出会いは新潟から東京へ向かう特急「佐渡」の車内だった。
 向かい合った座席に偶然、彼女と彼は座った。彼女は友人と佐渡への旅行の帰り、彼は村上へ帰郷して東京へUターンするところだった。新幹線はまだ開通していない。昭和四十九年の夏だった。
 長い時間、向かい合って座った若者たちに会話が生まれない方が、むしろ不自然だっただろう。
 東京生まれ東京育ちの彼女と、村上生まれ村上育ちの彼。列車を降りてからの二人は、それからは偶然ではない出会いを重ねた。やがて二人は共通の切符で同じ列車に乗る旅に出発した。

 結婚十二年目にして待望の子どもに恵まれた。だが、喜びもつかの間、娘の誕生から四ヵ月後、父となった彼をベーチェット病が襲った。難病との闘いは四年近く続いたが、苦闘の末ついに力尽きた彼は天に昇った。四十歳の若さだった。

 彼女・幸子さんが、夫の幼馴染の女性と私の店に顔を見せたのは、病と闘っている夫に代わって、娘とともに夫の両親の元へ里帰りをした夏だった。やがて夏だけではなく、冬の二月にも村上に来るようになった。それは夫の命日の墓参だった。

 この夏の終わりにも、幸子さんが店に顔を見せてくれた。村上で一人暮らしをしている八十三歳になる夫の父の健康状態が、ここのところおもわしくないらしい。連れ合いだった義母は七年前に他界した。
 幸子さんは娘を伴っていた。娘・理恵さんは二十歳になっていた。
「理恵、村上で就職したら?」
 就職浪人中だという娘に、幸子さんは本気とも冗談ともつかない口調で言った。理恵さんはまともに取り合わなかったが、そこには幸子さんと村上を結んでいるものの重さがあるように思われた。

 はじめて夫の実家を訪ねたときのエピソードを幸子さんが話してくれた。
 都会育ちで朝食にはトーストを食べると息子から聞いた両親は、幸子さんのために焼き網で焼いたパンを出してくれたというものだった。トースターがそれほど普及していない時代である。地方で暮らす両親の心遣い。戸惑いながらもそれを受け止める幸子さん。小さな心遣いの温かさが時間をさかのぼって感じられる。

 夫との出会いから生まれた心遣いのやり取りと積み重ね。一人息子を失った老いた親と、夫を父を失った母と娘。それぞれへのいたわりが、それぞれをつなぐ「絆」になっている。それはまた幸子さんと村上をつなぐ絆でもある。

 今年は夫の十七回忌になるという。義父の健康を気遣いながらの、幸子さんの村上への「里帰り」と墓参は続いている。「絆」を乗せた列車は走り続けているのだ。
 同乗者に理恵さんもいる。


1月17日は阪神・淡路大震災から15年目でした。
不幸な出来事から生まれた助け合いやいたわりあい。絶望からの再生。TVで放映される追悼イベントの中にに「絆」という字句がありました。

映画『砂の器』(監督・野村芳太郎/脚本・橋本忍/原作・松本清張)のなかで、殺されることになる三木巡査が、出自を隠して社会的名声を獲得した主人公に言う言葉があります。
「ヒデオ、あれだけの思いをして生きてきた父子だねえか」
観た人も多いと思います。映画の中の交響曲『宿命』(作曲・芥川也寸志)もストーリーと交錯して感動的です。断ち切りたくても断てない「絆」、そして宿命。やりきれない映画です。

「人生の並木道」の2番の歌詞。
「遠い寂しい日暮れの道で 泣いて叱った兄さんの 涙の声を忘れたか」
これを歌うとき涙ぐみそうになります。

暗い越後の冬、少しセンチになりました。
来月2月、幸子さん店に寄ってくれるかなあ。
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by yoyotei | 2010-01-22 12:50  

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