ブナと共に生きて

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  植えて20数年になるヒマラヤシーダが二階の屋根を超えるほどの高さになった。ほとんど枝打ちをしないものだからわずかばかりの庭は日陰が多くなっていた。この日、高いところが苦手な私に代わって友人2人が枝を切り落としてくれた。
 4本のヒマラヤシーダの枝打ちが終わると、あれも切るかこれも切るかということになった。樹齢25年になるナナカマド、窓を覆うゲッケイジュ、さらにこれも樹齢25年で近年は実をつけなくなったプルーン、虫がついていっこうに成長しないツゲ(もっともこれは妻が私にツゲずに切った)、スオウなどと、ほとんど手当たり次第に切りまくった。せっかく育ってくれたのに、ゴメンネという気持ちはあったが、庭は驚くほど明るくなった。伐採作業のあとはもちろん酒盛りであった。
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 そうして切ったおびただしい量の木々を、この焼却炉で燃やし続けた。焼却炉といっても側溝などに用いるU字溝に、古い土管を煙突代わりに置いただけのものだ。朝の6時にはこの炉に火を入れた。火を燃やす作業は実に楽しい。燃える火を眺めながらビールを飲み、私は「哲学者」になっていた。燃やし尽くすのに1週間以上かかったが、後半は妻も炉の前に1日中すわり続けていた。だが、この人が哲学者になったかどうかはわからない。
 たくさんの消し炭ができた。夏のBBQが楽しみだ。そのときはこの炉が焼き台になる。
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「村上釣友会」の新年度第一回の釣り例会は恒例の「フナ釣り」。だがこの3年ばかり釣果がおもわしくない。そこで今年は場所を替えて「石川排水機場」周辺とした。風は少し冷たいが、春の日差しは暖かい。空はあくまでも青く、土手には土筆(つくし)も・・・。
 会員たちはここぞという場所に期待をこめて釣り糸を垂らし、一心にウキを見つめ続けた。
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 だがウキはまったく動かなかった。場所を移動しながら規定の4時間、ウキを見つめ続けたものの、結局は参加者全員がボウズ。「まだ水温が低いのかな?」という分析もあったが・・・。期待はずれ、落胆のメンバーたちである。今月末の日曜日は同じメンバーで「海の堤防釣り」の例会だ。 
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 その排水機の建物だ。流行り言葉でいうと「建屋(たてや)」ということになる。どこか外国の田舎にありそうな風情を感じた。もちろん、この建屋の内部に危険なものはない。
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 市内のある小学校のPTAご一行様である。総会の季節なのだ。PTAには私も長く関わっていたが、今でも「家庭・学校・地域の連携」といったことが課題になるのだろうか。「PTAとかけてなんと解く?破れたブラジャーと解く。そのココロは、時々乳(父)が出る」などと、面白くもない冗談を言い続けた教師もいたが、やはりオヤジの出番は切望されているのだろうか。
PTAは、また民主主義の学校ともいわれる。近年は「モンスター・ペアレント」などの存在も話題に上るが、PTAはけっして教師や学校に対して一方的な要求だけを突きつける組織ではない。
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 この人が私のブログにコメントを寄せてくれる「しんちゃん」だ。カメラを向けると必ず妙なポーズをきめる。ほんとうはとてもシャイな人なのだ。長くPTAの会長を務め、この日その任を終えた。車の整備会社を率いながら、空手の指導にも情熱を燃やす好漢だ。私の手ごわい論敵でもある。酒を飲みながらの論争はとどまるところを知らず、意見の一致をみることはまれだが、それでも、飽きもせずに同じパターンを繰り返す「しん&しんデュオ」なのだ。
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 事務局員として参加している「市民ネットワーク」の総会に今年は、この人吉川美貴さんに講演をお願いした。夫君と共に町おこしのリーダー的存在だ。「町屋の人形様巡り」「町屋の屏風まつり」「黒板塀プロジェクト」「町屋再生プロジェクト」など、次々と放つ「町おこし」のムーブメントは全国的に高い評価を得ている。
 講演も内容が濃く、うなずきながら拝聴しているうちに90分が過ぎた。地域の再生にはよそ者の発想が大切だということがよくいわれるが、神戸生まれの才媛が当地に嫁入りされたことから、目を見張るような町おこしの成果があらわれた。
 才媛といったが、夫君と共に全国の町おこし・地域おこしの実例約300ヶ所を実際に訪れ、検証分析したというから腰の据え方が本物だ。たまたまうまくいったというものではない。この日の演題は「先人のこころとと知恵に学ぶまちづくり」だった。「才色兼備」はこの人をいう言葉だ。
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 かつてのバレーボールチームのメンバーだ。店が混んで席がなければ新聞紙を床に敷いてでも飲んでいたあの時代。ギラギラと輝いていた青年たちも、それなりに歳を重ねた。10年20年たっても、こうして時々顔を見せてくれる。飲み屋冥利というものだ。
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 ミセスKawasakiさんとミスターMatumotoさんだ。Matumotoさんが7年前に妻をなくしていたことをこの夜はじめて知った。歳月と経験、煩悶と思索、希求と諦念。生きてきた人生が、それぞれの顔と表情をつくる。
 歩く人・佐藤由弘さんは、このMatumotoさんの叔父だった。
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 訃報が届いた。元新潟大学農学部教授丸山幸平先生が4月14日死去されたのだ。
 当地を流れる三面川の上流域で、国有林のブナ林が伐採されていることに、反対の市民運動を立ち上げた際、ブナの重要性やその生態系など、専門的分野から大いなる助力をいただいた。先生は、終戦後、スギなどの拡大造林が国策的におこなわれたころからブナに着目し、その研究に情熱を注ぎ続けてこられたのだった。国の担当者と対峙して意見を述べた際の迫力や説得力に、私はあこがれのヒーローをまのあたりにしたおもいだった。
 棺には愛用のハンチング帽がおさめられていたが、地下足袋はどうだったのか。山に入る時、先生はきまって地下足袋だった。眼光鋭く、見据えられたら身体が固まってしまうようであったが、時たま見せる笑顔の可愛さがたまらなかった。
 弔辞のなかで、あるエピソードが語られた。実習で森林に入ると、必ずといっていいほど学生たちに持参のマヨネーズをすすめたというものだ。「どうだうまいだろう」というのが口癖だったとも・・・。食文化研究者の奥さんの手づくりだったのだ。元祖マヨラーのちょっと照れた笑顔が浮かんでくる。
 写真の「新川通信」は大学退官後、事務局長として地域の町おこしに取り組んだ成果のひとつ。また町内の自治会長を務めるなど、死の直前まで書斎の人ではなかった。
 スケッチの腕は玄人はだしで個展も何度か・・・。年賀状にはきまってそのスケッチが印刷されてあった。今年はアビニヨンから50キロ離れた2千前の古代水道橋だった。さらに64ヶ国目となった海外旅行の報告も・・・。享年81歳。「頑固一徹だった」とは遺族のことばだが、私にとっては理想の人生のひとつだった。合掌。
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 わが庭のブナは新芽がまだ固い。
 土曜の夜、雨になった。明日は「お城山観桜会」があるのだが・・・。関係者にはうらめしい雨だ。
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by yoyotei | 2011-04-18 21:37  

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