり)が取り上げられ、ソエカワさんの顔が大きく出ている。ユリさんにこの村上大祭のポスターを進呈したが持て余すだろう。
 3週間後には町の中心部が絢爛な活気に沸く。
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 <お祭り男>と同じ町内に住むナナちやん(左)と友人のミキさん。深夜にカレーを食べてカクテルを一杯飲んで・・・・。舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)と同居し、嫁と母と妻、さらには歯科衛生士をこなすナナちゃんだ。
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 シンポジウム「あすの村上を語る」が終わった。市長選挙に立候補を表明した4人をパネリストに、それぞれの問題意識やビジョンを問うといったシンポジウム。開催直前になってある候補の後援会が、会場の全席200を支援者を動員して占拠するといった情報が入ったりしたが、そんなこともなく、私たちが意図したようなシンポジウムができた。30人もの立ち見が出るほどの関心を呼んだ。
 会場の向かいにある県立桜ヶ丘高校の女子生徒2年生。タエ、エミカ、アイリ、ヒカリさんの4人だ。このほど、公職選挙法が改定され選挙権が18歳以上となった。今月28日の村上市長選挙には間に合わないが、4人も18歳になれば来年夏の参議院選挙では初めて投票することになる。

 迂闊といえば迂闊、無知といえば無知だった。夭夭亭の<夭夭>が「論語」にもあることを知らなかった。それを教えてくれたのは最高齢の常連サトウ・イチロウさんだった。
「子之燕居、申申如也、夭夭如也」。なるほど『字源』にも出ていた。
『論語』(貝塚茂樹訳注/中公文庫)によれば「子の燕居、申申如たり、夭夭如たり」(先生がくつろいでおられるときは、のびのびとまたにこやかであられる)。
 解説には<燕居>とは、朝、つまり役所から自宅に帰り、うちくつろいでいること。<申申如たり>とは申申をつつしみ深い形容とする説があるが、申申は伸伸、つまりのびのびするという説が正しいとあり。<夭夭如たり>夭夭は『詩経』に「桃の夭夭たる」といったように、植物が盛んに成長しているさまを形容することばである。(中略)人間の容貌にすると、笑いをたたえ、愉快な状態の形容詞だとあった。
『現代語訳論語』(宮崎市定/岩波現代文庫)をみれば「子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり」。孔子は自宅で休息している時は、のびのびと屈託なく、うきうきと楽しそうに見えた、とある。
 また、『ポケット論語』(山田勝美/角川文庫)には<申申如>はのびのびした様子。<夭夭如>は楽しそうな、にこやかな様子とある。『論語講義』(渋沢栄一/講談社学術文庫)では「子の燕居せる。申申如たるなり、夭夭如たるなり」と読ませ、<講義>この章は門人が孔夫子の閑暇にて家に居らるる時の容色を記(しる)したるなり。その身体は申申如とのびのびして少しも窮屈らしき所なく、その顔色は夭夭如と和(やわ)らぎ悦(よろこ)びて、いかにも心広く体ゆたかなるの気象が見ゆるとなり、とある。
 渋沢栄一は日本資本主義の父と称えられている幕末から昭和の実業家。幼少より商売と論語をはじめとする中国古典を学んだ。
 4者の論語解説は夭夭亭「文庫本文庫」の蔵書に依った。本間桂先生の遺本だ。
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 市立中央図書館で保存期限を過ぎた古雑誌のリサイクル市があり、約100種類1年分の月刊誌が1冊10円で販売された。70人ほどがひしめく中でゆっくり選ぶ余裕もなく50冊ほどを購入した。
『中央公論』『新潮』『新潮45』『文学界』など。近年、現代小説を読むことはほとんどない。<申申如也>の心持ちになったときにでも眼を通してみようと思う。、
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 長女からナメローの遺影が届いた。むやみに人に甘えず、毅然として孤高をつらぬいたナメローだった。

 前回、カタクチイワシに触れた。その加工品アンチョビにも言及した。しかし、日本でカタクチイワシの加工品といえば代表格は<煮干(にぼし)>だと後になって気がついた。私が生まれた山陰島根では<イリコ>という。<泥眼(どろめ)>という地方名を聞いたこともある。<シラス>も主にカタクチイワシの仔魚だという。
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# by yoyotei | 2015-06-19 04:35 | Comments(0)