和気史郎に学ぶ

 先月中旬、ある人が一冊の画集を貸してくれました。絵を趣味にしている人で、数年前には市が主催する美術展で最高賞を受賞したことのある実力者です。以前にも画集を交換したことがあり、話をしても穏やかな紳士といった、なかなか当地では出会わないタイプの人です。彼の描く精緻な風景画は、几帳面な人柄がそのまま絵に滲み出ています。

 その人が貸してくれた画集は、和気史郎(1925-1988)のもので、限定1.000部という高価な画集です。昨年12月のブログ「一枚の絵」に取り上げた、僕の絵を見た彼が参考になればとの、ありがたい厚意からのものです。もしかしたら、僕の絵(下の絵)に見える陰鬱な自我に通低するものを、和気史郎の絵に彼はすでに見ていたのかも知れません。
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しかも、昨年暮れから描いている、インド・ラジャスターンの絵については「技巧に懲りすぎている」との批判まで頂戴しました。納得のいく適切な指摘でした。なにしろ、図書館から絵画技法の本を何冊も借りて、初歩から技法を独習しながらの習作です。いまだに画面が変化し続けている未完の習作です。(下の3点)
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 和気史郎。彼の晩年の作品に能面をテーマにしたものが数多くあります。和気史郎を知らなかった僕もそうした絵は目にしたことがありました。非現実的でありながら現実を厳しく凝視した者でなければ描けない世界。彼にとって絵の具は単なる画材としてではなく、怨念や自家撞着を塗り込め塗り重ねていくための、自己の内面からのほとばしりのようです。しかし、それは1960、70年代に流行したアクションペインティングのように、偶然性に寄りかかるものではありません。対象の的確な写実、それを超えて対象の持つ内奥に自己の想念を投影していくという、絵を描くことの本来的な意味をあらためて教えてくれるものです。
 和気史郎の青春は戦争の時代でした。人の命が赤い紙切れ一枚で否応なく死へと送り込まれた時代でした。和気史郎と同時代を生きてきたという瀬戸内寂聴は、「地獄を見た者にしか聖なるものは顕われてくれない。和気の絵の非現実性は、和気の憧れている浄土の光と色ではないか」といっています。(『和気史郎画集』から)
 40年ぶりに絵筆を握った僕には、ぶん殴られたような衝撃を与えられた画集でした。

 先日、ブログ「水底の歌」を書くために、図書館から『梅原猛著作集』を借りてきました。挟み込まれていた「月報」を見て驚きました。月報の表紙に和気史郎の絵が掲載されていたのです。それは能楽の「弱法師(よろぼうし)」を題材にしたものです。描かれている深く暗い闇の底に瞑目した能面はまさに和気史郎の世界ですが、同時に柿本人麿が水底に横たわっているような情景に重なるものです。
    柿本朝臣人麿、石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時、自ら傷みて作る歌
 鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあらむ
   柿本麻臣人麿の死(みまかり)し時、妻依羅娘子(よさみのおとめ)の作る歌二首 
 今日今日(けふけふ)とわが待つ君は石川の貝に交じりてありといはずやも
 直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ
   丹比真人(たぢひのまひと)柿本朝臣人麿の意(こころに)に擬(なずら)へて報(こた)ふ   る歌一首
 荒波に寄りくる玉を枕に置きわれはここにありと誰か告げなむ
                             (万葉集から)
 やっと画像を取り込むことができました。連休に帰省した長女の指導によるものです。まだまだ不十分ですが、これからも徐々に進化していくつもりです。顔の画像は額縁のガラス越しなので少しテカッテいますが・・・。和気史郎の絵は機会があったら画集を開いてみてください。
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by yoyotei | 2010-05-13 06:46  

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