半年は帰らぬ漁に出航の

 新年あけましておめでとうございます。
 秋以来、私を暗澹とさせていた左目の視力異常は「マイボーム機能不全」と診断された。瞼(まぶた)の縁のマイボーム腺という皮脂(あぶら)を分泌している腺が詰まり、皮脂の出が悪くなることによって涙が蒸発し、ドライアイ(乾き目)をひきおこしている状態らしい。涙もろくなっている昨今、それでもまだ泣き方が足りないのか、というのは冗談だが、ドライアイによって目の表面が傷ついたりして視界がぼやけるなどの症状をきたすのだという。右目のように「網膜中心静脈閉塞症」といった回復不可能な状態ではなく、目を温めるなどして詰まった皮脂を溶けやすくし、分泌を促すことで改善できる。眼科に行く直前から状態はよくなっていたが、その後もいい状態が続いている。視界がクリアになって気持ちも晴れてきた。
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 昨年4月のブログ「己(おの)が名をほのかに呼びて涙せし」で紹介した八藤後さん(左)と本間さん(中)、そして今回は富樫さん(右)も加わっての来店。3人とも、古文書の解読などを通じて地域の歴史を楽しむという「史楽会」の会員だ。前回のブログに書いたように詩人でフランス文学者の堀口大學の母・政が村上藩士江坂氏の長女(明治4年生)と知ったことを話すと、今も残る江坂家の場所を教えてもらえた。さらに、近親者あるいは縁者が居住しているらしき情報への言及。さすが、というほかない。
 初対面の富樫さんは、夫人が若いころには何度か来店されたようで、聖ペテロを演じた「大滝舞踊研究所」の発表会も観てもらったということだった。
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 八藤後さんには『火と火消し物語-村上市消防団のルーツを探る-』という私家版の著書(平成18年発行)がある。申し訳ないことに、贈呈を受けたまま精読せずに10年もの間、埃がかぶるにまかせていた。頂戴した折に「批評をしないで!」と、固く言い渡されたことも精読の妨げになったかもしれない、というのは不遜な言い訳だ。しかし、このたび改めて読み始めたところ、面白くて一気に読み終えた。
  第一部「火と文化」には「ギリシャ神話の火」「ネアンデルタール人の手に松明が!」「「江戸大火・女人地獄」などの、興味を引く小見出しがならび、第二部「火事と住民」第三部「火事と火消し」には火事と防火の郷土史がつづられてある。私が知った当時の八藤後さんは〈財政の神様〉といわれた財政課長だったが、その前には消防防災課にいた。
 第一部「文学の中の火」に、万葉集の中の歌として、狭野弟上娘子(さののちがみのおとめ)の「君が行く道の長道(ながて)を繰りたたね焼きほろぼさむ天(あめ)の火もがも」が取り上げてある。万葉集と火、となればまず最初に思い浮かぶのはこの歌だ。さすがである。  
 万葉集の代表的歌人、柿本人麻呂にちなむ明石(兵庫県)の人丸神社は「ヒトマル」、すなわち「火・止まる」だから火難除けの神様という民間信仰があることを、斉藤茂吉は「鴨山考補注」に記している。
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 カウンターが女性に占拠されたような夜だった。アカ・裕子さん(奥左)には8月の「平和カフェ」で歌ってもらった。リュウコさん(奥右)は息子が成人したら、飲みに連れてくるのを楽しみにしていると言った。後3年か。
 左側には手前からアイコ、ミホ、マリ、キヨミ、ミナコ、カオリ(敬称略)の女性が陣取った。8人もの女性に包囲されると、さすが(?)の私も少しビビってしまう。
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 飲んでいた仲間と別れて、夭夭亭まで足を伸ばしてくれたヒロヤさん(右)。交際中の彼女と、新しい展開に向けて自分自身への〈見つめなおし〉の中にいる。
 ヒロヤさんと一緒の写真に収まってくれたアケミさん(左)とレイコさん(右)。この夜は「電気ブラン」といった浅草界隈で飲まれていた酒の話になった。 
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 作家の開口健を想起させる風貌のホンマ・コウヘイさんは40年も前からの馴染みだ。30代だったホンマさんは開店するやいなや店のドアを開けてカウンターの端に座ったものだ。ホンマさんの酒は〈闘う酒〉だった。周囲と闘い、自分と闘う。年長者に対して失礼だが、今、ホンマさんはとてもいい風貌(カオ)になった。「当時の自分はあんたに救われた」と彼は言うが、ホンマさんを救ったのは彼自身だ。
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 左からカズノ、アイコ、カツトモさん。カズノさんとカツトモさんは交際中で、アイコさんはカツトモさんの妹という関係だ。静かなクリスマス・イブの夜。夭夭亭と同じ町内の実家の畳屋で修行中のカツトモさんは、大音量を発することのできるスピーカーを作るなどの趣味を語った。
 カズノさんとアイコさんは12月29日にも店に来て、洗い物までしてくれた。アイコさんは年明けに〈彼〉を連れて来る予定だ。新しい年は、カズノさんにもアイコさんも変化に向き合うことになるのだろう。
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 市役所職員忘年会の流れ保健衛生課御一行様だ。このところ馴染みになった顔もあるし、ちょっと久しぶりの顔もある。
 私自身の忘年会といえば「村上・生活と健康を守る会」と、その「班会」のものだった。前者は35名、後者は6名でのささやかな飲み会。「班会」では参加者の一人が飲み過ぎて救急車を要請する羽目になり、「ほどほどにね」と、会場の女性職員からお小言を頂戴することとなった。
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 左からユカリ、ワカコ、マナブ、スグルの4人(敬称略)。どんな関係かは聞かなかった。スグルさんは手相をみることができる。私の手相をみてスグルさんは「正直に言っていいですか?」と断ってから、いくつかの見立てをしたが、内容は忘れてしまった。手相については若いころから、感情が細やか、結婚は二度する、金運はないなどと言われてきた。〈しゃべること〉〈書くこと〉に関わるのがいいとの診断は、20数年前、西東京の夜の辻占からもたらされたものだった。
 スグルさんにはもう一度見てもらいたいと思う。「正直に言っていいですか」と前置きをするくらいだから、いい手相ではないことは確かだが・・・・・。
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 ギターを持つワカコさん。練習したことのあるギターの構え方だ。 楽器を手にする人の姿は素敵だ。

 このブログ、なんとか年内にアップと思っていたが、年を越してしまった。
 年末に孫の一人がやってきた。昨年の夏に20歳になった初孫だ。「いっしょに飲もう」とメールをよこしていたが、せいぜい梅酒を飲む程度だった。温泉で背中を流してくれて〈爺〉を感激させたが、新潟の叔母の所で体調を崩した。元旦から新潟で仕事の〈婆〉は、孫を心配しながら、大晦日の日が落ちてから車を走らせた。かくして年越しの夜を、私は一人で過ごすことになった。これまでの人生で初めてのことだ。そんな夜、北海道の和田さんから「飲んだくれております」のメールが入った。「私も同様です」の返信をしているうちにコタツで寝込んでしまった。飲んだくれていても、和田さんは横須賀で家族といっしょだったのだろう。

孫は、年明けそうそうの大学での試験のために、どうにか東京行きの新幹線に乗った。
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 戦後70年の節目だった昨年は、それに関わる世相の動きがあった。若い世代が自分たちの言葉でアピールする状況に時代の変化を感じた。私自身もいくつかのムーブメントに関与しながら思うことの多い1年だった。

 作家の野坂昭如が死んだ。青年時代の一時期、刺激を与えられた存在だった。彼についてはいづれ筆を改めたい。
 女優の原節子も訃報が伝えられた。1920年(大正9)生まれで、最後の映画出演が1962年(昭和37)の東宝「忠臣蔵」の大石内蔵助の妻りく役だった。リアルタイムで彼女の映画を見たことはないが、「東京物語」などの小津安二郎作品で知る存在だった。彼女についてもいつかこのブログで触れて見たいと思う。

 親しい友人の妻が倒れた。市会議員をしている妻は本会議の数日前に自宅で倒れ救急搬送された。快方に向かっているが、友人はこの1ヶ月間、病院に泊まりこみで付き添っている。「重かった!」というのが妻を抱き起こした友人の感慨だったが、救急車が到着するまでの数分間、心臓マッサージを施し、口から口へ何度か息を吹き込んだという。他人事ではないことが、周囲に起こり始めている。

 冒頭に記したように、私の目はとてもクリアーに見えるようになった。そのことが気持ちを前向きにし、何か新しいことにチャレンジしようかとも思ってしまう。ホテル仕事のスキルアップにと始めた「家屋工事技師養成講座」は残り1回の課題提出で終了する。とても参考になる講座だった。
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 年明けは元旦からホテルの勤務だった。2日からは夭夭亭も営業を開始したが、今年は料理に力を入れてみようと思う。営業戦略などというものではない。このところ作り始めた「チキンバターマサラ」に手ごたえを感じて、料理への意欲が増したのだ。タマネギを使わない、手間のかかるカレーだが、手間をかけるだけの価値はある。昨年の夏、30年以上も使っていたコールド・テーブル(カウンター内の冷蔵庫)が壊れて新調したことも、料理への意欲の増大につながっている。
 ホームセンタ-の花コーナーで「レックスベゴニア」の鉢植えを買った。女性の店員と言葉を交わしていたら、手ぶらで立ち去り難くなったのだ。まるでNHKテレビのドラマ「ベランダー」の田口トモロヲだ。
 わが家には40年以上も生き続けている「木立ちベゴニア」がある。当時、養護学校で教員をしていた青年からもらった鉢植えだ。元々のものは根腐れを生じさせて、すでにないが、枝を挿し木したものが健在で、親木の性質そのままに、時期になればシャンデリアのような花を咲かせてくれる。

 元旦のテレビで映画『ライフ・オブ・パイ-トラと漂流した227日-』をみた。主人公が生まれ育ったのが、インド南東部のポンデシェリーという町という設定だった。ベンガル湾に面したその町を、私は2度訪れたことがある。旧フランス領だった町はバルコニーのある白い家並みが続き、波打ち際でサリーの裾を濡らして戯れる若い女たちがいても、そこがインドであることを忘れさせた。海岸沿いのカフェのテラスでベンガル湾の風に吹かれながらワイングラスを傾けたこともある。
 それはともかく、映画は第85回アカデミー賞で監督賞、視覚効果賞など4部門を受賞したものだが、後半で語られた「生きることは手放すことだ」との言葉は、正月の一人酒で弛緩した身心にしみ込んだ清冽な水だった。その水は今もしみ込み続けている。手放すことは、失うこととは違う。手放すことには自身の意志と選択がある。映画のような極限状態でなくてもだ。とはいっても現実は失われていくものを思い知らされる、選択の余地のない日々だ。
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 半年は帰らぬ漁に出航の汽笛ながなが妻子に放つ

 当地では著名な、元高校教師、阿部昌彦さん(83)の短歌が全国短歌大会で京都府教育委員会教育長賞を受賞した歌だ。
 阿倍さんは、平成18年に現代歌人協会主催の全国短歌大会で最高位の「大会賞」を受賞するなど、地元はもとより全国的にも知られた歌人だ。直接の面識はないが、ある会場での私の話を聞いたと、元同僚で歌人仲間の人から知らされて冷や汗をかいたことがある。新聞紙上で顔を知ったが、やはりどこかで会っているように感じた。
「今年(昨年)6月、東日本大震災後から再開の遠洋漁業に向かう被災地漁港の模様がテレビニュースで流れた。岸壁から手を振って見送る妻子らに、それぞれの漁船が長く汽笛を鳴らして応えるシーンに心を動かされたという」(地元紙『サンデ-いわふね』2015/12/20) 「人の営みと温もり」(同紙)に向けられたまなざしに胸が熱くなった。新聞紙上の顔写真も柔和で、その表情に心が和んだ。阿部さんに「ありがとう」を言いたい。もちろん受賞の「おめでとう」も。

 薺(なずな)打つ音が母呼ぶ亡き母を        林 翔

 薺は七草の一つナズナ。1月6日の晩にナズナなどの野草をまな板に載せ、包丁の背でたたき刻んで、神棚に供える。翌7日、それを下げて粥(かゆ)に入れて食べる。無病長寿を願って食べる七草粥(七種粥=ななくさがゆ)だ。(『きょうの一句-名句・秀句365日』村上 護著/新潮文庫)から。
 で、今日は1月7日。私は何を食べようかな。

土浦の今井さん、賀状ありがとうございました。30日夜、楽しみにお待ちしています。
 神戸の誠くん、北九州の博子ちゃん、堺の詳子ちゃん、今年、広島でね。

 文章が長い、と何人かから苦情(?)をもらい、「ダイアリー」と称しながら辛うじてマンスリーを保っているこのブログも丸6年を過ぎて7年目に入った。今年も鋭意、継続につとめたいと思っている。自分に向き合う貴重な作業でもあるのだ。目を通してくださった方々に感謝多謝である。
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# by yoyotei | 2016-01-07 05:39 | Comments(0)  

手をのべて天地玄黄硯冷ゆ

 プログラマーをしている会田さんが新潟市から一人でやってきた。来年2月に第一子が誕生するのだという。結婚7年。喜びをだれかに告げたかったに違いない。客の姿がない暇な週末。会田さんは軽く飲んで帰っていったが、お祝いに〈ちょっといい酒〉をおごればよかった。昨年は10月11日にやはり一人で来た会田さん。来年の春には3人で・・・・・・・。そのときはね。
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 歴史愛好家として執筆や講演に忙しい大滝友和さん(左)、最近も伊能忠敬についての講演の模様が地元の新聞で報じられていた。その彼が、娘の愛子さんと夫の武さんを伴ってきた。愛子さんは第二子を妊娠中だという。 
 第一子の誕生ニュースは隣家の本間桂先生の葬儀の日にもたらされた。2013年の大晦日だった。葬儀の後、共に弔辞を捧げた友和さんと私は、逝く人と生まれてきた新しい命に思いを馳せながら飲んだ。もっとも、友和さんは体調管理で酒を断っているので私が一人で飲んだのだが。

 数日前、本間桂先生の亡妻笑子さん宛の葉書が我が家に届いた。母校の創立120周年にあたっての同窓会名簿改訂に関する問い合わせだった。誤配にはちがいないが、本間家は無人だ。物故された旨を記した返信を投函しようかと思っていた矢先、長男からメールが入った。近日中に父の三回忌で帰るというものだった。
 
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 北海道の和田さんから電話。いつものように飲み屋からだった。村上にいるときにも、和田さんは酒を飲むとあちこちに電話をする人だった。彼のあのにぎやかさは<さびしさ>のうらがえしだったか。今さらながらの述懐である。秋は〈さびしさ〉に敏感になる。
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 かつて村上にいたことのある医師が久々の来店。愛飲するチンザノ・ロッソの相伴にあずかりながら近況を聞いた。なかでも、認知症状が顕著になった妻に、認知症の薬を飲むことを説得するのに一晩かかったとの話は胸を打った。内科医の妻は、当然その薬がどういう薬か知っている。自分の認知症を認めない妻は、断固としてその薬の服用を拒否するのだった。
 今、妻は施設に入所し、夫は単独での行動が可能になったが、それまではどこへ行くにも妻を伴った。夫が講師として話す時にも、私たちがブナの森でおこなったコンサートにも、夫がいる場所には必ず妻の姿もそこにあった。夭夭亭にも何度か、夫は笑顔の妻を連れて来た。だが、彼女にとって私はいつでも〈初対面の人〉だった。
 堂々たる体躯にして悠揚迫らぬ大人の風格。世界的な医学的業績もあるという彼とは、村上市内を流れる三面川源流域のブナ林が伐採されていた頃、伐採反対運動を立ち上げた私たちに共鳴して、新潟市から現地観察に参加されたのが最初の出会いだった。数年後、病院長として当地に迎えられてからは、周辺の医療環境や地域医療の現状などについてレクチャーをうけたりした。
「若いころにはずいぶん面倒をかけたからなあ」と、症状のすすむ妻に寄り添っていた彼。その彼が、「どうしました?」と声をかけるのがはばかられるほどに足元がおぼつかなくなっていた。歩きやすさを考慮したのであろう真新しい白のスニーカー・・・・・・・。
 帰りのタクシーに乗り込んだ彼の握った手を、私はしばらく離すことができなかった。

              秋の歌
                         ポ-ル・ヴェルレーヌ(堀口大學訳)

      秋風の
      ヴィオロンの
      節(ふし)ながき啜泣(すすりなき)
      もの憂き哀しみに
      わが魂を
      痛ましむ。
     
      時の鐘
      鳴りも出づれば
      せつなくも胸せまり
      思ひぞ出づる
      来(こ)し方に
      涙は湧く。

      落葉ならぬ
      身をば遣(や)る
      われも、
      かなたこなた
      吹きまくれ
      逆風(さかかぜ)よ。
 
 よく知られているヴェルレーヌ、20歳の時の詩である。
 彼の生涯には、酒・女・神・祈り・反逆・背徳・悔恨が混在したといわれる。ヴェルレーヌほどではないが、私にも似た部分がないわけではない。デカダンスを気取った若い日々もあった。しかし、私とヴェルレーヌとのいちばんの共通点は〈ハゲでヒゲで大酒飲み〉といったところだろう。ヴェルレーヌは51歳の若さで没しているが、私はといえば、いまだになまなましい悔恨の海を漂っている。秋は無骨な男をも<センチメンタル>にする。
 このほど、年譜によって訳者堀口大學の母政(明治4年生)が村上藩士江坂氏の長女と知った。 
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 宝田明講演実行委員会の解散飲み会。この夜、参加できなかった何人かの実行委員たちも、それぞれの得意分野で力を発揮した。だれかの苦手分野をだれかがカバーする。なかでも力強い女性たちのパワーにはあらためて敬服した。宝田さんの知名度に負うところが大きかったことはいうまでもないが、大成功といっていい講演会の成果に、「次は大江健三郎さんを呼びましょうか」と瀬賀実行委員長。宝田さんの人柄も含めて学ぶことの多かった<協同>の取り組みだった。
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 父(故本間桂先生)の三回忌に帰ってきた長男、次男、そして長男のパートナーともみさん。教え子の瀬賀さん、マリさんらとは夭夭亭でまずは顔を合わせた。居合わせた村上高校の卒業生つながりでもある佐藤さんも合流した。
 この夜、隣家「禅外窟(ぜんがいくつ)=本間家」にひさびさに灯りがともった。
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 職場のホテルの作業道具室で異彩を放っている紙コップだ。何度これを発音してみたことか。いまでは、ある種の感動を持って「これでもいいんんだ」と納得している。
 ずいぶん前になるが、八百屋の店先の手書き商品表示「人肉」を目にしてギョッとしたことがある。すぐに「ニンニク」(大蒜、葫)のことだと気づいたが、<人肉>はまずい。だが<ガビヨ>はいい。字面(じづら)だけではなんのことかわからないが耳で聞けばわかる。紙コップの中には「画鋲(がびょう)」が入っている。
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「大滝舞踊研究所」の発表会で、昨年と同じく聖ペテロを演じた。「天国の門番」という設定だ。
 新約聖書マタイ伝第26章に「イエス<彼>に言ひけるは、汝の剣を元に収めよ。凡(すべ)て剣をとる者は剣にて亡ぶべし」とあり、この<彼>がペテロであるとの指摘を、ボオドレール『悪の華』(鈴木信太郎訳/岩波文庫)に収められた詩「聖ペテロの否認」の注釈に見つけた。
 いまテロの世界的拡大が懸念されている。空爆によって<叩き潰す>ことしかできないのか。彼らの<なにが>、テロ行為に追い込むのか。心して受け止めなければならない、ペテロに発せられたイエスの言葉だ。
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 今井さん、お便りありがとうございました。奥さんのこと、取り越し苦労に終わったようで本当によかったですね。「新百名山」の全山登頂も目前、あらためて意欲が増したことだと推測します。
 9月末から急速に視力が悪化した私の眼。一時回復したようでしたが、またすぐに見えづらくなり、その状態が2ヶ月近く続きました。ところが、1週間前に「あれ?」と感じた瞬間、通常に戻っていました。どういうことかさっぱり分かりません。見えにくかった期間、あれこれと悲観的なことばかり考えていました。「読むこと」が難しくなる恐怖。車の運転ができなくなる生活の変化への対策など。今週は眼科で右目の経過観察の診察があります。今回の左目の変化についても診断を仰ごうと思っています。
 一喜一憂の日々。私たちの旅は、時に暗礁に乗り上げることもあります。走り書きのメモの<最高のものは常に今より先にある>との文言に励まされたりしています。秋は<センチメンタル>などとカッコつけているうちにもう師走。少し早いかもしれませんが、よい年をお迎えになりますように。
 
 本の取次ぎなど、長く付き合いのあった書店が廃業してから3年もたっただろうか。その後は、別の老舗の書店に月刊誌などを取り寄せてもらっている。先日、本を受け取りに行くと、90歳は越えただろうとおぼしき女性が対応してくれた。紙袋に本を納める震える手元に「いいですよ、そのままで」と私が声をかけると、「大切なご本が汚れてはいけませんから」と手を止めない。ほどなく孫娘か孫のお嫁さんのような女性が足早にやってきて業務を引き継いだ。「どうも」と本を受け取って帰ろうとした私に、老女がゆっくりと実に上品な口調で言った。
「お偉いですね。勉強をなすって」
 書店を出た私は、ちょっと涙ぐんだ。

 ここのところ、立て続けに知人の訃報を聞いた。疾風のように生きて50歳そこそこで病に倒れた人。「あの人、子どものころから苦労したんだよね」と悼まれた人。「死にたい死にたい」と訴えながら、ついに自ら割腹して果てた人・・・・・・・。

  ある夜のこと、葡萄酒の魂が 壜の中で唄を歌った。
  人間よ、おお 親愛な廃嫡の息子よ、俺は
  ガラスの牢屋と朱の封蝋の底から 君に
  光明と友愛とに溢れた唄を 歌ってあげよう。

 ボオドレールの『悪の華』にある「葡萄酒の魂」という詩の第1節である。
 詩は「労働に疲れ果てた人間の喉を通って流れる時、俺は無限の喜びを身に感じる」「日曜の浮かれ小唄の繰返句(ルフラン)や俺の動悸を打ってる心の中で囀(さえづ)る希望が聞こえるか。食卓に両肘を突き 両袖を高々と捲り上げて、君は俺を誉め称え、そうして満足するだろう」などと続き、「この人生の弱々しい競技者のため、俺は闘士の筋肉を強力にする膏油となろう」と葡萄酒に言わしめている。そして、「植物性の神の御餞(みけ)」である俺(葡萄酒)は「君の胎内に落ちて」、「俺たち二人の愛情から、稀有な一輪の花として神に向かって飛び立ってゆく」と結ぶ。(鈴木信太郎訳)
 確かに、私たちの多くは「人生の弱々しい競技者」だ。しかし、いい相手といい酒を飲むと、魂は飛翔する。そうか、酒が「光明と友愛に溢れた唄」を歌ってくれていたのか。
 ボオドレールは、<脳軟化症>によって手足が利かなくなり、半身付随、言語機能障害のはてに母の手に抱かれて死んだ。1867年、48歳だった。
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 手をのべて天地玄黄硯冷ゆ      宇佐美魚目

《「天地玄黄」は『千字文』の冒頭の句。「宇宙洪荒」とつづく。習字の手本にするから、結句の「硯(すずり)冷ゆ」がとける》『句歌歳時記-秋-』(山本健吉/新潮社 昭和61年)
 故旧同人誌「玄黄」(第5号2006年4月/武蔵野書房)は山形に住む雨海修さんから贈られた一冊。「やまびこ学校」の第一期卒業生の雨海さんとはブナ林の保存運動を通じて知り合った。酒もよく飲んだ。教えられたことは山ほどある。贈られた本も多々ある。森について語ってもらったこともある。森には<精霊>が住むことを信じる人であり、森を語るときには祈りを捧げるのが常だった。彼を知るものは<仙人>と、彼を称している。

 宝田明講演会を通じて二人の書家に出会った。一人はポスターの題字「わが青春の戦争と平和」を書いた久美さん。もう一人は講演会場のステージに掲げる同じ題字を書いた正吾さんだ。いずれも練達の墨蹟に、ため息しきりだった。二人の硯も冷えているか。秋は深まり尽きて雪の便りも届いた。
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# by yoyotei | 2015-11-30 23:53 | Comments(0)  

たまたま逢(あ)えば庚申(かのえさる)

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 埼玉県狭山市のマスダさん(左から二人目)とチビさん(右)が、今回は現役東大生のナオヤさんを伴ってやってきた。過去の来店ですっかり顔なじみになったミカさん(左)が、今回も<おもてなし係村上代表>である。
ナオヤさんは経済学部で学んでいるが、卒業後は出版関係を志望している。奈良の出身と聞いたが、話す言葉に関西訛りはない。明るいキャラクターに加えて、適応力や即応力を備えた好青年だ。
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 適応力や即応力ならチビさんも負けてはいない。くわえて物怖じしない社交性もある。<たまたま>隣に座ったワカコさん(中)とユカリさん(右)ともすっかり打ち解けた。飲み屋のカウンターはこうしてちょっとした知り合いになる所でもあるし、こんな出会いが結婚に発展したこともあった。
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 ヒデさんとタカヨさんの結婚を祝う仲間たちだ。二人の出会いは<たまたま>だったのだろうか。女優北川景子との結婚を発表した、歌手でタレントのDAIGO的コメントをすれば「YKT.YKT!」。つまり「よかった、よかった!」だ。「少しのユーモアと少しの忍耐。それに少しの幸運があれば結婚生活はうまくいく」と言ったのは誰だったか。結婚や結婚生活への適切なアドバイスほど難しいものはない。幸運を祈る!
  この夜はヒデさんの空手の先輩ノブユキさん(左から二人目)と、やはり空手仲間でヒデさんの兄シンちゃん(左)も来店していた。私の知人が紹介する女性とノブユキさんとの出会いを演出しようとの目論見があったのだ。しかし、それは直前になって頓挫した。<たまたま>二人が小学校からの同級生で、互いによく知っていることが判明したからだ。笑って終わった見合い計画だった。
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 私が釜爺勤務をするホテルの<清掃・設備係>では、10年以上も勤めた二人がそろって退職した。代わりに勤めた人が<介護離職>で愛知県から帰郷したこと、さらにそれにともなう<介護離婚>だったことは前回のブログに書いた。ところが、もう1人の新規女子社員と、この男子社員が<たまたま>小学校からの同級生だったことが顔を合わせてからわかった。およそ50年ぶりの再会だった。ノブユキさんに限らず、地方の小さな町では、こんな<たまたま>もある。
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 この日、サッカーのクラブチーム「エスペランサ」は年内の試合がすべて終了した。どうやら負け試合だったようだが、ともかくも打ち上げの飲み会である。チームリーダーのナカツカさんは、昨年のトライアスロンでは私と一緒にMCをつとめてくれた。しかし、今年は<たまたま>サッカーの試合と重なってMCができなかった。来年は当てにしている。
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 町内のソエカワさんが、東京に住む甥の佐藤豊さんをともなって来た。タブレットには新潟県知事やロシア政府関係者とのショットがあった。詳しいことことは聞かなかったが広範な交友関係を持つ人のようだ。
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 合気道の達人、小林夫妻である。夫人が胸に抱いているのはウサギのグレイ。村上の秋のイベント「宵の竹灯篭まつり」の帰途に立ち寄ったカヨさんの同棲相手だ。抱き上げるとおびえるように絡みついてくる。
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「父が宝田明さんと一緒に遊んだ仲間でしたが、今回の講演会の折に宝田さんと会える時間はあるのでしょうか」との問い合わせがあった。父は鈴木清一さん、市役所勤務の現役だった頃は夭夭亭にも顔を見せていた。娘の清美さんも夭夭亭が同窓生たちとの飲み場所だった時代がある。
 旧満州ハルピンから引き上げ、3年近くを父の故郷村上で過ごした宝田さん。少年時代の友人たちとの再会は宝田さんんも望むところだった。 
 母の入院で帰郷した清美さんを、父清一さんと共に宝田さんが夭夭亭に案内したともいえる。
 ところで、アメリカのアツコさん!清美さんが連絡を取りたいといっています。
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 かくて、「宝田明講演会」は少年時代の仲間たちとの交歓会から始まった。
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「さすがですね」と、小声の言葉を交わしながら舞台の袖から講演を見守る瀬賀さんと私。瀬賀さんには実行委員長をつとめてもらった。
 宝田さん一家は旧満州ハルピンで終戦を迎えた。しかし、銃を持ったロシア兵が人家を襲い金品を強奪する。女性を乱暴する。逆らえば撃ち殺される。宝田さんの家にもロシア兵が・・・・。明少年のこめかみに冷たい銃口があてられる。<殺される・・・>。恐怖で身体が震える。ガチッガチッと自分の歯が鳴る。<間>。客席が水を打ったように静かになる。しわぶきひとつも聞こえない。500人を超える聴衆全員が息を止めて、宝田さんの次の言葉を待つ。
 腹部に銃弾を受けた明少年は麻酔もない中で、裁ちバサミで肉を切り開いて銃弾を取り出された。筆舌に尽くしがたい痛みと肉を切る音を宝田さんは、今も忘れないと語る。時にロシア語、時には中国語を交えながらの臨場感に満ちた話。
 ようやくにして引き上げてきた父の故郷村上。魚の行商で生活を支える母を手伝う明少年。東京で俳優になったいきさつ。そして、強い平和への希求。どんなことがあっても戦争をしてはならない。戦争は消えない憎しみを残すだけだと宝田さんは強調した。
 「むらかみ9条の会」からの強い要請。縁(ゆかり)の地村上。そうしたことで実現した今回の講演を宝田さんはミュージカルのワンシーンのような歌で締めくくった。圧巻だった。
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 講演終了後のサイン会には長蛇の列ができた。宝田さんの<崩れない>丁寧な対応は、人としてのあり方をも、私に教えるものだった。「不戦不争」が大きく書き添えられた言葉だった。
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 宝田さんよりも10歳以上も若い私が年長者のようにくたびれた表情だ。若い頃は俳優たちの酒豪番付で横綱を張ったという宝田さんは飲んでも変わらない。
 この日、宝田さんは朝の新幹線で東京から新潟市へ着いた。昼食後ホテルの車で村上に到着。その後は市内でテレビ撮影。休む間もなく講演会場入りし、旧友との交歓。打ち合わせ。1時間30分の講演。サイン会。ホテルでの私たちスタッフとの打ち上げといった多忙さ。俳優は体力勝負ともいわれるが、さもありなんだ。
 翌朝、宝田さんはホテルを7時に出発して新潟市のテレビ局へ。午後はまた講演といったスケジュールをこなして東京へ帰っていった。
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「おっぱいが解禁になったの」とサチコさん。ドキッとしたが、第3子が乳離れをしたので飲酒が解禁になったということだった。アラサー・アラフォーの子育てママさんたち。左前から右回りにサユリ、ミキ、キョウコ、サチコさん。ママさんたちの子育て談義はとどまることを知らず、時間が過ぎていく。
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 孫娘のひとりが所属する劇団の、今年の公演は「モモ」(ミヒャエル・エンデ作/栗田芳宏脚本・演出)だった。原作は時間に追いまくられる現代人(時間‐金という捉え方もある)を風刺・問題視したものとして、日本でも人気がある。不思議な魅力を持つモモという少女と街の子どもたちや人々とのかかわり。時間泥棒の存在。昨年の「コルチャック先生と子どもたち」同様に子どもたちが主役でありながら、そのテーマは重く難解だ。
 右のパンフレット「ガリレオ裁判」は劇団ひまわり新潟エクステンションスタジオ所長でもある栗田芳宏氏が主宰するKURITAカンパニーの11月講演のものだ。
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 打ち上げパーティーでは劇団員全員が次々とマイクを握って、思うところを話した。「わたし本当はモモを演(や)りたかった」と胸中を打ち明けた少女もいた。配役は子どもにとっても大きな関心事だ。私の孫は今回もせりふのない<街の子どもたち>だった。それもいい、と私は思っている。劇団員の中には身体に障害を持つ兄弟もいる。舞台には車椅子で上がった。そうした人たちとも一緒にひとつの舞台を作り上げる。そうした体験こそが重要だ。健常者だけで社会や物事が成り立っているわけではない。孫娘にはそうしたことも掴み取ってほしいと思う。
 演劇は総合芸術といわれる。役者のせりふや動き、音楽や照明。舞台に上がる人も、それを裏方で支える人もあってこその舞台だ。企画段階から宣伝や多方面へのアプローチ。財政や会計処理など、さまざまな分野でさまざまな人たちが関って舞台はできる。そのことを体験し、実感として捉えられたらいいと思う。それは「宝田明講演会」で、あらためて私が実感したことでもある。
 昨年に続いて今年も打ち上げパーティーに参加した私は、所長の栗田芳宏さんと<たまたま>顔つきが似ていたために、栗田さんや他の「KURITAカンパニー」のメンバーにもしっかり顔を覚えられていた。
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 11月には「大滝舞踊研究所」の発表会がある。今回、私の出番は昨年同様「居場所」(エリナ・ファージョン作「マローンおばさん」より)の天国の門番聖ペテロ役だけだ。主宰者の大滝千津子さんが、夫である前村上市長の病気とそれによる市長辞職などで、新しい作品作りに専念できなかったのだ。舞台美術の仕事も今回はない。それでも稽古が始まった。
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 昨年のペテロ役では短い台詞を間違えた。少しの出番でも気を抜いてはならない。上は昨年の舞台写真。
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 ところで、先夜、武田さんという人が、常連の一ノ瀬さんと来店した。新潟県の森林研究所に勤めている武田さんは自分で見つけたブナの<あがりこ>を熱く語った。<あがりこ>とは写真のように伐った痕から枝が伸び、それを何度か繰り返すうちに巨大な瘤のようになったものをいう。巨大な瘤は地表面から上に形成される。積雪があるうちに伐り、雪上を滑らせて運び出すのである。ブナは主として薪炭用に伐採されたようだ。「あがりこ大王」と呼ばれている山形県と秋田県にまたがる鳥海山の<あがりこ>に対して、武田さんは自分で見つけた村上市のものを「あがりこ女王」と名づけた。
 この武田さんが「居場所」でマローンおばさん役をつとめるタケダさんの夫だった。これも<たまたま>というべきだろう。
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 左手前から右回りにルミ、カオル、マリ、ミワコさんの女性4人に、マサキ、カズヒロさんの男性2人。ルミさんとカズヒロさんは夫婦。ルミさんとマリさんは姉妹という関係。マサキさんの博識で確信に満ちた話し振りと、女性たちの都会的なたたずまいが印象的だった。ルミさんたちがこの夜の飲み場所を、はじめから夭夭亭と決めていたのか、あるいは<たまたま>だったのか。気になるところだ。
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 今年の2月、私の店に「むらかみ9条の会」のメンバーが集まったときに、<たまたま>宝田さんの話が出た。昨年の12月3日NHKテレビに生出演した宝田さんが平和について語り、選挙にまで言及したことだ。
『「無辜(むこ)の民が無残に殺されるようなことがあってはいけませんね。国家の運命というのは、たかが一握りの人間の手によってもてあそばれている運命にあるんですよ。だから間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうではない方向の人を選ぶのか、あるいはどうなのか……』
 宝田さんが言葉を継ごうとすると、聞いていた男性アナウンサーが突然、「その辺は各自、思うところがあるでしょうから、個々の選択がありますけどね……」と、制止するかのように割って入った。さらに「戦争を知っている世代として、これからもいろんな演技を見せていただきたいです。ありがとうございます」と、コーナー終了を“宣言”してしまったのだ。
 私は<たまたま>この番組を見ていた。宝田さんが村上に縁(ゆかり)のあるベテラン俳優だとは知っていたが、この時まではそれだけだった。宝田さんへの見方が変わった瞬間だった。

 土浦の今井さんからも「村上で宝田明さんの講演をやったらどうですか」との葉書をもらっていた。
 釜爺勤務のホテルで洗い場を担当している女性が前から2列目で講演を聞いたという。「よかったあ!」と言ってくれた。宝田さんと村上で同じ時間を共有し、戦中戦後を生き抜いてきた人たちから「ありがとう」とお礼を言われた。「むらかみ9条の会」だけではない、個人として実行委員会に加わった人たちの<思い>が結集し、結実したことを喜びたい。
 10月9日付の今井さんからの葉書の末尾に「新しい歴史の<芽>が見れました」とあった。「宝田講演」のことではなかったが、私も新しい<萌芽>、あるいは<息吹>を感じている。結実した果実からは種が生まれる。種は新しい芽を吹く。11月14日、報告と実行委員解散会をする。うまい酒が飲める。


「たまたま逢(あ)えば庚申(かのえさる)」
 庚申の夜は寝るものではないとされ、特に男女の交会は禁じたことから、間の悪い時には仕方がないものだということ。しかし、予期することが実現するとか、実現してよかったという気持ちを表すこともある。折よく、運よくなど。大慈恩寺三蔵法師伝承徳三年点ー「属(たまたま)有道に逢ふ。時惟(ときこれ)我が皇なり」
                                      (『日本国語大辞典』小学館)
 明日は胃がん検診を受ける。したがって今夜は飲食ができない。胃がんの心配はさほどないが、<目>は相当の不自由をきたしている。
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# by yoyotei | 2015-10-26 07:59 | Comments(0)  

曼珠沙華二本づつ立ち雨の中

 前回のブログに左目の視力低下について書いたが、2日後、嘘のようにその視力が回復した。
 その間、MCを担当する国際トライアスロン大会を控え、選手のレースナンバーはおろか姿さえも目視で捉えることは無理だと悩んだ。1年後の車の免許更新も不可能だと暗澹となった。靄がかかったような視野の中、恐る恐る車を走らせ、直系15センチの<縁なしライト付ルーペ>を買ってきた。これによってどうにか文字を読むことができると、小さな安堵。パソコン画面でも文字を拡大して、どうにかブログをアップした。
 前触れもなく靄が晴れたようにクリアーな視野が広がったとき、ほとんど時を同じくして、数日前からまったく音量が上がらなかったカーラジオから、女性パーソナリティーの明るい声が聞こえてきた。
 視力の一時的な低下は<かすみ目>だったかもしれない。それにしてもカーラジオの音声は・・・。いづれにしてもよかったよかった。
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 破顔一笑。左は<地名研究>や<村上の小路探求>ですっかり文化人となった佐藤三良(みつよし)さん。右は「NPO埼玉映画ネットワーク」を展開する今井吉規(よしのり)さん。今井さんは、大学で佐藤さんの4年先輩。3度目の来店だ。
 『ひまわり』(1970年/イタリア)『砂の器』(1974年/日本)など、今回も映画の話になった。今井さんは『砂の器』の刑事役丹波哲郎の演技を褒め、映画の中の彼の台詞「くり返しくり返し・・・、くり返しくり返し」を再現して見せた。そして涙ぐんだ。その場面がよくわかる私も瞼(まぶた)がジワッとなった。2年前に妻を癌で亡くした今井さんは、そのことに触れて、また涙声になった。私もまた涙を誘われた。
 今井さんは8月30日、「安保法案廃案」「安倍政権退陣」を訴えた国会前12万人の中にいたという。ネット上でも共感を広げている 「SEALDs KANSAI」(シールズ関西)、寺田ともかさん(22)=大学4年生=の訴えも聞いたという。
「国家の名のもとに人の命が消費されるような未来を絶対に止めたい。敵に銃口を向け、やられたらやるぞと威嚇するのではなく、そもそも敵をつくらない努力をあきらめない国でいたい。平和憲法に根ざした新しい安全保障のあり方を示し続ける国でありたい」と主張する寺田ともかさん。
 「いつの日か、一見、絶望的な状況から始まったこの国の民主主義が、人間の尊厳のために立ち上がるすべての人を勇気づけ、世界的な戦争放棄にむけてのうねりになることを信じる」
 この国にはこんなすばらしい若者がいることを実感した寺田ともかさんの発言。確かに、私はおおいに勇気づけられた。
 同じ日、私は村上市の国道7号線の数ヶ所の交差点で、<じっとしてはいられない>人たちとマイクを握っていた。
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 左からヨシ、スズキ兄、スズキ弟、カズオ、タカヒロさんの男たち5人。
 飲み屋の会話としては<タブー>といわれる宗教や政治の話題も、冷静さを欠かない限り私の店では<タブー>ではない。この夜はスズキ兄弟を中心に「安保法案」についての議論になった。「石亀」のママも顔を出したが、私も熱くなりそうだと、水割りをグイッと飲んで退散した。<白熱>を帯びた議論を静かに聞いていたマヤさんは、1週間後に来店して、彼らの安全保障に対する関心や、それなりに情報を取り込んでいることに驚いたと語った。私が<口火>を切ったにしても、地方の<普通>の青年たちがこの問題を語った。酒場だって<民主主義の学校>になる。
 この日、「安保法案」は参議院本会議で可決成立した。
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 この地域の在宅診療もしている開業医の瀬賀さんは、年に一度だけまとまった休みをとって海外旅行をする。今年はイタリアだった。この夜はイタリアへ同行した旅行仲間とイタリアワインを飲みながらの<ハンバギヌギ=打ち上げ>となった。
 メンバーのひとり元小学校教師のイヅミさん(左)は、初めての海外旅行が今回のイタリアだった。彼女は25年前、ある男性と二人で来店してウイスキーのボトル1本を空にしたという。そのときの男性が現在の夫である。
 この日から数日後、イヅミさんは夫をともなってやって来た。家では料理の達人という夫は、言葉を選びながらゆったりと話すイヅミさんの話を、おだやかな笑顔で聞いていた。銀婚式を迎えた二人。いい夫婦だ。
 イヅミさんの隣はピアノ教師のマリさん。イヅミさんのピアノの先生でもある。この夜はマリさんによって音楽への道を開かれたというミュージシャンの大滝さんも、指導しているコーラスのメンバーと共に大挙しての来店。師弟の再会となった。
 この夜はまた「村上秋花火」と銘打って、当地では17年ぶりという花火大会があった。店の前から人家の屋根越しに花火を眺め、店内では「アメージングレース」など、コーラスの歌声に魅了された。興に乗った瀬賀さんは指揮をしてコーラスを導いた。集った人たちがその場の空気をつくり、空気が人々の心をひとつにした。楽しい夜だった。
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 偽りの心があると手を噛み切られる、あるいは手が抜けなくなるという伝説がある「真実の口」(サンタマリア・イン・コスメディン協会/ローマ)。かつて、ある席で「私は(患者に)嘘ばかりついてきました」と語ったことがあった瀬賀さん。無事に帰ってきたところを見ると、瀬賀さんの嘘は<偽りの心>から出たものではなかったのだ。
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 蕾(つぼみ)だろうか。綿である。
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「生活と健康を守る会」で恒例になっている「ハゼを食べる会」。天候に配慮して、今年は会場を海岸から集会所へ移した。私は今回もハゼを釣ることなく、食べて飲んでギターを弾いた。中華料理店を廃業した料理人が、仲間が釣りためておいた大量のハゼを天麩羅にしてくれた。終了後はスタッフたちと、わが家で打ち上げ。そして轟沈した。 
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 村上総合病院医局の送別会があった。転勤するのは外科医日紫木(ひしき)さん(左)と脳外科医根路銘(ねろめ)さん(右)。二人とも珍しい名前ということもあってこのブログで紹介したことがあった。その二人がそろっての転勤ということになった。長いつきあいになった渡辺外科医長(中央)が歓送迎会の流れなどで、こうした若い医師たちを案内してきてくれる。この夜は「私は村上で生まれました」という内科医もいて、終末期を迎えた患者の命について少し話した。哲学、宗教、家族・・・。そして医療。どのように<命>と向き合うか。医師として人間として・・・。

 今年の「村上・笹川流れ国際トライアスロン大会」実況MCは、リハビリテーション大学生たちの助けを借りてなんとかやりおおせた。長年にわたるMCパートナーのミヤコさんは第2子の妊娠9ヶ月にして奮闘するも、早々に表彰式の司会にとられる。その後はほとんど1人でマイクに向かうこと4時間あまり。それでもさほどの疲労を覚えなかったのはさわやかな秋の天候のおかげだったか。
 参加選手から寄せられた自己PRからイシグロ・シュウキチさん(79歳/新潟県)のコメント「「100歳まで大会に参加します。年齢別表彰カテゴリーに80~100歳を新設してください」。イシグロさんは昨年の大会では657位だった。今年もみごとに完走した。
 私のMC担当も20年を過ぎた。数年前から後継者をさがしているがいまだ見つからない。こうなったら大会本部から引退を勧告されるまで続けようかと思っている。「もう歳だから」などといっていたらイシグロさんなど高齢の参加者から笑われる。
 とはいっても近頃は身体のあちこちに支障があらわれる。<かすみ目>もそうかもしれない。2週間前には左足親指の付けが痛みに襲われた。関節炎と診断されたが痛みが脛(すね)にまで達して歩行を困難にさせた。朝起きたら首が動かせないほど痛かったのは1週間前。酔ったあげくに不自然な寝方をして寝違えたと思われる。身体の支障は気持ちを落ち込ませる。健康がありがたい。
 ダブルワークのホテル勤務では「清掃・設備チーム」の先輩2人が9月で退職する。すでに替わりの新人男女各1名が採用されて業務についている。新人といっても2人とも59歳、そのうち男性の方は、数年前に高齢の両親を介護するために愛知県の勤務先を辞めて故郷へ帰ってきた。年間10万人を超えるといわれる介護離職者のひとりだ。彼の場合は離職に加えて離婚もともなった。小学校は片道1時間も歩いて登校したという北越後の山奥の集落へ、妻は来ることを拒んだという。母親が施設に入所したためにパートの勤めができるようになった。
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 曼珠沙華、彼岸花ともいう。これを見るものはおのずから悪行を離れるという。

 まんじゅしゃげつぼみの花のすがしけど手にとりがたき嘆きせりけり      尾山篤二郎

「曼珠沙華はある禁忌を伴う花だから、それが<手に取りがたき>というだけでなく、ある異性(少女?)の手をとりがたいとの嘆きが籠もっていよう」と山本健吉は解く。(『句歌歳時記・秋』新潮社 昭和61)
 だが、中村汀女は<曼珠沙華抱くほどとれど母恋し>と詠んでいる。この花に伴う<禁忌>とはいったいなんだろう。私は無人の隣家の裏庭にこの花を見つけたとき、ゾッとした。この花を両手いっぱいに摘み取るなどとは想像しがたい。『句歌歳時記』には次の句も載せてあり、山本健吉は「雨中に二本ずつ、とびとびに立つさまを、この花らしく奇怪と見たか」と評している。
 
 曼珠沙華二本づつ立ち雨の中                             安部みどり女
  
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# by yoyotei | 2015-09-29 10:24 | Comments(2)  

黙っているわけにはいかない。今、語らねば。

 夏が往く。なにかに追われているような、なにかに立ち向かっているようだった今年の夏。猛暑もおさまり朝晩はすっかり涼しくなって、あちこちに足早な秋の気配。
 30日には「9条を守れ」「安全保障法案廃案」を掲げる抗議行動に参加した。雨の中、市内5ヶ所で40人ほどの参加者とリレーでマイクを握り、シュプレヒコールをあげた。この日、東京では12万人が国会議事堂を取り囲んだ。
 10月20日の宝田明講演のポスターとチラシができあがった。講演タイトルは「わが青春の戦争と平和」。キャッチコピーは「黙っているわけにはいかない。今、語らねば」だ。講演成功に向けての取り組みが始動した。
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 左は市内の建設会社3代目社長加藤さん。右の遠山さんは年に数回も通うというタイマニア。タイ語も堪能で、タイには友人も多いと聞いた。遠山さんも建設会社経営家族のひとりだが、旅好きな<自由人>といった印象と風貌は変わらない。<その人らしさ>がいい。
 タイへは私も1度だけ行ったことがある。<微笑みの国>と称されるように好印象の国だった。食べ物も旨い。そのタイのバンコクでこのほど爆弾テロ事件があった。遠山さんも心を痛めていることだろう。
 加藤さんはインドへの渡航歴がある。私と共通の旅の経験に話が盛り上がった。
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 ガンジス河の上流リシケシは<ヨガ>のふるさとといわれ、ヒンドゥ教の聖地のひとつでもある。酒も肉料理もない聖地で、酒飲み男3人が数日を過ごしたのは2008年の秋だった。今のところそれが最後のインドの旅になっている。
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 8月6日、村上駅前のカフェ扇屋を2時間ほど借り切って「平和カフェ」を開いた。戦争(戦時)体験を聞いて平和を考えようという「むらかみ9条の会」の取り組みだった。
 70年前のこの日、広島は世界史上初めての原子爆弾を投下された。平和宣言の中で松井広島市長は「広島をまどうてくれ」というフレーズを語った。隣県の島根で生まれ育った私は、瞬時に<まどうてくれ>の意味とともに、その言葉を使っていた半世紀以上前の頃に立ち返った。<まどうてくれ=元に戻してくれ>とは、ほとんどつぐない不可能な破壊状態からの怒りと悲しみの悲痛な叫びだった。
 秋葉広島元市長はかつての平和宣言で、<やれんのう>と原爆投下後の惨状の中で呻(うめ)いた広島の人々の声を取り上げた。苦しい、痛い、つらい・・・。人間が耐えうる限界を超えたとき、広島の人々は<やれんのう>と声にならない声を絞り出したのだった。「平和カフェ」開店のあいさつで、私はそうしたことを話した。
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「平和カフェ」では、介護施設で働くアカ裕子さんが歌ってくれた。コートジボアール人の夫を持つ裕子さんの、アフリカ内戦の現実に触れたトークと力強い歌声は圧巻だった。
 ピアノ伴奏をしてくれたアカさんのかつての同僚だったという川村絵梨歌さん(29)は、新聞記者のインタビューに「生まれたときから戦争がないことが当たり前だったので(今日の戦時体験者の話は)想像しがたい話ばかりだった。だからこそ今、平和とは何かを考えるいい機会になった」と話した。(『新潟日報』8月8日付)
「平和カフェ」を開いた私たちの思いが伝わったようで、うれしかった。
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 高橋澄子さんは昭和5年生まれの84歳。私と同じ町内の一人暮らしのご近所さんだ。高橋さんは、旗を振って兵隊を送り出したことなどを、渾身の力で立ち上がって語った。ある女性は、小学校の教師だった高橋澄子さんから「原爆許すまじ」の歌を教わったと話した。
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 駅前にある扇屋カフェは旅行者も立ち寄る店だ。貸切にしていた店の前を行きつ戻りつしていた二人を招じ入れた。奈良からやってきたという彼女と新潟の彼。二人の行く先に、この日に遭遇した「平和カフェ」体験は思い出話のひとつになるだろうか。
「年寄りばっか集まって<クウシュウ(空襲)>とか<ガクトドウイン(学徒動員)>なんて話してたね。あれって日本語だったの?」
 そんなことはないか。
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 カフェでは、ゲストスピーカーの斉藤勇さん(86)が東京大空襲の体験を、関川村の遺族会会長の平田時夫さん(83)はミャンマーで戦死した父のことを語った。8月8日付「新潟日報」は「戦禍の記憶生々しく」と見出しを掲げ、「平和カフェ」の模様を大きく報道した。
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 アヤさん(左)は初めての来店だっただろうか。レイさんは姉といっしょに来店したことも何度かある。ホームセンターの園芸コーナーで遭遇したのは今年の春だったか昨年の秋だったか。来年の春には連翹(レンギョウ)の黄色い花を見ることができるはずだ。
<アラフォー世代>のふたり。思い通りにいかないからこそ人生だともいえる。
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 予備情報もなく「夭夭亭」のドアを開けるにはちょっと勇気が必要だ。勇気あるふたりが 雄貴(ユウキ)さんと&ユウさんだ。共に23歳のふたり。「結婚は?」と水をむけると「10年後にお互いがひとりだったら」とユウキさん。「長くない?」「じゃあ5年」といきなり半分に短縮。それを聞いてユウさんは「7年・・・」
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「タイの少数民族にこんなのいなかったか?」「南米インディオには?」「首に輪をはめてる首長族とか」「ミャオ族は?」
 この夏、私を驚かせ、笑わせてくれたのは、6人いる孫の中では最年少の4歳児アンズだ。
『和泉式部日記-全訳注』(小松登美・著 講談社学術文庫)に、「日本人は平安時代から今日に至るまでの間、大きな民族的混血をしていない。しかし、我々が見逃しがちがちな非常に大きな混血を国内で数次に渡り経験し、しかも明治以降のそれは決定的」とあって興味深い。
 国際結婚はいまや驚くことではないが、国内においても明治以降、通婚圏が広がり、異にする地域の混血が繰り返されてきた。その結果としてこんな<少数民族系カワイイ>が生まれたということになろうか。
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 左は5年生の、彼女も私の孫娘のひとり。いとこ同士だが民族が異なっているかのような、著しい顔立ちのちがいだ。
 最年長の孫は8月末に20歳になった。「今度いっしょに飲もうや」とメールがきた。翌日は私の誕生日。大峰山で迎える計画は忙しさの中で雲散霧消してしまった。
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 地元の人か旅行者かは大体の見当がつく。富山から足を運んだ土地さん夫妻である。土地は<どち>と読む。富山市内でガソリンスタンドなど<トータルカーケア サービスステーション>を展開している。大田和彦さんの『居酒屋味酒覧(みしゅらん)第2版』情報での来店だった。暇な週末で、土地さん夫妻から誕生日を祝ってもらった。トヨタカさん&アツコさん、ありがとう。
 土浦の今井さんも、ありがとうございます。<連帯の誕生祝>きました。
 そういえばアツコさんも、孫のアンズと同じ<少数民族系カワイイ>だ。アンズには中国地方、越後、関東、南九州などの遺伝子が絡み合っている。アツコさんはどうだろう。
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『居酒屋味酒覧』の著者大田和彦さんは、『オール讀物』(文藝春秋社)2008年6月号から「居酒屋おくのほそ道」を連載していた。たまたま雑誌をめくっていて見つけた。洒脱な文章である。私が会ったときの大田和彦さんは<控えめな人>という感じだった。文体と本人とは印象がちがう。
『居酒屋味酒覧』で太田和彦さんは私のことを「インドを中心に世界を放浪しているという自由人マスターは、笑い顔のいい明朗な好漢で、カウンターに座った私は二分で友達になった」と書いた。<私は二分で友達になった>という表現がうまい。
<私は17歳で老いた>とはマルグリット・デュラスの『ラマン(愛人)』の書き出しだったか。あるい文中の1行だったかも知れないし、17歳ではなく16歳だったかも知れない。
<私は68歳で恋に落ちた>などというのもいい。<私68歳。青春まっ盛り>、かなり無理があるし、なによりも軽い。
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 8月4日、広島市で開催された「原水爆禁止世界大会開会総会」で宝田明さんは来賓 として挨拶に立った。
「きな臭い世の中になっている。日本は被爆国であり、憲法9条を持ちながら、それがなし崩し的にどんどん大地の中に埋もれていくような危うい時期にさしかかっています」
<黙っているわけにはいかない>宝田さんなのだ。

 右眼はよほど大きい文字でなければ読み取れない。だが左眼は細かい辞書の文字でも読むことができていた。その左眼がおかしい。文字に影がついたように二重になってきわめて読み辛い。いささか困った。宝田明講演実行委員のひとりがライトのついた小さいルーペをくれた。部分的にはよく見えるが本を読むにはあまり適さない。これからは本を読むための工夫が欠かせない。
 8月中のブログの更新ができなかった。眼のせいではない。

 
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# by yoyotei | 2015-08-30 18:15 | Comments(0)