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やったね歩夢君!

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 空中で回転すると、会場につめかけた全員が息を止めた。直後の着地では「ウオーッ」という叫びと喚声、そして拍手。連打される応援棒の音。あの日の早朝、パブリックビューイング会場は、大画面の中の歩夢選手の快挙に燃えた。「いやー、すごいね」「たいしたもんだ」。賞賛の声はさまざま。<感動>を体感し、<感動>が爆発し、<感動>が共鳴し増幅した。
その日の夜、「マスターが載ってるよ」とHideさんが地元紙「新潟日報」の号外を持ってきた。パブリックビューイング会場でのワンショットに私が写っていた。号外には「15歳平野<銀>」の大見出し。さらに「歩夢歴史変えた」「快挙に沸く村上」と大きな活字が躍っている。
 ほぼ同じ時間におこなわれたジャンプ女子では、金メダル最有力選手と期待されていた高梨沙羅選手が4位に終わった。歩夢君の快挙に涙し、沙羅ちゃんの懸命に涙をこらえる表情と、言い訳をしないコメントに涙して、益々ファンになった。  
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 歩夢選手が通う村上第一中学校の佐藤校長(向かって右)と教頭先生(左)だ。テレビなど、メディア取材に学校も未曾有の対応の中にあるようだ。小柄な一人の中学生が大人たちや地域社会を、嬉しい混乱に引き込んでいる。 
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「越後では杉と男は育たない」という、根拠不明な文言に先日のブログで触れた。「越後杉」の宣伝キャンペーン中の新潟県林業事務所の人たちによれば、歩夢選手が子どもの頃から練習を続けてきたスケートボードの「日本海スケートパーク」のコースは「越後杉」が材料だという。越後の杉がオリンピックのメダリストを育てた、といってもあながち嘘ではない。
「歩夢選手は村上市をおおいに有名にしてくれた。数億円もの宣伝効果だ」と、市の幹部は語った。市では市営スキー場に国内では数少ないハーフパイプのコースを設置するなどの計画も浮上しているようだ。
 3月からは「町屋の人形さま巡り」が開催される。15回目となった今年は「人形さま仮装大会」が企画されている。メダリスト歩夢選手に扮した、スノボー人形が登場するかもしれない。
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 長い常連のMizutaniさん(左)は博覧強記の物知り。この夜はポピュラー音楽オールディーズに薀蓄を傾けた。右は星野恒夫さん。名刺には「笹川流れのわさび男」とあり、ブログ「越の国かんがわ通信」を開いたら、雪とたわむれる可愛いお孫さんの写真があった。ツンッと鼻に抜ける刺激が<わさび>だが、星野さんの初印象は穏やかそのものだった。
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 同じ町内の割烹「千渡里」さんの紹介で初来店の小林夫妻(新潟市)。夫妻でジャックダニエルをグビグビと飲む豪快な酒だった。翌日は夫妻の結婚記念日」だという。「100回目のね」とはもちろん夫人の冗談。夫妻の会話やたたずまいにいささかの無理のない自然さがあった。再度の来店を約束して瀬波温泉の宿へ帰って行かれた
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 左から石亀ママ、上村さん、そして郷里村上でママさんコーラスを指導している東京在住の音楽家大滝さん。同窓生3人の、地方の町ならではの酒飲み交流だ。大滝さんは石亀ママが入手してくれたのであろう地元産の銘酒を持ち帰った。東京の音楽仲間と郷里の自慢を肴に飲むのだろう。
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 かつて芭蕉と曾良がニ泊した「井筒屋」は、芭蕉ゆかりの宿として、明治の町屋の風情を残す部屋(国の登録有形文化財)に、一日一組だけ客を受け入れている。この夜は大阪から新潟市での学会に参加したKeigoさんとYasukoさんがその一組だった。海洋生物が研究対象だという二人から<シジミ>の話を聞いた。沖縄ではマングローブを<ひるぎ>といいい、そこには握りこぶし二つ分もの巨大シジミが生息しているとのこと。居合わせたHattoriさん(右)も加わって話が弾んだ。Hattoriさんがカッターボートの経験者だったとは・・・。
 井筒屋に宿をとり、千渡里で食事、その後は「夭夭亭」で飲んで語る。そんな旅の客が増えてきつつあるように感じる。嬉しいことだ。
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 今年もMikaさんからの、愛がこもった(?)バレンタインチョコをもらった。Hideさん、Murataさんと男3人で食べた。「ウウムッ」なのであった。 
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 昭和12年2月10日、歌人与謝野晶子は瀬波温泉を訪れ、わずか一泊二日の滞在で45首もの歌を詠んだ。
<いづくにも女松の山の裾ゆるく 見ゆる瀬波に鳴る雪解かな>は、後に地元有志によって歌碑に刻まれ、県民いこいの森に建っている。また、<温泉はいみじき瀧のいきほいを 天に示して逆しまに飛ぶ> は瀬波温泉の旅館やホテルなどのパンフレットで目にすることも多い。私の好きな1首でもある。
 晶子が瀬波温泉で詠んだその他の歌も知りたいと、市の図書館で東海林久三郎氏の冊子にたどり着いた。
 
 うす雪の白象の皮敷ける路 沙丘の坂はかもしかの皮
 三つ四つの女松の山を結びたる 藤むらさきのうす雪の路
 北の海磯の松山雪うすし 御寺の庭のしら鳩のごと
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 現在の松林の一部だ。「晶子が瀬波へ来遊したのは二月、その年は暖冬で降雪も少なかったという」と、村上市史調査員で瀬波地区公民館長だった東海林久三郎氏は『与謝野晶子と瀬波』の「あとがき」に書いている。今年の瀬波温泉も例年にない小雪である。関東では集落が孤立するほどの大雪だというのに・・・・。
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 松山と松山の中雪白く 村上の灯がそのはてに點く
 安らかに松山ならぶ雪光る 越の瀬波に春雨ぞ降る
 三面の雪山白き雲にあり 彫られし如し大理石にも
 不覚にも二月の越の旅人が 雨の音をば愛して篭る
 暖し長岡の雪いではにも いくばくもなき岩船の雨 
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 この冬、いちばん雪が降った日の朝だ。だが、除雪のスコップを手にすることもなく二月がいく。

「ふるさと紀行」と題して地元紙に連載している郷土史愛好家の大滝友和さんが作家田山花袋を取り上げた。大滝さんの生地は「奥の細道」の芭蕉と曾良が一泊した北中という集落だが、その北中が田山花袋の小説「廃駅」の舞台になっているというのである。「はてなの探求」を続けている大滝さんは、なぜ田山花袋が北中を小説の舞台に選んだのかを知りたいと書いている。田山花袋の紀行文に、おそらくはなぜ?の答えがあるだろう、ということで次回の連載記事を待つことになっている。
 次回は3月2日だ。この日は平野歩夢選手の凱旋パレードとトークイベントがある。「町屋の人形さま巡り」と重なって賑わうことだろう。

by yoyotei | 2014-02-28 00:03  

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